山形に戻って数日、三度目の旅立ちは9月中旬の頭となった。朝八時半に家を出て、国道47号線を東に向かう。空は秋晴れ、戻ってすぐにDJEBELの整備をしてもらったため、エンジン音もやたらと軽快だ。
今回は前回の続きで、岩手内陸を探索した後三陸海岸沿いに東北地方を南下していくのだが、また「FalcomStation」のゆうさんのお誘いを受け、下旬には東京に行くことになった。
それと湯野浜の七窪キャンプ場で一緒になった旅人の言葉が気になっていた。「今年いっぱいで乗鞍スカイラインが一般車通行禁止になるでしょう? だから走り納めに行こうと思ってるんですよ。」
乗鞍スカイラインとは長野と岐阜の県境、乗鞍岳に向かう山岳道路である。日本の道路最高地点として知られており、単車乗りにも人気の道だ。ところが翌年から乗り入れ規制により自家用車で入山できなくなるというので、この年は走り納めに訪れる人々が増えていた。折しも9月、高い山は冬も近いことだし、今を逸したら乗鞍には行けなくなってしまうかもしれない。「日本道路の最高所も極めでみだい。ちょうどいい機会だし、行ってみねぇ手はねぇな。」と、急遽乗鞍行きまで決めてしまった。例によって用事のため、今度は9月末には山形に戻らなければならない。今回もあわただしい旅になりそうだ。
山形と宮城の県境、最上町から県道で花立峠を越える。花立峠は山形でも数少なくなった砂利道の峠で、道は狭い上幾重にも折りたたまれ、崖っぷちにはガードレールすらない。普通の人が走る分には危ないことこの上ないが、荒井のような砂利道つづら折り大好き人間には非常に堪えられない峠だ。しかも奥羽山脈の大分水嶺を超える峠の一つで、あたりには瀬見・赤倉・鳴子・鬼首(おにこうべ)といった名湯が目白押しなのだから、峠・温泉好きにはたまらない。
奥羽山脈は大分水嶺に沿って東北地方を東西に二分する山脈だ。北は青森の八甲田から南は福島の甲子峠まで450キロも続いている。夏には日本海側にフェーン現象の猛暑をもたらし、冬には雪をたっぷり含んだ雲をせき止め里に大雪を降らす。人々は悲喜こもごもに奥羽山脈を見上げながら暮らしているが、その一方でかずかずの恩恵にあずかっている。
峠から鬼首カルデラの見事な風景を眺めた後、一気に麓に滑り降りた。花立峠は県境で比較的カーブの少ない広い舗装路に切り替わる。沿線にはカルデラ地形を利用した牧場とスキー場もあり、険阻な山形側とは大きく異なっている。鞍部を境に風物が変わるのも、峠の面白さの一つだ。
国道108号線に合流し、鬼首峠経由で秋田県に向かう。国道108号線は太平洋側の宮城県石巻市と日本海側の秋田県本荘市(現由利本荘市)を結ぶ東北横断国道だ。特に鳴子町(現大崎市)から雄勝町まで、鬼首峠を通る奥羽山脈越え区間は「仙秋ライン」と呼ばれ、秋は紅葉の名所となっている。荒井も子供の頃、家族でよくドライブに来たが、あまりかわりばえのしない長い山道という印象が強く、通るたびに退屈したのを覚えている。
かつて荒井が退屈した道は、長いトンネルを通る新道ができたために旧道となっていた。今回通るのはその旧道だ。時折眼下に新道が見える。多くの車はそちらを通るせいか旧道はがらがらで、すれ違う車さえいなかった。貸し切り状態の峠道で「こんな道ば通らねなも、もったいねぇよな!」と悦に入る。歳をとったせいか、今やかえって旧道の面白さがわかるようになったらしい。
国道13号線に乗り換え北上し、この夏すっかりお世話になった銘水の里六郷町に着いたところで、町内の「名水庵」で、洗いにたたきに甘煮と鯉づくしの鯉定食の昼食にした。町ご自慢の湧水で養殖した鯉を使っており、そのせいか鯉が泥臭くない。
六郷町は奥羽山脈西側の扇状地に開けた土地で、ご自慢の湧水群は奥羽山脈に降った雨が大地に濾過され、扇状地にしみ出てきたものだ。この湧水群も奥羽山脈の恩恵の一つである。
