テントこそ張っていないが、朝から荷造りをする羽目になった。濡れた装備をことごとくザックから出していたからだ。さすが一夜では足りなかったか、服はどれも生乾きだった。
テレビをつけるとテレビ東京系の「おはスタ」をやっていた。佐賀にテレビ東京系のテレビ局はないのだが、福岡に近いため、場所によっては福岡にある系列局の九州放送が見られるのだ。もっとも、宿のテレビは有線放送だったけど。
佐賀県は大きく南北に別れる。南が筑紫平野で、北は脊振(せふり)山地。北部には伊万里や有田、唐津といった、全国に名を轟かす焼き物の名産地が揃っている。同じ佐賀県でも、北の方ははなわが謳った「佐賀県」とはずいぶん印象が異なっていた。
朝食は宿のパン無料サービスを利用した。ここでは朝になると宿の中でパンを焼いていて、一階の食堂に行けば、バイキング形式で焼きたてのパンをめいめい食べられるようになっているのだ。出しているのはバターロールにチーズロール、クロワッサンによもぎパン。あとはジュースやコーヒーといった飲み物類にゆでたまご。もうちょっと腹にたまりそうなものもあればいいのだが、無料なのだから贅沢は言えない。宿代がかかった分、少しでも元を取ろうと必死に喰うあたり、我ながら浅ましい。結果、バターロールとよもぎパンを各一個、チーズロールとクロワッサンを二個ずつ、オレンジジュース三杯にゆでたまご二個を腹に入れ、宿を出発したのだった。雨雲はどこかに去り、外はすばらしく晴れていた。今日はいい日になりそうだ。
壱岐に渡るには、お足が少々心配だった。宿の方に郵便局の場所を教えてもらったが、休日営業していなかった。呼子町まで行けばあるだろうと、ひとまず行ってみる。首尾よく呼子で開いている郵便局が見つかったので、お金を補充しておく。それでもまだ船が出るまでだいぶ時間があったので、それまで東松浦半島を一周してくることにした。
呼子町(現唐津市)は東松浦半島の先端にある港町だ。港には海産物を商う店が軒を連ね、朝から店開きしている。呼子名物朝市だ。これを楽しみに来る観光客も多いのか、近くには旅館もいくつか建っている。また、近所には豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、加藤清正公が建てたという名護屋城跡や、徳川家康公の陣屋跡といった見どころもある。半島の西を走る道路は田舎道だったが、車の通りが少なく爽快な走りが楽しめた。
一周して港に戻ってくると、ちょうどフェリーが入ってくるところだった。いそいそと切符を買い、船に乗り込む。休日だからか休みだからか、車も人もかなりの数が乗り込んでいる。二等船室はすぐにいっぱいになってしまったので、外の座席に座っての航海となった。呼子港を出て一時間ほどすると、船は壱岐の印通寺港に着いた。
壱岐に来た目的は大きく二つ。対馬への足がかりを得るためと、天手長男神社(あまのたながおじんじゃ)への参拝だ。呼子から対馬に渡るためには、船便の関係で一度壱岐を経由することになる。しかも壱岐と対馬も旧国ではそれぞれ一つの国だったので、それぞれに一の宮がある。全旧国踏破を掲げる荒井の旅では、佐渡同様、早々に渡ることが決定していたのだ。
対馬への船便を確かめると、深夜二時過ぎに出る便があった。船の中で寝られるからちょうどよいと、これで対馬に行くことにした(今思えばこの決断が、あの危機を招くことになったのだが)。それまで半日以上がある。島を一周するなら十分な時間だ。
壱岐は九州の北、玄界灘に浮かぶ小島で、東西が約15キロ、南北が約17キロの丸い紡錘形をしている。主な道は沿岸からやや内側に入ったところを走っており、要所要所で岬に向かう道が延びている。小さくとも農耕には適しているようで、道端には田んぼがずいぶん多い。なるほど、これだったら十分旧国の一つとして成り立つはずだ。島内には大型バスも走っており、観光でやってくる人も多いようだ。大都会博多からはフェリーで約2時間、ジェットフォイルで約1時間。少なくとも八重山の島々に比べたら、本土と格段に往来しやすい。そのせいか島はどこに行っても民家や商店を見かけるほどで、明るい印象を受ける。島の一番北にある勝本の港には、漁船が賑やかに碇泊していた。
