オベロンの憂鬱

〜1〜

by.合歓
***9000番GETのテイターニアさんに捧げます***


 カラン・・・ッ!

 俺の手からなぎ払われた剣が、空を切って少し離れた灌木の茂みの中へ落ちた。
「くそっ!」
 思わず悔し紛れの声が漏れる。
 だが、本当にランディは強くなった。初めてこいつが聖地に来た頃から、剣の稽古をせがまれてつけてきた俺だが、最近は七本に一本はとられてしまう。
「強くなったな、ランディ」
 そう言うと、風の守護聖はその真っ白い歯を見せて笑った。
「そうですか!?」
 息は俺よりも弾んではいる。が、会った頃の少年めいた体躯は、いつの間にか青年のそれに変わり、体力も腕力も強くなった。その分、敏捷さは失われたが、計算ずくの落ち着いた動きが増えてきて、それが、俺から一本とれる要因になっている。
「・・でも、今日のオスカー様は・・、少し動きが重いように感じました・・。・・あ、す・・すみませんっ! 変なこと言っちゃって・・」
 俺は微笑みとも苦笑ともつかない笑いを頬に刻む。
 ・・・まったく、ランディにまで見透かされるとはな・・。君は、罪なやつだぜ、お嬢ちゃん・・・。
「それにしても―――、今日は、アンジェリークはいないんですか?」
 もう、ここまで無邪気に問われると、微笑みどころではない。完全に苦笑になった。
「さて・・な。起きたらいなかった。散歩にでも行ったんじゃないか?」
 本当は、俺の手の中から逃げ出していったのだが、そんなこと、こいつに話せるわけがないじゃないか。
「へぇ、珍しいですね。いつもこの時間は、そこのテラスで、オスカー様と俺の稽古を見てるのに」
 おいおい・・・。
「で、どうですか? あの、アルフォンシア・・、変わったことはありませんか?」
 そう、それなんだ、ランディ・・・。おまえ、無意識だとずいぶん鋭いな・・。それを本人が全く意識してない・・ってあたり、おまえらしいといえばらしいんだが―――。
 毎朝顔を合わせるランディは、あいつのことを知っている。だが、俺は他の守護聖たちには言わないよう、ランディにきつく戒めていた。
 ただでさえやっかいなのに、これ以上外野が増えてたまるか!
「まさか、アンジェリークにアルフォンシアがくっついて来ちゃうなんて、・・俺、想像もしませんでしたよ」
 言えてるぜ・・。俺だって予想もしなかったさ。新宇宙へ使者に立ったうちの奥さんが、あの聖獣を抱いて帰ってくるなんて・・・・・。


花 花 花


 ことの起こりは、十日ほど前だった。
 今の陛下が即位された頃には、何かとドジをやっていたアンジェリークだったが、新宇宙の女王も決まり、いまや、ジュリアス様も一目置いてくださるほどの補佐官ぶり・・。
 もちろん、彼女の頑張りには頭が下がる。それに、まあ、俺との暮らしがうまくいってるということもあるか・・などとにやけるゆとりがあったのは、アンジェリークが陛下の御使いで、新宇宙へ行くまでのことだった。
 俺自身は、視察だのなんのと聖地を離れることはざらだったが、アンジェリークには補佐官になって初めての出張だ。
 何となく不安そうなアンジェリークの背中を励ますように軽くたたいて、次元回廊の向こうへ送り出してはみたものの・・・。俺は初めて、待つ身のつらさというか、そう、無聊なんてものをかこつ羽目になった。ともに暮らすようになってからまだそう日は経っていないというのに、館の中にアンジェリークの姿が見えないというだけで、こんなにも世界が色褪せて見えるとはな・・。
 俺も焼きが回ったか―――。
 情けないような、それでいて誇らしいような、そんな気分を持て余しながら、聖地の時間で五日ほどの、彼女の留守を過ごした。


