小国の地質みてあるき2」 萩谷 宏 さん

 続きです。

 越後金丸から国道113号を東へ戻り、赤芝発電所から長者原方面への太い分かれ道に入る。地図で見ると、ちょうど新潟県と山形県の県境なのですね。2000m級の山に向かう道ですから、すぐに険しい谷の連続になることを想像したのですが、案外と谷が開けていて景色がなだらかなのですね。どうも、南に谷を遡っていくと、玉川の集落のあたりから第三紀層の分布域に入るらしい。その第三紀の地層がやや軟らかいので谷が広くなっているのではないかな。
 小国の地質は、南北に長く第三紀の地層が分布して、そこが地形的にも盆地になっているようですね。北には朝日山地、南は飯豊山地の花崗岩類が分布していて、そこは高い山になっています。西側の赤芝峡谷や沖庭山のあたりにも、やはり花崗岩類が隆起して露出しているようですが、平たい沖庭山の頂上の付近には、緩く傾斜した第三紀層の地層が見られるそうです。この部分の隆起と、金丸のあたりの低い部分と、さらにその西側の高い部分との関係が、ものの本には隆起と陥没で説明されているのだが、それがどうも疑問なのだ、とたくおさんがおっしゃる。うーん、まだこの時点ではぴんときませんでした。

 正面、はるか遠くに雪に覆われた飯豊連峰が見えます。あれは雪が深そうだな・・。しかしこのあたりはあまり雪もなく、道はいいし新緑がまぶしい。そのまま車は南へ。玉川の小学校の横を通る。小国は広い町ですね。700km2もあるのだそうで、その中に小中学校がいくつでしたっけ?、とにかくかなり学校が多い。したがってどうしても小規模校ばかりになるのだそうですね。同じ面積でも第三紀層の分布域でなければ、もう少し集落が集中したのではないかと思います。南北にかなり広い面積で第三紀の軟らかい地層が分布して、ちょうどそこが盆地状になっているように思えますね。

 道ばたに大きな石がある。花崗岩かな、と思ってよく見ると、石英の自形の丸っこい、暗い色をした結晶が、白っぽい不透明な地(石基)のなかに埋まっている。流紋岩ですね。川で流されてきたにしては巨大すぎるし、角ばっているなあ・・・と不思議に思う。こういう石がよく見ると、山の斜面や道路端にところどころ見られる。ふうむ。しばらく引っかかっていたのですが、この流紋岩の巨塊のできかたは、あとで周囲の風景を見渡してぴんときました。第三紀の地層がある程度たまってから、その中に流紋岩マグマがドーム状に貫入して冷えて岩体をつくっているようなのですが、これが風化・侵食に強いので、いまはそこだけ侵食から取り残されて山になっているようです。黒石山や大花山などの、玉川の両側にそびえる山はそういうものじゃないかな。それで、その流紋岩の下側の地層が弱いためか、かならず流紋岩の露出する崖ができているのですね。そういう崖から転がり落ちてきたのだと考えると、角ばった巨大な流紋岩があちこちにあることの説明が付きますね。うーん、面白い。

 面白いのは、流紋岩の現れ方にも言えます。ドーム状にそれ以前の地層に貫入して盛り上がって、小山をつくっているのをよく見かけます。東北日本の新第三紀層が発達する地域にはこのような形態がとても多いですね。もっとも、小国では大規模な流紋岩質凝灰岩の堆積した地層も見られますが。

