与作国道を往く

中村市国道439号線終点
全国三桁国道愛好家垂涎の的、与作国道439号線の旅はここから始まる。

 四国に来たらぜひ走っておきたい道が二つあった。一つは単車乗りにはその名を知られた日本屈指の長距離林道こと剣山スーパー林道。そしてもう一つは、日本屈指の三桁国道、国道439号線だ。
 国道439号線は、総延長約350キロの四国最長の国道だ。中村市と徳島市を結んでおり、地元の方には語呂合わせで「与作」国道と呼ばれて親しまれている。全線の大部分が山奥の峻険な場所を通っているため、その様子が三桁国道愛好家の間では語りぐさとなっており、四国に来たなら走ってみたいと思っていたのだ。

 芝の上にテントを張ったため、床が湿っていた。テントをひっくり返し、朝日が昇るのをボケーっと眺めつつ、茶を淹れて乾くのを待つ。キャンプ場を出発したのは六時半頃だった。
 市内駅前の「スリーエフ」でツナハムサンドと「リープル」なる、ゲンキクールのような地元限定乳酸菌飲料で朝食にする。腹ごしらえが済んだところで、さっそく伝説の三桁国道を走ることにした。

杓子峠
杓子峠。苔が生えかけた標識と杉林に注目。

 道は市内の国道56号線から発している。少し街を離れると、道は急に鄙びてきた。田んぼに堤防、山間の集落。そしていきなり山越えになった。急峻で曲がりくねった一車線の道路で山林を一気に駆け上る。いつどこからヘイヘイホ〜と聞こえてきてもおかしくない。こうして杓子峠にさしかかった頃には、立て続けに現れる狭隘区間と田舎っぷりに、さっそく衝撃を受けていた。これでまだ全行程の10分の1程度しか走っていない。これからどんな道が現れるのかと思うと、空恐ろしくさえある。
 峠を越えふもとに降りてくると、道は谷あいの渓谷に沿って走った。渓流は岩がちで、大きな岩が転がっている。川はやがてダム湖となり、しばらく緑の中の静かな湖の光景が続いたかと思うと、また岩がゴロゴロとした河原に変わった。

残された橋脚
道中で発見。橋脚のみを残すかつての橋。

 道は相変わらず緑の山深いところを走っている。細くてぐねぐねなのも相変わらずだ。気分転換がてら、東津野村(現津野町)に来たところで、長沢の滝を見物した。ハート型の穴から水が流れ落ちているという変わった滝だ。あたりは林の木陰に囲まれ、空気もひんやりとしている。

長沢の滝
長沢の滝。穴から水が流れ落ちる珍しい滝。

 トンネルで矢筈峠(やはずとうげ)を越したところで、今度は「四万十川源流の碑」という案内標識を見つけた。当然ながら、四万十川の源流は四国にしかない。四国に来たなら見なければならないだろうと、ここでも寄り道して見に行くことにした。
 これまで走ってきた山奥は、四万十川を育む源流の森でもある。四万十川の源流は不入山(いらずやま)という、名前からして深山幽谷の雰囲気漂う場所にある。地図を見ると、そこまでは道が通じており、名前の割にはすぐに行けそうな気配だ。
 しかし不入山はやっぱり不入山だった。道は間もなく未舗装路に変わり、しかもところどころガレている。いかなDJEBELとはいえ、こうなると速度は出せないし、走行には気を遣う。かくして4、5キロほど未舗装路を走り、ようやく記念碑のある広場にたどり着いたが、相当山奥に分け入った気分になった。
 碑は大人の背丈ほどもある大岩で、表には達筆な文字で「四万十川源流之碑」と浮き彫りされている。この字は能書家として知られる宮沢喜一元首相の揮毫によるものだ。裏には橋本大二郎高知県知事による撰文が刻まれてある。
 源流はこの碑から25分ほど、さらに山を登っていったところにある。行こうか行くまいか考えあぐねていると、そこに品川ナンバーのオフ車に乗った旅人が現れた。

斉藤博嗣さん 四万十川源流
斉藤さんと四万十川源流。その節はお世話になりました!