 そして、その帰宅の日、飛び立つような思いはおくびにも出さず、宮殿からの馬車が車寄せから走り出すのを見計らって、ゆっくりとアンジェリークを迎えに出る。
「よぉ! お嬢ちゃん、新宇宙はどんな―――」
 振り向いたアンジェリークを見て、俺は上げかけた手を止めてしまった。
「オスカー様!」
 嬉々としたアンジェリークの腕の中では、それとは対照的に仏頂面をした――俺にはそう見えたんだが――淡いピンクのふわふわしたヤツが、石榴石の瞳で俺を睨んでいた。
「・・・どうしたんだ、そいつ・・・」
 俺は唖然として、その動物を指さした。
「そいつ・・って、候補だったアンジェリークがよく話してましたでしょ? アルフォンシアですよ」
 ああ、アルフォンシアだってことは俺にも想像がつくさ。いや、俺が聞きたいのは、なぜ、そいつがこんなところにいるのか・・ってことだ。
「・・・どうして、その聖獣が、こんなところにいるんだ?」
「それがね、話せば長ーいお話なんですけど―――」
 手短に頼むぜ・・。
 アンジェリークの腕に収まって、キュイキュイと不安げに鳴いている、そのちび助が妙に気に食わなかった。
 だいたい、この聖獣ってやつは、この間終わった試験の、新宇宙の女王候補にしか見えないはずじゃなかったのか? しかも、研究院のやつらの話だと、もとは一つの「意志」とやらで、二人の女王候補によって見える姿が違うだけのものだとか・・・。
 俺だって話にゃ聞いてはいたが、実体を伴ったこいつを見るのは初めてだ。
 その実体を持たないはずの聖獣が、なぜ、アンジェリークに抱かれ、俺の目に映っているのだろうか・・?


 新宇宙の女王を決める女王試験は、このアンジェリークと同じ名の栗色の髪の少女が、ある男を愛して、試験を放棄したことで片が付いてしまった。
 俺にしても、同じような経緯でアンジェリークを手に入れたのだ。あいつとはそう親しくつきあったわけではないが、その立場は理解できる。
 俺の時と同様、ジュリアス様の説教をたっぷり喰らっても、顔色一つ変えなかったあいつは、候補だったアンジェリークと一緒に聖地を出た。
 新宇宙の女王には、その時点で優勢だったレイチェルが決まり、俺たちは彼女の育成する『ルーティス』にサクリアを送り続けて、新しい宇宙の芽を育んだのだ。このアンジェリークの話だと、レイチェルの育成していた聖獣は成体となり、これからは彼女の意志を反映して、新宇宙が少しずつ形作られていくのだという・・。


「―――で、その用済みになったはずのアンジェリークの聖獣が、なんで、お嬢ちゃんの手の中にいるんだ?」
 どうも、話を最初からしたがる傾向にある、こっちのアンジェリークは、俺も知ってるような新宇宙の成り立ちから、蕩々と話し始めた。話の腰を折ると機嫌が悪くなるのはわかっちゃいるが、俺は結論から聞きたかった。
「・・・それがね、オスカー様、私もびっくりしちゃったんですけど、アルフォンシアが夢の中に現れて泣いてたの・・。で、かわいそうになって『よしよし・・』って慰めたらね・・・、もぞもぞと何かお布団の中で動くんですよ。で、起きてみたら実体化してて、ベッドに潜り込んで眠ってたんですぅ」
 アンジェリークは、アルフォンシアを目の高さに抱き上げて、「ね?」と微笑んでみせた。アルフォンシアも、それに応えて「きゅーん」と甘えた声を出している。
「かわいいっ!」
 おいおいおい・・・・・。
 俺は嫌な予感がして眉をひそめた。
 案の定―――、久しぶりにこの手の中にいてくれるはずの妻は、そのちっぽけな聖獣に夢中で、俺のことなど眼中にない。
 妻の柔らかな身体の替わりに、俺に預けられたのは大きな旅行鞄で、アンジェリークはアルフォンシアを抱いたまま、執事や小間使いにそいつの寝床を整えるよう、いいつけ始めた。
 うしろから鞄を抱えて、バカ面してついていく俺を、彼女の腕の中のちび助が、くすりと笑って見ていたように思えたのは、俺の錯覚だったろうか・・・。


