寝たのは遅かったが、日の出とともに目が覚めた。天気はすこぶるよい。いつの間にか梅雨も明けたようだ。とっとと撤収し、近場のローソンでツナタマサンドとりんごジュースの朝食にした。
旅の最中、よく朝食にツナサンドとジュースを飲み食いしたことは前にも書いた。ツナサンドをよく食べた理由は、安くてどこでも売っていて食べやすいからなのだが、ジュースにもそれなりの理由がある。
旅に出ていると、野菜が不足がちになる。コンビニのサラダは高いからまず手を出さないし、スーパーでは一人分の野菜は買いづらくて割高なことが多い。そこで足りない分を補おうと、果汁100%のジュースを飲んでいたのだ。
特によく飲んだのが、グリコ乳業の「スイートオレンジ」300ml入りだ。こいつは100円でお釣りが来る上に量があって、甘さ控えめで飲みやすく、しかも飲み終わっても缶やペットボトルほどゴミにならないので、ツナサンド同様、大学にいた頃からよく飲んでいた。
テントを張ったところの向かいは川になっていて、朝早いのにもう何人も釣り客が来ていた。ここにテントを張ったときは、向かいに川があるなんてちっとも気付かなかった。河川敷にテントを張ってもよかったなと思いつつ、先へ進んだ。
今日一番の目的は、剣山スーパー林道の走破だ。林道は全長87.7キロで、徳島県の上勝町と木頭村(現那賀町)を結んでいる。そのうち未舗装区間は実に約60キロを数え、日本第一級の長距離ダートとして、単車乗りの間でその名を知られている。特にオフ車乗りにとって一度は走ってみたい道の一つであり、全国から憧れを集めている。
実は荒井、オフ車乗りにもかかわらず、林道は眼中になかった。自分の技量が技量なのと、長旅の途中、パンクや故障が怖いので、未舗装路は敬遠していた。だから当初は剣山のスーパー林道を走る予定は全くなく、そういう道があるということ自体忘れていたのだ。
ところが先日、北九州でタイヤ交換してもらった際、整備士さんが「四国には剣山スーパー林道もありますしね。」と言っていたので、この道のことを思い出した。タイヤも取り替えたし、DJEBELの状態にも太鼓判を押してもらった。これならもしかして行けるんじゃないかと思い、急遽、四国に行ったら走ってみようと決めたのだ。今や国道439号線も走破したのだ。十分行けるだろう。
林道に至る県道には、10キロも前から「剣山スーパー林道」の標識が立っており、林道というよりはまるで何かの名所のような扱いである。林道の起点には、「スーパー林道起点」と書かれた高さ3メートルほどの木製の立派な標柱が立っていて、起点であることを誇らしげに主張していた。そばには気の利いた案内看板もあり、やっぱりちょっとした名所である。日本屈指の林道は、多くの人を惹きつけて止まないようだ。とはいえ林道であることに変わりはないから、気を引き締めて走らなければならない。
起点に架かる橋を渡ると、大岩がゴロゴロする渓谷のお出迎えだ。林道もはじめのうちは谷がちで、途中には百間の滝という名瀑もある。滝見物の客に配慮したのか、林道の入口付近は舗装されてあったが、間もなく砂利だらけの未舗装路に変わった。
さすが日本屈指の未舗装路、よく整えられてあって、通るのに難儀するほど荒れている場所はほとんどない。通行量もそれなりにあって、反対側からやってきたオフロードバイクや四駆車ともたびたびすれ違った。中には飛ばして荒井を追い抜いていく単車もあった。
高く登るにつれ、まわりの山々が見渡せるようになる。四国の内陸は非常に険しく山深い。昨日国道439号線を走り倒しただけに、その実感はなおさらだ。
途中、腹の調子が悪くなってきたので、土須峠を少し越えたあたりで県道に抜け、岳人キャンプ場というところで厠を借りた。キャンプ場の管理棟はまるきりの山小屋だった。ここを拠点に山登りをする人も多いのだろう。
こんな具合に林道はところどころで県道や別の林道と接続し、分岐も多いが、そのたびごとに案内看板が建っていたので、迷うということはなかった。ある標識には「TsurugiSan WOODLAND ROAD」と英語で書かれてあった。ところどころにはキャンプ場や食堂併設の山小屋まであったりする。日本一の未舗装林道は、それだけで目玉となっているのだ。
