オベロンの憂鬱

〜2〜

by.合歓


 次の日も、そのまた次の日も、アンジェリークは炎の館には戻ってこなかった。
 館にどころではない・・。補佐官としての執務にも就いていない。要するに、出仕していないのだ。
 女王府の方は何とかジュリアス様がとりまとめられ、混乱を来すような事態は避けられている。
 が、女王補佐官が、病気でもけがでもないのに、何日も補佐官執務室にすら出てこないという事実は、いつまでも隠し通せるものではなかった。
 宮殿内の口さがない雀どものうわさ話はあっという間に聖地中に広がり、とうとう俺は外も気軽に歩けなくなった。
 なぜか・・だとぉ?
 妻である女王補佐官を追い出した、冷血な亭主というレッテルを貼られちまったのさ。
 一方では、気が狂いそうになってアンジェリークとアルフォンシアの行方を求めているというのに、なぜ、そういう立場に追い込まれなければならないのか、俺にはまったく訳がわからなかった。


 そして、アンジェリークがいなくなって一週間が過ぎたとき、俺はとうとうジュリアス様から呼び出しをくらった。
「オスカー! 補佐官はいったいどこへ行ったのだ?」
 ジュリアス様は癇性に人差し指で執務机をトントンと叩いている。相当苛ついているのが、その仕草でわかった。
「はあ・・・」
 俺の対応はすこぶるまずかった。
「オスカー! そなたの妻だろうが! 病気の届けも出ていない。なのに、執務室へも出てこない・・。いったい、奥方は何をしているのだ!?」
「はあ・・、探してはいるのですが・・・」
 なんていう間の抜けた返答なんだ・・。
「ということは、そなたの奥方は行方しれずなのか!?」
 集中力が無くなっていた俺は、うっかりと口を滑らせてしまったのだった。
「なぜ、行方不明という事実を隠していたのだ!?」
 ジュリアス様の怒りはもっともだ。俺だって、この方の立場であったら怒らずにはおられまい。
「それが、実にくだらないことで諍いをいたしまして・・」
 俺は穴があったら入りたかった。
「原因がどうあれ、女王補佐官が行方不明というのは一大事だ。現に、女王府の執務は滞りがちだ。このまま行けば機能しなくなる。・・陛下もいたくご心痛であるし、『くだらない諍いで』などと言っている暇があったら、一刻も早く補佐官の行方を探し出さねばならぬではないか!」


 ジュリアス様はひとしきりカミナリを落としてしまうと、溜め息を一つついて椅子にかけ直した。
「・・とにかく、今はアンジェリークの行方を探せ。・・その原因となったのはいったい何なのだ?」
「実を申しますと―――」
 俺は仕方なく、ことの起こりから全てをジュリアス様に話した。
「アルフォンシアが!?」
 ジュリアス様には初耳だったはずだから、たいそう驚かれた。それと同時に二つ目のカミナリを落とされた。
「オスカー! そなた、判断力が低下しているぞ。アルフォンシアは新宇宙の意志だ。今は、レイチェル陛下がルーティスを媒介として宇宙を形作っていっておられるとはいえ、アルフォンシアが実体を伴って現れたということは、あちらの宇宙に何か異変が起きているということではないのか? それを報告もせず黙っていたとは・・!」
「お言葉ですが、それは俺も考えないではなかったのです。研究院で、新宇宙のデータチェックは怠りなくしておりました。しかし、あちらの宇宙の状態は安定していて、異変は検出されず・・。先日は、直接新宇宙の女王陛下にもお伺いを立てましたし・・・」
 アンジェリークが行っていないか・・と聞いたのは、レイチェルと俺の秘密ではあったのだが―――。
「打てるだけの手は打っております。俺とて、妻のことは心配でいても立ってもいられぬほどですから・・」
 ジュリアス様がほんの少し表情を緩められた。
「・・すまなかったな、オスカー」
「いえ・・。お叱りを受けるのはもっともですから・・」
 謝ってもらうなどと、余計穴があったら入りたい気分だ。
「もう一度、研究院へ行き、エルンストに詳しい状況を説明して、詳細な検証をかけさせるのだな」