花


 それから、毎夜、毎夜、毎夜、毎夜・・・、アンジェリークはアルフォンシアの世話に夢中になって、俺の隣で休んだ験しがなかった。
 アルフォンシアの居場所は、俺たちの寝室の隣にある居間に設けたが、彼女はその側を離れようとはしない。・・いや、彼女の名誉のために言っておくが、離れようとはしたのだ。したのだが―――。


 帰宅した夜のことだ。アンジェリークが俺の傍らにやってくるのを、俺にしてはずいぶん辛抱強く待っていた。引っさらうように、横抱きにしてベッドへ連れてくるのは容易かったが、熱心にアルフォンシアの毛を梳いたり、寝床の具合を見てやったりして、甲斐甲斐しく世話を焼いている彼女。
 それもまた新鮮に思えて、しばらくソファで彼女と聖獣を見ていたが、そのうち眠くなって寝室に引き取った。アンジェリークは一瞬すまなそうな顔で俺を見たが、引き留めはしなかったな・・。
 寝付いてどれほどの時間がたったのだろう・・。アンジェリークが寝不足の目を腫らして、俺をつついて起こした。
「オスカー様ぁ・・、この子、ちっとも寝てくれないの・・」
 手の中では、アルフォンシアがか細い声で鳴いている。いや、泣いているのか? 館に着いたときとは打って変わった、ひ弱な声だった。
「気持ちよさそうに寝入ってるから、寝床に下ろすんだけど・・、そうすると、また目を覚まして泣くの。・・・もう、三回もその繰り返しなの。どこか具合でも悪いのかしら・・?」
 アンジェリークもちび助に負けないくらい、か細い泣き声だった。
 俺は、聖獣に手を伸ばした。触ることができるかどうか心許なかったが、ふわふわした長い毛並みは、俺の手に吸い付いてくるように艶やかだ。ふれたとたん、びくりと身体を震わせて、耳をピンと立てる様は犬と同じように見える。
「・・熱を持ってる・・という感じでもないな・・。泣いても、暖かにして置いてくるしかないだろう? 君の方が寝不足で参ってしまうぞ?」
 聖獣から手を離して、アンジェリークの髪を撫でてやると、彼女はこくこくと頷いた。
「そうですよね・・。何ともなさそうですよね・・・。じゃ、置いてきます」
 もういい加減くたびれてしまっていたのだろう。素直に頷くと、居間へとって返し、程なく空身で戻ってきた。
 ようやく彼女をこの手に中に抱いて眠れる・・。片手で夜具を持ち上げ、もう片方の手でアンジェリークを引っ張り込んだ。
「・・・うふ・・」
 裸の胸に、アンジェリークの絹糸のような髪がくすぐったく、それでいてさらさらと気持ちがいい。・・ああ、この瞬間を待っていたんだぜ・・、俺の、お嬢ちゃん・・・。


「キュイーン!」
 抱きしめてキスをしようとしたとたん、隣の部屋で心細げな鳴き声がした。
 その声を聞きつけたアンジェリークは、ぱっと俺の腕から抜け出ると、小走りに居間へ行ってしまった・・。
 ・・・・くそぉ・・、あの野郎・・・・。
 アルフォンシアを抱き上げて宥めているらしい気配を、俺は苦々しい思いで受け止めた。


