長井市の黒獅子祭りのフィナーレを飾る
市内には40を数える黒獅子の舞が行われている。特に長井の黒獅子舞の起源とされている総宮神社の獅子舞は、その威厳もあり多くの参拝者で県社の風格十分である。獅子は拝殿の舞で始まり、やがて階段に近づくと警固のあけろ と叫び、群衆に道を明けさせる。これを合図に太鼓も笛も調子が変わり、威勢のいい「タダンコ」の調べとなる。
総宮神社は今から1200年前、坂之上の田村麻呂将軍東征の祭、郷土の平和を祈念して、赤崩山白鳥大明神をこの地に創建されました。長井、伊達、蒲生、上杉の歴代藩主を始め上下の信仰きわめて厚く、特に文禄2年(今から約400年前)米沢藩主蒲生郷安が長井郷の44カ村の神社をこの地に合祭し、長井郷総鎮守として社郷を「総宮」と改める事にりました。赤崩山は米沢と福島県堺に横たわる吾妻連峰の一部である。(資料は総宮神社御由緒より)
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奥の院は三淵神社(ミフチジンジャ)
総宮神社の社殿建立は802年、1063年に社殿が再建された記録がある。本田は1782年に新築奥の院は寺泉地内三淵(御淵)神社で
あり、卯の花姫の伝説の場でもある。
卯の花姫は阿部貞任の娘、卯の花姫はミフチに身を投じ大蛇となって祭られたものだという。その大蛇が三淵神社の里宮である白鳥神社の大祭に招かれ、野川を下る姿が宮の獅子舞であるといわれている。「蛇頭舞」といわれる地面をくねるように進む舞である
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奥の神殿前に安置されていた獅子は、獅子頭と小頭に見守られながら獅子の振り手に渡される。舞手が一人膜の中に入り、獅子を頭上にいただくと、「神殿振り」の始まりである。
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獅子幕の裾は麻でてきており、波の形が染め抜かれている。前幕には波頭が描かれ、大蛇が水面を泳ぐ様子を表したものといわれる。
ご信心(歯うち) をしてもらう時は軽く頭を下げる。子供には優しく、ぱこんと、病気をしないで丈夫に育つようにと祈る。
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笛太鼓の主役に女の子姿が珍しくない。聞くところによるとみな好きで来たととのことである。小出の獅子も、成田の獅子もみな保存会があって、そろいの法被を着ている。伝統芸能の伝承にはこういう子供たちの力がものを言うのかもしれない。
小出の獅子舞も、成田も保存会のそろいの法被などを着て、りりしさを感じる。 黒獅子は長井
の里、市内40以上の神社で例大祭が開かれているのだ。
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