 そのとき、バンとドアが音を立てて開いた。
 ランディが息を切らせて立っていた。
「ランディ! ジュリアス様の執務室だぞ、ノックをしないか!」
 咎めると、ランディは素直に謝った。
「すみませんでした、ジュリアス様。オスカー様がこちらにいらっしゃると伺ったもので・・・! そう! オスカー様、探してたんです! アンジェリークの居場所がわかったんですよ!」
 ・・・おまえは素直ないいヤツだよ、ランディ・・・。しかし、こういうのを『緊急事態』と言うんじゃないだろうか・・な?
 ジュリアス様も腰を浮かした。
「どこにいるのだ、補佐官はっ!?」
 ランディにはもったいぶる気はなかったのだと思う・・。
 しかし、その返答は実にもったいぶって聞こえた。
「どこだと思います? アンジェリークは主星にいるんですよ!」
「主星? 外界へ出ていったのか?」
 やはり、あの次元回廊を使ったんだな・・。
「そうなんです。・・俺、ちょっと気になったもので、新宇宙の女王試験の時のデータから調べてみたんですけど・・。レイチェル陛下の対立候補だった、アンジェリーク、覚えてらっしゃいますよね?」
 補佐官とは同じ名の、栗色の髪の少女だ。
 そうだ―――、思い出したぜ。ランディはあいつとその子を競って、そして負けたんだ・・。
「あのアンジェリークは、今、結婚して主星に住んでるんです。補佐官は、きっとそこへ行ったんだと思うんですよ」
「根拠は?」
「いったいどういうわけで?」
 ジュリアス様と俺は同時に叫んだ。
「あの、アルフォンシアなんですけど・・、やっぱりアンジェリーク本人に会いたかったんじゃないかと・・。でも、新宇宙にやってきていたのは、この宇宙の補佐官のアンジェリークですよね? 同じ名前で、たぶん、波長とか、女王のサクリアとか、雰囲気がアルフォンシアを育てていたアンジェリークに似ているんだと思うんですよ」
「だから、うちのアンジェリークにくっついてきちまったってことか?」
 たぶん・・と、ランディは頷いた。
「俺、栗色の髪のアンジェリークから聞いたことがあるんです。アルフォンシアって、すっごく寂しがりやなんだって・・。土の曜日に、視察をすっぽかして俺たちと会っていたりすると、すっごく機嫌が悪いんだそうです。―――だから、あのアンジェリークが結婚したのを察知して、会いたがって出てきたんじゃないか・・って・・」
 なかなか鋭い推理かもしれんぞ、ランディ・・。
「だが、それならば、なぜ補佐官はアルフォンシアを届けたその足で戻ってこぬのだ?」
 ジュリアス様の一言は、俺の胸にぐりぐりと大きな穴を開けた。
「・・そ、・・それは言えてますね・・・」
 ランディは俺の顔色をうかがいながら頷いた。彼よりさらに鈍い人だったのか・・、ジュリアス様は―――。
「とにかく、今から主星へ降りてみます。ご許可頂けますか?」
 俺は胸の痛みを意識下に閉じこめると、そうジュリアス様に尋ねた。
「よし。ランディ、オスカーをその場へ案内せよ。そして、一刻も早く、補佐官を連れ戻してくるのだ!」


花 花 花

 栗色の髪のアンジェリークは、主星の首都郊外に住んでいるらしかった。
 ランディと二人、次元回廊を抜けて首都郊外に行ってみると、件のアンジェリークの住まいはすぐわかった。あの子がついていった相手は、結構な有名人なのだ。
 外界は一面の秋色で、どの家の庭にも、ピンク色の可憐な花が揺れていた。
 その様が、まるでアルフォンシアのようだ・・・。
 いかん・・、俺も相当、あの聖獣に毒されてやがる―――。
 尋ね尋ねして行った先は、高台にある瀟洒な館だった。押し込み強盗の真似なんぞしたら、すぐ通報されそうな、目立つ家だ。
 仕方ないから正攻法でいく。
 呼び鈴を鳴らすと、家政婦らしい女性が出てきて、主は留守だと言った。
「どちらへおでかけか?」
 胡散臭さと俺への興味をない交ぜにした視線で、矯めつ眇めつしたあげく、その女性は
「皆様、病院へお出かけです」
と言った。
 病院?
 アンジェリークに何かあったんだろうか?
 畳みかけるように病院の名前を聞くと、家政婦は俺の勢いに気圧されて、本来なら告げることはない、その病院を教えてくれた。
「行くぞ! ランディ!」
 坂下にあるというその病院をめがけて、俺はいま来た道を駆け下りた。


