湖畔の朝は霧だらけだった。今日は十和田湖を一周することにしたが、ついでに有名な乙女の像でも見物していこうと思い、像のある中山半島に行った。
十和田湖は南岸から中央に向かって、二つの半島が突きだしている。東にあるのが御倉半島(みくらはんとう)で、西にあるのが中山半島。中山半島の基部には、昨日見たようなみやげ屋や観光ホテルなどが並び、十和田観光の拠点の一つとなっている。
乙女の像を見物したところで、その後ろにある十和田神社に参拝する。神社は坂上田村麻呂の創建といわれており、羊歯や苔むす原生林の中にある。境内をさらに奥に進み、半島を横断した対岸には、神社の開祖とされる僧、南祖坊(なんのそぼう)が占いに使ったという占場があり、こちらの方も見てきた。
神社に戻ってくると、変わった服装をした50歳ほどのおばさんと、若くてかわいいおねえさんの二人連れに話しかけられた。おばさんのお名前は時澤さん。芸術家で、おねえさんことまどかさんは、その助手のようなことをしているらしい。時澤さんはあたりの原生林を見ては「自然のエネルギーを感じるわ!」と昂奮していた。
時澤さんとまどかさんは、作品の構想を練るため全国を旅しているらしく、その一環で十和田湖の原生林と、近所の新郷村(しんごうむら)にある珍名所「キリストの墓」を見に来たとのこと。思いがけなく時澤さんから「あなたもどう?」と誘われ、同行することとなった。「まどかさんと仲良ぐなれっかも?」と不純な動機があったのは言うまでもない。旅先で出会った女の子と仲良くなるなんて夢かと思っていたのに。
お二人とも朝食がまだだというので、これまた時澤さんのお誘いで、お二人が泊まっているホテルで朝食をいただくことになった。「でぎすぎだ...こりゃ宗教かなんかの勧誘でねぇべが?」といつもなら思うのだが、鼻の下が伸びっぱなしの荒井に、何を言っても無駄である。
ひとまず一行の部屋に通された。部屋には荒井より若干年上の、しっかりした体格の男の方がいて、時澤さんが紹介してくれた。息子の禮佐(れいすけ)さんで、通称レイさん。雑事でレイさんは部屋を出て、時澤さんは具合が悪いからとトイレにこもってしまい、部屋には荒井とまどかさんが残された。
おかしい。絶対に事がうまく運びすぎている。しかし「仲良ぐなるなら、これは『絶好の機会』というやつでねぇべが?」と、相変わらず鼻の下は伸びっぱなしだったので、ひとまずレイさんについてまどかさんに尋ねてみると「私の彼氏です。」と恥ずかしげに仰った。瞬間、期待はガラガラと音を立て、もろくも一気に崩れ去った。やはり世間は甘くない。夢のまた夢だったのだ。
とはいえ、それなら怪しい勧誘の心配はなさそうだと、妙にほっとした。間もなく時澤さんとレイさんが戻ってきた。時澤さんは自分のかわり、レイさんとまどかさんと一緒に朝食を食べておいでと送り出してくれた。
朝食は三人でおしゃべりしながら摂った。ホテルの朝食はバイキング形式で、和食洋食、パンにご飯などなど、よりどりみどりの献立だ。宿泊客でもないのにいいものかと恐縮したが、いただけるものはちゃっかりいただいた。
レイさんは気さくな方で、食事の最中もあれこれ話をしてくれた。まどかさんは落ち着いた物腰の方で、時折レイさんの話にうなずいていた。朝食も済んだところで、レイさんの運転する車に乗って、4人で新郷村に向かうことになった。
