アピール

 昨年末から今年にかけて、「従軍慰安婦」の問題が今年(一九九七年)から使用さ
れる中学校の歴史分野の検定教科書で言及されることになったことに異を唱え、日本
によるアジア侵略の歴史という事実を直視することを「自虐史観」だとして攻撃し、
日本の近現代史が負う暗部の解明によってアジアの隣人たちと共に新しい未来を築く
目的で真撃な努力を続けている研究者や市民運動にかかわる人々を「病的」「オウム
真理教信者と同じ」などと揶揄・誹謗する、一群の「論客」の発言がにわかに注目を
あつめている。
 「自由主義史観研究会」「新しい歴史教科書をつくる会」等を名乗る彼ら、具体的
には西尾幹二氏(電気通信大学教授)・藤岡信勝氏(東京大学教授)・小林よしのり
氏(漫画家)らの主張は、「従軍慰安婦」に関する記述を歴史教科書から削除せよと
要求し、「教科書会社がそれをしないならば、文部大臣が職権で削除申請の勧告を教
科書会社各社に発するべきである」(藤岡『汚辱の近現代史』三六ページ)とする、
およそ彼らの「自由主義史観」の実体の何たるかを物語る内容から知ることができる
ように、教育の名において人間の尊厳を否定し、歪曲された歴史認識を国家権力によ
って強制するという論旨を主要な骨子としている。文部省の教科書検定を批判して来
た我々から見れば、彼らの言動は従来の単純な「国粋史観」の鼓吹以上に危険なもの
と判断せざるを得ない。
 勿論、率直に言って彼らの論議の中身に何らかの傾聴すべき学問的内容が含まれて
いるわけではないし、彼らの人身攻撃の品性に欠けたやり方を見れば、まともな論争
の相手とすること自体に、我々の方で羞恥心を覚えるのが事実である。我々の周囲の
心ある人々のなかにも、「相手にする値打ちがないから無視するに限る」という意見
の研究者が多数存在する。
 しかし、露地裏の小さな店を含めて書店ごとに彼らの著作が山積みされたり、大型
書店の「話題書」コーナーに並べられていることを見れば、彼らの主張が、日本の近
現代史の暗部を直視することを避けたいという心理を持ちがちな----その心理自体は
自然なものと言えよう----一般読者のかなり多数に歓迎されていることを知ることが
できるし、また彼らの言動は侵略戦争や植民地支配のもとでの数々の残虐行為の事実
を否定する「妄言」を繰り返す一部の保守政治家の発想と瓜ふたつであることを見る
とき、我々の沈黙は彼らの主張が国民のなかに広がって行くことを座視することにな
るのではないかという焦燥感を覚えるのである。日本とアジア、世界の近現代につい
て研究する日本人として、この際、最低限の発言が要求されていると考えて、このア
ピールを発表する。
 「南京大虐殺」「従軍慰安婦」の事実を否定する彼らの目的は、その著作の内容を
冷静に検討すると、「話題」を提供しやすい教科書のテーマについての発言を通して
、日本の近現代史の暗部の全てを帝国主義のバランス・オブ・パワーの結果として相
対化し、過去の反省のうえにアジアの隣人たちと共に生きる努力を否定・冷笑し、独
特のレトリックを弄して、しかしそれなりに効果的に、日本の国家至上主義と軍事力
発動の容認へと世論を誘導しようとするところにあると思われる。「戦争犯罪」の存
在を認めながら、しかしそれを「戦争につきもの」のものとして責任論を回避する論
法は、かつての単純な「大東亜戦争肯定論」よりもより巧みに、侵略戦争を正当化し
、人間性の尊厳を否定しながら、今日の保守政治家の中にも見られる一部の良心の声
をも抹殺して、国家至上主義へ国民の意識の流れを促進するものとなっている。
 我々は彼らの主張に含まれるこのような内容を強く批判し、その危険性についてひ
ろく研究者・教育者、さらには国民に訴えたい。