六郷町から角館町(現仙北市)に出て、秋田新幹線と併走しながら、日本一深い湖、田沢湖に向かった。平日だったせいか人出もそれほど多くない。十和田湖よりも静かな趣で、一周21キロほど、走るに全く気持ちがよかった。途中田沢湖誕生伝説に現れる辰子像や、山形出身の歌人斎藤茂吉の歌碑を見物しつつ無事に一周達成したところで、田沢湖を後にした。
田沢湖から国道341号線で秋田と岩手の県境、八幡平(はちまんたい)を目指す。八幡平は岩手山の北、秋田と岩手の県境に広がる火山群だ。岩手に住んでいた頃から名前は度々聞いていたものの、ついに一度も行かなかったこともあり、日本一周ではぜひとも寄りたいと思っていたのだ。
田沢湖から八幡平までは長く人気の少ない道が続いたが、風景は変化があって飽きなかった。森を抜ければ、秋扇湖や宝仙湖といった人造湖が右手に現れる。湖の次は渓流沿いの山道だ。山岳道路アスピーテラインに折れてからは温泉が次々に現れる。立ち上る湯けむりに、入りたい欲求をそそられた。
いくつものカーブを経て高度を上げていくと八幡平の山々が見えてきた。多くの峰や遠くの岩手山の緑の木々がくっきりと見える。この風景を写真に収めようとカメラを取り出しファインダーを覗いたものの、自分の目で見る風景には遠く及ばず「この絶景は写真さ収めらんねぇな。」と、そのままカメラをザックにしまい込んだ。
日も暮れかけていたので、そろそろキャンプ場を探すことにした。見返峠から樹海ラインに入り走ることしばらく、大きな地熱発電所のそばにキャンプ場があったので下見に行くと、同じく下見に来ていた中年の単車乗りの方と会った。
ここのキャンプ所はよく整っているのだが、規模の割に先客が全くいないのが気にかかる。彼は「この近くにもう一つキャンプ場があるみたいだから、そっちを見てからどこに泊まるか考えようと思うんですよ。」と言うので、自分もそうすることにした。
二軒目は松川自然休養林キャンプ場だ。道路に面した森の中の小さなキャンプ場で、敷地内には温泉まで湧いている。温泉を利用するとそのぶん料金が上乗せされるが、入り放題というのは大きな魅力だったので、迷わずここに決めた。平日だったが利用客も何人かいる。利用しやすいということだろう。
受付すると管理人のおじさんが「たくさんあるから持ってきなよ!」と、大根を一本くれた。夕食はこの大根で決定だ。まずはテントを張り、日のあるうちに7キロ離れた里まで調味料や米を買い出しに出かけ、いそいそとキャンプ場に戻ったところでさっそく温泉につかる。キャンプ場一角の小屋にある温泉は隠れ湯の雰囲気を漂わせなかなかいい。一日中走り通した後の温泉は格別だ。
こうした温泉も奥羽山脈の恵みの一つだ。山脈は火山帯にあたるため、近隣には名湯が散在している。特に八幡平は東北有数の温泉地帯で、東北住民のみならず、全国の人々を引きつけてやまない。
風呂から上がるとさっきの中年単車乗りの方と一緒になった。彼もここに泊まることにしたらしい。彼は会社を離れ、愛車BMWのRS1150GSとともに東北を旅していたが、「東北は冬の訪れが早いそうだから、いつ頃まで走れるんでしょうかね?」と、冬の心配をしていた。東北地方は冬になると、旧道や峠道は雪に埋もれてしまい、あらかた通行止めになってしまうのだ。
テントに戻り米を炊き、大根煮をおかずに夕食にした。質素ではあるが「まだ旅さ出だんだな!」と大いに満足した。
この後、ふとしたはずみでテントに醤油をぶちこぼし、後始末に追われる羽目になった。おかげで夜は、テントの中が醤油くさくて仕方がなかった。
朝風呂の後撤収し、樹海ラインを見返峠に向け走り出す。標高の高い峠はガスこそかかっていたが、アスピーテラインを東に下るにつれ晴れてきた。道は豪快なカーブが続き、見渡す限り高原の絶景がこれでもかと広がっている。
そんな高原を下るうち異様な光景に出くわした。山の一角に巨大な廃墟群が現れたのだ。何だろうと近寄ってみると、それが松尾鉱山の跡地だった。
