長崎港に戻ってきたのは、夜の九時近くだった。宿は決まっていない。止せばいいのに西彼杵半島を廻ってくることにした。
この日は土曜日だった。荒井の腹としては、早いうちに壱岐・対馬に渡って、来週中に福岡県庁に行き、その勢いで九州を脱出したかった。夜のうちに西彼杵半島を廻ってしまえば、来週の行程が格段に楽になる。その距離約130キロ。宿もないから夜更かしにはちょうどいいというつもりで走り出したのだが...そのおかげで、荒井はこの夜と次の日と、苦行のような行程を味わう羽目になったのである。
フェリーターミナルを出ると、夜だというのに街にやたら若者が多い。これから一っ走りするからと立ち寄ったガソリンスタンドで話を聞いてみると、この日は長崎の港祭りで、人出が多かったらしい。よく見るとスタンドの方もたすきを掛けたり、頭に扇子を飾ったりと妙な扮装をしていた。
華やかな市街地を抜け、郊外に出てくる。こんな時間に開いている飯屋といったらファミレスぐらいしかない。深夜料金になる前に腹ごしらえをしておこうと、手近な「リンガーハット」に駆け込み、皿うどんセットを頼んだ。長崎に来たからには、一応名物ぐらい喰っておきたい。つまるところのあんかけ堅焼そばだが、使っている麺の細さが違うらしい。出てきたのはいかにもファミレスらしい、出来合いの堅麺の上に、レトルトを温めたらしいあんをかけたものだった。
リンガーハットを出ると、それまで降っていなかったというのに、いきなり雨が降ってきた。ここで止めときゃよかったのだが、あたりには雨をしのいで野宿できそうな場所もなければ宿もない。これから長崎市の真ん中まで戻ったところで、屋根の下に泊まれる保証はない。ここまで来てしまった以上、このまま西彼杵半島を廻ってくるより他、先に進む術はない。
「結局こうなんなが〜!!」 リンガーハットの駐車場で合羽を着込み、長靴に履き替える。なかばヤケになってDJEBELに跨る。エンジンをかけ、雨と暗闇の中、西彼杵半島一周に本格的に出発した。
長崎県は西洋の諸刃の斧を逆さまにしたような形をしている。向かって右側の刃が島原半島で、その反対側が長崎半島と西彼杵半島だ。自然の造形美を見せるリアス式の海岸線、豊かな海の幸など、半島は数々の見どころに恵まれている。
しかし、今は真っ暗なので、海岸線なんかちっとも見えない。街灯が降る雨と道路を橙色に照らすだけだ。もちろん飯屋が開いているはずもない。コンビニも数が減ってきた。
道は非常によく整備されていたので、行き止まりになる不安はなかった。そのかわり、吹き付ける風と、突然猛烈に降り出す雨に辟易した。雨脚が弱まったとほっとしてしばらく走っていると、出し抜けにざあざあ降りになる。あたかもじょうろで頭の上から水でもかけられているかのように、降ってきた。合羽に雨がぶつかる音が、ヘルメット越しに聞こえてくる。
長崎までの距離はなかなか縮まらない。ようやく半島の北を回り込み西側に来ると、街灯さえも数が減り、あたりを照らすのはDJEBELのヘッドライトと、時折来る対向車のライトぐらいになった。雨はあいかわらず降り続け、濡れた地面はてらてらと黒光りしている。
適当なところに雨がしのげる野宿場所でもあればよかったのだが、そういうものは全く見つからなかった。もはや探す気さえない。「とりあえず、長崎さ戻れば、ネットカフェの一つぐれあっぺ...」 それぐらいの見通しで、もはや頭の中はとっとと西彼杵半島を一周して、長崎に戻ってくることしか考えていなかった。
長い長い道のりだった。DJEBELはいくつもの漁村を過ぎ、いくつもの坂を越え、いくつもの入り江を廻り、いくつものトンネルをくぐり抜けた末、再び長崎市へとやってきた。街中に入ってくると、待ってましたと言わんばかりに、またじょうろのように水が降ってきた。荒井は観葉植物か、小学校の植物観察の朝顔か。
郊外のそれらしい場所を探すことしばらく、待望の24時間営業のネットカフェが見つかった。屋根の下に逃げ込み時計を見ると、日は改まり午前一時を回っていた。
苦行の一夜が明けた。ネットカフェだからよくは眠れない。空はあいかわらずの雨である。明日には壱岐に渡りたいので、今日中にフェリーの発着所、呼子港の近くまで行かなければならない。