昼をだいぶん過ぎ、島を半分ばかり廻ったところで、「一富士」という寿司屋に昼食に入った。店は昼の忙しい頃合いを過ぎ、一休みしている最中のようでやや気が退けたが、店番のおばあさんが「だいじょうぶですよ。」と丁寧に応対してくれたので、安心して席に座った。あいにく品切れで刺身が作れないというので、天ぷら定食を食べた。野菜天中心の天ぷら盛り合わせに茶碗蒸し、イカマリネ、おしんこに味噌汁と、けっこう豪華だった。
荒井がくぐり抜けたあの大雨は壱岐にも降っていた。店内のテレビはノイズだらけだった。「昨日の大雨でアンテナが曲がったみたいなんですよ。それでも日曜でしたからお客さんがたくさんみえられて、夕方の四時まで働きづめだったんですよ。」 あの雨では漁にも出られまい。品切れはそういうことだったのだろう。
ごちそうさまと言って店を出る。湯ノ本温泉で足湯を見つけ、入っていった。足しか入っていないが、しばらく入っていると汗だくになる。やがて足腰が弱いらしいおばあさんがやってきて、あれこれお話をうかがうことができた。
湯ノ本温泉は、歴史ある薬効あらたかな温泉で、戦時中には、皮膚ただれや火傷を負った人々が、この温泉につかって傷を治したのだそうな。足湯そのものは最近できたものだ。旅館改築の際旧い湯が再び噴き出し、それを数寄者のご主人がこうして足湯に仕立てたそうだ。
足湯につかっていると、続々といろんな人々がやってくる。福岡から来たという中年ライダーに、小さな娘さん二人を連れたお父さん。足湯は人々の交流の場となるわけである。
島の西にある猿岩を見に行った。ちょっとした観光名所なのか、駐車場の隣には茶店や記念写真屋まである。駐車場にある直売所は、その名も「おさるのかごや」という。足湯で汗だくになっていたので、ここで手作りシャーベットを買って食べた。蜜柑やレモンといったものから、さつまいもやパセリなどどんな味がするのかわからないものまでいくつか種類がある。荒井は無難に赤じそにしておいた。シャーベットは氷の粒が大きめで、かき氷のような感じだったが、それがまた手作りっぽい。
DJEBELに戻ろうとすると、大型二輪に乗っていたおじさんに声をかけられた。乗っているのは、白バイ風に改造されたホンダGL1500ゴールドウィング。手の入れようからして、そのこだわりはただものではない。「山形から来たのかい! 自分も数年前、ゴールドウィングの会の集まりで、東根温泉に行ったことがあるんだよ。」
実はその催しなら覚えていた。数年前、山形の東根温泉でゴールドウィングオーナーズクラブの全国大会があって、交通安全パレードをやると地元の新聞に載っていた。当時仕事の都合で近所に住んでいたこともあり、ぜひ見てみたかったのだが、やっぱり仕事の都合で見に行けなかった。パレード前日の仕事帰り、東根温泉を通ったら、宿の駐車場にはゴールドウィングがずらりと並んでいた。まだ日本一周が夢のまた夢だった荒井、「いつがは単車の免許ば取って、日本中ば旅して廻るんだ!」と、指をくわえながら眺めたのを思い出す。
あのとき見たゴールドウィングの中には、このGL1500もあったのかもしれない。そして念願叶って旅に出て、あのときのゴールドウィングを目の前にしているのだから、人生不思議なものである。
おじさんは勝見さんといった。島内の海産物加工会社に勤めているが、若い頃から単車が大好きで、今でもこうしてたびたびツーリングをしている。若い頃はスクラップ同様のを引き取って修理したカブを駆って一ヶ月半で日本一周し、それからも都合20台以上の単車に乗ってきたという強者だ。だから単車乗りの機微にも通じていて、「最近は雨で大変だったろう。これを使うといいよ!」と言いながら、ビニール袋を差し出してくれた。それと猿岩を背景に写真まで撮ってくれた。「もともとここは藪だったんだ。いつのことだったか、島の誰かがあの岩が座った猿に見えると言い出したのをきっかけに整備が進んで、こういう名所になったんだよ。」と、猿岩の由来まで教えてくれた。勝見さん、おかげさまで無事日本一周できました! お礼が遅れましたがありがとうございました!
