みそカツの日

伊良湖岬と師崎

 公園の緑地みたいなところがキャンプ場になっているせいか、朝から散歩に来る人が多く、たまにもの珍しそうにこちらを一瞥したりする。人の目を気にしつつ撤収し、八時前には出発した。
 再び竜洋町に出たところで天竜川を渡り、浜松市に入った。浜松は日本の自動二輪車産業の中心地という印象が強い。「このDJEBELも、こごで作らったんがねぇ。」と、市街地の方を見やりながら浜松を通過した。
 浜松はヤマハやカワイといった楽器屋の工場があることでも知られている。もともと遠州では、天竜川上流の豊富な木材を背景にした指物が盛んだったようで、その指物で培った技が、楽器造りや単車造りに生かされているそうだ。

 遠江の名のゆえん、ウナギで有名な浜名湖は、海との開口部付近で横切ることになる。線路も道路も同じ所を通っており、長い橋がいくつも横並びになっている。開口部の真上には、有料の浜名バイパスが通っている。浮谷東次郎(注1)はかつて浜名湖を横切った時、この開口部を指して「確かに海とつながっている。こいつは湖ではない。インチキだと思う。」との感想を漏らしている。そのとおり、浜名湖は海水と淡水が混じる汽水湖で、だからウナギの養殖も盛んなわけである。スーパーの惣菜部門で、土用の丑の日にひぃひぃ言いながら浜名湖産ウナギの蒲焼きを売ったのも、今は昔だ。

 東海道の関門、新居関があった新居町と、お隣湖西市を抜け、とうとう愛知県に足を踏み入れた。国道42号線に乗り換え、渥美半島に入っていく。目指すは先端、伊良湖岬(いらごみさき)だ。
 伊良湖岬までの50キロほどの道のりは、鄙びた道路が続いた。このあたりはかつて慢性的な水不足に悩まされ、農業に適さない土地だったが、大規模な用水路が引かれたおかげで変貌を遂げたという話はテレビで見た。なるほど、確かに畑など多く見かけたが、冬を前に人の姿はまばらだった。風が強いせいか、日当たりの割に寒かった。
 海を眺めると面白いことに気がついた。外洋に面しているのに、波が立っていないのだ。そのかわり、海水が断崖に沿って川のように流れをなして、東に向かって流れている。

 伊良湖岬は賑やかな岬だった。ここは伊勢湾横断フェリーの発着点なのだ。向かうは対岸三重県鳥羽市。お伊勢参りや紀州巡りに便利なせいか、単車旅人の間でも人気の航路となっている。荒井が着いたときも、ちょうど出航していくのが見えた。ちなみにフェリー航路は国道42号線の海上区間だ。その他にも、岬からは知多半島に向かう三河湾横断フェリーが就航している。

 そのフェリー発着所になっている道の駅「いらごクリスタルポルト」に寄ってみた。
 岬周辺は島崎藤村の詩「椰子の実」の舞台となったところで、それにまつわる展示が見られる。詩の元となった椰子の実は、遠く八重山諸島付近から、黒潮の流れに乗ってここ、伊良湖岬にたどり着いたのだそうだ。先ほど見た川のように流れる海、どうやらあれが黒潮らしい。
 岬がある渥美町(現田原市)の観光協会では、その藤村の詩にちなんで、1987年より毎年、石垣島から椰子の実を投流する催しを開いている。海流に乗って、南は鹿児島から北は山形まで、各地に漂着したそうだが(注2)、なかなか渥美町には漂着せず、14回目の挑戦ではじめて渥美町に流れ着いたそうな。館内にはその14回目で流れ着いた椰子の実の現物が展示されていた。
 昼食は道の駅併設の食堂「花岬」で、渥美膳というのを食べた。じゃこ飯に刺身、天ぷら、アサリのみそ汁と、渥美半島の名物を採り入れた定食だった。

砥鹿神社
砥鹿神社参道。神社は大黒様と恵比寿様の二柱の神を祀る。

 岬を境に渥美半島の北に回り込み、基部の豊橋市に向かって走る。次なる目的地は三河国一の宮、砥鹿神社(とがじんじゃ)だ。
 砥鹿神社は豊橋市から少し奥に行った一宮町(現豊川市)にある。近所に有名な豊川稲荷があるせいかちょっと影が薄いが、れっきとした一の宮だ。神社は町の北にある本宮山という里山をご神体としており、大己貴命(おおなむぢのみこと)と事代主命(ことしろぬしのみこと)の、二柱の神様を祀っている。別名大黒様と恵比寿様だ。境内にはこの二つの神社が仲良く並んでおり、大黒様と恵比寿様をいっぺんに参拝できる。無事参拝を済ませ、再び豊橋に引き返した。