松尾鉱山は硫黄の大鉱山だった。大正期から採掘が始まると、従事する鉱員たちがこの高所に移り住み一大都市を形成し、「雲上の楽園」と呼ばれるほどの繁栄が出現した。しかしその繁栄にも終わりがくる。安価な海外硫黄の出現や硫黄回収技術の発達により、昭和30年頃より鉱山は衰退を始め、昭和44年ついに閉山となったのだ。
荒井が見つけたのはその鉱員たちが住んでいた集合住宅跡だった。団地のような建物が何棟も野ざらしになっている光景は、この鉱山がいかに大規模なものであったかとともに、そのたどってきた歴史を物語っていた。壁は蔦が絡み崩れかけ、窓ガラスはことごとく割れ一枚も残っていない。跡というよりは巨大な廃墟群で、近代の遺跡とさえ呼べる代物だった。
鉱山は遺跡とともに大きなツケを残していた。採掘は深刻な鉱毒問題を引き起こし、一時期八幡平近辺の自然は相当に破壊されたのだそうだ。鉱山跡の一角では、今でも鉱毒処理施設が稼働している。雲上の楽園が朽ちつつある一方、八幡平はかつての緑を取り戻しつつある。先日の武甲山といい院内銀山といい、自然に穿たれた近代の遺跡を目の前にすると、有無を言わさず「人類の発展とは何か?」と問われているような気がする。
八幡平を降りきったところで国道282号線に合流した。スキーリゾートとして有名な安比高原を素通りし、安代町(現八幡平市)の貝梨峠に向かった。貝梨峠も大分水嶺の峠だ。通常大分水嶺の峠は地方自治体の境界上にあることが多いのだが、この峠はなぜか境界から離れた町のど真ん中にある珍しいものだ。もともと安代町自体が、昭和30年代、太平洋に注ぐ安比川を抱える荒沢村と、日本海に注ぐ米代川を抱える田山町が合併してできた町なので、こうしたことになったらしい。町名が二つの川の名前にちなんでいるのは見ての通りだ。
峠には小さな公園と、光り輝く分水嶺モニュメントがあるくらいで、取り立てて見るほどのものはない。しかしこういうものに目がない荒井、やはり「こごが珍しい分水嶺が!」と大喜びしながら見物するのであった。
国道282号線を引き返し盛岡に向かう途中、ふと目にした「不動の滝」の看板が気になり寄り道したが、これが大当たりだった。桜松神社という神社の境内を抜けた林の奥に鎮座する滝で、規模は小さいながらも、激しく水が流れ落ちる様は力強い。傍らには名前のとおり不動尊が祀られ、そこからは水しぶきが飛び散ってくるほど間近に滝を眺められる。岩手県随一の景勝地との評判で、日本百名瀑にも選ばれているそうだ。たまたま出会った名瀑に大いに満足した。
昼前に盛岡に着いた。今回盛岡を訪れた目的は二つ、岩手県庁訪問と長らく滞納していた大学の同窓会費を支払うためだ。この前来た時は日曜日だったので、県庁も大学も開いていなかった。
まずは岩手県庁に行った。秋田県庁以来久々の県庁だ。学生当時、付近を通ることは度々だったのだが、中に入ったことは一度もなく、ましてやその数年後、日本一周でここを訪れることになるとは全く思いもしなかった。「未来あて、どげなっか判んねぇもんだよにゃぁ。」と苦笑する。
食堂に直行し、日替わりメニューの冷やし五目ラーメンを食べた。五目だけあって、上には五色の具が載っていた。カニかま、トマト、キュウリの千切り、蒸しエビ、たまご焼き。麺にコシがあってなかなか旨かった。
昼食後、久々に岩手公園に行った。県庁から歩いて三分とかからない距離にあり、学生をやっていた頃、度々散歩に訪れた。公園は南部藩の城跡で、巨大な石垣が今でも残っている。岩手出身の歌人石川啄木が学校をサボって昼寝をしていた「不来方(こずかた)のお城」とはここである。ひそみに倣ったわけでもないのだが、荒井もベンチに寝っ転がって小一時間ほど昼寝した。あたりには遠足の小学生の一団がいた。公園はこんな具合に市民憩いの場所となっている。
