朝から晴れていた。オートハウスの面々の見送りで、道東こと北海道東部に出発する。今度は襟裳岬、最東端納沙布岬、最北端宗谷岬を廻り、札幌へ戻ってこようというものだ。国道36号線で苫小牧に出て南へ向かう。晴れてはいたが、海沿いに出た途端、風が強くて冷え込んだ。
日高支庁に入ると、沿線には馬牧場が目立ってくる。全国の競馬場で走っているサラブレッドの多くは、ここ日高の牧場で生まれ育っている。牧場と海にはさまれた道路がどこまでも続いた。
途中、平取町の二風谷(にぶだに)に寄り道した。二風谷はアイヌ民族の聖地の一つで、アイヌ資料館が二つ建っている。その一つ「二風谷アイヌ資料館」を見学した。アイヌ研究第一人者、萱野茂さんが建てたものだ。日高支庁は道内でも、アイヌ系の方が最も多い地域なのだ。
収蔵品はアイヌの民具が中心だ。萱野氏が長年かけて集めに集めたもので、衣類、農具、祭具、雑貨まであらゆる民具がそろっている。敷地内に再現されたアイヌコタン(アイヌの集落)も見所だ。アイヌは至る所に神の恩恵と脅威を見いだし、畏敬の念と感謝とを捧げていた。それは様々な民具や祭礼に見て取れる。アイヌにとって神とはしごく身近な存在なのだ。
アイヌコタンの建物の一つはみやげ屋になっている。中には織り機の前に座った50がらみのおばさんと、近所の農家の方とおぼしきおばあさんがいた。荒井と入れ違いに、それじゃとにこやかに、おばあさんは出て行った。
織り機のおばさんは藤谷るみ子さん。アイヌ民芸アツシ織りの達人である。アツシ織りは木の皮から作った糸で布を織る。「でもここ数日は、材料集めでくたびれちゃってねぇ。それに今度『YOSAKOIソーラン』に参加するのが楽しみで仕事が手につかないものだから、今日はのんびり仕事をしてるのよ。」
藤谷さんに勧められお茶などすすっていると「今出てったおばあちゃんが、萱野茂さんの奥様なのよ。」と教えてくれた。サインでももらっとけばよかっただろうか。こんな具合にのんびりとお話などうかがうのだった。
いかなアイヌ民族が北海道の先住民とはいえ、その事実を確認しに二風谷くんだりまで資料館を見に来るのは、よほど興味のある人間らしい。「ここはアイヌに興味のある人がお勉強のために来るところ。だからあなたものんびりしてるでしょう?」との言葉に納得する。
日本全域を回ってみると、日本が単一民族・単一文化の国ではないとわかる。北海道にはアイヌ民族の文化がある。東北は蝦夷の土地だった。沖縄は琉球という別の国だった。すると何でも単純に「日本」という枠組みで一括りにするのがためらわれてくる。同じ国でも全国各地に、様々に異なった、豊かな文化と人々が息づいているのだ。
来た記念にと、アツシ織りの栞を一つ買った。この栞はその後荒井と全国を旅することとなった。
再び海沿いに出て、襟裳岬を目指して走る。行く手には似たような海岸線が延々と続いた。案内標識を見てみれば、岬までは100キロ以上もある。行けども行けどもなかなか数字が減らなかったが、それでもひとまず浦河町に着いた。
浦河町には日高支庁舎がある。支庁舎は海を見下ろす小高い丘の上にあり、ロビーからは太平洋がよく見えた。売店には日高名産の昆布やトマト製品が並んでいる。入り口ホールには、日高名産の馬にちなんで、馬の蹄鉄を投げる運動競技「ホースシューズ」を紹介する展示があった。ついでに日本ホースシューズ協会のマスコットキャラ「U馬君」は藤子不二雄A先生のデザインだ。
昨今の不況と人口減少のためか、日高支庁は存亡の危機に立たされており、浦河の町には至る所に「活力ある北海道は日高から!」と、支庁存続を求めるポスターが貼られてあった。
北海道は、観光以外には土建業しか主な産業がないと言われている。この不況や公共事業見直しで、土建業がすっかり失速した現在、北海道の景気は全国的にも最悪だという話は道内各地で耳にした。
岬に近づくにつれますます寒くなってきた。初夏だというのにどうしてこんなに寒いのか。寒い中、襟裳岬に着いたのは、もう日も暮れかけた頃だった。
襟裳岬は風の岬として知られている。日高山脈にぶつかった風が方向を変え、そのまま岬に向かって吹くからだという。岬の周辺は背の低い草に覆われた丘のようになっている。背の高い植物はほとんどない。タンポポも生えていたが、綿毛は丸坊主になっていた。襟裳は北海道の突端の一つ、左右に広がる海を眺めつ、本当に来てしまったんだと思った。
岬には森進一の「襟裳岬」の歌碑がある。歌がはやった頃「何もない春です」という一節に、えりも町が「そんなことはない!」と抗議したという笑い話が伝わっている。岬の近辺にはみやげもの屋と強風にちなんだ博物館があるのだが、もう夕方だったので開いてない。人もほとんどいなかった。うらさびしい襟裳岬だったが、それだけに心に染みた。
一軒だけ開いていたみやげもの屋のご主人のおすすめで、その日は近場の「百人浜オートキャンプ場」にテントを張ることにした。名前こそオートキャンプ場だが、ただのテントサイトもしっかり整備されており、しかもオートキャンプ料金より格安で利用できるという、良心的なキャンプ場だ。風呂に入りたければ、有料で隣にある「高齢者センター」の大浴場が利用できるのもうれしい。
キャンプ場は岬からは数キロ離れた林の中だが、それでも風は強くうねっていた。やはり襟裳は風の岬である。
旅人がテントを持ち歩くのには大きく二つの理由があります。自由に動き回るためというロマン溢れる理由と、宿代が惜しいからという打算溢れる理由。ともあれ、野宿するならキャンプ場が一番理想的です。水場とトイレは確保されていますし、場所選びもそれほど神経質になる必要がありません。(場所にもよるが)管理が行き届いている安心感もあります。
使用料は無料から5000円程度まで様々ですが、値段の高いところは基本的に、家族向けのオートキャンプ場です。野宿旅向けのキャンプ場は、一泊1000円以下が一つの目安となります。どこがいいといったことはネットでも検索できますが、旅先で会った旅人に教えてもらうのが一番手っ取り早いでしょう。同じ旅人だけあって、実体験に即した助言をしてくれるはずです。