九野本地区には稲荷神社・八雲神社・観音寺(文殊様)で獅子舞奉納がされている。観音堂は本来8月25日であるが近年8月の最終土曜日に例大祭を行っている。八雲神社は9月4日に、稲荷神社は9月8日の土曜日に獅子舞を奉納し、氏子や地区民の厚い信頼を寄せている。
(資料は平野村郷土史参照)
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文殊様(観音堂) 8月最後の土曜日
昭和初期、当時の若集が九野本稲荷神社の獅子舞を見て、観音堂の文殊尊でも出そうとなり、獅子振り4人と警固1人を毎年招いて獅子舞を奉納していた。師匠離れしたのは戦後からだと伝えられている。そのため稲荷神社と共通点が多い。(資料はおしっさまより)
観音堂は天保9年 正月13日に観音寺とともに焼失した。それから7年後に再建されたとある。置賜三十三所第5番札所の九野本観音でもあり文殊様と観音堂の関係ははっきりしない。
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観音堂の獅子幕と、獅子頭は今年新調された幕は40万獅子頭は80万円という。
獅子頭は3年間は使用されず、お堂の中でじっとその出番を待つことなる。
獅子舞は川窪地区の若集が中心で、旧谷地寺地区の氏子も入っている。獅子の執行はおおむね午後から、全戸に回って悪魔払いを行う。 |
八雲神社 9月4日例大祭
九野本正福寺の前に鎮座、京都祇園の八坂神社の分霊を勧請したものと伝えられている。祭神はスサノオノミコト。
ご神体は高さ21センチの木彫り。牛頭天皇の像(ごずてんのう)の蔵といわれる。
社殿は正面九尺、奥行き二間。元禄二年と
天明三年に改築したものという。明治以前は正福寺が別当(江戸時代まで社寺などの特別な職)だった。
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稲荷神社 9月8日例大祭
天保13年(1842年)9月に改築した稲荷神社で
あったが、明治32年朝5時ごろ境内にあった小さな祠である琴平神社から出火し本殿が焼失した
社殿の彫刻ははなはだ荘厳。近在で評判であった。
【再建】 神社が焼けて5年以内に再建して届けないと「神社明細書」から消されてしまう。しかし13年も放置しておいたため 、その後村長を中心に陳情請願を繰り返しようやく再建の許可。今の神社は勧進代稲荷の建物を買い取り移築したもので、明治45年1月遷宮式を挙げた。
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