夏の終わりと雪中行軍

深浦町再び

 かけ唄大会が終わったのを見届け出発する。国道13号線で秋田市に出て、国道7号線に乗り換え北に向かう。空はどんよりと暗く、気が付けばひどい雨降りになっていた。八郎潟の南東、飯田川町(現潟上市)の道の駅しょうわの休憩室に転がり込むと、自転車乗りの旅人が、愛車と一緒に雨宿りをしていた。彼は一晩ここに泊まっていたのだが、この雨に辟易して、雑事をしながら止むのを待っていた。「せっかく東北に来たけど、これじゃ風景も楽しめなくてね。」と苦笑していた。

 八竜町(現三種町)で海沿いに出てからも、雨はいっこうに止む気配がない。能代市に出たところで、また雨宿りがてら、道ばたの大型家電量販店に飛び込み、インターネット無料体験コーナーで時間をつぶす。その甲斐あってか、しばらくすると雨が若干和らいでいた。今度は国道101号線で青森県を目指した。
 県境に近い八森町(現八峰町)の道の駅はちもりに寄り、敷地内に湧き出す「お殿水」(おとのみず)を飲んで一息つく。お殿水は両県の県境、白神山地から湧き出る銘水だ。白神山地は世界有数規模のブナ原生林で、ユネスコの世界遺産にも指定されている。
 県境を越えたところで、白神山地の西にある湖沼群、十二湖をさらっと見物した。この雨のせいか、どの湖面もどんよりとした緑色を浮かべ、流れ込む渓流はやたら勢いがよかった。十二湖からの帰り道では日本キャニオンが見えた。
 ところでこの日本キャニオン、旅人の間では「たいしたことがない」「期待はずれ」と散々な評判である。グランドキャニオンのような名前なのに、見た目はただの灰色のはげ山にすぎず、名前負けしているのかと思われる。

 温泉にでも入っていこうと、この前訪れた深浦町の黄金崎不老ふ死温泉に寄ってみた。ところが折り悪く臨時休業だった。温泉の一軒宿の会長が急逝されたそうで、今日は葬式だったのだ。なるほど、宿のまわりには、返礼品の砂糖の包みなど手にした喪服の従業員の姿が目立つ。たまたま一緒になった中年の単車乗りの方は「えらいところに来たみたいだなぁ。」と呆気にとられていた。
 これでは風呂どころではない。同じ町内にある日帰り湯「ゆとり」に行き先を変えた。こちらはまるきりの立ち寄り湯で、不老ふ死温泉のような野趣や情緒は全くないが、人も少なくなかなかの穴場である。風呂から上がったところで、ロビーの長いすに横になって小一時間寝た。昨晩はかけ唄大会の会場でうたた寝した程度で、十分寝ていなかったのだ。いい迷惑だったろうが、受付の人は嫌な顔一つせず「お疲れだったんでしょう。」と優しい言葉までかけてくれた。

 雨が上がったので、町内の八森山キャンプ場に泊まることにした。海が見下ろせる立地で、眺めのいいところにテントを張った。
 さきほど不老ふ死温泉で会った単車乗りさんもここに来ていたが、彼は財布をなくしていた。ところがあまり困ってる風でもなかったので訊いてみると「途方に暮れてばかりじゃ仕方ないからね。こういうときは開き直ることにしてるんだ。」と仰るのだった。さすが年の功である。
 夕食を済ませ、後片付けに水場に行くと、同じく利用客のおばさんから「このキャンプ場にはうさぎが住み着いてるのよ。」と教えてもらった。白地にパンダのような黒いぶちが入った丸っこいうさぎで、呼んでみたら近づいてきたそうだ。「元々飼われていたのが置き去りにされたのかしら。」と推測していた。
 テントに戻る際、そのパンダうさぎと遭遇した。目のあたりがパンダのように黒くなっている。荒井も呼んでみたが、男は嫌いだったのか、さっぱり近寄ってこなかった。

