夜中は激しく雨が降ったり止んだりしていた。朝には止むのを期待していたが、晴れる気配は全然無い。小止みになった頃を見計らってテントを畳み、出発した。
野宿した駐車場には水場がなかった。せめて歯でも磨こうと、蛇口がありそうな場所を探したが、なかなか見つからない。隣町の役場や町営体育館にも行ってみたが全くなかった。「どごまで探しに行ぎゃ見つかんだ?」と走り回った末、町はずれのキャンプ場でようやく一つ、水の出る蛇口を見つけた。
水が得られるだけで、野宿のしやすさは格段に違ってくる。水があれば口はすすげるし顔も洗える。不潔になりやすい野宿旅だからこそ、まめに歯を磨いたり、髭を剃ったり、爪を切ったりと、身だしなみにはいつも以上に気を遣うのだ。
さらに飲める水だったら、心おきなく自炊ができる。炊事だけならいつも持ち歩いている水筒の水で間に合うのだが、食べた後で食器を洗うとなると、大量の水が必要になる。水が得られない場合は、ちり紙で念入りに汚れを拭き取って済ますのだが、ちり紙も貴重な装備なので、水洗いするに越したことはない。レトルト食品を温めた湯を、茶や食器洗いに転用するのは常套手段である。
日本は非常に上水道が発達した国と言われ、実際そのとおりなのだろうが、それでも普段の生活を少し離れるだけで、水は途端に得がたくなる。貧乏旅を続けていると、蛇口をひねるだけで水が出るというのがいかにありがたいことか、身にしみてわかってくる。
県庁に行く前に太宰府天満宮に寄った。平安時代の才人、菅原道真公を祀っていることで有名な神社だ。道真公は幼い頃から学問を好み、長じて出世した。しかしそれを妬んだ者の讒言(ざんげん)によって太宰府にとばされ、この地で生涯を閉じることになった。ところがその後、疫病や落雷によって讒言に関わったものが怪死する事件が起きた。これを道真公の祟り(たたり)と恐れた都人が道真公を神として祀り、太宰府にある道真公の墓所に神社を建てたというのが天満宮の縁起だが、さすが生々しかったのか、神社の由緒書きに祟りの下りは書いていなかった。ともあれ、学問をよくした道真公は、学問の神様として崇敬を集めている。
この日は道真公の誕生日の前日で、神社では夏の大祭が開かれていた。穢れをはらい落とす神事、大祓(おおはらえ)も近く、楼門前には大きな茅の輪が設けられてある。これを右や左からぐるぐるくぐると、半年分の穢れが落ちるとされている。境内では祭りの準備が進められていて、提灯付きの櫓やテントなどが立てられていた。
朝早かったが、拝殿前には受験生とおぼしき生徒がちらほらとしている。受験生相手にお守りが売れるのか、授与所がやたら豪華だった。幅1.5メートルはある広い窓口が横に四つぐらい並んでいて、そのどれにも、色とりどりのお守りやお札がずらりと陳列されてあるのだ。窓口の上には「学業上達」「交通安全」だの、御利益を示した看板が掲げられてある。たまたま、立派な装束を身につけた宮司さんか高位の神職らしき方が窓口に座って授与所の番をしていたので、さらに豪華に見えた。
ここで学業のお守りを一つ買っておいた。学生でなくなって久しい荒井だが、無職の旅人でも、勉強は必要なのだ。
門前街にはみやげ屋が軒を連ねている。名物の梅ヶ枝餅を食べたかったが、まだ早くて、開いている店が一つもない。待っているのもなんなので、福岡に行くことにした。九州県庁巡りと一の宮巡りも大詰めである。
まずは筑前国一の宮、住吉神社に行った。いつものことながら道が分かりづらいばかりか、中央分離帯があったり、通行規制があったりで、都市部は走りづらい。神社は博多駅西口近く、街のど真ん中にあったが、まずはそこまでたどり着くのが一苦労だった。街の中心部にあるにもかかわらず、神社は緑も多く静かである。小さくまとまった境内が印象に残った。
県庁に行こうと走っていると、福岡名所の一つ、キャナルシティ博多前に出てしまった。遊園地の遊具を思わせるこぎれいな建物だったが、別に寄るほどの用事はない。目の前の「ローソン」でアップルパイとオレンジジュースの朝食を済ませ、県庁に向かった。
九州県庁巡りのトリとなる福岡県庁は、中心部からやや離れた場所にある。九州一の大都市に建っているだけあって、これまで見てきた九州の県庁の中では一番大きい。目の前は公園で、日蓮上人の巨大な銅像がひときわ目立つ。駐輪場の場所を守衛さんに訊ねてみると、駐輪場の場所ばかりか、情報センターの場所まで丁寧に教えてくださった。最上階の展望台で日記を書いたり、庁舎を写真に収めているうち昼が近づいたので、食堂に行った。