いつの間にか中まで濡れている長靴に足を突っ込み、生乾きの合羽を着込み、ネットカフェを出る。雨は峠を越していたが、いつ土砂降りになってもおかしくなかった。
こんな日に限って、本土最西端の一つ、神埼鼻(かんざきばな)をはじめ、JR最西端の佐世保駅、日本鉄道最西端の駅こと松浦鉄道の平戸口駅、橋でつながれた本土最西端の集落である平戸島の宮ノ浦など、寄らなければいけない場所が目白押しだった。気が付けば懐具合も心細い。郵便局も探さなければならなかった。
晴れていれば全く楽しいことこの上ない道中だろう。しかし外はこんな天気だ。単車乗りにとって、合羽は重い鎧だ。雨が降った途端、どこに寄るのも一苦労となる。できればとっとと目的地に着いて、屋根の下でぬくぬくと休みたい。だがこんな時でさえ、端っこが気になって寄らずにいられないのは、旅人の悲しい性なのだ。
長崎市を出て、海沿いの田舎道を走る。道端の崖からは滝のように水が流れ、入り江は流れ込んだ濁流で茶色く変色していた。国道に出ると、今度は落ち込んだところが冠水し、車が通るたびごとに高々と水を跳ね上げていた。川という川は茶色く濁って激しくうねっている。騒々しいサイレンとともに、電光掲示板には「ただいま上流にてダム放流中」の文字が浮かんでいた。
しばらく雨は小康状態を保っていたが、立ち止まると、狙い澄ましたかのように激しく降ってきた。川棚町で特攻殉国の碑を見たときはもちろん、佐世保駅に着いたときもひどかった。地面を見れば風に煽られ、降った雨がそのまま風の軌跡を描いている。大雨の中カメラを取り出し、駅舎を写真に収める。佐世保は大都市なので駅舎も大きい。あまり最西端という感じのしないJR最西端の駅だった。東根室、稚内、西大山、そして佐世保。これでJR東西南北端の駅は全て訪れた。
佐世保駅の近くでようやく郵便局が見つかった。当座のお金を補充しておく。こんな日は野宿する気は一つも起きない。宿代の分、多めにお金をおろしておいた。
佐世保を出てまた走る。ここからは神埼鼻、宮ノ浦、平戸口駅と、最西端が続けざまに現れる。そのたびごとに写真を撮るのだが、雨でカメラが壊れるのはもう御免だったので、この日は念入りに防水した上で、さらにザックに突っ込んでいた。だから写真一枚撮るためにも、ザックを降ろしてフタを開け、中からカメラを入れた袋を取り出し、さらにそこからカメラを取り出して、撮り終わったらまた袋に入れてザックに...ということを繰り返すことになるので、非常に面倒くさい。
不幸中の幸い、最西端巡りをしていると、ぴたりと雨が止んだ。空には薄明かりさえ差している。ここぞとばかりにDJEBELで廻った。
本土最西端の神埼鼻には、ゴシック式の天主堂とともに、アンテナのような形をした最西端の碑が建っていた。離島にでも行かない限り、日本一周ではここを最西端とする方も多い。記念碑の近くには国土地理院で見たような日本列島の模型があり、ここが日本の端っこの一つであることを主張していた。
神埼鼻が本土最西端なら、平戸島は橋伝いに行ける最西端だ。通行料を払い、平戸大橋を渡る。平戸にはオランダ商館をはじめ、見所が多いのだが、今は最西端以外眼中にない。最奥の集落、宮ノ浦までは40キロ近い距離がある。たどり着いた宮ノ浦は漁村だった。道の果ては漁港で、「橋で結ばれた日本最西端のみなとまち 宮ノ浦」の看板が立っていた。
来た道を引き返し平戸島を出る。平戸口駅はすぐそこだ。とっとと先へ進むことばかり考えていたおかげか、うっかり信号無視をしてしまい、通りがかった地元のオヤジに「危ないじゃないか!」と怒られた。さいわい何も起こらなかったが、気をつけなければと気を引き締めた。
日本の鉄道最西端、松浦鉄道の平戸口駅は小さな駅だった(注1)。駅前には最西端と刻まれた石柱が建っている。駅構内には小さな鉄道資料館が設けられ、切符や鉄道の道具などが見学できるようになっている。
これで今日廻るべき最西端は全て廻った。「これでもうザックを上げ下げすねくてもいいんだ!」とほっとする。後はひたすら走って宿を探すだけなのだから気が楽だ。やれやれと安心する一方、日本一周で廻るべき端っこが残り少なくなったことに気が付き、果てなく見えた旅の終わりが見えてきた寂しさを感じた。