 このあたりはやけに質屋の看板が多い。ショッピングセンターやスーパーマーケットの案内看板のごとく、質屋の看板が沿線に立っているのだ。道路の脇に大きく、名古屋なまりで「ひち」と書かれてあるのでひときわ目立つ。こうした質屋の看板は日本一周の最中でも、愛知近辺でしか見かけなかった。そういえば名古屋にはコメ兵という大きな中古屋がある。ここでは質屋さんは中古屋感覚の、身近な存在なのかもしれない。
 廃業したガソリンスタンド跡も多々あったが、軒並み落書きで汚れていた。「グラフィティ」というやつだ。無人であるのをいいことに、夜中にでも忍び込んでは落書きをしたためる輩がいるのだろう。
 荒井は落書きが多い場所は危ないと判断し、安全に野宿できるかどうかの目安にしていた。グラフィティ付のガソリンスタンド跡は、大都市よりもその周辺、中途半端にひらけたところに多かったような気がする。

 豊橋から国道23号線を走る。蒲郡市(がまごおりし)に着くと真っ暗になっていた。市内の「サークルK」で焼きそばまんを買い食いし、一息ついたところで、国道247号線に乗り換えまた走り出す。明日には愛知の県庁所在地、名古屋市に到着したかったので、今日中に知多半島まで行くつもりなのだ。
 寒さが身に堪えてきた。温泉にでも入って鋭気を養おうと、吉良町の吉良温泉に寄ってみたが、立ち寄り湯は休業していた。腹も減ってきた。いつもながら、こんな時単車乗りはみじめである。「こんた暗い中、空きっ腹抱えて、何で俺は走ってんだべ?」とうんざりしながら、ただただ走るしかなかった。

 知多半島基部、半田市で給油のためガソリンスタンドに寄ると、店のおじさんが「長旅は大変でしょう? このあたりだったら、岡崎に健康ランドがあるからそこで寝られますよ。」と優しい言葉を掛けてくれた。親切な言葉というのはそれだけで大きな励みになる。
 岡崎には行かず、知多半島に入っていく。道路は名鉄と併走し、ときおり線路やプラットホームの看板など見えたりする。看板は私鉄だけにJRとはかなり違っている。
 半田市の南、武豊町(たけとよちょう)で「いわ家」というよさげなラーメン屋が見つかったので、夕食にした。醤油豚骨ラーメンとチャーハンセットを注文し、むさぼり食ったところで「さて、これでまだしばらぐ走れるな!」と出発する。こういうときは豪勢に食うに限る。
 やがて海が見えてきた。対岸に見える明かりは、さっきまで走っていた渥美半島だ。暗かったので、頭の中は先へ進むことしかない。知多半島の先端、師崎(もろざき)を回り込んだときこそ、「ようやぐ折り返し地点だ!」と思ったが、降りて見てみる気にはなれなかった。

 師崎からしばらく走って、内海温泉に着くと九時になっていた。運良く「白砂の湯」という立ち寄り湯がまだ開いていた。入浴料は1200円と高めだが、午後八時になると割引料金の700円で入浴できる。4階ほどのこぎれいな建物で、風呂場は上の階にある。露天風呂もあり、昼なら伊勢湾を望むこともできる。時間は遅めだったが、割引料金のせいか、客はそこそこ多かった。
 温泉ですっかり鋭気を取り戻し、また走り出した。やがて季節外で無人になっているキャンプ場を見つけたので、そこにこっそりテントを張って寝ることにした。

アミュレット・オブ・熱田

 七時にキャンプ場を後にした。走るうち「サークルK」が見つかったので、ツナタマサンドの朝食にした。
 愛知県は「サークルK」がやたら多い。関東圏での「セブンイレブン」や、北海道での「セイコーマート」並みに、どこにでも建っている。愛知県は「サークルK」本社のお膝元だ。そのせいか「セブンイレブン」が本格的に進出してきたのが、21世紀になってからだったとか。