島を一周したところで、壱岐に来た一番の目的、天手長男神社に向かった。手持ちの案内書にも、島の案内小冊子にも詳しい場所が載っておらず、探すのにずいぶん苦労した。
神社は島の中央に近い、田んぼを見下ろす里山にあった。鳥居を見つけ石段を登ろうとすると、そこで作業をしていたおじちゃんに「ここだったら車で中腹まで登れるよ!」と教えてもらった。
壱岐一の宮は寂れていた。四角い箱の上に屋根が載ったような拝殿は、壁一面を黄土色のペンキで塗りつぶされて安っぽいと言うほかなく、これまで見てきた一の宮の社殿では異例のものだった。拝殿の中には賽銭箱とセルフ販売のお守りに大麻札。それに一の宮巡拝会が発行する機関誌の最新号が置かれてあった。もちろん人は誰もいない。
機関誌の特集が、ちょうどこの天手長男神社だった。手にとって読んでみることにした。
この神社が寂れた一番の理由は、700年前の元寇である。元寇なら学校で習った。鎌倉時代、フビライ・ハン率いる元の軍勢が、日本に攻めてきたというものだ。神社は壱岐に上陸した元軍によって破壊され、それ以来本格的に再建されることもなく、今日に至っている。数年前までは宮司さんがいたのだが、大病を患いまともに動ける状態ではなかったらしい。やがてその宮司さんが亡くなり、現在は宮司不在となった。一の宮であるにもかかわらず、神社は島でもなかば忘れ去られてしまっていた。
だが、皆という皆が忘れてしまったわけではなかった。近年、一の宮がこのままではいけないと危機感を募らせた氏子さんたちが、神社を守ろうと立ち上がったのだ。現在は境内の掃除はもちろん、不在の宮司の代わりに御朱印を授けたりといった維持管理にあたりつつ、神社の再興を期して活動している。その努力が実を結び、近い将来、この社殿が建て替わる日が来るかもしれない。
夕方近くなった頃、岳ノ辻に行った。壱岐最高峰213メートルの低山で、島の南にある。ここも頂上付近まで車で行けるようになっていた。駐車場からちょっと歩けば頂上で、そこのすぐわきに展望台がある。展望台からは、島一番の港町郷ノ浦がよく見える。島一周で気付いたとおり田畑も多い。
ここは日本と大陸を結ぶ、玄界灘の飛び石の一つなのだ。島は大陸と日本の中継点として、古くから栄えただろうことが一目で分かるような光景が眼下に広がる。島には遺跡などの見所も多い。対馬からの帰りに時間を取って、もう一周ぐらいしていくのも悪くなさそうだ。
船が出るまでは、まだ数時間待たなければならない。まずは近場のスーパーでちらし寿司とオレンジジュースを買い、店頭のベンチに座って夕食にした。島で利用客も少なさそうなものだが、スーパーは十二時まで営業しているらしい。そのせいか八時近くになっても、弁当や惣菜類はさっぱり値引きされていなかった。
ここからが問題だった。出発までまだかなり時間が残っている。郷ノ浦を捜し回ってみたが、ネットカフェや深夜営業している本屋のような、暇つぶしができる施設はない。どこかにテントを張って寝てもいいのだが、そうすると寝過ごしかねないし、暗い中撤収するのは大変だった。
結局、「テントば張らねで、どっかでゴロ寝でもするほがねぇな。あらかじめ港さ行って、場所ば探すが。」と、暗い中DJEBELを走らせ、対馬行きのフェリーが出る芦辺港に行った。時刻にならないと開かないのか、港のフェリー待合所は真っ暗だったが、さいわい軒先にベンチがある。時間までそこで寝ることにした。
十二時を回った頃だろうか。そばに人の気配を感じてあわてて飛び起きた。
「職務質問のお巡りさんだべが?」 真夜中、一人寝ている最中に話しかけてくる人間は、お巡りさんか見回りの人と相場が決まっている。そういうときは「野宿しながら日本一周してまして、ここで一晩寝てるだけなんです。一晩寝るだけですから。だめだったらすぐ撤収します。」と事情を説明することにしている。そう言えばだいたいは、簡単な身元確認をするか、「大変だねぇ。気をつけて!」と注意を促すくらいで放免してくれる。
目の前に立っていたのは、20代のひ弱そうな男だった。お巡りさんの制服は着ていない。待合所の職員さんだろうか。集落の見回りだろうか。
