下北を後にする

恐山近辺の様子
恐山付近の白く変わった沢。近づくだけで亜硫酸ガスのにおいが鼻を突く。

 薬研の野営場は居心地が良く、もっといたいところだったが、そろそろ用事で山形に戻らねばならない。数日張りっぱなしだったテントを片づけ、管理人のおばさんに礼を述べてから出発した。

 来たときと同じ道を戻り恐山に出た。恐山は「イタコの口寄せ」で有名な、日本有数の霊山だ。せっかくだからと見物していくことにした。
 恐山は宇曽利湖(うそりこ)というカルデラ湖のそばにある。一帯は草も生えない白い丘が目立ち、やたら青く澄んだ宇曽利湖と不思議な対象をなしている。あたりの荒涼とした風景に、先人があの世の姿を重ね合わせただろうことは容易に想像できた。
 白い丘の至る所には三途の川のような石積みや崩れかけた石仏が建っており、硬貨や水子供養の風車など供えられている。硬貨を見ると、どれも真っ青に変色していた。あたりは硫黄のにおいが立ちこめている。丘には指の先ほどの穴が空いており、熱いガスが吹き出ていた。
 実は恐山は温泉地で、亜硫酸ガスとともに温泉がわき出ている。硬貨を変色させ、草一つない恐山の風景を作ったのはこのガスなのだろう。山門内にはいくつか素朴な湯船が作られており、参拝者は無料で入浴できる。荒井も入っていくつもりだったが、長いこと亜硫酸ガスの中をさまよっていたので気分が悪くなり、退散してしまった。

 六ヶ所村経由で海沿いに出て、三沢市に向かった。市の公会堂には前年できたばかりの「月光仮面の碑」があった。原作者の川内康範氏が長年三沢市に住んでいるそうで、米国同時多発テロ事件を契機に世界平和を願って建てられた。三沢は米軍基地の町でもある。市内では見慣れぬナンバーを付けた米軍関係者の車をよく見かけた。米国と縁の深い町に、戦争を戒める石碑が建っているのはどこか風刺的だ。

「憎むな・殺すな・赦しましょう」
地球を抱き平和を訴える月光仮面の碑。原作者川内氏は菩薩をモチーフに月光仮面を生み出したそうな。

 三沢市は古牧温泉などを抱える温泉地でもある。この前時澤さんからいただいた温泉無料入浴券が、その古牧温泉で使えるので寄っていくことにした。
 古牧温泉は巨大な温泉ホテルで、運営会社の社長は渋沢栄一(注1)や岡本太郎(注2)といった各界の名士ともゆかりがあるそうだ。建物のそばには渋沢栄一の邸宅を移設した公園や、岡本太郎の手になる鐘などあったりする。巨大すぎて温泉情緒を求める人には受けがよくなさそうだが、行き届いたサービスで安心して利用できるという評判で、観光業者おすすめらしい。なるほど、薄汚れた旅装備の上タダ券で利用している荒井に対しても、従業員の方々は誰もいやな顔一つしていなかった。
 温泉は文字通り、大浴場で多くの人が利用していた。岡本太郎の手になる河童の像が建つ露天風呂もある。設備は非常に整って利用しやすかったが、建物も巨大なら温泉も巨大で圧倒されっぱなし、何となく落ち着かなかった。

 三沢市から海沿いに南下し、南部地方の中心都市、八戸市(はちのへし)を経由する。青森県は旧国では同じ陸奥の国になるのだが、実際は青森市や弘前市を含む一帯の津軽、八戸一帯の南部に分かれており、古くから双方対抗心を燃やしているらしい。大学にいた頃、同級生に八戸出身の女の子がいて、たびたびお国自慢をしていたのを思い出す。
 県と旧国に注目しながら旅をしてみると、昔ながらの区分がいまだ根強く残っていることがよくわかる。地方の大都市が旧国の中心として栄えた町であることも多い。八戸と青森はその好例の一つだ。
 八戸市は思っていた以上の大都市で、海沿いの工業地帯や交通量の多い幹線道路、どこまでも広がる町並みなど、ぱっと見は青森市よりも大きいような気がする。都市部と古い住宅地を抜け、霧だらけの海沿いに出ると今度は水産加工場が目立ってきた。八戸は大きな漁港としても有名だ。さっきの八戸の同級生が「八戸のイクラ丼は最高だよ!」と荒井に力説していたことが思い出される。彼女に敬意を表して八戸探索としゃれ込みたいところだったが、先を急ぐため今回は全くの素通りである。

