九州再上陸

再会白熊

大島運輸フェリーあかつき
フェリーあかつき。鹿児島に戻ってきた!

 本部、与論、因縁の沖永良部、徳之島。「フェリーあかつき」は着々と北上していった。那覇から鹿児島まで行く人は限られているらしい。一番大きな二等船室は沖縄のスポーツ少年団貸し切りだったが、みんな与論島で下りていった。例によって荒井は「鹿児島行き」と張り紙された小さめの船室に籠もっていた。もっとも、急ごしらえの食堂船室よりもはるかに居心地はよい。
 その船室で二人の旅人と出会った。これから車で東京まで行って職を探そうとしている大工の兄さんと、バスと足とで旅をする京都の方。それぞれにこれからの予定や沖縄での思い出など話した。
 それ以外は食うか寝るか以外にすることがない。那覇から鹿児島までは約一日。昼食は那覇で買ってきたカップ麺で済ませた。夕食は船内のレストラン「六甲」の刺身。船の中なのでおしなべて一皿が高い。だからカップ麺なぞ持ち込んだわけだ。
 夜も遅くなった頃、船は名瀬に寄港した。一月前に名瀬を出た時は、帰りにまた寄っていこうかとも思っていた。ところがここ一月島ばかり廻っていたおかげで、「しばらぐ島はたくさん。早ぇどご広い陸地ば走っだい〜。」と、一刻も早く本土の土を踏むことばかり考えていたので、あっさり見送った。さっきまで「もっと島ば廻りだい!」と思っていたのに薄情な奴である。

 さすが隅元さんおすすめの大島運輸。こころなしかクイーンコーラルよりも揺れは少ない。一夜が明け八時になると船はすでに錦江湾に入っていた。くもっているおかげで裾野しか見えなかったが、一月ぶりに桜島を見る。前に桜島を見た時は、沖縄はまだ未知の土地だった。
 やがて船は鹿児島港に着いた。一月にわたる奄美・沖縄・八重山の旅を終え、ついに本土に戻ってきた。日本の果てを目指す旅の次は、県庁一の宮を巡る旅がまた始まるのだ。

 まずは白くまを食わねばならない。沖縄に渡る前、喫茶店の白くまを食い損ねたのが心残りで、戻ってきたら絶対食うぞと心に決めていたのだ。今度は事前に情報も仕入れている。それによれば、本家白くまを謳う「むじゃき」という店が天文館にあるらしい。

照國神社の大鳥居
照國神社の大鳥居。市街地に近いこともあり、鹿児島で一番初詣客が多いとか。

 さっそく白くまの巣めがけて突進と行きたいところだが、その前に、照國神社にお参りした。波上宮以来、久しぶりの神社である。沖縄や八重山では御嶽の方がなじみが深かったのだ。
 照國神社は国道58号線起点の近くにある神社で、天文館からも遠くない。通りに面した大鳥居をくぐると、丸に十字の紋が目に入ってきた。これが島津家の家紋であることは、光栄(注1)の「信長の野望」(注2)で知っている。
 神社は薩摩藩幕末の名君、島津斉彬(しまづなりあきら)公を祀っている。斉彬公というとレトロゲーム愛好家荒井、「維新の嵐」(注3)をやっていたせいか、有能な割にゲーム開始早々亡くなる人物という印象が強い。実際その通り、藩主を勤めていたのは7年とその治世は長くはなかったのだが、その間に様々な業績を残している。併設の資料館も覗いてみた。
 照國とは斉彬公に没後与えられた神号だ。斉彬公は西洋文明を採りいれる殖産政策によって数々の近代化を進め、その先見性はやがて来る明治維新に大きな影響を与えることになった。「照國」の名前はそれにちなんだのだろう。西郷隆盛は斉彬公に見いだされた人材で、ガラス工芸の名品、薩摩切子もこの時代に作られている。
 変わったところでは写真が好きだったことも知られている。斉彬公の肖像写真は日本初の写真として現在に伝わっているほか、自らもよく写真を撮っていたという。さしづめ日本初の写真モデルとアマチュア写真愛好家といったところだろうか。

