さらばAE86トレノ


1.序章

 12年6ヶ月程の間、私の足として活躍してきた86トレノですが、とうとう手放して
しまいました。まだ半年分車検が残っているのですが、消費税アップに伴う問題と、
これ以上修理に金をかけたくないという女房の意向には勝てず、’97年2月に新車を契約し、
’97年3月24日に納車となり、私が乗っていた86トレノは他人の手に渡りました。


2.新車契約から納車の連絡まで

 2月に新車契約した時には、まだ実感が沸きませんでした。3月の下旬に入ったのですが
車屋から連絡がないので4月にズレ込むのかな?と思い、22日出勤前には久しぶりにガソリンを
満タンにし、会社まで往復(100km)。ところが帰宅したら26日納車という連絡が
入ったと・・・。

 実は有給休暇を消化する為26日から28日まで休暇を取る申請を2週間程前に届けていました。
 これは最後の乗り納めと、開業間もない「秋田新幹線こまち」を見たさを兼ねて、大曲付近まで
出かけようというもくろみだったのですが、その計画はパーになってしまいました。
(まぁ休暇が納車に合ったで良かったというべきでしょうけど。)
 しかも満タンにしてから100km程しか走っていない為に、燃料警告灯が点くまでの
約20リッター分のガソリンが残っているという状況になってしまいました。


3.装備の取り外し

 困っていても仕方がないので、納車前日の23日(日曜日)に、いままで自分で取り付けた
オーディオ機器や無線機器の取り外しを行いました。(基本的には納車時の姿に戻すのが私の方針)

 まずは車両後部から。オーディオポードを外し、ポードの取り付け部につけていた無線機本体を外し、
ポード取り付け部を納車時の状態に復元した。更に無線のアンテナを取り外し、また内装を一時外して
スピーカのケーブルや、無線機の電源やコントロールのケーブルを外した。

 次に運転席。センターコンソールにつけていたコンポを外し、無線のマイクを外し、フロント
スピーカを外して、納車時の通りラジオもない状態に復元。
 ダッシュボードに入れていたカセットテープや給油所のカードと燃費を記録したメモ等も
全て車からおろした。

 作業を進めている間、「19万キロも走行しあちこち傷みも激しいこのトレノは、廃車
間違いないだろう。」と思い、となるとどんな具合に廃車になっていくのかその過程(トラックに
無造作に積み重ねられて運ばれ、解体屋ではしばらく雨曝しにされ、ガラスが割れたり・・・そして
重機でエンジンが剥ぎ取られ内装がはがされ、最後はプレスでペッタンコ)を想像してしまい、
なんか悲しい気分でした。
 最後に出来た鉄の固まりもいずれ何かに生まれ変わってくるはずです。また自動車として
よみがえるのか、はたまた建造物の柱になるのかは解りませんが、それが自分の手元に
来る事はないのでしょうね。

 さてどうせ廃車なんだと思い、バッテリーはこの冬に入る前まで使っていた物に戻し、
前照灯のバルブは高輝度タイプが入っていたので、以前切れた時の片割れ(2本同時交換する
ので片側はとりあえず生きている。)2セットから生きている物を2本かき集めて取り付け。
 おかげで片側が白色,反対側がイエローと別の色のバルブになってしまいました。
 冬期の寒さをすごしたバッテリーだったが、補充電せずに一発でエンジンが回ってくれた。
(今まで使っていたバッテリーより回りが良かったように思えたのは気のせいか?)


4.最後の乗り納め

 一通りの作業が済んだのが夕方。最後にぐるっと一回りと走り納めのつもりで最寄り駅である
「置賜」駅付近まで走ってみる。さすがに装備を外した後は走りが軽い。「第四下新田踏切」
近くで一旦車を止め、「つばさ」の通過を見ていた。3月下旬しかも日曜日ということもあって
上り・下りとも自由席には立ち席が見られた事はおいといて・・・自宅に戻る。

 さて、納車日(24日)の朝。娘が熱を出した為に米沢市内の病院まで診察の順番取りに行くことに
なる。これが本当の最後の乗り納めになりそう。
 このルートの場合、用事が終了したら「関根駅」方面に向かう事が過去にもたびたびあったが、
今回も決行する事にし(娘が熱を出しているというのに・・・)デジカメを持参し「大沢駅」まで
足を伸ばす。「大沢駅」までの道のりは、峠の入り口だけあって陰の部分には積雪があったが、
スタッドレスを履いているので無事登坂。あちらこちらを撮影し帰宅の途に着く。