時澤さん一家は変わった方だ。車の中でも時澤さんは、自分が遭遇した不思議体験など話して聞かせてくれた。いつぞや、今乗っている車のフロントガラスに一条のひびが入ったのだが、気が付けばいつの間にかなくなっていた。そのひびが、亡くなられた旦那さんの手術痕に似ていたそうで、「あれはきっと、お父さんが霊界からメッセージを伝えに来たのよ!」と仰る。レイさんも途中道ばたに滝を見つけて、車を停めて一休みすると「こんなきれいな水、飲まないのがもったいないよ! 自然の恵みが宿ってるからね。」と、小さなペットボトルを取り出しては水を汲む。こんな具合に親子ともども霊とか自然に宿るものとか、精神的なものに関心があり、話す話題もそうしたものが多い。こんな具合に変わってはいるのだが、様子からして悪い人ではない。巧みな勧誘だったら、出会って間もない人間に、あからさまに霊や精神の話などするはずないから。
やがて車は新郷村に着いた。キリストの墓は村の変わったオカルト名所だ。キリストはゴルゴダの丘で磔刑になったと新約聖書には載っている。ところが昭和の初め、十字架にかけられたのは弟の方で、キリスト本人は密かに日本に渡り、百余歳の天寿を全うしたという、突拍子のない伝承が茨城県で見つかった。それによればそのキリストがやってきたというのがここ新郷村で、その墓まであるというのだ。村のオカルト名所はキリストの墓だけではない。「大石神ピラミッド」なる謎の巨石群もある。一行はまず、ピラミッドを見物した。
ピラミッドは緑深い山のてっぺんに、とがった巨石があるだけのものだ。傍目には「どこがピラミッドなんだ?」としか思えない代物で、時澤さん一家もいささか拍子抜けした様子だ。ところが地質学的にこの山に巨石はあり得ず、険しい山頂まで誰がどうやって巨石を運び上げたのか、謎を残している。拍子抜けしたものの、時澤さん一家はしきりに感心し「パワーをもらった!」と喜んでいた。
近くには岩の割れ目が東西南北を正しく指し示した岩もある。一帯の巨石群は古代の太陽信仰の名残とされているが、傍らの案内板の解説文によれば風化が進み、今や「無惨な残骸」となっている。解説文をよく見ると、そこの部分だけマジックで消されて「偉大な遺跡」と書き換えられていた。オカルトマニアの仕業だろうか。
キリストの墓は、ピラミッドからやや村の中心部に向かった国道沿いにある。十字架の立てられた土まんじゅうが二基向かい合っており、一つはキリスト、いま一つは身代わりになった弟「イスキリ」のものだと伝えられている。傍らには「伝承館」が建っており、キリストの墓やピラミッドにまつわる村の伝承を紹介している。
新郷村に隠れキリシタンはおらず、キリストの墓があるという話はまさに降って湧いたものだった。ところが新郷村の方言がヘブライ語に似ているとか、村の古い地名「戸来(へらい)」が「ヘブライ」の訛りだとか、ユダヤに通じる風習があることも指摘され、以来、新郷村は謎とロマンの村としてその名を知られることになった。真贋は極めて眉唾モノだが、村もそんなことは百も承知で、観光資源に乏しい山間の村、貴重な名所として呼び物にしているわけだ。
キリスト兄弟の墓の向かいには、キリストの血を引くという家系の墓も建っている。家紋がダビデの星だというのだが、その形は六芒星ではなく「五稜郭」だった。墓はまるきり仏教式で、レイさんは、面白いもんだねと言っていた。
昼を過ぎていた。十和田湖に戻ったところで、時澤さんご一行と別れた。一行はこれから近隣の温泉に入った後、山形の出羽三山に向かうらしい。別れ際に近所の温泉の無料入浴券までいただいた。思いがけもない出会いは、また忘れられない旅の思い出となった。礼を述べ、再びDJEBELにまたがる。十和田湖一周の再開である。まずは発荷峠(はっかとうげ)に向かうことにした。
十和田湖は大分水嶺上の火山の活動でできたカルデラ湖で、外輪山周縁は北西から南東までが、大分水嶺と重なっている。発荷峠はそうした大分水嶺越えの峠の一つで、十和田湖随一の展望台となっている。日差しのおかげかいつの間にか霧も晴れ、これ以上はないというほどはっきりと、十和田湖の姿を拝むことができた。