 こういう流紋岩のマグマの成因は、ちょっと難しいことがあるのですが、ひとつの考え方は、日本海が開いたこの新第三紀の2000-1000万年前くらいの時期に、マントルから玄武岩質のマグマがぼこぼこ上がってきて、それが噴出するとともに、地下でも周囲の下部地殻を融かして、流紋岩質マグマを大量につくって、それが噴出した、というシナリオが考えられていますね。大事なことは、流紋岩と玄武岩はあっても、中間的な組成の安山岩質のマグマがあまり見られないことで、横軸にSiO2の%、縦軸に頻度をとってグラフを書くと、バイモーダル(2こぶラクダ)になる。これは大陸地殻がちぎれて開くところで起こる火山活動のマグマの特徴なのですね。原因は、(多くの場合は)材料の違いで、玄武岩の材料はマントルのかんらん岩、流紋岩の材料は(下部)地殻の岩石=はんれい岩や変成岩、花崗岩など、SiO2の比較的多い岩石、というわけですね。
 現在の地球上では、北米西岸付近のグレートベーズンやイエローナイフ国立公園のあたりがそうですし、東アフリカの大地溝帯もそうですね。いままさに、大陸がちぎれようとしている、そういうところではバイモーダルな組成の火山岩が見られるわけです。いまの日本やアンデスのようなところでは、安山岩の割合が非常に大きく、グラフはユニモーダルになるのでずいぶん違う。
 新第三紀の日本も、大陸からちぎれて、あいだに日本海ができる事件の舞台となっていて、その時の火山活動の産物がこれらの低い山々であり、小国盆地をつくる地層のかなりの部分を占めているわけですね。

 南に進むに連れて、次第に道ばたの残雪が深くなる。道路はずいぶんいいし、除雪もしてあるのだが、さすがは飯豊山のふもとです。
 たくおさんに玉川小学校の建物を見ながら、最近の建築ではあまり雪を苦にしなくなったのでずいぶん設計が違うのだ、という話をしていただいたり、学校の統廃合がそう簡単にできない地域の事情の話も伺う。こういうお話も大事なことですよね。道を8kmくらい進むと、今度は小玉川の小学校が現れる。うーん、やっぱりこれは通える距離ではないよなあ、と思ったりして。そうそう、ここが長者原なんですね。玉川と内川の合流点のところで、どうやらこのあたりはきれいな河岸段丘の一部のようです。ずいぶん開けた感じの地形ですね。でも、道路以外は残雪に埋もれていて、いまひとつ様子が分からないのが残念です。その道路も通行可能なのは1.5km南の国民宿舎までですね。連休だからでしょうか、国民宿舎にはけっこうお客が来ているようです。そこで車をターンして来た道を戻りました。

 帰り道はときどき車を停めていただいて、石を見ました。流紋岩は石英の他に斜長石の白っぽい細長い結晶も見えるようです。石英は黒っぽく見える(透明なので光が中まで通ってしまい、出てこないので暗く見える)ので最初は何かと思いました。高温石英のそろばん玉のような、六角形の外形が見えるものがありますね。直径は2mmから4mmくらいかな。先ほど述べた大きな転石を2つ 観察しました。
 こういう流紋岩の材料は、先ほど赤芝峡谷でみたような花崗岩が地下にもずっとあるとすると、そういうものが部分的に融けたものかもしれないな、という説明をしました。

