前橋・高崎編

平成9年5月3日


今日は高屋のお祭りだが、前日から泊っている○○さんと一緒に、適当旅行にいく予定だ。

寒河江のチェリーランドで隠れた名物シシケバブを食べつつ112号に乗った。とりあえず新潟を目指すのだが、一緒に行った人が悪かった。113号ではなく112号で行こうと言い出したのだ。私もいいかげんなので、1分で112号に決定した。月山ダムで隠れた名物ソフトクリームを食べた。やはりうまかったと思われる。

112号は(いつもだが)工事中で、ゴールデンウイーク中ということもあって、大渋滞していた。一台の車からは小3くらいの男の子が出てきて、歩道で、体重を(大幅に)軽くしていた。我慢できなかったのだろう。鶴岡では大学時代の友人で現在中学校英語教師のT君に連絡をとってみた。しかし私が電話で、「○○さんも一緒だよ」と言うと、「○○さん?○○さんって誰だっけ?」というギャグを発し、○○さんは機嫌が悪くなってしまった。

夕方5時ころ、湯の花温泉で風呂に入った。ここで私は虎の子の5000千円札を落としてしまったようだ。今でも悔やまれる。今日は新潟県六日町在住の先輩のところに厄介になる予定なので、速く行かなければならないのだが、こういう時、必ず海に寄りたくなる人と一緒だったので、当然海に寄って、ビデオで「海なんかだいっきらいだー!」と叫ぶ人を撮影し、7号を急いだ。中条でははじめて元気ずしに寄り、感激した。珍しいねたとしてはソースカツ巻きアラ、おいしい焼サーモン白トリ貝ベーコンなどがあった。

新潟亀田ICからは高速に乗り栄PAにももちろん寄った。越後川口PAに寄って、六日町ICで下りた。

先輩のアパートに着いたのは2240にもなっていた。取り合えず着いたと思ったら、様子がおかしい。先輩は来るのが明日だと思っていたらしい。しかもアパートには部外者立ち入り禁止らしい。どういうことだ!と思ったが、仕方が無い。駅付近にビジネスホテル「ライフ」を見つけ6200円を支払い、納得が行かないままそこに泊ることになった。

平成9年5月4日


先輩を連れて前橋に行くことになった。ちなみにアパートはほくほく線のすぐ横っちょでうらやましかった。

この日は開通したばかりのほくほく線に乗り、直江津まで行ってみた。電車でGo!でも有名なほくほく線だが、運転台の機械化はすごいものがあった。まるで一昔前のパソコン画面のようだった。直江津駅ではKさんに連絡を取ったが、あいにく留守だった。駅でつゆがそばつゆの和風ラーメンを食べ、帰りは特急はくたかに乗車した。が、○○さんの日ごろの行いが悪かったせいか、485系はくたかで非常にがっかりした。

六日町に戻ってから、○○さんが酒屋によって、例によって地ビールを買ってから六日町ICより関越道に羽乗った。塩沢石打SA赤城石打SA横川SAによってスタンプを押していった。上信越道に入って、軽井沢ICで高速を下りたが、IC前の巨大なはとても雄大で、我々を歓迎してくれた。軽井沢はゴールデンウイークの真っ最中で、すごい渋滞だった。乗馬クラブや、貸し自転車屋が有るのはさすがだった。

横川駅まで来た我々は、車を止め、廃止間近の横軽を制覇することにした。66.7パーミルの斜面を108トン、車体長17000mmのEF63が直流1500Vの電気をもらい、B-B-B、歯車比16:71の車軸を使い、よっこらと動いてった。軽井沢に付いた我々は写真を撮り、有名な峠の釜飯を買って、帰りのL特急あさまの車内で食べてみた。うまかったが、甘いくりなどは要らなかった。一緒に付いてきた漬け物の容器は画鋲入れに丁度良く、愛用している。

前橋に着いた我々は大先輩□□さんを迎え、4人で魚民に飲みに行った。□□さんはとてもまじめな方だが、ギャグがさえる。その日も「島根でシネマを見よう」とか「習志野ごんべえ」とかと大受けギャグを連発した。たらふく飲み食いした我々は、知り合いに電話をかけまくり、顰蹙を買った。「今日はおごる」と言う言葉に、私は気を大きくしたいたが、□□さんが帰り際に置いた志10000円札を、○○さんが横流ししてしまった。そのため、私は割り勘になり、多大な出費を強いられた。またもや納得できないままユーアイホテルに泊った。

平成9年5月5日


前日については、石巻在住の○○さんから少々指摘を受けたが無視。1035にホテルを出て、コジマ電気に立ち寄る。なぜだろう。そして、高崎に向かう。やけに狭い前橋の道路ともおさらばだ。

高崎といえば、競馬△△さんだ。高崎競馬場では、○○さんが2レース買って2つとも当てるというまぐれに出た。本人に当てるコツを聞いたところ「窓口で購入する時に、前の人が買った馬券を買う」ことだそうだ。勝ち馬投票券はレースが確定するまで捨ててはいけない。競馬の後には、△△さんと会った。群馬で教員をしているが、真っ赤なポルシェ(ではなかったが)で現れ、びっくりした。しかも右前方をかなり強くこすった跡が有り、ガムテープでフロントが止めてあった。本人曰く「さすがあたしだよ。」だそうだ。

ファミレスで談笑しているときに「これが私の生きる道」の小学校器楽合奏の編曲を頼まれた。鍵盤ハーモニカなどの編成で、こういう編成の編曲ははじめてだったが、なんとかやり遂げた。でも演奏テープがいまだに送られてこない。私は変曲・編曲を頼まれたときは、演奏したときのテープをもらうことが条件なのだが、守られないことも多い。さて、高崎駅で××さんと別れ、中野在住のYさんが山形まで一緒に行くことになった。ユーフォ吹きである。

わたらせ渓谷鉄道(ごめん※※君、ほんとの字面倒で探せない)沿いを北上し、終点、間藤駅で休憩をとった。レトロな列車が到着し、客が降りてった。しかし、折り返す客も結構居るようだ。鬼怒川や、日光はちょっと渋滞していたが、おおむね順調だった。途中、何と読むかは知らないが、左沢という地名を発見したり、7の字が黒いセブンイレブンが有ったりした。2100からFM福島では、男「おれが先か、君が先かクジで決めよう」女「ていうかー」ナレーション「9時です」ポーン(時報)というずっこけ3人組な時報のあと、「何聴いてるの、今日は」という番組が始まったが、「この番組にきまってるだろ」と突っ込む力は我々には残っていなかった。

喜多方では、2130近かったが、せっかくなので、喜多方ラーメンを食べることになった。深夜なので開いている店を探してだったがラーメン○○○○○で食べた。とてもおいしく、Yさんいわく「ハズレハズレにあたってしまった」。喜多方から山形は私が運転したが、2人とも寝ていてとてもうれしかった。結局ラフィーヌに着いたのは200で、○○さんはそのあと猛スピードで石巻に向かい、400に着き、700まで寝て学校に登校したのでした。おつかれさま。