再び林道に戻る。道は上り下りとガレ場、フラットダートなどを何度も繰り返す。ふと道端を見れば、落石でもあったのか、直径1メートルはある岩までところどころに転がっていた。今にも崩れてきそうな斜面もあちこちにある。いかに整備されているとはいえ、険しい山岳地帯を走る長距離林道だけに、こういう場所もいくつかあるのだ。日奈田峠のあたりから北に剣山が眺められると「ツーリングマップル」には載っていたが、走るのに専念していたおかげで、肝心の剣山を見るのを忘れてしまった。
かくして60キロを走り抜け、久方ぶりに舗装路が見えたときはほっとした。日本屈指の林道も、ようやく走破である。
しばらく未舗装路を走っていたので、すっかり土埃まみれである。国道195号線に出てすぐのところで、べふ峡温泉に入った。食堂もあったので、昼食もここで食べていく。頼んだのは「ぼたんそば定食」というもので、猪肉入りのそばにクラゲのサラダ、おしんこ、ごはんが付いてきた。猪肉は豚の三枚肉に似ているが、脂身の上にさらに硬い皮が付いているのが猪ならではだった。
さっぱりしたところで再び走り出す。国道は深い谷に沿い、川を見下ろすように走っている。四国の内陸はこんな調子で、何反歩もあるような広い水田や畑は一つも見なかった。
やがて香北町(かほくちょう・現香美市)にさしかかった。香北町にも、四国ではぜひ見ておきたい場所がある。町立のやなせたかし記念館、通称「アンパンマンミュージアム」だ。
やなせたかし先生は「アンパンマン」の作者として特に有名な漫画家だ。そのやなせ先生は高知県香北町の出身で、その縁で建てられたのがこの記念館である。
荒井はテレビアニメ化される前からの「アンパンマン」好きである。小さい頃に保育所で絵本を見ては「おもしゃいはなしもあるもんだにゃあ」と思っていた。顔が欠けても、ジャムおじさんに新しい顔にとりかえてもらえば元どおり、という奇抜さが特に気に入っていたのを覚えている。テレビアニメに至っては、ビデオに録画してまで初回放送を見たものだ。そんなわけで記念館の存在は前から知っており、日本一周ではぜひ見物したいと思っていたのだ。
記念館は国道沿いにある。ミュージアムはさいころのような真四角の建物で、屋上からはアンパンマンの人形が、きまぐれにひょこひょこ出たり消えたりしている。夏休みの日曜の昼下がりだけあって、建物前の芝生広場では、家族連れの方々が小さな子供さんと一緒に休んだり遊んだりしていた。あたりのスピーカーからは、アニメの「アンパンマン」の挿入歌が流れている。隣は道の駅だ。子供さんのいるご家族が遊びに来るにはうってつけだろう。その一方で、大人の客も少なからずいる。
館内は石巻で見た石ノ森萬画館と似ている。アンパンマンにちなんだ遊具、絵本の原画や複製画の展示が中心だが、その他にもやなせ先生らしい遊び心満載の楽しい建物だ。これまで発売されたアンパンマングッズなんかも見られるようになっていて、こちらも見応えがあって面白い。
記念館にはもう一つ、「詩とメルヘン絵本館」という別館がある。こちらはやなせ先生のもう一つの顔、雑誌「詩とメルヘン」編集長として携わった画業を中心に紹介している。子供らの歓声で賑やかなアンパンマンミュージアムとは対照的に、大人が静かに鑑賞している姿が目立つ。このときは「詩とメルヘン」同人三人による企画展が開かれていた。荒井は抒情画を見るのも好きなので、こういう場所はたまらない。
時間が許せば一日中じっくり見ていたかったが、先のこともあるので、名残惜しく記念館を後にした。
国道439号線と剣山スーパー林道も走破した。次は再び四国一周に戻らなければならない。高知市を素通りし、内陸の道を選んで中村方面を目指す。途中コンビニに寄って「黒くま」を食べて一息入れた。氷ミルクの「白くま」に対して、コーヒーシロップを使っているから「黒くま」というらしい。越知町では大樽の滝も見た。駐車場から遊歩道まで、暑い中少し歩くことになったが、道の先に滝が現れると、途端に涼しげな気分になった。
国道33号線から国道440号線に乗り換えさらに走る。曲がりくねった山道を登り、地芳峠を越えると、あたりが暗くなってきた。
この日はキャンプ場に泊まるつもりだったが、時間のせいか管理棟らしき建物は閉まっていた。しかもガスのおかげで何も見えず、どこにテント場があるのかもわからない。やむなく手頃な四阿の下にテントを張った。手持ちの水の残りは心細く、すぐに食べられるものもなかったので、夕食は食べ損ねてしまった。