バレンシアさんの証言
バレンシアさんは、1943年1月、他の2人の女性とマニラのダゴタ地区の「慰安所」に押し込められ、
44年10月、日本軍の敗退までおかれました。
「当時の日本兵は、妊娠中の妹の腹を刀で裂き、子どもを取り出し、ハンカチで刀を拭くというようなこと
さえやった。」
後、結婚。子どもを産みます。(慰安婦のことは夫には話しませんでした。)
バレンシアさんが「慰安婦」を名乗りでた時、息子さんは、「今になり、なぜ名乗るのか。家から出てい
け。」と怒ったとのこと。
でも、あとになり、名乗り出た意味を分かってくれて、「人権のために闘ってほしい」というまでに成長し
たとのこと。
「過去のことを話すのは、心臓が刀でつき刺される程苦しい。」
文字どおり、涙ながらの証言でした。
また、「国民基金」は、「まやかしであり、受け取るわけにはいかない。」「国連人権委員会の採択に基づき政府からの公式の謝罪と補償こそが必要だ。」と多くの人の協力を求めました。
また、バレンシアさんと並んで「リラ・ピリピーナ」(元「従軍慰安婦の人たちのたち上がりを支援する団体)のマルケスさんも同席し、日本政府が過去をきちんと清算することを求めました。
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