花

「ここですよっ、オスカー様!」
 ランディが、行き過ぎた俺を呼び止めた。
 やたら大きなその声は、たぶん病院の中まで響き渡ったに違いなかった。
 入ろうとした入り口で、俺は、探し求めていた姿と真っ正面からぶつかってしまった。
「オスカー様!?」
「アンジェリーク!?」
 どうしてこんなところにいるんだ?
 けがでもしたのか? それともどこか具合でも悪いのか?
「心配したんだぞっ!!」
 今までの何もかもが吹き出して、大音声で彼女を怒鳴りつけていた。
「・・静かにしてよっ! 赤ちゃんたちが目を覚ますじゃない!」
 声は潜めていたが、勢いは俺の怒鳴り声に匹敵するような、アンジェリークの叱責が返ってきた。
 はぁ? あかちゃん・・・?
 黙ったまま、アンジェリークは看板を指さした。
<コスモス・マタニティ・クリニック>
 それを見て、俺は絶句した・・・。
「まさか・・、まさか・・、アンジェリーク・・」
「馬鹿なこと言わないでくださいっ! ママになったのは私じゃありませんってば。・・アルフォンシアが、恋いこがれてた・・彼女です・・」


花 花 花

 引きずるようにしてアンジェリークを聖地に連れ戻した俺たちは、雁首を並べてジュリアス様の執務室で腰掛けていた。
 あの日、怒りにまかせて俺たちの館を出たアンジェリークは、ふと、レイチェル陛下のライバルだった少女を思い出したのだという。
 研究院で調べると、今は主星で幸福に暮らしているらしい。聖獣のような機密に属する生物(?)を、聖地の外へ連れ出すことに不安はあったが、一目会わせてやれば、アルフォンシアも納得するのではないか―――そう考えたというのだ。
 俺から、例の回廊の話を聞いていたことも手伝って、彼女は実に大胆な行動に出た。
 そして、俺たちがしたように、尋ねながら女王候補だった彼女の家へ、アルフォンシアを連れて行ったのだと・・。
「そしたらね・・、彼女、ちょうど赤ちゃんができたところで、とっても辛そうだったんです」
 つわりとやらがひどく、ものもろくに食べられない状態だったアンジェリークの、アルフォンシアは慰めになったらしい。
「すっごく喜んでくれたのは嬉しいんだけど、彼女も離したがらないし、アルフォンシアもどうしても離れないって駄々をこねるし・・。私も困っちゃったんですけどぉ、帰るに帰れなくって・・」
 アンジェリークはえへへ・・と笑った。
「お嬢ちゃん―――」
 俺は口を挟む元気もなかった。
「まあ、彼女が無事赤ちゃんを産むまで主星にとどまっても、たぶん聖地では一週間ほどだし、その間の執務はきっとジュリアス様が執ってくださるでしょうし。―――私もちょっと頭を冷やしたかったしね」
「アンジェリーク・・! 笑い事ではないのだぞ!」
 衝撃のあまり、黙りこくっていたジュリアス様が、低い声でアンジェリークを怒鳴った。心底怒っているらしいのを感じて、俺は首をすくめたくなった。
「すみませーん」
 ぺろっと赤い舌を出した妻を、俺は信じられない気分で眺めていた。
 あの、怒り心頭に発しているジュリアス様に、なんて大胆なヤツなんだ・・、俺の奥さんは―――。正直なところ・・、見直したぜ、お嬢ちゃん・・・。
 見かけは華奢な妖精のようなのに、その剛胆さときたら、きっと歴代の女王陛下と比べても遜色ないだろうぜ・・。