追い出されたら面倒だなと思いつつ、例によって、「ここでフェリー待ちをしているだけなんです。」と説明すると、「それは大変ですねぇ。」といった答えが返ってきた。どうやら追い出すつもりはないらしい。港の方ですか、見回りの方ですかと訊ねてみると、そのどちらでもなかった。船を待っているでもない。
お巡りさんか見回り以外なら、あとは旅人に興味を持った人だ。普通に暮らしている限り、野宿の旅人なんて滅多に見かけるもんじゃない。彼も「どこから来たんですか? どんなところに行ってきたんですか?」と訊いてきたのでその口だろうと、山形を出て三ヶ月ほど旅をしていて、沖縄や八重山に行ってきた帰りで、ここ数日は雨ですっかり参っていると、これまでの旅の様子をかいつまんで話した。普通はひととおり話をすれば満足して、「ふ〜ん、そうですか。それではお気を付けて!」と、適当な頃合いで去ってくれる。
ところが。彼はなかなか去ろうとしなかった。荒井は話が得意でない。間を保たせるのに苦労しつつ、「待合所が開くまで付き合うつもりだべが?」と、こちらも長々と旅の話をする。
話すことがなくなって、「あどはどんなことがあったべな」と話の種を思い出そうと一息ついて思案を巡らせていると、それまで口数少なかった彼がおずおずと切り出した。
「あの...僕からもお願いがあるんですけど、いいでしょうか?」
「お願いですか? えぇ、どんなことでしょう?」
「え〜と、足を広げて...」
「足を広げて?」
どんなことなんだろう。言われるまま足を広げると、彼はおもむろに荒井の股間に手を伸ばしてきた。
「! ゲェ!! 何すんですか!!!」
「ご、ごめんなさい! 実は僕、男に興味があるんです。」
一気に血の気がひいた。さっき寝ていたときのことを思い出す。そういや、妙にまとわりつくような眼差しだったよな...ということは、荒井に近づいてきたのはそういうことで、もしあのままのんきに寝ていたら...
奴さんはベンチの荒井を「ウホッ!」と眺めていたのだろうが、荒井は「やらないか」とツナギのホックをはずしつつ誘った覚えはない。そもそも荒井にはそういう趣味がない。彼はなおも哀願するような目を荒井に向けていたが、しどろもどろで「女であれ男であれ、会ったばかりの見知らぬ人間に、金玉を触らせる趣味はありません!」と必死に断った。突然身に降りかかった火の粉に、頭の中は真っ白だ。
周りに人はいない。有無を言わせずガオーという真似だってできないことはない。一歩間違えればえらいことになってしまう。ある意味、彼が気弱で人のいい青年で助かった。
思えばこんな小さな島だ。同好の士を捜すことは至難の業だろう。ハッテン場(注1)もない。いかな博多までジェットフォイル一時間で行けようとも、家にいながらにして同性愛の出会い系サイトに出入りできようとも、島で暮らしている限り、相手を探すのは並大抵のことではない。彼は行き場のない感情のはけ口を求めて夜な夜なさまよっていたのだと思うと、哀れな気もする。
必死に断り続けた結果、彼は諦めてくれた。結局股間は触らせなかったが、握手だけして別れた。
下手に理解を示そうとするノンケ(注2)は、彼にとってはもっとも嫌な奴なのかもしれない。どんなに同情の言葉を寄せようと、股間を触らせるわけでないから。
彼が去って間もなく、待合所の電気が点いた。「助かった!!」 待ちに待った開業時刻だ。出航遅しと手続きを済ませ、フェリーが着くや、逃げるように壱岐を後にした。対馬帰りにもう一度壱岐を廻っていこうと思っていたが、またどこかで彼とばったり出くわしたら、どうなるかもわからない。結局もう一度壱岐を廻るのは取りやめにしてしまった。
こうして日本一周最大の危機は去った。故障、暴風雨、転倒、事故、病気。旅に出てからこれまで様々な目に遭ったが、なんだかんだで一番怖いのは人間だった。
注1・「ハッテン場」:男性同性愛者どうしが出会い、仲を深める交流の場。仲を発展させるから「ハッテン場」という。
注2・「ノンケ」:女が好きな男、男に興味を示さない男のこと。「その気がない」という意味。