 いつしか鄙びた海岸道にさしかかっていた。このあたりは種差海岸(たねさしかいがん)と呼ばれる景勝地なのだが、霧がひどくて、海に目をやっても激しく打ち寄せる波以外は何にも見えない(この日の日記の天気には一言「霧」と書いてありました)。
 かくして県境を越え、青森県から岩手県へとやってきた。霧もひどくなってきたので、三陸海岸北の端、種市町(たねいちちょう・現洋野町)から内陸に向かう。次の旅はここから再び海沿いに出て、三陸海岸を南下していくことになる。
 ノノウケ峠という変わった名前の峠を経由して、軽米町(かるまいまち)に出る。町の小さなスーパーで夕食の買い出しを済ませる。街の商工会が開いている「街の駅」なる建物に寄ると、受付にいた男の方に、「どちらから来ました?」と尋ねられた。日本一周中で「今日は海の方から来ましたが、霧がひどいですねぇ。」と答えると、「このあたりは『やませ』(注3)のおかげで、霧が濃い日が多いんですよ。」と教えてくれた。「やませ」なんて小学校の社会科で聞いたきりだった。

 この日は町内の「えぞと大自然のロマンの森」にテントを張った。土曜日だったが8月も終わりだったせいか、荒井の他利用客は全くいなかった。草ぼうぼうのキャンプ場は蚊が多く、蚊を叩きながら夕食を作る。余り物のじゃがいもとタマネギをゆでたところに買い置きのあさりクリームソースを突っ込み、クラムチャウダーもどきを作る。ジャガイモをゆでた汁はみそ汁に転用した。クラムチャウダーもどきを半分食べたところでゆでたサラスパを投入し、スープスパゲティにして食べた。サラスパを湯切りする際、しくじって地面にぶちまけいやな思いをした。
 寝る頃になると、遠く離れた町の方で珍走団がブンブン走り回る音が聞こえてきた。蚊といい珍走団といい、夏も終わったというのに元気なものだ。

盛岡再来

 朝から霧が出ていたが、撤収する頃には晴れてきた。鄙びた県道で二戸市に出る。二戸は全く田舎の地方都市だが、この年12月に東北新幹線の八戸延伸を控え、準備の真っ最中だった。駅は新幹線仕様に改修され、街の至るところで「新幹線開業!」の横断幕を見かけた。
 二戸から浄法寺町(現二戸市)を横断する。町は作家瀬戸内寂聴が住職を務める天台寺があることで特に有名だ。月一度の法話会は大盛況だという。近くに行ってみたが、法話会の日ではないようで寂聴女史は不在だった。そのかわり書道展が開かれており、見てみようかとも思ったが、単車を停める場所がなさそうだったのでやめといた。
 町の中心部には古い町並みが残っている。現在地確認のため町役場に寄ってみると、隣の中央公民館で子供向けのアニメ映画上映会が開かれるようで、地元の主婦の方々が準備をしている最中だった。周りでは上映を待ちきれない子供たちがぼちぼちと集まりだしている。片田舎らしいのんびりとした光景だ。
 浄法寺を過ぎたところで県道を乗り換え、西根町(現八幡平市)経由で盛岡市に向かう。途中七時雨鉱泉という温泉を見つけたので、休憩がてら入浴した。建物はこぢんまりとしたものだが、年配の方を中心に利用客がけっこういた。風呂場には白湯と鉱泉二種類の湯船がある。鉱泉は14.8度の源泉を沸かしたもので、皮膚病によく効くそうだ。一角には「鉱泉を持っていかないでください」との但し書きがあった。湧出量はそう多くないらしい。

 七時雨鉱泉を出て、岩手山を右手に眺めて南に走ることしばらく、岩手県の県庁所在地盛岡市にやってきた。
 盛岡は雫石川、北上川、中津川という三つの川の合流地点に栄えた城下町で、街の真ん中の岩手公園をはじめ、藩政時代の古い区割りや町名が今でも残っている。町の中心部にほど近い場所には高松の池という人造湖や、愛宕山という自然に恵まれた丘があり、散策するには事欠かない。

パチンコ「ロックハンド」
在学中、岩手は盛岡市内で撮った写真。パチンコ屋「ロックハンド」訳してみると?