平戸口駅を出てからは、宿を探しながら走った。長崎県を出て、再び佐賀県に入る。焼き物で知られる伊万里市は、ちょうど長崎との県境だ。ここに泊まってもよかったのだが、できることなら船が出る呼子港の近くまでは行っておきたい。ちょうど伊万里市の隣、福島町(現松浦市)に国民宿舎があるので、そこまで行こうとDJEBELを走らせる。
その国民宿舎に着いた頃、また土砂降りになってきた。ここに部屋が取れれば万々歳だなと受付に行ってみたら、無情にも満室だった。
そういや翌日は海の日で祝日だった。しかも夏休みも始まりかけている。国民宿舎も混むわけだと納得しつつ、「やっぱりこうなんなが〜!!!」と、再びDJEBELに跨り、己の運のなさを嘆きつつ、土砂降りの中、宿を求めて福島町から走り去った。
ここから宿のある伊万里市中心部に戻るのも面倒だ。結局雨の中、東松浦半島の根本を横切って唐津市まで行き、そこのビジネスホテルに転がり込んだ。できることなら駅前旅館のようなところがよかったのだが、唐津市の中心部にさしかかると、最後の大奉仕と言わんばかりにさらに雨が激しくなり、もういやだと街中で手っ取り早く見つかったビジネスホテルに逃げ込んだというわけだ。ここまで降られ続けたら、料金のことなどもうどうでもよくなってくる。
濡れ鼠の旅人など宿にとっては嫌な客だったろうが、受付の方が「大丈夫、泊まれます!」と太鼓判を押してくれたので、ようやくゆっくり休めるとほっとした。
部屋に入ってザックを開けると、カバーをしていたにもかかわらず、中のものがだいぶ浸水していた。カメラは念入りに防水していたので無事だったが、服は水を吸って湿気っている。服の間に突っ込んでいた本は、頁がくっつき、ごわごわになっていた。ことごとく装備を取り出し、ハンガーというハンガーに服やタオルを掛け、吊せるところに吊す。吊すところが足りなくて、風呂場にも吊した。明日の朝まで少しは乾いてくれるだろうか。
合羽は旅に出て以来の酷使がたたり、ところどころ水漏れしていた。これだけ激しい雨になると、もはや用をなさない。シャツの胸やズボンの股のところなど、染み出してきた水ですっかり水浸しである。
長靴も限界が来ていた。旅に出て以来雨にたたられっぱなしで、長靴を履いて乗っていることの方が多かったため、左の長靴の甲に穴が開いていたのだ。単車は左足でシフトチェンジをするため、乗っていると靴の左足の甲のところが傷みやすい。だから単車専用の靴はたいがいそこが補強されている。ところが荒井が履いている長靴は、去年美幌町のホームセンターで買ったただのマリンブーツなので、そんな補強はされていない。買い換えればいいのだが、間もなく梅雨明けすると思うと、出番は少ないだろうから、どうしても買い控えてしまう。しかも荒井のことだ。買い換えた途端に梅雨明けして、長靴の出番がありませんでした! となることは目に見えて判っている。だから我慢して、結局最後まで破れた長靴を使っていたのだが、そのせいで、旅が終わる頃には水虫になってしまった。
ちなみにこの日は三食ともコンビニだった。朝食はツナコーンスパゲティ、昼食はアイスキャンディ一本、夕食はネギ塩カルビ弁当。どれも店の前で立ち食いだった。軒先で立ったままネギ塩カルビ弁当を貪っていると、どこからともなく現れた地元のおじさんが「えらい遠くから来たもんだね。この雨で大変だろう?」と励ましてくれたのが嬉しかった。
テレビをつけるとニュースをやっていた。なんでも昨晩からの雨で、九州各地で土砂災害が起きていた。水俣市では大規模な土砂崩れによって、少なからぬ被害が出ていた。そんな中を、荒井はDJEBELで走っていたのだ。
旅が終わった今でも、別にあんな雨の中を走ることもなかったんでないかとつくづく思う。長旅をする旅人の間では、雨が降ったら移動せず、連泊するなりしてやり過ごす方の方が多い。先を急ぐだけの行程は、そう面白いものではない。
この日は散々な目に遭った。しかし安心するのはまだ早かった。実はこの直後に、この旅最大の危機が待ち受けていたのだ!
注1・「日本の鉄道最西端」:これも2003年夏のゆいレール開業にともない、最西端は那覇空港駅に取って代わられた。現在は本土最西端ということになる。
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