- No 1:お名前、性別、年齢など、可能な範囲でプロフィールをどうぞ。
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本名荒井。男。山形生まれの山形育ち。いい歳。
- No 2:日本一周の手段、期間、距離、費用、ルートをどうぞ。
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単車(スズキDJEBEL200)。2002年より足かけ2年。正味9ヶ月。走行距離約4万8800キロ。
費用はもろもろ込みで300万円ほど用意。
経路は全都道府県と全旧国、日本の東西南北端を踏破しながら、国土をおおむね海岸線沿いに一周するというもの。
- No 3:日本一周をしようと思った動機は?
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自分が若いと思えるうちに、自分の目で自分の住む国がどういう場所か確かめたいと思ったのが表の理由。
日本人として日本のことを知らないのが非常に癪に障るからというのが裏の理由。
- No 4:日本一周に出る時、恋人、または配偶者はいましたか?
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いません。もっとも、いることが旅をあきらめる理由にはならないと思います。
- No 5:家族や周りの反対はなかったか? あった場合、どうやって説得しましたか?
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積極的に賛成もされませんでしたが、猛烈な反対もされませんでした。
理屈よりも行動で示すことが第一だと思います。
- No 6:日本一周に出るにあたって、どんな準備をしましたか?
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大きく三つ。お金を貯める。旅のやり方を学ぶ。単車の免許を取る。
- No 7:日本一周に出るにあたって会社や学校を辞めましたか?
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4年ほど勤めた会社を辞めました。
- No 8:日本一周の費用はどうやって貯めましたか?
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件の会社で地道に働いて貯めました。自分で稼いだお金で行くと、自由感が段違いです。
「宝くじで一等当たったら」なんて言ってるうちは、日本一周なんかできませんよ!
- No 9:非常用の食料・飲料持っていましたか?持っていたなら何を?
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用意しませんでした。人跡稀な僻地に行くのでなければ、食料はどこでも容易に入手できるので。
逆に人跡稀な僻地に行くのであれば、それなりに用意します。
- No10:あなたの日本一周のこだわりとは何ですか?
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全都道府県庁を廻ってその食堂を利用すること。全ての旧国を廻ること。
最東西南北端を踏むこと。できるだけ海沿いに国土を一周すること。
- No11:「今日、泊まっていく?」と地元の方から声を掛けられました。あなたならどうしますか?
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時と場合による。実際声を掛けられたものの、様子を見て断ったことがあります。
- No12:日本一周に出る前に「必ず食べたい!」と思っていた名物はありますか? 実際に食べましたか?
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エスカロップ・ニテコサイダー・福田パン・マックスコーヒー・
おぎのやの釜めし・峠の茶屋の餅・英君酒造の日本酒・みそカツ・
沖縄そば・オリオンビール・しろくま・トルコライス・赤福氷・ますずし。
これらは全部口にしました。叶わなかった分はまたのお楽しみ。
- No13:自炊した? しなかった? その理由は?
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しました。食費を安く上げたいという理由と、面白いからという理由ゆえ。
- No14:得意なキャンプ料理はありますか? あれば披露して下さい。
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人様に披露できるほどの腕前じゃありません。前職スーパーの惣菜担当なのに。
- No15:資金はどうやって管理していましたか?(銀行に預けておくとか全て現金とか)
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元手は郵便貯金にしておいて、必要に応じて各地でおろしてました。
持ち歩く現金は1万円(2〜3日分の旅費)が目安。
あればあるだけ使ってしまうので、余分なお金は持ち歩かないことにしてました。
- No16:写真は撮りましたか? どんなカメラを使いましたか?
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1500枚ぐらい撮りました。使ったのはコンパクトカメラとコンパクトデジカメ。
二台持っていったのは、どちらかが壊れても撮影できるようにとの配慮から。
コンパクトカメラはAPSだったので、フィルムが若干入手しづらいでした。
今なら機械式一眼レフとお気に入りのコンパクトをいくつか持ってくでしょう。
フィルムカメラが好きなので、デジカメはコンパクト以外持ってくつもりなし。
それと撮り終わったフィルムは、まめに現像に出すことをおすすめしときます。
- No17:日本一周中、病気になったり、怪我をしたりしなかったか?
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沖永良部島に渡ったとき、風邪をひきました。完治するまで1週間以上。
他にも少し熱が出たり、転んですりむいたりといったことはありましたが、
さいわいにして、旅が続けられなくなるようなものではありませんでした。
- No18:どんな地図を使いましたか? またナビゲーションシステムについてどう思う?