 作業が残っている事に気が付き、作業を再開。そういえば車体番号の記録がなかったなと思い
デジカメで撮影。また最終の走行距離をデジカメでゲット。

  私の手を離れる直前のオドメーター表示

 残念ながら目標としていた20万キロには及ばず、190892kmであった。
 車検切れである9月まで乗っていれば、20万キロは達成できたのではないかと思ったが、
もうおしまいである。
 また燃料計もご覧の通り、あと150km位走れる位の残量があった。

 最後に、これから納車される車には使えない為に不要となる夏タイヤとチェーン、そして
処分に困るもの(以前点火系トラブルで車から外した部品や点検時に交換されて戻ってきた?
ブレーキパッド,スタータトラブルで交換されたスタータのプランジャ部,壊れてしまった
ジャッキ,当て逃げされたドアミラー等不要部品)を全て積み込みこむと共に、取り扱い説明書と
整備手帳を降ろし、納車を待った。


5.新車の納車と86トレノとの別れ

 とうとう新しい車が来てしまった。新車のチェックをしその後一通り取り扱いの説明を受け、
頭金を支払うと共に86トレノの車検証を渡す。

 そして86トレノとの別れの時。昔TVのCMで、納車と引き換えにセリカが引き取られていく
というあのシーンと同じ状況。
 エンジンがかかり動き出す。交差点を過ぎついに後ろ姿が見えなくなった。
 12年半の間私と過ごし、数々の思い出の詰まったあの車に出会う事は二度とないのかと
思うとやはりさびしい。
 今回は新車が納車されてもあまりうれしい気分ではなかったのだ。


6.86トレノにまつわる思い出

 思えば、12年半の間この86トレノにまつわる数々の思い出がある。

 契約前には、早く4A−Gサウンドが聞きたいと、MR−2の走行音が入っている
「ミッドシップワールド」なるレコードを購入して聞いていた。(実は3AエンジンのMR−2
だったらしい。)

 納車されてしばらく経ち、冬タイヤの価格調査をすべくあちこち走り回っていたら、
忌まわしいネズミ取りの御用になってしまう。(一般国道程度の広さがある40キロ制限の道路を
21キロオーバー。前にも後にも御用になったのはこれだけ。暖かい日で、警官も暑さにポケたのか
青切符の記入を3個所も間違え、訂正印を押していた。)直後にレーダー探知器を買ってしまう。

 そしてそろそろタイヤ交換かという時に、東京への転勤が決まる。
 最初は列車で行ったものの、やはり新車で買った以上は乗りたいので、駐車場を確保した。
 丁度先の違反の講習の為に帰宅する事になり、それを機会に東京まで走った。
 まだコンポもなく、71レビンに乗っていた友人からもらった純正のラジオだけ取り付けた状態
であったので、秋葉原で買っていたジャンクのアンプにヘッドホンステレオを接続し、電池駆動で
聞きながらの走行だった。出発前には無事つけるだろうかという心配でハラハラだったが、途中
道を間違えたものの、無事到着。

 初めて自分で走った東京という地。週末には国道246号を中心に20号や1号等を走り回る。
 富士山のすそ野を一周したり(なぜか登った事はない。)伊豆方面に行ったりもした。
 会社の寮にいるのもつまらないので、近くの公園や丘陵地にいって車の中でぼっとして過ごした
事もあった。またいろいろな無線を受信できる受信機(八重洲FRG965)を購入し、車の中で聞いて
いた事もあった。

 転勤から戻る際、東京からの帰路、東北道から雪が降り始め、福島飯坂を降りる直前には
大型が通る度に前が見えなくなる状態だった。夏たいやでもあったし壁等に突っ込まないほうが
不思議な状態だった。国道13号に入ってからは圧雪となり、さすがに夏タイヤでは登れず
深夜にもかかわらず兄に電話し冬タイヤをもってきてもらい雪の中タイヤ交換した。