 我々は、「自分たちの研究姿勢が無条件に正しい」という前提で彼らを批判するの
ではない。我々は戦後日本の歴史研究と歴史教育が彼らの言うように「東京裁判史観
」と「コミンテルン史観」に立脚して来たとは決して考えないが、冷戦体制崩壊とい
う大きな歴史のうねりのなかで、近現代史の新しいパラダイムを構築するための真撃
な努力がなお不充分である面は率直に認めたい。また、人文・社会科学の各分野での
研究が進み、個別の分野で精緻な「実証研究」が積み重ねられて来た反面で、「なぜ
学問するのか」という真剣な問をともすれば二次的な課題にする傾向があったのでは
ないかとあらためて反省する。大学の専任教員として籍を置くことが一人前の「研究
者」として認知される条件であるかのような錯覚にとらわれて、学術論文を生産する
「業績主義」が一般化し、上述の傾向を一層強めて来たことも認めるべきであろう。
我々は「自由主義史観」を謳う彼らへの批判を、真の人間性を取り戻すための学問と
して研究に取り組んで来たであろうかと自らを反省する機会としたい。彼らの登場を
許したのは日本社会の現状である以上、日本社会のなかで学問研究に携わるものとし
ての我々の主体的責任意識を明確にしたいのである。
 しかしその反省は、彼らの前での沈黙によってではなく、彼らの主張が持つ危険性
に対する「国民の油断」(いみじくも西尾・藤岡両氏の対談集の書名がこれである!
)に警鐘を打つことを以て始められるべきであろう。恥ずべき歴史的事実を否定・歪
曲・隠蔽することが、「日本人の誇り」を取り戻す道ではない。事実を率直に認め、
誠実な反省と謝罪を行なうことこそが誇りを取り戻す道であり、アジアの隣人たちか
ら信頼される道を拓くことこそが、日本社会の未来に貢献すべく我々に与えられた課
題であると考えるからである。

 我々はまず、近現代史や現代アジアを研究対象とする少数の有志で、このアピール
を発表する。内容に対する批判があり得ると考えて、まずは相互に基本的な信頼関係
にある範囲の者で意見を発表したうえで、より広い分野の研究者、さらには中学・高
校等の学校教育の実践の場で彼らの論理との対決を迫られている方々、戦後補償をめ
ぐる市民運動の人々とも手を取り合い、在日韓国・朝鮮人を含むアジアの隣人たちと
ともに新しいアジアの歴史をつくっていくための努力の一環に、ささやかなカをもっ
て加わりたいと思う。

    一九九七年四月

 日本のアジア侵略と植民地支配の近現代史を意図的に隠蔽・歪曲し、真実の究明と
反省を求めるアジアの人々の声に敢えて敵対するとともに、誠実な歴史研究者の人格
を踏みにじる発言を続ける「自由主義史観研究会」「新しい歴史教科書をつくる会」
等を名乗る人々の言動を批判する日本人研究者有志

賛同人

 相田利雄 (法政大学)     石坂浩一 (立教大学講師)
 海野福寿 (明治大学)     大石嘉一郎(明治学院大学)
 大野英二 (京都大学名誉教授) 小笠原茂 (立教大学)
 岡田元治 (甲南大学)     奥田 敬 (甲南大学)
 片野真佐子(大阪商業大学)   金子文夫 (横浜市立大学)
 河村光雅 (甲南大学講師)   久保新一 (関東学院大学)
 熊沢 誠 (甲南大学)     倉持和雄 (横浜市立大学)
 佐野孝治 (福島大学)     久武哲也 (甲南大学)
 関田英里 (高知大学名誉教授) 高野清弘 (甲南大学)
 滝沢秀樹 (大阪商業大学)   中村 哲 (福井県立大学)
 中村政則 (一橋大学)     永岑三千輝(横浜市立大学)
 西田美昭 (東京大学)     西村 誠 (長野県短期大学)
 畑井 弘 (甲南大学名誉教授) 廣田 功 (東京大学)
 廣山謙介 (甲南大学)     藤永 壮 (大阪産業大学)
 堀 和生 (京都大学)     宮城公子 (甲南大学)
 森 恒夫 (流通科学大学)   柳沢 悠 (東京大学)
 横田伸子 (山口大学)
 匿名希望 六名 (東京大学・和歌山大学・武蔵大学・甲南大学)

            以上合計  三十九名 (四月十日現在)


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