 市内の大学に通うため、荒井は盛岡に4年ほど住んでいたことがある。その間なぜか散歩に精を出していた。最初は趣味のレトロゲーム漁りのためだったのだが、盛岡という場所は中古市場の層が薄く、あまり出物がない。目当てのソフトを見つけようとすれば、くまなく盛岡市内を巡り歩く羽目になる。お金はなくとも時間はあった学生の身分、掘り出し物をひたすら足で稼ぐこととなった。
 歩き廻って見つけたのはレトロゲームだけではなかった。盛岡というのはまことに散策場所に恵まれている。歩き始めてまもなく別の物も見えてきた。この店の近くにはこんな場所があったのか、この道はこんなところにつながっている、ここから見る岩手山は云々、身近ながら小さな発見の数々に驚くことがしばしば。そのうち探し当てたゲームソフトで遊ぶより、探し出すことの方が面白くなって、いつしかゲームに限らず、未知の発見を求めて出歩くようになってしまった。歩き廻って何かを見つけ出す面白さを覚えてしまったわけである。
 散歩道楽の末、荒井はおぼろげながらこんな疑問を抱くようになった。「自分が住んでいる場所はどんなところなのか、どんなものがあるのか、他の場所はどうなのか?」 この日本一周はその延長線上にあるわけで、盛岡での体験が源になっているのだ。

 昼食は久々に「ぴょんぴょん舎」(注4)に行った。盛岡市内にはとにかく冷麺屋が多い。本屋よりも冷麺屋の方が多いかもしれない。戦後まもなく朝鮮半島から盛岡に渡ってきた方が故郷の味を思い出しながら作ったのがその始まりで、今ではわんこそばと並んで盛岡を代表する味となっている。盛岡にいた頃、冷麺はたびたび食べたものだが、この「ぴょんぴょん舎」も前に一度食べに来たことがある。今回はそのとき目にして以来気になっていた、そば冷麺を食べることにした。付け合わせはたまごスープだ。
 午後三時近かったにもかかわらず、店内は大入りで待ち客が何人かいた。荒井も混じって待っていると、店員さんがやってきて「中庭の野外テーブル席だったらすぐにお食事できますよ。」と勧めてくれたので迷わずそっちに移動する。天気もいいことだし、願ったり叶ったりだ。
 前菜代わりにたまごスープをすすっているうち、待望のそば冷麺がやってきた。そば粉入りの黒っぽい麺が一番の特徴で、韓国の冷麺に近いとのことだ。大ぶりのどんぶりに牛だしのスープが張られてあり、その真ん中に丸められた黒っぽい麺が島のように浮かんでいる。その上には輪切りの梨と、蒸し鶏と錦糸たまごが乗っている。まずはスープを一口すすり、麺を二、三本つまんで味わってから、おもむろにカクテキを取り出し投入する(注5)。あとはお気に召すまま。そば冷麺はあっさりめで、ただの冷麺よりも食べやすかった。

 これまた学生時代よく通ったスーパーマーケット「ジョイス」に寄って夕食の買い出しをした。併設の酒屋さんに寄ってみると、荒井お気に入りのウィルキンソン(注6)のジンジャエールが売られていたので思わず買ってしまった。
 ここの酒屋さんのおばさんが山登りが好きらしく、「今年の盛岡は天候不順だったのよ。」と話してくれた。7月の盛岡は3日しか日が差さなかったにもかかわらず、この前登ってきた岩手山の七合目では30度近い暑さだったとか。趣味が近いということで、旅の話などでひとしきり盛り上がった。

ウィルキンソンジンジャエール・臙脂ラベル
ウィルキンソンジンジャエール。面白いデザインの瓶が目印。臙脂ラベルのが辛い。

 気が向いて「まつばや」という菓子屋に行った。菓子屋の二階が喫茶店になっていて、学生時代ときどきここにケーキセットを食べに来ていたのだ。ここのケーキセットは好きなケーキ一個に飲み物を付けて税抜き480円というお得なものだ。この日食べたのはアップルパイと紅茶のセットだった。店内の様子は昔とあまり変わっていなかったが、知らないうちに1000円ケーキバイキングを始めていたらしい。平日の午後一時からのサービスということで、次回盛岡に来た時は必ず食べるぞと決意する。実は荒井、男であるにもかかわらずこうしたケーキ類に目がない。

 久々に盛岡で飲み食いした後、DJEBELにも給油し、街の近郊にある岩山キャンプ場にテントを張ることにした。キャンプ場とはよくいったものの、その実整備されていない草原に、丸太のテーブルがいくつか、あとは蛇口一本とトイレがあるだけという代物で、しかも斜面に開けているためテントが張りづらい。キャンプ場に続く砂利道は水の流れた後が大きくえぐれ、溝になって残っていた。酒屋のおばさんの他、給油の際に教えてもらったとおり、この夏盛岡は本格的に天気が悪かったらしい。
 比較的平坦な場所を選んでテントを張ったものの、それでもテントは傾きがちで、しかもヤブ蚊が多く、この日は相当に寝苦しかった。

