九州を出る日だというのに、空はまだどんよりとくもっている。いつもどおり撤収し、六時半に出発した。近くのネットカフェでスムージーを朝食がわりに、ネットを確認しておく。
今日中に下関に戻るつもりだが、その前に二つばかり見ておきたい場所があった。宗像大社(むなかたたいしゃ)と直方市の石炭記念館だ。
宗像大社は国道から少し入った県道沿いにある。一の宮巡りをしていると志高湖で秋野さんに言ったとき、「一の宮ではないけど、こんな神社がありますよ。」と教えてもらったのだ。玄界灘沖の無人島沖之島に一つ、小島に一つ、本土に一つと全部で三つの社殿があって、それぞれに航海安全の女神を祀っており、転じて神社は交通安全の御利益を謳っている。沖之島は聖域になっていて、みだりに人が立ち入れないようになっている。沖之島では大陸伝来の神具が大量に発掘されたそうで、神社はこれを「海の正倉院」と称して、世界遺産入りを目指していた。
北九州有数規模の神社なので広かったが、それよりも目を見張ったのは社務所だった。本殿よりも巨大な鉄筋コンクリート製の建物で、中には窓付きのアクリル板で仕切られた窓口が並んでいるのだ。窓口に座っているのが巫女さんや神職の方でなければ、どこかの役場か免許センターと見分けが付かない。祈祷の受付は、所定の用紙に必要事項を書き込んで、窓口に提出するようになっている。お守りやお札もこの窓口で買う。社務所の目の前は広大な駐車場で、全くどこかの免許センターのようだった。さすが交通安全の神様を祀る神社だけのことはある。
先へ進むと、路面が濡れているところにさしかかった。どうやら雨が降った直後らしい。この日の天気は降ったり止んだりの繰り返しで、その気まぐれさに悩まされることになった。
若戸大橋を渡り、北九州市の中心部に近づいた。スペースワールドのそばをかすめ、直方市への道を探す。どうにかこうにか直方市に着いたところで、本日第二の目的地、石炭資料館を見学した。
現在は閉山されているが、直方市ではかつて石炭が掘られていた。資料館はかつて炭坑の事務所だったところで、ずいぶん年季が入っている。資料館の庭には、石炭運搬に使われた蒸気機関車が二台展示されていた。資料館では直方をはじめとする九州各地での石炭掘りの歴史や、その様子が追えるようになっている。軍艦島の模型もあった。
荒井が小さい頃、九州ではまだ石炭が掘られていた。そして炭鉱火災で多くの人命を失うという事件がたびたび起こった。時は流れ、現在九州の炭坑はあらかた閉山してしまった。荒井はどうも、こういう埋もれつつある歴史という奴に弱いらしい。
帰り道、国道沿いのラーメン屋「千成や」で肉みそラーメンの昼食にする。具の肉みそにはさいの目に切った筍やしいたけがたっぷり入っている。麺も九州ではあまり見かけない太麺だった。
二輪車用品店「南海部品」もあったので、ついでにタイヤも取り替えた。旅に出る前一度替えていたが、それから1万3000キロほど走ったため、相当磨り減っていたのだ。これから山形までまだまだ走ることを考えれば、交換できるうちに交換しておくに越したことはない。
さすが二輪車用品専門店、店の方々の対応は、丁寧で確かなものだった。前後輪両方のタイヤとエンジンオイルを取り替え、ついでに阿蘇で応急処置を施したままのチューブも交換してもらう。整備士さんは特大パッチ付きのチューブを手に、「このチューブ、よく直したもんですねぇ。」と呆れつつ感心していた。
「このDJEBEL、出発前によほどよく整備されたようですね。」 整備士さんによれば、この長旅でも荒井のDJEBELは全く根を上げていなかった。旅先では簡単な点検程度で散々に酷使していたので、どこかガタが来ているだろうと思っていただけに、この報告には非常に驚いた。これで安心して山形まで走れそうだ。南海部品黒崎店の皆さん、ありがとうございました!
すっかり調子のよくなったDJEBELを転がし、海沿いの道を走る。北九州市の中心地を離れ門司に近づいた頃、関門海峡の向こうに対岸が見えてきた。
「下関だ! 九州ば一周してきたんだ!」
雨は止み、黄金色の日が差していた。二ヶ月ぶりに本州を見る。長かった。九州に渡ってきたのが5月の中旬。それからかれこれ二ヶ月以上を費やして、九州と沖縄を廻ってきた。そして見覚えのある街角。九州で最初に見た交差点。間違いない。あれから全く別の道を通り、荒井は再び九州の入り口、門司まで戻ってきたのだ。九州一周、ついに達成である。
達成感とともに、ついに九州を後にするという寂しさがこみ上げてきた。まだまだ廻りたかった、もっともっといろいろなものを見ておきたかった。今いる場所を去って新しい地に向かうときは、いつもこうした感慨に襲われる。今ならまだ間に合う、まだまだ廻れるぞ、という思いがちらりと脳裏をかすめる。
しかし自ら進まない限り旅は終わらないし、どこにも行けない。そうなのだ。この旅は日本一周なのだ。九州に別れを告げ、思い切って関門トンネルに飛び込んだ。
関門海峡の対岸には、さっきまで自分が走っていた北九州の海岸が見える。二ヶ月前、壇ノ浦から九州を眺めたことを思い出す。初めて目にした九州。あのときは、その先がどうなっているか全く見当も付かなかった。しかし今や、その先に何があるかを知っている。そればかりか、日本の果てさえ自分の記憶になったのだ。
下関では来るときも利用したグリーンホテルに転がり込んだ。この日はスポーツ少年団の団体客が来るので混むという話だったが、さいわい部屋は残っていた。
近所のローソンでカツ丼と安売りしていた1リットルパックのレモン水を買って夕食にする。部屋に籠もって夕食を片づけ、これから廻る場所を地図で確かめる。山陰、四国、北陸。まだまだ廻るべき場所は多い。この先の道中も手こずることになりそうだ。
長旅を躊躇する理由の一つに、整備や故障時の心配があります。旅先で単車の具合が悪くなったらどうしよう、自分の手に負えない故障だったら果たして旅が続けられるんだろうかなどなど考えて、思い切れない方もいるかもしれません。
荒井も出発前は不安でしたが、いざ旅に出てみると、単車の整備で困ることは一度もありませんでした。日本の国だったら、どこでも単車は走っています。小さな街にも二輪車屋さんはありますので、オイル交換やパンク修理程度だったら、基本的に困ることはありません。県庁所在地程度の都市だったら、相当な整備が可能な店の二、三軒はすぐ見つかります。自分でエンジンの分解・組み直しができることよりも、調子が悪いと思ったらすぐに近場の店で見てもらうようにするほうが、安全に旅をする上ではより大事です。自分の手に負えなかったら、素直に本職の方に任せればいいのです。
もちろん自分で修理や点検ができるに越したことはありませんが、全くできないからといって旅ができないと思うのはもったいないと思います。旅先での故障は病気と同じ事で、気にしすぎると、できることさえできなくなってしまいます。