致芳地区の紹介

1 位置

 置賜盆地の北部、長井市の北側に位置し、西に葉山の霊峰を仰ぎ、地区の中央を流れる最上川と並行して山形鉄道フラワー長井線・国道287号が南北に延びる。野川を境に市街地と隔され、田畑の広がる農業地域でもある。野川辺りには「はぎ公園」がある。

2 歴史

 12世紀ごろ、源頼朝の家臣大江時広が地頭となり、その領地を「長井の庄」と言った。やがて、大江氏から伊達氏、蒲生氏の統治を経て、明治維新まで続く上杉時代に諏訪堰や栃木堰の開削、そして元禄の最上川舟運が開かれたことによって、地域の経済・文化が盛んとなった。明治に入り、成田、五十川、白兎、森、東五十川の5ヵ村が合併し「長井村」となったのは明治22年(1879年)のことだった。明治40年、村の学校合併計画を機に当時の山形県知事 馬渕鋭太郎氏より「和致芳」(和して芳しきを致す)をいただき、成田・五十川・白兎の合併後の校名を「致芳尋常小学校」とした。そして、昭和29年、長井町外5ヵ村が合併し「長井市」となったとき、旧長井村を「致芳」地区と称して現在に至る。

3 人口

 約3,900人

4 世帯数

約1,080世帯

 成田、五十川、白兎、森、東五十川の5地区からなり、それぞれ515、295、117、96、65世帯(H23.4月現在)となっている。

4 産業

 農業を主とし、それに関わりながらその他の産業に従事する人口が多くなっている。

5 地図