山形県・酒田での中国人強制連行についての詳細は、
下記の文献をぜひご参照下さい。
「酒田港・中国人強制連行被害者を訪ねて:中国平和の旅訪中報告集」
1998年5月1日発行
定価 1000円(税込み)
発行所:山形平和の旅訪中団
(山形市香澄町1−14−7 アーバン最上2F 日本中国友好協会山形支部内)
電話:023−642−7369
Fax:023−642−7369
『渡辺晃写真集・酒田港中国人強制連行・痛恨の60年』
定価2300円(北の風出版)東根市神町中央1−9-1
「まえがき」の中で元山形県弁護士会会長の加藤 實氏は、
「中国人の強制連行は、昭和17年
11月の内閣閣議決定に始まるが、38,939人の中国人を強制連行し、うち6、830人が
虐待のもとに死亡しました。更に、中国の地の収容所から日本への出港までに2,823人が
死亡、又は、逃亡となっています。山形県内では、酒田港において338名の中国人が働かされ
そのうち31名が失意のうちに死亡しています。・・・」
また、
日中友好協会山形支部事務局長の高橋 幸喜氏は、酒田での労働の内容について
「・・・仕事は、船の石炭などの積み降ろし、貨車積みで、一日10時間以上、いったん
仕事についたら終わるまで船を降りられないというものでした。・・・・・最も苦しかったのは
食べ物が少なく、一日300〜350グラムの質の悪い饅頭(とうもろこし=引用者注)で、
おかずが何もなくいつも腹ぺこでそれでも重労働を強いられ・・・」と記しています。
さらに、
北京社会科学院歴史所の居 之芬氏は、日本への労工(強制連行)について、次の
ように記している。
「・・・・・華北地方からは、主に三つの場所、済南集中営、石門集中営、北平集中営(注:
各俘虜収容所もしくは華北労工協会管理の労工訓練所)から日本へ連行された。
農民たちもいました。とりあえずやってみようと(注:試験移入)43年、8回にわけて、
1,428人を連行し、効果があると判断され、44年に大量に「募集」となりました。
44年に3万人、45年に5万人の計画であったが、実際は、3万8、935人、回数は
169回、その他に、日本への出港前に殺されているような人が2,823人、合計が
4万1,758人となっています。・・・・・」
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