花

 その後、永遠に続くかと思われたジュリアス様の説教も、日暮れには終わり、俺とアンジェリークは久しぶりに肩を並べて館への道を辿った。
「それで、アルフォンシアはどうしたんだ・・?」
 聖獣の姿を見かけなかったので、俺は少し心配になって尋ねた。主星に置いてきちまった・・などという事態だったら大事だ。
「あのね・・、赤ちゃんが産まれたら、消えてしまったんですよ・・」
 実体でなくなった・・ということなのだろうか?
「気配もなくなっちゃったんですって・・。たぶん、アンジェリークの中に僅かに残っていた女王のサクリアが、出産で消えてしまったんでしょうね・・。どういう仕組みなのか、サクリアについてはさっぱりわからないんですけれど・・、でも、寂しそうに笑って、ふうっと消えてしまったんです」
 母親になったばかりのアンジェリークは、その藍色の髪の女の赤ん坊に夢中だったから、アルフォンシアが姿を消したのは見ていなかったらしい。
「幸せな気分でいるのを、ぶち壊しちゃ、かわいそうですものね」
 見上げると、夜空に明星が光っている。
 肩に手を回すと、そっと寄りかかってきた。
「・・大変だったんだな・・、お嬢ちゃんも・・」
「うふ・・」
 ほっとしたら腹が減った。今夜はめいっぱい食べて、めいっぱいお嬢ちゃんと愛し合いたい。
 そう囁くと、アンジェリークは頬を染めた。


「だけど、赤ちゃんって、かわいかったわぁ・・。私も早くほしいな」
 ぎっくぅぅぅ!
 固まった俺を、アンジェリークが笑い飛ばす。
 頼むぜ・・。俺はまた、あんな気分を味わいたくない。まだまだ、お嬢ちゃんを独占していたいぜ。
 聖獣に嫉妬するのなら、まだ俺は自分を許せる。だが、我が子に嫉妬するような、そんな情けない男に成り下がるのはまっぴらごめんだ!
 いたずら好きな妖精の女王を妻にした妖精王の苦悩が忍ばれる・・。
 宵の明星は、俺のそんな苦労を知ってか知らずか、お気楽に輝いているだけだった。


花 花 花 花 花

「かわいいでしょう?」
 アンジェリークは夫に囁いた。
 ベッドの傍らにコットを運んできて、見舞いに来た夫に赤ん坊を見せたのだ。
「あなたにそっくり」
 生えそろった髪の色・・、新生児にしては高い鼻梁・・。薄い唇も、耳の形も、彼にそっくりな女の子だ。
「皮肉屋のところまで、そっくりになったら困る・・って、そう思ってないかい?」
 試験の時には気がつかなかった、彼の堅い殻の奥にある孤独・・・。それが一緒に暮らしてみてよくわかる。だから、この子ができたとき、早すぎる―――とは考えなかった。
 よかった・・。女の子で・・。一緒にこの繊細な神経の持ち主を、守っていくことができるだろうから・・。
 あのアルフォンシアは、私の気持ちが、どんどん彼とおなかの赤ちゃんに傾いていくのが、寂しくて仕方がなかったに違いない。
 だから、同じ名前を持ち、同じ女王のサクリアを感じる、補佐官のアンジェリーク様についてきてしまったんだわ・・。
「女の子でよかった?」
 アンジェリークは少し自信なさそうに言った。
「天が決めたことだろう? 変えることなんてできないじゃないか」
 夫は、その長い指で、子どもの頬をつとなぞった。
「それに―――」
 サラサラした短い髪を、なでつけるようにするその手つきは、極上の面相筆を持つときのように優しい。
「なあに?」
 アンジェリークはベッドの上から尋ねた。
「また一人、僕の信奉者が増えた・・って、そういうことじゃないのかい?」
 セイランはその端正な横顔をゆがめるように笑った。
 だが、それが彼の照れ臭いときのポーズだというのは、アンジェリークが一番よく知っている。そして、そんなことで傷つくほど、彼女は弱くはなかった。
「最上級のモデルが一人増えた・・・とも言えるだろうね。まだ、サルのようにしか見えないけど」
「あら? あなたがその『サル』の親なのよ?」
 皮肉屋の夫に負けないくらい、気の強い妻がそう言って笑った。

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