 だんだん眠くなる。たくおさんと話しながら、意識はふうっと遠くなり・・。たくおさんが「ずいぶんお疲れなんじゃないですか」と心配してくださる。うっ、いかん。ここで眠ったら地質屋の沽券に関わる!。片貝のあたりで、玉川の対岸に渡り、第三紀の砂岩の地層の露頭の横に車を停めて、小国の第三紀層では唯一の分布だという玄武岩の露頭を探す。
 この砂岩の露頭には炭化した木片(亜炭)が層状に、十数cmの大きさではさまっている。夾炭層かな、とちょっと悩む。石灰質のノジュール(砂岩の砂粒の間に石灰分が沈殿して、周囲より固くなった部分)もあるようだ。海進−海退のサイクル(夾炭層のできかたと関係が深い)が地層で見えるかな、と少し慎重に眺めるが、ちょっとそれは見えないようですね。残念。
 眠け覚ましに走って川原へ。お、怪しい。たしかに黒緑色のもろい石が出ている。ふうむ、たしかに玄武岩のようです。ただし、これは溶岩ではなく火山砕屑岩というか、スコリア層みたいなものかも知れません。ぼろぼろ手の中で崩れてしまう。けれど、こういうものは貴重なのです。先ほど書いた説明のように、玄武岩のマグマはマントルの中でマグマができた条件や、周囲のマントルの性質を、化学組成の上で(比較的)忠実に反映してくれるものですから。対岸を見ると、この黒緑色の岩石が水面から数mのなめらかで急な崖をつくっている。やはり溶岩ではなく火山砕屑岩(玄武岩質角礫凝灰岩、とでもいうのかな)のようですね。川による削られ具合で、そこまで行かなくてもある程度岩石の性質が読めるのはありがたいことですね。
 すぐ近所にたくおさんの親戚のおうちがあるそうで、そういう目でこのあたりの地質や岩石を見たのははじめてだ、と喜んでくださる。でも、怪しげな説明だったり、自分が考えるのに夢中になって説明不足だったこと、たくさんあったのですよね。ごめんなさい。

 だいぶ日が暮れてきました。もう18時。戻りましょうということになる。たくおさんのおうちへ。よく考えると、昼も食べ損なったので、突然空腹感を覚える。夕食をごちそうになり、たくおさんのお父様、弟さんともお話しする。季節の山菜をずいぶんいただいたのだけど、飢えていた上に酔っぱらって、実はよく覚えていないのです。ごめんなさいm(__)m。でもおいしかった〜。  弟さんは技術屋さんらしい雰囲気の方ですね。僕は石と名のつくものはシリコンのチップでもトランジスタでも好きなんですね。妙なところで話が合って、楽しかったです。
 お父様はずっとにこにこしておられましたね。戦時中から戦後の小国周辺の鉱山開発の話や、ウランの探鉱の話も伺いましたよ。規模は大きいのだけど、国内の他の鉱床と同じように当分掘らずにおくことにしているらしいとのこと。あとでたくおさんに伺いましたが、地質による川の水の性質の違いや、それによる収量の違いに気づいておられたとのこと。うーん、これは酔っぱらってないで聞き書きをせっせと取るべきだったなあ。
 すっかり時間を忘れてしまって、僕の持参したMOとノートパソコンで、氷河地形の写真集などをお見せしたりしていたら、24時を回ってしまいました。みなさん遅くまでつきあっていただいて、なんとも恐縮でした。どうもこの歳になっても夢中になると他のことみんな忘れてしまって・・。子どもと同じですね。でも楽しかったからこそ夢中になったわけですね。充実した時間をみなさんありがとうございました。こうして第一日は終了。


たくお RE:小国の地質みてあるき2

萩谷 宏さん、こんばんは。
 「みてあるき2」ありがとうございました。「みてあるき1」同様貴重な記録になります。読ませていただきながら思ったのですが、萩谷さんの記憶力はホント凄いですね。かなり疲れていらっしゃる様子でしたのに、細かいところまで覚えていてこうして書き込んで下さって、読ませていただいてあらためて理解を深めたことも多く、大変有り難く思っております。

>> 小国の地質は、南北に長く第三紀の地層が分布して、そこが地形的にも盆地
>>になっているようですね。北には朝日山地、南は飯豊山地の花崗岩類が分布し
>>ていて、そこは高い山になっています。西側の赤芝峡谷や沖庭山のあたりにも、
>>やはり花崗岩類が隆起して露出しているようですが、平たい沖庭山の頂上の付
>>近には、緩く傾斜した第三紀層の地層が見られるそうです。この部分の隆起と、
>>金丸のあたりの低い部分と、さらにその西側の高い部分との関係が、ものの本
>>には隆起と陥没で説明されているのだが、それがどうも疑問なのだ、とたくお
>>さんがおっしゃる。うーん、まだこの時点ではぴんときませんでした。