一息ついたところで大学に行った。
荒井は岩手の大学で、社会学と心理学を研究する「行動科学」を専攻していた。これを選んだのも「世間を自分なりに理解して説明してみたい。」という欲求があったからなのだが、全く不真面目な学生だったので、学生時代はろくに勉強しなかった。
というか、どう勉強したらいいのかが判っていなかった。問題への近づき方、方法論というものが全く判っていなかったのである。その結果、荒井は社会の研究とは縁もなく、さらに日本一周のため会社を飛び出すような大人になってしまったのだが、若い皆さんもこうなりたくなければ、今のうちからまじめに勉強することだ。
さておき、荒井の専攻は人数が少ないせいか結びつきが強く、卒業生は自動的に同窓会に入れられ、その後専攻の一年の出来事をまとめた同窓会報とともに、年会費の督促状が毎年送られてくる。実は荒井、会社にいた4年間と今年の計5年分、この同窓会費をまるきり払っていなかった。このまま滞納しても文句は言われないのだが、日本一周を始める際に「境遇も変わったごどだし、払うものはきっちり払っておぐべ。」と滞納分を一気に払うことにしたのである。もちろん自ら出向いて手渡しでだ。
4年ぶりにやってきた大学はあれこれ様替わりしていたが、荒井のいた専攻のある校舎はあまり変わっていなかった。中に入ってみると、遠い後輩とおぼしき学生たちに、思いきり怪しい目つきで見られた。それもそうで、大型ザックを担いだ単車乗りがここに来ることなんぞ滅多にない。
とりあえず知っている人はいないかと研究室を覗くと、お世話になった先生の一人、家族社会学を研究する竹村祥子先生がいた。不肖の学生荒井の顔を覚えてくれていたようで、一通りのあいさつの後お茶をすすりつつ、近況などうかがうことになった。
一見変わっていない様子の専攻だったが、実際は激しく変わりつつあった。曰く「大学も再編が進んでいるのよ。近々大学が独立法人化するから生き残りに必死で。」と。少子化と長引く不況のため、大学の運営も楽ではないらしい。他の大学との合併とか学部の統合といった噂がまことしやかに語られているという。
竹村先生はそれにともなう教育や研究水準の低下を心配していた。退官する教授は多いものの、それに代わる人材を補充しない。できないのかもしれない。その結果、他の学部や大学では必要な講義が開講できなかったり、専門外の教官で間に合わせるといったことが現実に起きているというのだ。「それじゃ、まじめに勉強している学生が不憫ですよ!」と言ったら、竹村先生は大きくうなずいていた。
竹村先生と話すうちに、認知心理学の松岡和生(まつおかかずき)先生、地域社会学の横井修一先生、社会意識論の山崎達彦先生といった他の先生方も現れた。いずれも荒井がお世話になった先生方だ。まずは同窓会の会計担当の松岡先生に、5年分の年会費を手渡した。
「見聞を広めるべく、会社を辞めて日本一周の旅をしているんですよ。」と話すと、先生方は呆気にとられながらも興味深い様子だった。松岡先生は「荒井君ぐらいの歳になると、他の同級生のみんなも転職したり大きな決断をすることがあるみたいなんだよ。そういう時、どんな考えが働いてそういう決断を下すに至るのか、興味をそそられるテーマだよね。」と、どこかで発表しないかいと半ば冗談交じりに仰った。
横井先生は単車旅の様子に興味津々だった。先生も二輪車の免許を持っており、若い頃はよく単車に乗っていたとは、荒井が学生の頃は全く知るよしもなかった。最近の旅人には携帯電話やノートパソコンといった情報機器を持ち歩いてる人も多いんですよと話すと、これまた興味深そうに耳を傾けていた。
旅人は基本的に、世間の流れからやや引いた場所に身を置いている。だから一般人は普通に生きている限り、旅人と交わることはほとんどない。ましてや大学教授など。その視点は研究者としても非常に興味深いものらしかった。特に興味を寄せたのは荒井の卒論を担当してくださった山崎先生で、こんなことを仰った。