福岡県庁の食堂は食券式だ。食券を買って、カウンターで料理を受け取るというよくある方式なのだが、定食を出すカウンターには「定食屋」、健康志向の献立を出すカウンターは「自然食」といった具合に名前が付いていて、凝った看板まで付いていた。さすが屋台で知られる福岡県、県庁食堂が屋台村のようになっているのだ。ただの食券式と言ってしまえばそれまでだが、なかなか楽しい趣向である。日替わりはそれぞれのカウンターごとに出しているので、選ぶ楽しみもある。
もちろんここに来たなら食べる物は決まっている。博多名物とんこつラーメンだ。九州の県庁食堂では、ラーメンはどちらかというと目立たない献立なのだが、福岡県庁食堂だけは堂々と品揃えしている。とんこつラーメンと他のラーメンを出すカウンターが別々になっているというのも、さすが本場の博多らしい。とんこつコーナーには「らあめん めんどう風」とかいう名前が付いていた。
九州の県庁食堂は、どの県もその色がよく出ていた。日本一周では全ての県庁を訪れたが、中でも九州の県庁巡りはひときわ印象に残るものになった。
もう一つの筑前国一の宮、筥崎宮に行く。とはいえ県庁のすぐ近くなので、あっという間に着いた。筥崎宮という名前だけではわかりづらいが、実は八幡宮の一つである。
「九州」の名前は、豊前、豊後、日向、大隅、薩摩、肥前、肥後、筑前、筑後の九つの旧国があることにちなんでいる。「おおいたにふくおかにみやざきにくまもと、かごしま、あどはさがとながさき。ぜんぶで七つしかねえなさ、なして『きゅうしゅう』っていうんだ?」と、子供の頃、九というのに県が七つしかないのを不思議に思ったことがある。あれから20年。今や琉球と壱岐・対馬も含めて、すでに八つの県と十二の旧国を廻ってきた。筥崎宮はその締めだ。
門にでかでかと掲げられた「敵国降伏」の縣額がひときわ目立つ。源氏が鶴岡八幡宮を崇敬したように、八幡宮は武門の神社でもある。この縣額の文字は元寇の際、時の上皇が元軍の敗北を祈願して、神社に奉納したものであるという。
境内に足を踏み入れると、途端に雨が強くなった。参拝をそこそこに済ませ、授与所の軒先で雨宿りをする。境内では何かの神事の撮影か、テレビ局の撮影班が、とりどりの機材を広げて準備を進めていた。かたわらでは束帯で正装した神職の方が待機している。この雨で撮影ははかどっていないらしい。撮影班が差した傘に入って、神職の方が社殿に向かって歩いていく。雨の中、束帯で出歩くのはいかにも大変そうだった。聞き耳を立てると神社の方が、「夏祭りも近いのに、この雨では盛り上がらないなぁ。」とこぼしていた。
これで九州で訪れるべき場所はあらかた訪れた。福岡の市街地を離れ、海沿いに走り出す。
福岡市の見納めに志賀島を一周した。志賀島は古代、漢が邪馬台国に授けたという「漢委奴国王」の金印が見つかった小島だ。本土とは砂州でつながっていて、陸伝いに行けるようになっている。途中には海水浴場もあったが、この天気で開店休業状態だった。ホットドッグの屋台がいくつか店開きしていたが、やっぱり客はまばらだった。
金印が見つかった場所は公園になっている。一応行ってみたが、どういうわけか、ここにもテレビ局の撮影班がいた。今度はサスペンスドラマの撮影らしい。邪魔にならないよう、ざっと見てすぐに引き上げた。
志賀島を出てしばらく走っているうち、梅ヶ枝餅が気になって、また太宰府に行った。
今度は門前街も開いている。適当な店で梅ヶ枝餅を一個買って食べた。梅ヶ枝餅とはあんこを挟んだ焼き餅だ。道真公は梅の花が好きだったようで、梅は太宰府天満宮の紋にもなっている。梅が学問を好む花だということは、偕楽園で知っている。道真公が梅の花を好んだのは、やっぱり何か縁があるのだろう。
境内では夏祭りがぼちぼち始まっていたが、ここもあまり盛り上がっていなかった。天気のせいか人出が少ない。模擬店ではフライドポテトや唐揚げこそ売っていたが、焼きそばやたこ焼きといった、いかにもお祭り気分を誘うようなものは売られていなかった。けっこう暗くなるまで会場にいたが、見に来た人は「あまり盛り上がってないなぁ。」と言っている。つくづく恨めしいのはこの天気である。本当にいつになったら梅雨から逃れられるのだろう。
古賀市の「バーミヤン」で回鍋肉とライスの夕食にする。遅くなるのを待って、目星を付けておいた野宿場所に行った。太宰府から戻る途中、よさげな農協の施設を見つけていたのだ。案の定、屋根はあるし目立たないしと申し分ない。もちろん水道の蛇口もあった。
長かった九州・沖縄巡りも終わりに近づいた。明日はついに九州を出る。