 そうなんです。直線距離で10キロにも満たない間に3本の断層が走っていて、その断層を境にして隆起している部分と陥没している部分が交互にあるなんて、どうも疑問なのです。この説についてはhttp://toki.ed.niigata-u.ac.jp/~kon/dansou.htmlをご覧いただけるとわかりやすいと思います。CGで見るとそう見えないこともないのですが、何か怪しい気がしています。

>>ところどころ見られる。ふうむ。しばらく引っかかっていたのですが、この流
>>紋岩の巨塊のできかたは、あとで周囲の風景を見渡してぴんときました。第三
>>紀の地層がある程度たまってから、その中に流紋岩マグマがドーム状に貫入し
>>て冷えて岩体をつくっているようなのですが、これが風化・侵食に強いので、
>>いまはそこだけ侵食から取り残されて山になっているようです。黒石山や大花
>>山などの、玉川の両側にそびえる山はそういうものじゃないかな。それで、そ
>>の流紋岩の下側の地層が弱いためか、かならず流紋岩の露出する崖ができてい
>>るのですね。そういう崖から転がり落ちてきたのだと考えると、角ばった巨大
>>な流紋岩があちこちにあることの説明が付きますね。うーん、面白い。

 このお話は車の中でもお聞きして、なるほどなあと景色を見回していたのですが、もう一度なるほどなあと言いたい気持ちです。景色の中にこういうのが見えて来るって、すごいと思うし、面白いですね。写真を撮って来てホームページにつけ加えようと思ってます。いっそのこと一連の萩谷さんの報告をHTML化させていただいて、所々ハイパーテキストにして写真とリンクさせてもらいましょうか。
>> こういう流紋岩のマグマの成因は、ちょっと難しいことがあるのですが、ひ
>>とつの考え方は、日本海が開いたこの新第三紀の2000-1000万年前くらいの時期
>>に、マントルから玄武岩質のマグマがぼこぼこ上がってきて、それが噴出する
>>とともに、地下でも周囲の下部地殻を融かして、流紋岩質マグマを大量につく
>>って、それが噴出した、というシナリオが考えられていますね。大事なことは、
>>流紋岩と玄武岩はあっても、中間的な組成の安山岩質のマグマがあまり見られ
>>ないことで、横軸にSiO2の%、縦軸に頻度をとってグラフを書くと、バイモー
>>ダル(2こぶラクダ)になる。これは大陸地殻がちぎれて開くところで起こる
>>火山活動のマグマの特徴なのですね。原因は、(多くの場合は)材料の違いで、
>>玄武岩の材料はマントルのかんらん岩、流紋岩の材料は(下部)地殻の岩石=
>>はんれい岩や変成岩、花崗岩など、SiO2の比較的多い岩石、というわけですね。

 なるほど、なるほどです。なんで「グリーンタフ時代=日本海の形成」なんてわかるのか不思議だったのですが、少しわかったような気がしてきました。
 http://toki.ed.niigata-u.ac.jp/~kon/ganseki.htmlの凝灰岩の地層にしてもある資料ではグリーンタフとして紹介してあり、横川ダム建設の建設省の方の話では、溶結凝灰岩だと言うしで、「グリーンタフ=溶結凝灰岩ではおかしいなあと思っていたのですが、萩谷さんとお話しして、グリーンタフが生成された時代の流紋岩質噴出物の層であるとおおざっぱにとらえていればいいのかななんて思っています。まったくの的外れだったりして???