 北上すると道路の車線は広がり、車の流れも早くなってきた。扇川を渡ると、○に漢字の「八」の字が入った名古屋市章が現れた。ついに名古屋到着である。もうしばらく走ると熱田神宮の森が見えてきたので、さっそく寄ってみた。

熱田神宮拝殿
熱田神宮。名古屋城と並ぶ名古屋名所でもある。写真は翌年撮ったもの。

 熱田神宮は国道1号線と国道19号線、国道247号線と三本の国道が交わる交差点、ちょうど名古屋市街地の入り口にある。名古屋を代表する神社だけあってさすがに大きい。神宮近辺は熱田区という一つの区になっている。
 朝早かったせいか、巫女さんや禰宜(ねぎ)さんが総出で拝殿の掃除をしていた。ご神体は草薙剣(くさなぎのつるぎ)。素戔嗚尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した時その尻尾から見つけ出し、後に日本武尊(やまとたけるのみこと)の手に渡った、日本神話に出てくる名剣だ(注3)。
 思うところあって以前より欲しかった「熱田神宮のお守り」を購入してから、宝物殿を見学した。草薙剣を祀っているだけあって刀剣が多い。二荒山神社中宮の祢々切丸のような全長3メートルほどの大剣から、太刀・脇差まで大きさもよりどりみどりだ。刀匠が刀を打って奉納するという神事が開かれることもあったとか。
 境内には名物きしめんの出店もある。濃いめの出汁で食べる平たいうどんで、昔は「芋川のうどん」と呼ばれていたらしい。小盛りきしめんをすすりつつ、「さすが名古屋、こんなどさもきしめん屋があるなが。」と、妙に感心した。
 神宮では、歩いて東海道を旅しているおじさんとも出会った。何度かに分けつつ、尺取り虫式で東海道の踏破を目指しているのだが、そろそろ大詰めで、「あとは岡崎と名古屋の間を歩けばおしまいなんですよ。」と仰っていた。なかなか休みが取れなくても、やろうと奮起すれば、あの手この手でここまで叶えてしまうものなのだ。

愛知県庁
愛知県庁。戦時中に多く作られた城郭風帝冠様式の建物の一つ。文化財にもなっている。

 次に向かったのは愛知県庁だ。愛知県庁の建築様式は変わっている。洋風の建物に、立派な瓦屋根がのっかっているのだ。全国でもこんな県庁は愛知県にしかない(注4)。さすが名古屋、県庁まで名古屋城風だ。
 県庁そのものは旧いがまだまだ現役で、中には各部署を始め、食堂や売店などが詰め込まれるようにして入っている。売店を覗いてみると、地元の食品会社「寿がきや」のカップ麺が品揃えされている。毎度お楽しみ、食堂の献立には、あたりまえのようにきしめんが並んでいた。
 きしめんはさっき食べたので、日替わりメニューのみそカツを食べる。みそカツも名古屋名物で、ソースの替わりに赤みそを使ったタレがかかったトンカツだ。500円だというのにみそ汁・ご飯まで付いてきた。ついでにみそ汁も名古屋らしく、赤だしを使っていた。

岐阜県庁
岐阜県庁。岐阜市郊外の国道沿いにある。翌年また来ることになった。

 みそカツにすっかり満足したところで、岐阜県の県庁所在地、岐阜市に向かった。名古屋市と岐阜市は近く、30キロほどしか離れていない。あわよくば岐阜県庁でも何か食べてこようという腹づもりだ。
 国道22号線を北上し、岐阜県庁に着いたのは午後一時過ぎだった。岐阜県庁はコンクリート造りで、二つ並んだ屋上の建物が特徴だ。
 岐阜県庁食堂は、基本的には食券方式なのだが、全国的にも変わった方式をとっている。献立は毎日麺定食、和定食、洋定食の三つのみ。ただしそれぞれ毎日日替わりで、同じ和定食でも毎日違った料理が食べられる。選ぶ楽しみがないといやないのだが、合理的といえば合理的である。
 とはいえ、まだ二時になっていないにもかかわらず、食堂はほぼ昼の営業を終えていた。営業時間が短いらしい。「こりゃ、まだ来いどいうことだな。」と納得し、かわりに屋上の展望喫茶でコーヒーを飲んで帰ってきたが、渋くてあんまりおいしくなかった。