天文館むじゃきの白熊像
白熊の像。「むじゃき」入り口で来客をおでむかえ。

 神社にDJEBELを置いたまま、天文館通りに向かった。さすが鹿児島一の繁華街、アーケードの左右には大きな商店やゲームセンター、パチンコ屋、食堂が並んでいる。人通りも多く賑やかだ。アーケードをだいぶ進んだ頃、右手に白熊の人形が置いてある店が見つかった。ここが目指す白くまの巣「むじゃき」である。
 「むじゃき」は5階建ての建物で、秋葉原の「肉の万世」と同じく、各階がそれぞれ和食、洋食、鍋料理といった別の食堂になっている。白くまは1階の「むじゃきっこ」で扱っているが、他の階で食事をする時でも、食後に出してもらうなどできるようだ。「肉の万世」のカツサンドみたいなものである。
 ついでに昼飯も食うことにした。「むじゃきっこ」ではラーメンや酢豚といった料理も出している。表には「中華&喫茶」という看板が掲げられていた。頼んだのはお品書きでやたら気になった夏季限定冷やし雪盛りつけ麺だ。白くまは食後に持ってきてもらうことにする。
 「『むじゃきっこ』? 観光客は白くまを食べてるけど、地元の人はラーメンばかり食べてるよ!」と松尾さんは言っていたが、周りの客はみんな白くまを食べていた。さすが本家だけあって、白くまにも数種類ある。基本の白くまはもちろん、上にチョコレートやヨーグルト、プリンを載せた豪華版。さらにこの時は「白熊誕生祭」と銘打ち、期間限定で考案当時の白くまを復刻した「リバイバル白熊」まで用意されていた。とはいえこういう時に食べるのは、一番基本の白くまと相場は決まっている。

天文館むじゃきの白くま
本家天文館「むじゃきっこ」の白くま。ご覧のとおりてんこ盛り。

 冷やし雪盛りつけ麺が運ばれてきた。ゴマだれのつけ麺だが、麺の上に涼味満点と言わんばかりに、かいた氷が載っている。なるほど雪盛りだ。食べる時は氷の下から麺を掘り出してたれにつける。具に別皿でえび天、なす天、玉ねぎ天の盛り合わせが添えられている。
 つけ麺を平らげてしばらくすると、いよいよ白くまがやってきた。高さ約20センチ、直径15センチ。そびえ立つ氷ミルクの上に、メロンと西瓜、色とりどりの寒天、さくらんぼ、蜜柑、バナナ等がへばりつくように載っかっている。堂々たる白くま。「これが白くまが!」とまずは気圧された。
 絶句した。氷のきめがまず違う。具の果物も凍ってない。「んめぇぞこの野郎!」と口に運んだ。
 ところが、表に載った具を食べきる頃になると匙が遅くなった。白くまも具がなくなればただの山盛り氷ミルクである。氷はまだ器に大盛りだった。一転、「こんた大量の氷ミルク、果たして食いきれっぺが?」と弱気になる。ついに南国の白くまが牙をむいた。白くまとの格闘はこれからだったのだ。
 分量がただものではないから、次第に口飽きしてくる。しかも身体が冷えてゾクゾクしてくる。そういや昔、アイスクリームを食い過ぎて凍死した人がいたっけな。荒井も南国鹿児島で凍死するんだろうか。格好悪いことこの上ない。
 ガタガタ震えつつ、「まだあっつぉ〜」と鈍い匙を進めることしばらく。「むじゃきっこ」も鬼ではなかった。器の底には豆や蜜柑、寒天にバナナが埋もれていたのだ。さすが本家、口飽きしないようにと最後の最後でこんな趣向を用意していたらしい。ここぞとばかりに匙を進め、ついに南国の白くまを制するのだった。
 かくして冷やし雪盛りつけ麺と白くまを腹に収めて店を出たが、腹は苦しかった。食べ合わせが悪かったんだろうか。