巣郷峠

 山形に戻る日になった。盛岡からは県道で北上市に向かい、国道107号線で錦秋湖のそばを通り巣郷峠経由で秋田の横手市に出て、そこから国道13号線を南に向かうのが一番手っ取り早い。
 錦秋湖近辺は山形から比較的近いにもかかかわらず、荒井は来たことがなかった。国道107号線は北上市のはずれからぐっと高度を上げ、左右に山が迫る峡谷のようなところを通る。雄大な眺めが楽しめそうなのだが、道ばたの背の高い柵が邪魔をしていてろくに見えない。途中新道とおぼしきトンネルも開削されていた。せっかくの風景なのに、どうしていちいちそれを殺すような真似をするのだろう? 確かにそれなりの理由もあるのだろうが、道を楽しみたい人間にとってはもったいない限りだ。

 錦秋湖を過ぎたあたりから、山奥であるにもかかわらず、不思議と里が増えてくる。このあたりは湯田温泉郷といって、多くの温泉がひしめきあっているのだ。特にJRの駅舎内に温泉がある「ほっとゆだ駅」は有名だ。
 国道107号線は巣郷峠で奥羽山脈を越えている。峠一帯は奥羽山脈でも特に低くなっている場所の一つで、それゆえ昔から交通の要所として発展してきた。「ほっとゆだ駅」のあるJR北上線は峠の近辺を通っているし、花巻と横手を結ぶ旧道「平和街道」は巣郷峠の北にある白木峠を通っていた。
 この巣郷峠、峠に温泉があり、温泉と峠好きにはたまらない場所となっている。残念ながらこのときは素通りしたが、「山形さ意外に近いんだな。隙を見でまだ来っぺ!」と心密かに思うのだった。
 峠を越え、併走する川の流れも東から西向きに変わった。かくして15キロほど山の中を走るうち、見覚えのある交差点に到着した。横手市の国道13号線に合流したのだ。

 子供だった頃、東北は田舎で面白くないと思っていたのだが、歳をとってみると、田舎であることはかえって東北の売りであると思うようになった。東北人の荒井が言うのも何だが、やはり東北は田舎だからこそ面白い。


脚註

注1・「渋沢栄一」:しぶさわえいいち(1840〜1931)。大実業家。第一国立銀行を創設し、近代日本経済界の発展に寄与した。その孫渋沢敬三は日銀総裁を務めたほか、常民文化研究所を設立し民俗学でも大きな功績を残している。ちなみに常民文化研究所に所属した学者の一人がかの民俗学者宮本常一で、その薫陶を受けたのが旅の鉄人賀曽利隆氏と放送作家永六輔氏。

注2・「岡本太郎」:おかもとたろう(1911〜1996)。芸術家。土俗的なエネルギーをモチーフとした前衛的な作品群と、数々の評論で知られている。マスメディアへの露出も多く、世間的には「芸術は爆発だ!」の台詞を残した人として特に有名。代表作は「太陽の塔」。父は画家岡本一平。母は小説家岡本かの子。

注3・「やませ」:夏場三陸地方に吹き付ける冷たい風。オホーツク海高気圧によるもので、稲作では時に冷害の原因となる。

注4・「ぴょんぴょん舎」:盛岡冷麺の名店の一つ。「まっぷる」や「るるぶ」といった類の盛岡観光案内書には「食堂園」「直利庵」「白龍(ぱいろん)」と並んで必ず現れる。屋号は経営者が辺(ぴょん)さんという方だから。ちなみに「直利庵」はおそば屋さん。「白龍」はじゃじゃ麺屋さん。

注5・「投入する」:盛岡冷麺ではたいてい「別辛」が注文できる。キムチを小皿で別に持ってきてもらい、自分で好きなだけ投入するという方式。いきなりキムチを突っ込むといった野暮はせず、牛スープの旨みを味わうというのが通の食べ方だとか。

注6・「ウィルキンソン」:アサヒ飲料のブランドの一つ。業務用の炭酸水やジンジャエールなどを扱っている。ブランド名は創業者クリフォード=ウィルキンソン氏の名前から。ここのジンジャエール(ドライでない方)はその名の通り、しっかり生姜味がして辛い。

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