スプートニク
「ねぇ。クドリャフカ。巻き毛ちゃん。おまえさんほんとに宇宙に行きたいかい?」
技師は足元にちょこんと座ってぱたぱたと尻尾を振る犬に向かってつぶやいた。
「行ったらもう還って来られないんだよ。もうさよならなんだ。それでもお前は平気なのかい?」
クドリャフカはけろんとした真っ黒な目で技師を見上げて小首をかしげる。
口を開けて舌を出して、笑ってるような顔だった。
「僕はちょっと平気じゃないかもしれないよ。」
彼は彼女の小さな頭をくしゃくしゃと撫でて、ちょっとだけ微笑んだ。それから彼は部屋を出て行った。
1957年10月。ソビエト連邦は人類初の人工衛星「スプートニク」の打ち上げに成功した。
競争相手のアメリカに先駆けての成功である。そして立て続けにスプートニク2号の打ち上げに着手した。
しかもそれには生きものを乗せるという。
地球史上初の宇宙空間を見る生命体。それは1頭の犬だった。
打ち上げ時の衝撃、宇宙空間が生命に及ぼす影響、そして、技術力の確認。
そんないろいろな「人間がいつか宇宙へ行くため」の準備として。
20頭以上の犬が集められ、高度200kmまで打ち上げパラシュートで降りてくる訓練や、
小さな気密室に何週間も閉じ込める実験をした。
その中で一番適性と思われたのがクドリャフカだった。
「彼女が一番元気だったわけじゃない。ただ。一番弱らなかっただけなんだ。」
1957年11月3日。スプートニク2号の打ち上げの日がやってきた。
慌しく働く技師達の中で、クドリャフカはいつもと違う空気を感じておびえていた。
「ねぇ?何があるの?何をするの?いつもと違う。いつもと違う!一体あたし何をさせられるの?」
彼女は鳴いた。必死になって言葉の通じない技師達に向かって訴えた。
技師達の言葉も解からなかったけど、それでも「何か」を知りたくて一生懸命吠えた。
「今までこんなに吠えることなんてなかったのに。やっぱり何かに気づいているのかな。」
「巻き毛ちゃん。君は今日から『ライカ(吠えるやつ)』に改名だね。」
彼女に小さな気密服を着せ、衛星に閉じ込めようとする技師達も閉口していた。
クドリャフカの鼻が馴染みの匂いに気づいた。こないだ撫でてくれた技師がやってきた。
「僕にやらせてくれませんか?僕が一番なついていたし、最後にお別れもしたいから。」
忙しい技師達は彼に任せてその場を去った。小さな体から響く必死の叫びに心が痛んでいたから。
「さあ、巻き毛ちゃん。クドリャフカ。ちょっとだけ、狭いけど我慢してね。」
彼はまたくしゃくしゃと彼女の頭を撫でた。