真清田神社 一宮市役所
真清田神社と一宮市役所。全国に一つしかない一の宮「市」とその一の宮。

 尾張国一の宮、真清田神社(ますみだじんじゃ)は岐阜市からの帰り道、愛知県一宮市にある。一宮の名が付いた地方自治体は全国にあるのだが、市になっているのはここ、愛知県の一宮市だけだ。ついでに愛知は一宮町と一宮市の両方がある珍しい県でもある。一宮町が三河国、一宮市が尾張国だ(注5)。
 神社は市の中心部、市役所に近い場所にある。鳥居の前には露店もあったが、ずいぶん寂れた様子で、実際に営業しているかはわからない。住み着いた鳩の糞があちこちに落ちているせいか、門前は雑多な印象である。
 市内にはもう一つ、大神神社(おおみわじんじゃ)という一の宮があるのだが、探してもなかなか見つからず、参拝せずに名古屋に引き返した。後で調べてみると、戦国時代に本殿を焼失して以来、大神神社は地元でも忘れ去られた存在となっているのだそうだ。

 この日の宿は、予約を入れておいた名古屋ユースホステルだ。名古屋市の東、東山動植物園のすぐ隣にある。居室はちょっと狭いが、手入れがよく行き届いており、居心地は悪くない。
 談話室兼ロビーで「今日の晩飯はどうすっぺ? この辺さ旨い店はねぇべが?」と、地元情報誌を読んでいると、訊いてもいないのに、向かいの席に座った男がしきりに話しかけてきた。
 なんでも彼は20年前のこの日、この名古屋ユースを利用したことがあり、その時一緒になった客と「20年後の今日、ここでまた会おう!」と約束したのだそうだ。そこで彼は約束を果たすべくここにやってきたそうな。
 彼はよくしゃべった。曰く、自称元スパイなんだとか。「今は足を洗いましたけど、それこそ危ない橋を何度も渡ったものですよ。あの頃は本当に命を狙われてましたから。今でこそようやく、そういうこともなくなってきましたけど。」 こんな多弁なスパイがいるもんか。こちらは夕食をどうするかで頭がいっぱいだ。「落ち着いで読ませでけろずぅ...」と、目は雑誌に向けたまま「あーそうですね。はいはい。」と、なげやりな相づちを打ちながら聞き流していた。

 適当なところで話を切り上げ、夕食を食べに外に出た。ユースのある東山近辺は、これといった食堂がない。あれこれ探し廻った末、「台湾ラーメン本山」という店で台湾ラーメンを食べた。辛めに味付けした豚挽肉炒めが載ったラーメンだ。小さいながら人気があるようで、店内はほぼ満席、壁には有名人のサインなども飾られていた。

 ユースに戻ると、部屋に引き返したのか、元スパイの彼はいなかった。結局待ち人は来なかったらしい。そういや彼は「たぶん忘れてるだろうけど、約束したからには、もし友達が来て、自分がいなかったらガッカリするでしょう?」と、何度も口にしていた。
 テレビ番組のように、奇跡とはそう都合よく起こるもんじゃない。にもかかわらず彼がここに来たのは何のためか? おそらく、自分に対して、約束を忘れた待ち人に対して誠実であるためにだろう。さっき投げやりに応じたのが、少し悔やまれた。


脚註

注1・「浮谷東次郎」:うきやとうじろう(1942〜1965)。1960年代前半に活躍した伝説的なレーサー。練習中の事故により1965年に23歳の若さで夭折。短いながらも熱烈に生きた人生と青春の有様は、今なお人々の共感を呼んでいる。浜名湖の下りは同氏の著作「がむしゃら1500キロ」に現れる。

注2・「各地に漂着」:沖縄県域への漂着例は含まれないとのこと。

注3・「草薙剣」:現物は源平合戦の折、安徳天皇とともに壇ノ浦に沈んだとも言われている。熱田神宮や皇室に伝わっているのはその複製とか。

注4・「愛知県にしかない」:厳密には、神奈川県庁も同じ様式。

注5・「一宮の名が付いた地方自治体」:その後平成の大合併により激減した。字名として残っている場所もあるが、地方自治体は愛知の一宮市と千葉の一宮町のみ。愛知の一宮町は豊川市になっている。


荒井の耳打ち

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