年甲斐のないジュヴナイル

出来島海岸埋没林
出来島海岸埋没林。自然環境の激変で埋もれてしまった林で、太古の植生を探る貴重な手がかり。

 テントを片付けていると、隣のテントの熟年夫婦がコーヒーをすすめてくれた。昨日うさぎのことを教えてくれたおばさんはここのテントの人だった。コーヒーをいただきながらお話をした。
 ご夫婦は野上さんという。野上さんご夫妻は、お二人とも数年前に会社を定年退職し、現在は四駆車に野宿道具一式を積み、大好きな山登りをしながら日本中を旅して廻っているのだそうだ。「日本百名山(注1)も全部登ってきたんですよ。」と仰るのだから相当なもので、それだけでは飽きたらず、今度はさらに多くの山に登ろうと挑戦中だ。「今回は白神山地の白神山に登りに来たんですけど、ここしばらく雨続きでね。キャンプしながら天気待ちしてるんですよ。」
 荒井も山登りには少なからず関心がある(実際旅道具は山道具で固めてるし)。「自分もやってみたいんですけどね。」と言うと、「それはいい! 若いうちにどんどんおやんなさい。」と勧められた。曰く「山登りに限らず、35歳までは何かにがむしゃらに打ち込んで、人生の基礎を作っておいた方がいいですよ。」と。この言葉は今でも強く印象に残っている。
 ご夫妻とすっかり話し込み、気が付けば九時になっていた。コーヒーばかりかカップスープまでいただいてしまい、礼を述べてから出発した。

 隣町、鰺ヶ沢町の中心部にある「城の下の井戸」で一息つく。鰺ヶ沢は江差や宿根木同様、北前船の寄港地として栄えた町で、この井戸も津軽藩が掘ったという歴史あるものだ。海に近いのに、不思議なことに真水が湧き出すので、船乗りたちには重宝したそうな。実はこの井戸、水道の普及にともない永らく封印されていたのだが、町興しのため近年きれいに整備した上で、復活させられたのだそうだ。水を汲みに来ていたおばちゃんは「いい水汲めますよ。」と仰っていた。
 市街地を抜けた海沿いには、焼きイカの出店が建ち並んでいる。このあたりで採れたイカを一夜干しにして、その場で炭火焼きにして食べさせるのだ。イカの季節も終わりに近い。適当な店で食べていくことにした。このイカは1杯250円ほど(注2)だ。佐渡の焼きイカは1杯約450円だが、鰺ヶ沢だったらもうちょっとお金を足せば2杯食べられる。イカは醤油をつけながら焼いているが、マヨネーズも添えられ、好みでつけながら食べる。非常に安いがこれがとんでもなく旨い。おすすめだ。

 鰺ヶ沢から海沿いの農道で北上する途中、野上ご夫妻が教えてくれた、出来島海岸の埋没林を見物した。出来島では約2万5千年前の氷期にあった洪水により、海岸の松林が根っこごと氷に閉じこめられ、土になることもなく現在に残っている。貴重な歴史遺産なのだが、別に囲いがあるわけでもなく、見学者は埋没した木に近寄って、穴が空くほど観察もできれば、その手で直に触れることさえできる。昔など、地元の人が泥炭化した木を盛んに掘り出しては燃料にしていたが、目に悪かったらしく、トラコーマ(注3)を患う方も多かったとか。
 次に寄ったのは十三湖だ。汽水湖(注4)でシジミ漁が盛んである。湖畔の道の駅「十三湖高原」に立ち寄ると、たまたま年に一度の誕生祭で、駐車場に車が収まりきらず、周辺の道路にまで車が溢れていた。同じく満員大入りのレストランになんとか滑り込み、おすすめシジミラーメンを注文する。チャーシュー替わり、シジミがどっさり殻ごと入った塩ラーメンだ。殻付きコーンラーメンとでも言えばいいのか、ほじくって食べるのに苦労した。