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昭文社「ツーリングマップル」2002年度版。
なんだかんだでツーリング用の地図としては一番使いやすいので。
カーナビはいろいろ遊べると思いますが、電子機器に頼って感覚が鈍るのが嫌なので、自分は使いません。
- No19:途中で止めようと考えた事はあるか? あるならその理由。
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一切なし。途中で止めたら旅に出た意味がなくなるというか、
投げ出したら自分が自分でなくなってしまうと思ってました。
- No20:一番楽しかった事、悲しかった事、嬉しかった事、困った事、笑った事、泣いた事をどうぞ。
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楽しかったこと・各地を自分の目で実際に見て回れること。
悲しかったこと・各地で活気を失った街を見たこと。
嬉しかったこと・全都道府県庁食堂巡りを達成したこと。
困ったこと・壱岐で男に襲われかけたこと。
笑ったこと・同上。危険に直面しつつも「こりゃ恰好のネタになるよな?」と思ったのは秘密。
泣いたこと・八重山を離れて沖縄に戻ったこと。島を離れるときは寂しくなるものです。
- No21:一番美味しかった物、印象に残った所をどうぞ。
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旨かったものは数あれど、思い入れが深いのは鹿児島のしろくま。
食べようと思えば地元山形でも食べられたのですが、
本場の味を食べたいと鹿児島に行くまで我慢していたので、
初めて口にしたときの感慨はひとしおでした。
県庁食堂なら地元山形県庁食堂の冷やしラーメン。
これを食べなければ県庁食堂巡りはやらなかっただろうので。
印象に残った場所は数えきれませんが、特にさまざまな離島の光景が忘れられません。
- No22:日記や記録は書いてましたか?
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日記と走行記録を付けてました。帰った後に日本一周記まで書いてます。
今だったらブログにでもするのでしょうが、自分はそんなにまめでないので...
- No23:日本一周中に仕事したりとかの収入はありましたか?
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なし。とにかく先が見たかったので、一箇所に留まることは少なかったのでした。
- No24:どんな服装が多かったですか?
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山シャツ・山ズボン。衣類は山登り装備で固めてます。
あとは合羽。イヤなのに(泣)。
- No25:寝床はどんな所が多かったですか?
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テントで野宿。農協の集荷場にこっそり張ることが多かったです。
- No26:雨の日の過ごし方を教えて下さい。
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合羽を着てひたすら走る。嫌になったら屋根の下で寝る。
今思えば、雨の日に移動する必要もなかったんでないかという気もします。
- No27:盗難や悪戯に対してどんな対策を取りましたか?
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貴重品は常に身につける。装備はなるべく分散する。
温泉などではロッカーを利用したり、貴重品をフロントに預かってもらったりしました。
そして何より、人目を避けること。
- No28:日本一周で出会った中で、最も印象に残った人は誰ですか?
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オートハウスの面々、野上さんご夫妻、時澤さん一家、旅野さん、英君酒造先代社長と現社長、
秋野さん、松尾さん、三浦さん、EAT730の小林さん、じゃけんさん、やる気の水野さん、吉田さん等々、
印象に残った方は数あれど、あえて一人挙げれば青森港で出会った小島広さん。
自分が一番最初に出会った「旅人」で、「旅」という生き方があることを知りました。
- No29:日本一周の出会いの中で、一番影響を受けた事は何ですか?
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流れの外に身を置いて、はじめて見えることもある。
無理に急いだり、時流に迎合して生きる必要はないと悟ったことでしょうかね。
- No30:もし旅を継続できなくなるほどの災難に見舞われたとします。再挑戦したと思いますか?
-
時間はかかったとしても、何かの形で必ず再挑戦したと思います。
やっぱり途中で投げ出したら、旅に出た甲斐がないので。
- No31:「ここは必ず行っておけ!」という場所は?
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日本人として、広島平和記念公園、長崎平和公園、沖縄平和祈念公園と慰霊塔群。
できれば加えて大久野島、知覧・大津島、忘勿石。
それとエルトゥールル号遭難慰霊碑、奥多摩水源涵養林。
そして日本の東西南北端、四つ全部が難しいならどれかひとつでも。
日本を廻るなら、最低限、知ってほしいことがそこにありますので。
- No32:風呂はどうしてましたか?
また、正直に答えて下さい。(笑) 日本一周中、風呂に入らなかった最高日数は?