 自宅に戻ってからも、週末にはあちこち出かけ、コンサートや何か行事にかこつけては
悪友と一緒に別々の車で夜通し走り回る。また無線の電波を求めては受信機や無線機を積み、
山に登る。
 車の中に何度寝泊まりしたかわからない。

 装備もだんだん増やし、初めはカセットデッキと35Wのアンプだけだったが、70Wの
中古アンプが入手できたので、リアスピーカを増設。そしてCDプレーヤを購入した。
 ところがカセットデッキもCDプレーヤも「外れ」で修理の為に何度取り外し、取り付けを
繰り返したやら・・・
 また受信機も車と自宅をいったり来たりするのが面倒になり、ついにケンウッドのRZ−1と
いう機種を購入してしまう。
 また車内にバッテリの12Vを交流100Vに変換するインバータと14インチのTV,VTR,
アンテナ等の機材を積んで県外のTV放送を録画しに出かけたり等という事もあった。

 また「ナイトライダー」というTV番組が始まった頃で、ホームセンターの店頭にナイトライダー
のディスプレイ(光が左右に行き来するディスプレイ)が登場した。
 86トレノの場合フロントのマスク部分に丁度いい取り付けスペースがあり、そこに取り付けた。
 しかし、市販のディスプレイはランプが5つしかなく面白くなかったので、ランプを9個にした
ディスプレイを自分で設計して作り(ICを十個程使っただろうか。)それを取り付けてしまった。

 そんな日々が続くうちに、またの転勤で地元の工場から山形市内の工場に通勤する事になり、
通勤距離がぐっと伸びた代わりに週末に遠出する事はぐっと減り、86トレノはほとんど通勤専用と
化してしまった。それでも会社の帰りたまに寄り道して蔵王に登ったりとかする事もあったが。

 そしてスパイクタイヤ禁止の風潮が高まる。どうせなら早いうちに慣れたほうがいいだろうと、
猶予期間であったにもかかわらずスタッドレスタイヤに交換。しかし・・・圧雪路でFF車を
ぶち抜いては喜んでいた。しかし、積雪時の渋滞で裏道に回ったが前を走っていたワゴン車が
坂の途中で止まってしまったので仕方なく停車したら、スパイクタイヤを履いていたにもかかわらず
動けなくなってしまったという苦い過去(しかもFF車は平気で登っていった。)もあり、
山道に入る前にチェーン装着するようにしていました。

 そのうち現在の女房である女性との出会いがあり、新潟に出かけた際には初の遠出だというのに
海岸道をチャイムを鳴らしながら走ってみたり・・・
 結婚に伴い通勤距離が更に伸び、列車利用が増えた。しかし仕事上荷物が多くなると
86トレノでの移動になる事になる。




 もうきりがないのでこれで止めますが、数々のトラブルもいい経験になりました。


7.思わぬ再会

 納車の次の日(25日)の朝、また病院に順番取りに出かけ、帰る途中に車屋さんの前を
通った所、建物の後ろのほうに、86トレノがまだあるのが見えた。

 その次の日(26日)の夜、悪友に新車を見せに出かける。いつもなら長井市内にいるはずの
悪友がこの日は米沢市内にいた。
 本屋で落ち合い、新車を見せた後食事に行こうという事になり、試乗を兼ねて悪友を助手席に
乗せる。本屋から車屋までは近かった事もあり一緒に行ってみる。すると建物の後ろにあったはずの
トレノが無くなっていた。
 とうとう運ばれていったか、と思いよく見たら、なんと店の前に値段がついて置いてあったのだ。
 確かにあと半年分の車検が残っているといっても、12年半落ちなのに値段がついて売り物に
なっている現状に驚きである。
 二人で驚きながら車屋を後にしたが、解体はとりあえず免れたようで、なんとなくホッとした。

 次の日(27日)の朝、病院に順番取りに出かける事になり、デジカメを持参で出かけ、
帰りに車屋に行き、値段と条件の確認と、「驚きの状況」をメモリに収めてきた。

   値段がついた86トレノ        値段は10万円、当然ながら現状渡し。

 しかし、買い手はつくのだろうか?

自動車情報のページへ戻る
ホームページへ戻る
このページに対するご意見,感想は
我妻 靖(E-mail:jr7cwk@jan.ne.jp)
までお願いします。

Copyright (C) by Y.Wagatsuma '97/03/30新規製作