萩生城址
萩生城は,伊達氏の家臣国分氏11代210余年間の居城で,中世の複郭式(ふくかくしき)の平城(ひらじろ)である。主郭部だけでも南北145m,東西77m,面積11,165㎡と大規模なものである。
天授6年(1380),伊達宗遠(むねとお)が置賜地方を領有したとき,家臣の国分政信が萩生郷に領地を賜り築城したという。天正19年(1591年),豊臣秀吉の奥州仕置によって伊達政宗は米沢から岩出山(現宮城県大崎市)へ国替えとなり,国分氏は政宗に従ってこの地を後にした。
現在も西側には水堀跡が明瞭に残っている。土塁は西側の大部分と南側の一部が残っており,特に西南隅には物見櫓(ものみやぐら)があったと伝えられている。
1987年3月,町の指定文化財史跡に指定された。
また,周辺に農業用水(玉木沼)のための湖水工事碑・小学校跡地を物語る碑・村長から県議となり,村民のために尽力された黒澤長太郎の功労碑も見ることができる。
土塁とお堀の跡が現在も見られる。