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各地の立ち寄り湯を利用しました。
風呂に入らなかったのは沖縄で一月近く。
もっとも、風呂に入らないかわりシャワーを浴びてました。
賀曽利隆さんの影響を受けた割に、湯巡りはしてません。
- No33:失業手当をもらいながらの旅をどう思う?
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旅が終わったときの「保険」として、もらえるものはもらってよいと思いますが、
それを旅の資金に回すのはどうかと思います。
- No34:警察の職質を受けた事はありますか? どう答えてましたか?
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何度か。さすがに大型ザックを背負って野宿をしていると、あやしい人物と思われてしまうようで。
訊かれたら「日本一周の最中です。」と正直に答えてました。
よほど変わったことでもしない限り、身元照会だけで放免してくれると思います。
職質よりも速度違反の取り締まりの方が厄介でした。
- No35:新聞・雑誌・ラジオ・テレビ等の取材を受けた事はあるか?あるなら自分から売り込んだのか?
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なし。一回「新聞記事にしてもらおう!」と誘われたことはありましたが、お断りしました。
旅に出て気付いたのですが、日本一周している方は自分以外にも沢山いらっしゃいます。
特別な旅ではありますが、特殊なことではないのです。
- No36:日本一周に必要なものは何だと思いますか?
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相応の貯え。ほんの少しの勇気。状況を見極められるだけの冷静さ。そして何より尽きない情熱。
- No37:一番便利だった道具。これから旅立つ人にお勧めしたい道具は?
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防水コンテナと丈の長い長靴。雨の中走ることが多かったので非常に助けられました。
おすすめしたいのは山岳用エアマット。よく寝られるので奮発して損はなし。
- No38:反対に、持って行ったけど、ほとんど使わなかった道具、役に立たなかった道具は?
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パンク修理セット。買ってからチューブタイヤのパンク修理技術がないことに気が付いたという始末。
それと暇つぶし用の本。日記を書いたり地図を見たりするので、本なしでも退屈しませんでした。
- No39:日本は広かったか? それとも狭かったか?
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広くて狭い。一言で言えば「深い」。
- No40:ゴール時の心境はどうでしたか? 熱く語って下さい。
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不思議なほど感慨がなくて、「これで旅が終わるんだべが? どうもそんな気がしない。」というのが正直な感想。
例えるなら「グラディウス」で脳味噌倒して、そのまま淡々と二周目をやってるような感じ。
戻ってから数年が経った今もなお、旅は終わっていないような気がします。カンストはいつのことやら。
- No41:リアルタイムの旅日記についての意見。(やった人もやらなかった人も)
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楽しんでやっているうちはよいとして、レポートすることが目的になってしまっては本末転倒、
いつも旅を楽しむ気持ちを忘れずに。
- No42:日本一周後、すぐに心も仕事も社会復帰出来たか? また日本一周を終えて変わった事は?
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3ヶ月ほどかかりました。
前職と同等以上の所得水準に戻るという意味では復帰したとは言えないかも。
変わったのは、軟弱青年が日本一周したおじちゃんになったこと。
「行ってきた!」と自信を持って言えるようになったことが、何より大きな変化です。
地元山形の文化や歴史に興味を持つようになったのも変化かも。
それと以前より急がなくなりました。
- No43:もう一度日本一周をしたいと思うか? 外国も旅してみたい? また、世界一周も考えたか?
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一周と言わず何度でも。望むところだ!
とりあえず今は地元山形探索に夢中なので世界一周はその後にでも考えます。
- No44:あなたが思う日本一周の定義とは?
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自分の力で日本全域を廻ること。
なんであれ「自分の力で成し遂げること」。ここが重要。
- No45:これから日本一周を目指している方にアドバイスをお願いします。
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やってみたいと憧れるのなら、まずは憧れを決意に変えること。そして実現に向けて努力を惜しまないこと。
お金がなければ稼ぐ、時間がなければ時間を作る、力不足なら力量を身につける、知識がなければ勉強する...
何もしなければ何一つとして叶いはしません。
実際にやるのなら、常に余裕を保つこと。後先顧みない突進は無謀です。
- No46:あなたの人生において日本一周とは?
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出発地点に立つための助走。
自分の人生の基礎固めに必要な過程でした。
- No47:最後に、日本一周をして良かったと思いますか? しなければ良かったと思いますか?
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あたぼうよ! やったことに悔いはありません。
「行ってきて良がったぜ!」と言うために行ってきたのですから。
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出典:「日本一周みんな集まれ!」
質問作成:kazu氏