竜飛崎
眺瞰台から竜飛崎を望む。晴れていればこんな風景が見られる。

 権現崎にちょっと寄ってから竜飛崎に向かう。今日は天気も良くまだ日も高い。この前何も見えなかった展望台からは、岬の周辺はもちろん、対岸の北海道さえ見えた。あのあたりが白神岬、福島町、函館山と見定めていると、この前はあっちからこっちを見ていたのだという感慨と、「まだ北海道さ行ぎだい!」という感情が湧いてくる。
 竜飛崎は観光客も多く、賑やかだった。岬の売店ももちろん営業中で、店のおばちゃんにすすめられるがまま、串餅を買って食べる。続いて岬にある青函トンネル記念館を見学した。JR海峡線こと青函トンネルは竜飛崎の地下を通っている。ここではその工事に使われた作業坑道を実際に見学できるのだ。中ではガイドさんの後について、坑道を歩きつつ、実際の工事に使われた機材を見ながら、トンネルについての解説を聞くことになる。
 青函トンネル工事は、竜飛崎のある三厩村(みんまやむら・現外ヶ浜町)に活況をもたらした。ところが工事終了にともない、その経済効果はなくなり、平成ともなると、村は極度の財政難にあえぐことになった。JRでは維持費も相当にかさんでいるらしい。夢の海底トンネルも、厳しい現実を目前にしているようだった。

青函トンネル体験坑道
海面下140メートルにある体験坑道。地上からケーブルカーで6分ほどかかる。

 この前は三厩村の隣、今別町から内陸に入って青森市に向かっていた。今回は内陸に入らず津軽半島の景勝地、高野崎に向かう。ここにはキャンプ場があり、先客も何人かいた。今日はここに泊まることに決め、町の中心部に買い出しに出かけた。そこでたまたま、寝る場所を探しているという単車旅の方と会い、彼といっしょに高野崎に戻ることとなった。
 その日キャンプ場に泊まったのは、単車乗り四人に自転車乗り一人。いつの間にかすっかりうち解け、めいめいに作った夕食をいっしょに食べながら酒盛りをし、旅の話で盛り上がった。
 今年の夏は、北海道も一周した。ねぶたにも行ってきた。夏コミも見てきた。佐渡にも渡った。そしてここでも、たまたま巡り会った旅人どうし酒盛りなんかやっている。この夏は、これまでで最も夏休みらしい夏となった。
 見ず知らずどうしでも、たまたま同じキャンプ場に居合わせたというだけで、すぐに仲良くなれた。昔憧れたジュヴナイル(注5)のようなことが、夏休みとは縁のないこの歳になってからもあるものなんだな、と思った。

津軽富士

高野崎の面々
高野崎にて。天地がひっくり返ろうとも、この面々が再び集うことは、もう二度とない。

 朝から記念撮影大会となった。見晴らしのいい場所を探し、全員でとっかえひっかえ、この面子の姿をカメラに収めた。撤収後、名残惜しみつつ、一晩限りの面子はそれぞれの目的地に向かって散っていった。荒井は青森市に出たところで西へ行き、岩木山を回り込んで、十和田湖に向かうことにした。
 海沿いに青森市に向かっていると、先ほど別れたばかりの一人に追いついた。途中まで一緒だからと、彼の誘いで青森まで一緒に走ることになった。荒井のDJEBELで彼のヤマハの大型車を先導する形になったので、走るのにちょっと気を遣う。青森市のフェリーターミナルに着いたところで解散だ。彼は「これから市内でみやげを見繕ってから、下北半島でウニむすびを食べますよ!」と、東に向けて出発していった。彼を見送ってから、荒井も改めて出発である。

 九時を過ぎていたが、朝食がまだだった。青森県庁の売店でカツサンドと牛乳を買い、休憩室で新聞を読みながら食べた。それから五所川原市経由で、北海道行きの途中訪れた森田村に行く。久々に道の駅「アーストップ」に寄って売店を覗いてみると「コセキサイダー」なるご当地サイダーが置いてあったので買って飲んだ。炭酸は強めだが、甘みも強いのか、まろやかな味だった。
 ちなみに森田村と北海道で立ち寄った白老町は、姉妹都市関係にあった。道の駅の売店には、白老町の物産もいくつか置いてあった。

 道の駅のすぐそばから県道に入り、岩木山を目指す。岩木山は半径5キロほどの成層火山(注6)で、その秀麗な山容から「津軽富士」と呼ばれている。山を一周する道路に出たところで、西麓から山の南に回り込む。西麓の道は、狭く曲がりくねったまるきりの峠道だが、南麓に出るとだいぶん整備されたものになった。沿線には「嶽きみ」こと、とうもろこしの直売所も目立ち、賑やかになってくる。

