これまでの経緯
昭和49年6月(1974) 飯豊町の民生委員が千倉町を視察
同 8月 千倉町の町長・福祉課長等が飯豊町の社会福祉協議会を訪問したの
をきっかけに飯豊町と千倉町の交流が始まる。
同 12月26〜28日 新田地区の子ども会が千倉町立朝夷小学校を受け入れ交歓
昭和50年3月24〜26日 新田地区の子ども会が千倉町立朝夷小学校を訪問
(1975)
昭和50年8月4〜6日 新田地区の子ども会が千倉町立朝夷・健田小学校を訪問
同 12月25〜27日 新田地区の子ども会で朝夷・健田小学校を民泊受け入れ
昭和51年12月25〜27日 千倉町立七浦小学校の交歓会受け入れ
昭和52年3月21〜23日 千倉町立七浦小学校を訪問(第1回目)
(以後、七浦小との交歓会に固定し、実施の確認をする)
昭和52年12月25〜27日 千倉町立七浦小学校の交歓会受け入れ
昭和53年2月10〜12日 千倉町立七浦小学校を訪問
昭和54年1月13〜15日 千倉町立七浦小学校の交歓会受け入れ
同 2月10〜12日 千倉町立七浦小学校を訪問
昭和55年1月12〜15日 千倉町立七浦小学校の交歓会受け入れ
同 2月9〜11日 千倉町立七浦小学校を訪問
以降は、1月の成人の日を中心に受け入れし、冬の飯豊の雪国での生活やヤハハエロを楽しんでいただいている。また、訪問は2月の建国記念の日を中心に訪問し、吹雪の中の飯豊からお花畑の広がる千倉を堪能させていただき今日に至っている。
平成18年3月20日に町村合併により南房総市立七浦小学校となる。
平成24年度、町と町との交流から数えて39回目、七浦小との交歓会が確認されてから37回目を数える伝統のある行事となっている。