 「こんにちは! 源流を見に行くんですか?」

 彼は斉藤博嗣さんという。普段は関東で仕事をしているが、休みを利用しての四国ツーリングの最中で、四万十川の源流を見に来たそうだ。なかなか面白い経歴のある方で、かつてはピースボートで世界一周したこともあるという強者だ。現在は千葉県の鴨川を拠点に有機農業を営んでいる。
 「この上に源流があるんですか?」「んだみたいですね。25分ほど歩くようですが。」などと話している最中にも、そばでは人が何人か登ったり下りたりしている。この調子なら比較的容易に行けそうだということで、二人して25分の道のりを歩いていくことにした。
 道はちょっとした沢登りだった。苔むした岩、倒木、水流、急な登り。そんなところを踏み越え踏み越え、ようやくたどり着いた源流点は小さな沢で、傍らには四万十川の源流を示す木製の白い標柱が立っていた。
 さっそく源流の水をひとすくい飲んでみた。混じりけのない味が清々しかった。これこそ清流四万十川のはじまりだ。この小さな流れがゆくゆくは四国有数の川となって、海に注いでいる。

あめご塩焼き
あめごの塩焼き。あめごは四国の代表的な渓流魚。

 これから四国カルストを見に行くという斉藤さんと別れ、再び一人、国道439号線を走り出す。気が付けば昼をだいぶ過ぎていた。吾川村(現仁淀川町)で中津渓谷を少し見物し、その近所にある「ドライブイン引地橋」で、あめごの塩焼きとおでんで昼食にした。あめごは渓流に住む川魚で、このあたりの名物となっている。ドライブインでは、串に刺して炭火焼きにして売られていた。酒でもあればなおよいのだろうが、酒飲み運転になるからそういうわけにはいかない。
 ここまで国道を走ってきたが、ファミレスやコンビニ、大型量販店の類はまるで見かけなかった。幹線道路だったら、どこでもあたりまえの存在になってしまったこれら施設が、この国道にはほとんどない。それだけに食事ができる場所にたどり着くためには、けっこう距離を走ることになる。
 それでも道は改修が進んだようだ。隘路はところどころで幅7メートルはある二車線道路やバイパスに変わったし、カーブを解消するためにトンネルができている場所もあった。トンネルの多くはここ数年の間にできたもので、コンクリートは黒ずんでもいない。伝説の三桁国道もその姿を変えつつある。
 国道もゆくゆくは新道に置き換わっていくのだろう。地元の方にとっては歓迎すべきことなのだろうが、三桁国道愛好家荒井としては、面白い道が失われるようで寂しくもある。旧道が残っているところはなるべく旧道を選んで走っていた。

 今作られている道のいくつが、百年後に名道として残っているだろうか?

 土佐町、本山町、大豊町の界隈は、比較的開けた道が続いた。大豊町では二桁国道32号線と一部重複してさえいる。沿線にはぽつぽつと商店や民家が建っているし、コンビニもある。何より交通量がそこそこ多い。終点の中村市と起点の徳島市を除けば、国道439号線で最も賑やかな区間である。土佐町には道の駅があったので、そこで名物の柚子シャーベットを買って食った。冷やし方が十分すぎるのか、固くてなかなか匙が立たなかった。
 重複区間を過ぎると、再び狭いぐねぐね道に変わった。途中、土砂崩れ復旧工事のため、交通規制が敷かれている場所もあった。一時間に十分だけ車を通して、あとは工事で通行止めというやつだ。規制箇所の先頭でDJEBELに跨って待っていると、工事の方が「バイクだったら通れるよ。」と、特別に通してくれた。工事のおじちゃん、ありがとうございました。
 工事箇所は法面が崩れていて、車一台が通るのも大変そうだ。作業中のショベルカーの脇をそろそろと通り抜け、無事先へ進むことができた。国道439号線は幅が狭い上、通っている場所が通っている場所だけに、ひとたび崖崩れが発生すれば、それでしばらく通れなくなってしまう。

法面崩落箇所
法面崩壊現場に遭遇。道が道だけにこういう事はしょっちゅうらしい。

 今日何度目かもわからない、狭いぐねぐね道を上りきると「徳島県」の標識が現れた。国道439号線最大の山場、京柱峠に着いたのだ。
 峠には小さな茶屋があって、運転にくたびれたらしい方が一休みしていた。湧き水もあるので、ここでのどを潤すこともできる。
 来た方を振り返れば、山谷がはるか向こうまで続き、ところどころに集落があるのが見渡せた。自分は延々この山谷を走ってきて、この峠に着いたのだ。それから東に行く手の方を見やれば、また同じように山谷が遙か遠くまで続いている。徳島市までは、まだまだこの道を走っていかなければならない。