 少し休もうと種子島・屋久島航路の待合所に行った。一応どんなものかと料金と運行日程を確かめる。船はどちらも一日一便、この日の便はすでに出航し、待合所にはほとんど人もいなかった。料金は片道7000円近く。距離の割には値段が張る。当面離島巡りは勘弁してほしかったこともあり、渡るのはやめといた。
 旅人に限らず、観光客の間では屋久島の人気が高い。縄文杉に象徴される豊かな自然は世界遺産にも選ばれたほどだし、日本百名山最南端の宮之浦岳もある。波照間で再会した旅野さんは屋久島は日本一周でも特に楽しみにしていた場所で、冬の間は屋久島で過ごしていたと言っていた。
 一方、屋久島に隠れて今ひとつ影が薄いのが、隣の種子島だ。おらが島に観光客を呼び込もうと、待合所には大きなポスターが張り出されてある。売りは鉄砲伝来とロケットだ。屋久島が自然の島なら、種子島は歴史の島。「屋久島と種子島、どっちに行きたい?」と訊ねれば、その人が旅に求めるものが分かるとか。

 「種子島ではロケットの打ち上げを見たんですよ。そのときの様子がですね...」

 種子島については、那智黒本舗で工場案内をしてくれた兄さんから面白い話を伺っている。ロケットの打ち上げは種子島にとって一大行事らしく、その日は朝から発射場が見える公園に島民が集まって、茣蓙など敷いて酒盛りを始めるのだそうだ。そして今か今かと発射の時を待つ。そして発射の瞬間盛り上がりは最高潮に達し、ロケットが空に飛んでいくのを見届けるのだという。

 「でもここしばらく、日本のロケット打ち上げは失敗続きだったでしょう。そんときはやっぱりガッカリしたんですか?」
 「意外にそうでもないんですよ。『いや〜、見事に失敗したねぇ!』と喜んでました。」
 「へぇ、そんなもんですかねぇ。それで打ち上げが終わっても、やっぱり酒盛りしてるんですか?」
 「いえ。終われば波が退くようにさっさと引き上げてました。」

 花火大会と間違えてるんじゃなかろうか。さておき、ロケット打ち上げが種子島最大の娯楽であることは間違いない。

 いつの間にか雨になっていた。屋根の下に泊まろうと桜島フェリーで対岸桜島に渡り、一月前に泊まった「さくらじま荘」に転がり込んだ。ここで落ち着いて今後の方針を練るのも悪くない。
 荷物を置いてから近所の道の駅桜島にでかけ、名物小みかんソフトを食う。さっき白くまを食ったばかりだというのによく食べるものだ。島名産の小みかんを使ったソフトクリームで、甘酸っぱいみかんの風味が実に旨い。
 宿に戻って風呂に入った。沖縄や八重山ではシャワーばかりだった。温泉も少ない。久々に広い湯舟につかると、改めて本土に戻ってきたのだと思った。
 夕食は近所の国民宿舎「レインボー桜島」内のイタリア料理屋でカルボナーラを食った。イタリア料理屋とはいえ宿泊客の食堂も兼ねているから、隣の席では浴衣姿の客が、固形燃料付きの一人用の鍋をつついていたりする。
 とはいえさすがイタリア料理屋、いつも食っているようなコンビニカルボナーラとは違い、チーズの風味がねっとりと強い本格的な味だった。

 外はあいかわらずの小雨模様だった。沖縄の梅雨は明けたが、九州は今こそ梅雨のまっただ中なのだ。毎度のことながら、そこにちょうど荒井は突っ込んでしまったのである。


脚註

注1・「光栄」:老舗のソフトハウス。現コーエー。歴史に題材をとったシミュレーションゲームの会社として特に知られる。代表作「信長の野望」「三國志」「提督の決断」「ウィニングポスト」他多数。

注2・「信長の野望」:光栄の代表作。日本の戦国時代を題材にしたシミュレーションゲームの名作。プレイヤーは織田信長をはじめとする戦国大名に成り代わり、天下統一を目指す。シリーズ化されており、日本のシミュレーションゲームの代名詞とも言える存在。

注3・「維新の嵐」:これも光栄の作品。明治維新を題材にしたRPG風味のシミュレーションゲーム(光栄では「リコエイションゲーム」と呼んでいる)。坂本龍馬、西郷隆盛、近藤勇といった維新の志士に成り代わり、己が信ずる思想を全国に広め、明治維新を成し遂げることが目的。高い自由度、一風変わったゲーム内容、明治維新を本格的に採り上げた部分などが評価され、根強いファンが多い。

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