「小国の地質みてあるき3」 萩谷 宏 さん
朝日が射して早朝に目が覚める。何と健康的なんだろう。(朝早くからごそごそしてすみませんでした。)
ごそごそ地図を出して場所の確認。東側の尾根は400mくらいなのですね。地質図をチェックして、だいたいの感じをつかむ。朝食をいただく前に前日朝に落としたログを読んで、簡単な報告を書く。
さて、まず今日は北の方を見てみましょうということで荒川の上流へ。あちこち水田に雪が残っている。とおもうと、なんだか掘り返しているところがある。建設資材としてジャリを掘ったあとなのだそうです。こういうのは段丘礫と言うべきかな。今日は段丘の観察などできればいいな、と思いながら車窓の風景を眺めておりました。
たくおさんと前日から話していたのは、小国町史の記述を読んでいると、小国盆地はあるとき湖になっていた時期があって、それが干上がって現在の地形になったのだ、という話になるのだけど、これは本当だろうか、ということでした。なんでも、小国盆地の西側の沖庭山のあたりが急速に隆起したために、荒川がせき止められ、盆地に水がたまった、という説明のようです。たくおさんはそれがどういうことからわかるのか、証拠が明示されていないのでぴんと来ない、ということだったのかな。僕もなんとなくおっしゃることがイメージできてきました。
五味沢をすぎて樋倉の手前あたりの荒川右岸のジャリ取り場あとの崖で、露頭を観察しました。
露頭にとりつく気力もなくて、手前からの観察ですが、おもしろいことに露頭の中ほどできちっと堆積物の粒度が分かれるのですよね。礫がなくなって、砂と粘土?らしきものになっている。たぶん、段丘礫層の断面を見ているのだろう、と説明したのですが、それにしては露頭上部の細粒のところをどう説明するのか悩ましい。うーん、面白いですね。これは、ほんとに湖になって水流が弱まり、細粒物質が堆積した時期があったと考えてもいいかな。
・・・・・・・・・・・・・・
砂層・・・・・・・・・・・
−−−−−−−−−−−−−−−
○○・○○・○・○○・○
礫層・○___○○・○
○・○/ \_○○○
/ 基盤岩 \
ちょっとここで(河岸)段丘とはなにか、ということを考えてみますね。川のはじまりと出口(河口)の位置(水平距離と高度)が決まったとすると、その2点を川が安定して流れるある曲線で結ぶように、川の水面高度分布が決まるはずですね。(厳密にはどういう曲線になるかな?)
これによって、川原(=洪水時の水面?)の高度分布も決まるわけですよね。それが一定であれば、川原も安定して同じ高さを保つはずですが、何らかの理由で曲線が変化すると、以前の川原の位置では不安定になり、あらたな川原をつくる。それは以前の川原を掘り込むか、あるいは埋め立てることになるわけです。前者がふつうの河岸段丘、後者は段丘の埋没イベントだと思っていいのでしょうかね。
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↑*
高|*
度| *
| *
| *
| *
| *
+−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−*
水源 上流域 中流域 下流域 河口(→距離)
それで、河口の位置が海面変動で持ち上がったり、もっと低い位置に移動すると、当然安定な曲線が変化することになりますね。
それまでの川原の位置が、現在安定な位置とずれる場合は、高度が足りなければ川原を堆積物(ジャリ)が埋めるだろうし、高度が余ればそこを削り込んであらたな川原をその下につくるでしょう。
| (海面低下)
↑*
高|* *もとの川原の高度分布
度| * ×新しい川原の高度分布
| ×* こういうところで河岸段丘ができる
| × * ↓ ↓ ↓ ↓
| × *
| × *
+−−−−−−−−−−−−−−−−×−−−−−−−−*(新河口は沖に移動)
| ×
| ×
水源 上流域 中流域 下流域 (→距離) 河口
上の図は海面が低下した場合を考えていますが、こうすると川原の安定な位置の高度分布が、上流部を除いてほぼ全体的により低くなる。したがって、それまでの川原を掘り込んであらたな川原ができて、それまでの川原の面は段丘として取り残されるわけですね。
さて、これまではごくシンプルで基本的なことを考えてきましたが、沖庭山のあたりが隆起して、荒川の流れをせき止めて・・・といった場合にはどのようなことが起こるでしょう。
川の途中でせき止められるとか、堅い岩石があって滝ができるなどすると、おそらくこの曲線はいくつかの”節”をもったものになって、その節と節の間を曲線で結ぶことになる。
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↑*
高|*× a点 節
度| * × ↓ ↓
| * × ×
| * ×
| * ×
| * ×
+−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−*×
(→距離)
この”節”を沖庭山と考えてもいいわけですが、もし、この節が削り取られたり、河口の高度が上昇(海面上昇)するなどで、節の存在が解消されれば、曲線は本来のパターンに戻るわけですよね。ここでは赤芝渓谷を掘り込むことで、”節”を解消したと考えられます。
そこで、川(川原)の傾斜が大きいと流速が大になり、そこにたまる堆積物(ジャリ)の粒径も大きくなりますから、この節のあるなしで、例えばa点にたまる堆積物の粒径はずいぶん違うことになりますね。*の場合は傾斜がそこそこあるのだけど、節のある×の場合はひどく緩やかになる。だから、節のできたときには細粒の砂や粘土がたまり、そうでないときは大粒のジャリがたまっている、と考えると説明できるのではないか。
そう考えると、先ほどの露頭の様子がうまく説明できるかも知れませんね。最初は今と同様に、しかしもっと上にあった面を荒川が流れて、川原をつくっていた(露頭下部の礫層の時代)。次に、川がせき止められ、流れが緩やかになり、細粒の砂や粘土だけがたまる時期が続いた(露頭上部の砂層)。最後に荒川の削り込んだ渓谷の出口ができて、本来の安定曲線にもどり、それまでにたまった礫や砂を盛大に削って下流へ運ぶとともに、川原にはまた礫がたまるようになった、というストーリーです。
でも、これほんとかな。ほかにもこういう露頭があって、共通した特徴があるとか、もっと細かい粘土の地層も広く分布する、なんてことがわかると自信が持てるのですけどね。(でも、ひとつの露頭で”見てきたようなホラが吹ける”というのは楽しいことですね)