「旅とか転職といったことをするには、相当な思い切りが必要でしょう? 旅に出ようと思い描くことは誰にでもできるけれど、実際に思い切る人と、思い切れない人がいますよね。この二つの違いは何なんでしょうか?」
学生だった頃の「自分なりに世間を理解したい」という欲求は今も変わらず、この日本一周の旅も、それと同じところから始まっているんだといった旨を荒井が話すと、山崎先生は、そうでしょうとうなずいていた。
学業のかわり荒井が打ち込んでいた散歩道楽も、結局は「自分の周りに何があるのかを見てみたい。」というところに行き着いた。実はそれは荒井が大学でこの専攻をとった理由でもあった。方法論はまるきり違えど、根っこにあるものは同じらしい。おそらく自分は遠回りした末に「旅」という方法論に気が付いたのだろう。
突然の訪問ではあったが、先生方が快く歓迎してくれたのがうれしかった。荒井の同期の方々も、今や様々な場所で活躍し、中堅の人材として思い悩んでいることだろう。そんな中、荒井は願望を叶えるための方法論として、会社を飛び出し旅人になることを選んだのだが、他の皆はどんな答えを出すのだろうか?
大学を辞した頃には日も傾きかけていた。この前食べられなかったケーキバイキングのため「まつばや」に行く。ここのケーキバイキングは、客がめいめいに好きなケーキをセルフサービスでとるというものではなく、食べたいケーキをその都度店員に注文して持ってきてもらうというものだ。一回千円で制限時間は1時間。手渡されたメニューの中からとりあえずアップルパイ、チョコレートケーキ、チーズケーキを注文し、平らげた後にスフレチーズケーキとチョコムースを追加した。ここのケーキは甘さ控えめで食べやすいのだ。
あと一、二種類ぐらいはいけそうだったが、結局五つほど食べたところで制限時間終了となった。ケーキは一個250円から300円ほどなので、一応元は取った計算ではある。制限時間追加注文式は比較的量がこなせる。「あの店員、知ってか知らずか、ながなが注文聞ぎに来ねがったよな。呼び寄せででも、もっと注文するべきだったべが。」と、食べ終わってから心密かに雪辱を誓うのだった。
「まつばや」を出た後、「岩手」の地名の由来となった「鬼の手形岩」がある三石神社に参拝し、「ジョイス」で買い出しを済ませると、外は大分暗くなっていた。野宿場所を探して、北上川に沿って国道456号線を南に走っていると、石鳥谷町(現花巻市)でよさげなライスセンターを見つけたので、そこの片隅にテントを張って寝ることにした。ライスセンターは新幹線軌道のすぐそばだったが、夜だったので往来する便も少なかった。
自分の足跡を何らかの形で残したいと思うのは旅人の常のようでして、写真にして残すというのも有効な方法の一つです。写真の利点は文字よりわかりやすいということです。言葉を尽くすより、一枚の写真の方が雄弁にその場の雰囲気を語ることもあります。何もいかつい一眼レフである必要はありません。普及型のコンパクトカメラやレンズ付きフィルムでも十分です。もちろん好きな方ならば、なじんだ愛機やレンズとともに、行く先々の風物をフレームに切り取っていくのもたまらない楽しみとなることでしょう。
撮りまくっているとフィルム代や現像代がかさむのが難点ですが、基本的に日記代わりに写真を撮るならば、代金を気にせず積極的にシャッターを切るべきです。撮っておいて後悔することはまずありません。
ただし写真は諸刃の剣。闇雲に機械に頼ると実物をじっくり見なくなる嫌いがあります。記録の基本は自分でよく見て、感じたことを残すこと。一度はレンズを通さず風景と対話してからフィルムに収めるようにした方が、心に残るものになると思うのですがいかがなものでしょうか。
それとフィルムはできるだけ、撮りきるごとに現像することをお勧めしときます。