京柱峠
国道一番の見どころ京柱峠に到着。高知から徳島へ。

 見渡す限りの山と谷。どこを向いても山と谷。これぞ与作国道、国道439号線。自分は四国のまっただ中にいる。
 この絶景を収めようとカメラを取り出したが、自分の腕前ではどうも写真に収まりそうにないので、かわりにまぶたに収め、高知の山谷を背に、徳島県に下っていった。

 徳島に入っても、山間を通るのはあいかわらずだ。にもかかわらず、細い道の左右には、谷や山にへばりつくようにして民家がいくつも建っていた。日本有数の秘境の一つ、東祖谷山村(ひがしいややまそん・現三好市)だ。宮崎県の椎葉村同様、平家の隠れ里という伝説がある。
 道が狭いにもかかわらず、たまに結構な速さで突っ込んでくる対向車がいたりする。よくこんな道で飛ばせるものだと感心してしまうと同時に、そのたびごとに肝を冷やした。DJEBELでなければかわしきれず、何度も事故っていたに違いない。

見ノ越
国道もう一つの山場、剣山見ノ越。谷底ははるか下。

 ひたすら長い坂道で東祖谷山村を横断し、日が傾く頃、剣山の見ノ越にさしかかった。剣山は四国第二の高峰で、与作国道はその頂上間近さえ通っている。とはいえあたりは観光開発が進んでいるようで、みやげ屋や山小屋、山頂近くまで行けるリフトの駅もあった。
 ここからの下りが豪快そのものだった。東に控える巨大な渓谷を、鋭い九十九折りで一気に下っていくのだ。四国第二の高みから、谷底めがけて下っていく。峡谷はあまりに巨大で、地の底から天に届く壁にさえ見える。

 国道は見ノ越で一つ番号の若い国道438号線と合流し地図から姿を消すが、道は起点の徳島市まで続いている。峡谷を抜け、淡々と走る。進むにつれ、こころなしか民家や集落が増えてきた。実際風景に大きな変化はないのだろうが、番号が一つ違うだけでも、大きく違って見えるような気がする。
 次第に暗くなってきた。夕暮れは夕闇に変わり、橙色の街灯がともりだす。こうした中の道中はいつも心細いが、起点まではもうすぐだ、と自分を奮い立たせる。暗い中、DJEBELをひた走らせ、神山町、佐那河内村(さなごうちむら)と通り抜け、そしてついに国道439号線始まりの地、徳島市に足を踏み入れた。
 中村市から予備燃料に手を付けることなく、ここまで走れたことは驚きだったが、万全を期すため、市内に入ってすぐのところで給油を済ませた。あとは起点目指して与作国道を走破するだけだ。

国道439号線起点・徳島市元町交差点
国道の起点にしてゴールとなった徳島駅前の元町交差点。これから寝場所探さないと...

 大部分が山奥の国道439号線も、徳島市の中心部に近づくとさすがに賑わってくる。道は何車線もあるような幅の広いものに変わり、両側には背の高い現代的な建物が建ち並んでいる。そしてとうとうたどり着いた国道439号線起点、徳島駅前の元町交差点には、立派な歩道橋が待っていた。今日見てきた交差点の中では一番立派なものだ。歩道橋が旅人を迎える凱旋門のように見えたというのは言い過ぎだが、起点を飾るにふさわしい交差点だった。与作国道、走破達成である。
 中村市の終点からここまで約350キロ。DJEBELの距離計もそれに近い数字を示していた。時計を見れば夜の九時近い。中村市を出発したのが朝の七時頃だったから、かれこれ14時間かけて、ここまで来たわけである。

 走破して一満足したところで、夕食も寝る場所の確保もまだだったことに気が付いた。市内で見つけた「バーミヤン」で、手早くネギラーメンと餃子の夕食を済ませ、寝る場所を探して徳島市を出る。徳島市は徳島県の県庁所在地だが、今回は国道439号線を極めることが目的だったので、高知県を廻ってからもう一度来ることになる。それに明日は剣山スーパー林道を走って高知に戻る予定なので、今夜中にその足がかりも付けておきたい。寝場所を探しながら林道方面に向かって走るうち、勝浦町でよさげな農協の施設を見つけたので、そこの片隅にテントを張って寝た。
 この日の走行距離は410.8キロだった。一気走りで東京に行った日に次ぎ、日本一周で二番目に長い走行距離を記録した。

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