岩木山神社
岩木山神社参道。正面にはご神体岩木山の山頂が覗いている。

 岩木山の南には、津軽一の宮岩木山神社がある。創建は坂上田村麻呂の蝦夷征伐にまでさかのぼるのだが、一の宮としての歴史は比較的新しいため、他の一の宮と区別して「新一の宮」と呼ばれている。それというのも、一の宮が制定された平安時代当初、東北地方はまだ蝦夷(えみし)が勢力を誇っており、律令制度が及ばず、数々の一の宮を制定するまでに至らなかったのだ。神社の創建は律令制度の浸透とも関係がある。東北地方の古い一の宮は、朝廷支配の及んだ南東北にしかない。
 とはいえ岩木山神社は大きな神社で、拝殿に至る門など、極彩色で壮麗なものである。手水舎は山の水でも引いているのか、樋から水がやたら勢いよく流れ出していて、その水を掬う柄杓がこれまた業務用のおたまのようにでかかった。「さすが津軽一の宮だな。」と妙に感心した。

 岩木町(現弘前市)役場のロビーで昼寝してから、弘前経由で十和田湖に向かう。湖までは、まるきり山に向かって進むことになる。緑や渓流を縫うような道が続き、湖面がなかなか見えてこないので、本当に湖に向かって進んでいるのか不安になる。それというのも当たり前、十和田湖は火口にできたカルデラ湖なので、湖面を見るためには外輪山を登らなければいけないのだ。
 湖の北西、滝ノ沢峠に出たあたりで、ようやく湖面らしいものが見えた。名前は何度も聞いていたが、これが初めて見る十和田湖だった。湖の周囲は深い森に覆われ、道からはなかなか湖面も見えず、ひっそりとしている。もう夕方だったので、湖畔のキャンプ場にテントを張ることにした。
 湖の南、中山半島の根元にある十和田の集落まで、夕食の買い出しに行った。あたりは観光ホテルやみやげ屋ばかりで、食料品店がほとんどない。何とか探し出した店で食材を買ったついで、この辺の住人はいったいどうやって生活用品を仕入れてるんだろうと不思議に思い、店のおばさんに尋ねてみると「一日一回、巡回商店が移動販売に来るからそれで済むんですよ。」と教えてくれた。不便そうだが、慣れてしまえば特に困ることもないそうだ。
 十和田湖は観光地のはずなのだが、あまり浮ついた気配がない。これというのも、静かで豊かな森が残っているおかげなのだろうか。詳しい探索は翌日にして、夕食後はテントでおとなしく過ごした。


脚註

注1・「日本百名山」:日本を代表する百座の山のこと。作家深田久弥(ふかだきゅうや)が同名の著書で制定。95年NHK教育のテレビ番組「中高年のための登山学」で中高年登山ブームが起こると、登山の対象として、にわかに脚光を浴びることとなった。ちなみにこの百名山、山家の間では賛否両論。

注2・「イカが1杯」:イカの数え方は「杯」(はい)。体長15メートルのダイオウイカも、1杯2杯なんでしょうかね。

注3・「トラコーマ」:目の病気。別名トラホーム。クラミジアが目に入り込み、重度の結膜炎を引き起こす。出来島の場合、泥炭が問題なのではなく、泥炭堀りの衛生環境に問題があったのでないかと思われる。

注4・「汽水湖」:海水と淡水が混じる湖のこと。日本ではここ以外にも静岡県の浜名湖、鳥取県の宍道湖などが有名。

注5・「ジュヴナイル」:少年少女向けの物語。または少年少女が日常を離れた冒険をする物語。具体的にはスティーヴン=キングの「スタンド・バイ・ミー」とか、筒井康隆の「時を駆ける少女」とか、那須正幹(なすまさもと)の「ズッコケ三人組」シリーズとか。

注6・「成層火山」:円錐型に広がった火山。別名コニーデ型火山。火口を中心に流れ出した粘度の低い溶岩や火砕流が、周囲に堆積して作られるため、裾野がなだらかに広がる秀麗な山容となる。岩木山以外では富士山や鳥海山、岩手山、羊蹄山などがこの仲間。

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