発荷峠から一周道路に戻り、湖畔の喫茶店「マリンブルー」で昼食代わり、特製アップルパイを食べる。壁には「白鳥をアヒルと呼ばないでください。」と謎の張り紙がしてあった。なんですかと店のお姉さんに尋ねてみると、「貸し出している白鳥の足漕ぎボートを、間違えてアヒルと呼ぶお客さんが多いんですよ。」と笑っていた。
この夏十和田湖ははっきりしない天気が続き、今日のように素敵に晴れたのも久々だったらしい。十和田湖はこれから秋の紅葉になるといよいよ見頃を迎える。「それは素晴らしい眺めですよ。」とも教えてくれた。
御倉半島基部の瞰湖台(かんこだい)に寄ると、遊覧船が波紋を作りながらゆっくりと、湖面を航行しているのがよく見える。子の口(ねのくち)を過ぎると、一周道路は山深い外輪山の稜線を辿る峠道になった。湖の北にある御鼻部山展望台からは、地図で見ていたとおり、丸に二つの半島が突き出た形の十和田湖がよく見えた。
滝ノ沢峠にたどり着き、一周したところで来た道をとって返し、子の口から奥入瀬渓流(おいらせけいりゅう)を脇目に走る。渓流こと奥入瀬川は十和田湖から流れ出る唯一の川だ。川は原生林の合間を縫って流れ、道は川を右に左に眺めつつ、水面とすれすれの高さで走っている。遊歩道も整備されており、多くの観光客が散策を楽しんでいた。DJEBELで走っていても楽しい道だったので、遊歩道も歩いてみたかったが、夕方近かったのでやめといた。
今日の宿を探そうと、八甲田山の南、傘松峠を越え、酸ヶ湯温泉(すかゆおんせん)に向かったが、途中で見つけた谷地温泉と見比べ、こちらの方が良さそうだったので、谷地温泉に泊まることにした。八甲田山の周辺は、味わい深い温泉が多いことでも有名だ。
夕方の飛び込みだったが、夕食には間に合うらしく、受付のおっちゃんの「食事付きの方が安いよ!」という文句に負けて、食事もつけてもらうことにした。旅館は木造二階建てのこぢんまりした鄙びた造作で、客室の灯りは電球だ。基本的に湯治宿なので、館内には炊事用の部屋もある。温泉は木造の情緒のある湯船で、ぬるめの透明な湯と、白く濁った熱い湯の二つがある。いかにも効きそうな気配である。
夕食がやたら豪華だった。きりたんぽ鍋、刺身、里芋と海老の炊き合わせ、ミズ(注1)の漬け物、蕗の煮物、フキノトウ味噌、おしんこ、そして谷地温泉名物イワナの塩焼き。食べきれるかと思ったが、全部平らげた。これで一泊二食なんと約6000円。閑散期の平日だったせいかもしれないが、おっちゃんの言葉に納得するのだった。
朝食も豪華だった。朝風呂の後食堂に行ってみると、焼きニシン一切れ、こんにゃくの炒め物、蕗とひじきの煮物、おしんこ、温泉たまご、とろろ昆布入りのみそ汁が並んでいる。これまた食べきれるかと思ったが全部食べた。我ながらよく食べられるものだと感心する。「またおいで!」という宿のおっちゃんの言葉に見送られ出発する。国道394号線から県道40号線に入り、八甲田山を越えて青森市に向かう。高原の牧場を抜けると、道の両脇には笹藪や林が目立ってきた。
この県道40号線は、八甲田山死の雪中行軍の舞台となった道である。明治35年冬、ロシア進出に備え、青森歩兵第五連隊の将兵210名が、八甲田山で雪中行軍訓練に臨んだ。ところが吹雪と酷寒でことごとく遭難し、193名の犠牲者を出す一大遭難事故となった。事件の顛末は新田次郎が小説化し、さらに高倉健の主演で映画にもなったことで特に知られている。ついでにこの遭難事件を契機にスキー教練の必要性が説かれ、レルヒ中佐によるスキー教練が実現することになった。
道沿いには第五連隊が露営した場所や、事件発覚のきっかけとなった後藤伍長発見の地など、雪中行軍の現場となった地が点々としている。このあたりは今でも冬には10メートルもの積雪があり、通行止めになるほどの豪雪地帯なのだ。