>>対岸を見ると、この黒緑色の岩石が水面から数mのなめらかで急な崖をつくっ
>>ている。やはり溶岩ではなく火山砕屑岩(玄武岩質角礫凝灰岩、とでもいうの
>>かな)のようですね。川による削られ具合で、そこまでいかなくてもある程度
>>岩石の性質が読めるのはありがたいことですね

 これはそのうちもう一度行ってサンプルを採集して来ようと思っています。何にしても対岸の層を見ただけでここまで読んでしまう萩谷さんってやっぱりミラクルでした。

>> お父様はずっとにこにこしておられましたね。戦時中から戦後の小国周辺の
>>鉱山開発の話や、ウランの探鉱の話も伺いましたよ。規模は大きいのだけど、
>>国内の他の鉱床と同じように当分掘らずにおくことにしているらしいとのこと。

 この辺の古い鉱山については小国町史の別単元にありました。次に書き込みます。萩谷さんにはいろいろと資料もお借りしていますのでお返しするときに一緒にコピーをお送りします。どうやら、もうほとんど掘り尽くしてしっまっている様です。

>> すっかり時間を忘れてしまって、僕の持参したMOとノートパソコンで、氷
>>河地形の写真集などをお見せしたりしていたら、24時を回ってしまいました。

 グリーンランドでの調査活動のお話大変面白かったです。あの画像をFYAMAPのCD-ROMに載せてもらったらいかがですか、なんて勝手なことも言いましたが、萩谷さん一人のものでないので難しいというお話でしたよね。でも皆さんにもお見せしたいと思いました。


萩谷 宏     グリーンタフ

 たくおさん、こんにちは。喜んでいただけるとうれしいです。

> http://toki.ed.niigata-u.ac.jp/~kon/ganseki.htmlの凝灰岩の地層にして
>もある資料ではグリーンタフとして紹介してあり、横川ダム建設の建設省の方の
>話では、溶結凝灰岩だと言うしで、「グリーンタフ=溶結凝灰岩」ではおかしいな
>あと思っていたのですが、萩谷さんとお話しして、グリーンタフが生成された時
>代の流紋岩質噴出物の層であるとおおざっぱにとらえていればいいのかななんて
>思っています。まったくの的外れだったりして????

 地学事典(平凡社)1981改訂版、から、「緑色凝灰岩層green-tuff formation」の項目を引いてみました。以下はその引用です。

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「裏日本油田地方の第三系最下部層。変質して緑色を呈する酸性〜塩基性の火山岩類を主。砂岩・泥岩・礫岩などをはさむ。グリーンタフ層・緑色凝灰岩・グリーンタフとも呼ばれる。中新世前期〜中期。女川階より下位にある火山岩類を主とするコンプレクスを総称して緑色凝灰岩層と呼んだ。現在、層序的には門前階・台島階・西黒沢階に分けられ、通称としてのみ使用されている。グリーンタフは上記のひとつの層準を示すことばとして使われるほかに、凝灰岩が変質して緑色になった岩石名としても用いられる」

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 問題の流紋岩質凝灰岩は、北小国層としてこのあたりの第三紀層の最下部を構成するものとされている(小国町史)ので、色が白色〜淡赤紫色の流紋岩質凝灰岩だとしても、この定義ではグリーンタフ層と呼んでもいいことになりますね。

 ふうん、そんなものなんだあ、というのがちょっと調べてみた感想です。

 その3、4は、また遅れますがお待ちください。露頭に関する記憶力には自信がありますので・・。(でも生徒の顔を覚えるのは苦手。)
 反応が遅くてごめんなさい。書き込みはしばらくできませんが、また。


たくお RE:グリーンタフ

 萩谷 宏さん、こんばんは。
 詳しい解説をいただきながら、レスがたいへん遅れて失礼しております。

>> 問題の流紋岩質凝灰岩は、北小国層としてこのあたりの第三紀層の最下部を構
>>成するものとされている(小国町史)ので、色が白色〜淡赤紫色の流紋岩質凝灰
>>岩だとしても、この定義ではグリーンタフ層と呼んでもいいことになりますね。

 おかげで疑問が解け、たいへんすっきりしました。自分で地学事典で調べればわかったことなのにごめんなさい。感謝しています。

(続く)