花


 そうなんだ・・。
 夜毎、哀れっぽい声で鳴く聖獣の面倒で、アンジェリークは俺なんぞにかまっておれなくなった。
 昼は昼で、女王補佐官としての職務がある。俺にも、守護聖としての責任がある。
 プライベートでうまくコミュニケーションがとれなくなったからといって、二人とも責務をおろそかにできるような、そんな立場にはいないのだ。
 満足に眠れないアンジェリークは何かにつけて突っかかるし、俺だって、彼女と二人きりの時間を邪魔されっぱなしではたまらない。
 俺たち二人が住む、この館の雰囲気はまさに一触即発状態―――。いつ、全面戦争に突入してもおかしくない・・という、険悪な空気が漂っていた。
 ああ・・、たかがあんなちび助が原因で・・・。


 そして、地雷を踏んだのは俺だった。
 昨夜、ソファにぐったりと身を預け、目の下に隈まで作って聖獣をあやしている彼女に、俺は、言ったんだ。
「アンジェリーク! いい加減にしないか! 君の方が身体を壊してしまうぞ」
 のろのろとアンジェリークが俺を見上げた。「じゃあ、どうしろって言うのよ?」という無言の問いは無視した。
「・・明日、研究院へ聖獣を引き渡してくる。反対しても無駄だ。そんなちび助のために、女王補佐官たる君が、職務に耐えられないほどに疲れ切っているのを見るに忍びない」
 我ながら卑怯な言い方だ・・と思わなくもなかった。補佐官職なんてどうでもいい―――本音はむしろそっちにあった。
 だが、俺の中でめらめらと燃えている妬心をアンジェリークには知られたくなかった。それに、こんなちっぽけなヤツに焼き餅を焼いているなど、他の連中に気取られでもしたら、最低最悪だ。
 俺自身がそんな有様だから、アンジェリークには余計かちんときたらしかった。
「嫌です」
 にべもない。
「ダメだ」
 俺もまた素っ気ない。
「私を頼って出てきたのですから、放り出すわけにはいきませんっ」
「研究院で面倒を見させればいいさ。・・いっそのこと、新宇宙の女王陛下へお届けしたらどうだ? もともと、あっちの宇宙のものなんだ―――」
 我ながらめめしいと思ったよ。
 どうやら、アンジェリークもそれですっかり頭に来たらしい。
「・・・・・お話ししても無駄のようですね・・・」
 俺と話している常平生より、ドスの利いた声だった。たぶん、補佐官としてゼフェルあたりに文句を言うときに使っている声音だと思う。
「ああ、そうだな」
 俺も突っ張った。もう、後には引けない。
 アンジェリークは硬い表情のまま、アルフォンシアを抱くと居間を出ていき、俺の目の前でバタンと音を立ててドアを閉めた。


花 花 花


「オスカー様?」
 ランディに声をかけられて、俺ははっと我に返った。
「・・お疲れのようですね? 今日はここまでにしておきましょうか?」
 ぼうっと考え込んでいたらしい。年下のランディにまで気遣われるとは、情けないていたらくだった。
「・・そうだな・・、悪いが、そうしてくれるか?」
 ここ何日かの騒動で、いささか寝不足気味でもある。
 それに、今朝早く起きてみると、やはり彼女の姿は館のどこにも見えなかった。アルフォンシアもだ。
 夕べ、あのまま聖獣を連れて出ていったのかどうか、それは定かではない。
 とにかく、朝起きたらいなかった。どこへ行ったのか、心当たりを探してみた。ヴィジフォンもかけてみた。
 まさか、外界へ出たのか・・と思い、研究院もチェックしたが正規のルートでは届けが出ていなかった。
 俺やゼフェルがよく使う、非公式の回廊がないわけではなかったが、そっちはいつ誰が使ったかなんてのはわかるはずもない(だから、抜け出すのに利用しているんだが・・)。
 そのうち、ランディが朝稽古にくる時間になってしまって、今に至る―――ということだ。
 ランディはいつものように一礼すると、館の低い生け垣をさっと飛び越えて行ってしまった。


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