この事件の象徴とも言える後藤伍長の像は、八甲田山を南に望む場所に屹立している。後藤伍長は雪中行軍に参加し、直立不動の姿勢のまま、仮死状態で発見された。さいわい息を吹き返し、その証言によってこの事件のあらましが明らかとなった。像は明治37年に鋳造されたもので、遭難事件を後世に伝える碑となっている。
傍らの記念館「鹿鳴庵」には、雪中行軍を今に伝える資料の数々が展示されている。それによると、荒天を目前に指揮は二転三転し、その都度部隊は混乱し、同じ場所を行ったり来たりした。その結果、ある者は体力を消耗し、ある者は道を見失い、ある者は寒さに体温を奪われ、次々に倒れていったという。事実、件の現場は雪がなければ「何でこんた狭い範囲で遭難すんだ?」と不思議にさえ思われるほど、狭い範囲に固まって分布していた。
県道を津軽平野に向けて相当下っていったところには、遺体安置所跡や、凍死軍人達の共同墓地もある。この年は事件からちょうど百年という節目の年で、墓地併設の資料館は改築の真っ最中だった。また毎年開かれていた慰霊祭も、今年で終わりになっていた。墓地は中央に将兵の大きな墓石があり、その左右に一般兵卒の墓標が整然と建ち並んでいる。彼らはあの世でも行軍しているのだろうか。手を合わせ、さらに先に向かった。
市街地に近づいたところで、三内丸山遺跡を見学した。縄文時代の大集落跡で、教科書が書き替わるほどの大発見が次々になされた遺跡である。世紀の大発見の遺跡なのに、無料で、しかもガイドさんの解説付きで見学できるのが嬉しい。隣にはプレハブの展示棟や研究施設もあり、いまだに発掘中であるのがうかがえた。昼食は併設の食堂で焼き干ラーメンを食べた。焼いた煮干しで出汁をとったラーメンで、具にも焼き干が入っていた。
海沿いに下北半島を目指す。陸奥湾に突きだした夏泊半島を一周し、野辺地町に出る。このあたりでは道沿いに貝殻捨て場が目立つ。道沿いにはホタテを食べさせる食堂も多く、名物であることが容易に見て取れた。
野辺地で常夜灯こと江戸時代の灯台を見学して、下北半島を北に向かう。横浜町の役場で休憩した後、本州最北の市むつ市に入る。市内で夕食の買い出しを済ました後、山道で恐山に向かった。道ばたには恐山までの距離を示す古い標柱が次々に現れ、古い石仏などもちらほらと見受けられる。霊場の雰囲気満点だ。しかし夕方だったので恐山はひとまず素通りし、さらに山道を通って大畑町(現むつ市)の薬研温泉(やげんおんせん)に向かった。道は狭く折れ曲がり見通しも悪く、ずいぶん長く感ぜられた。
今日の宿は旅人にはかなり有名な、国設薬研野営場である。下北半島経由で北海道へ向かう際の通り道にあたるのと、本州最北端と最果ての岬を指呼の間におくせいか、旅人が集まることで特に知られているのだ。この日もやはり何人もの旅人が泊まっていた。通常こうしたキャンプ場はみすぼらしいところが多いのだが、ここは非常にきれいで管理も行き届いている。
テントを張って夕食を済まし、談話室に行ってみると、やはり旅人同士が集まって、旅の話に花を咲かせていた。もちろん荒井も加わって、夜遅くまでおしゃべりに興じた。
注1・「ミズ」:山菜。別名ウワバミソウ。茎をおひたしにしたり、汁物に入れたりして食べる。
温泉巡りを旅の楽しみにする人は数多いです。鄙びた秘湯や露天風呂、または小さな共同湯などは、情緒やその土地の風情を味わえますが、設備が整っていないことが多く、その割に入浴料が高いこともしばしばです。
一方、立ち寄り湯の場合、石鹸付きの広い洗い場、数種類の浴槽、サウナ、大休憩室といった具合に、設備が整っている上、入浴料も比較的安い場所も多いのですが、逆に言えばどこも似たり寄ったりで面白味に欠けます。
同じく温泉に入る場合でも、情緒を楽しみたい場合と、安上がりに体を洗いたい場合と、その目的は時によって異なります。上手に双方を楽しみ、利用したいものです。