車と男

 97年、大学4年の秋。地元山形県のスーパーマーケットに就職が決まり、通勤のため普通車免許を取った。山形はバスや電車が発達してないので、通勤するにも自家用車が必須となる。翌年春の卒業と同時に三菱パジェロミニを手に入れ、4月から会社に勤めるようになった。
 足と自転車がパジェロミニに替わると行動範囲がぐっと広がり、休みの度に自分の住んでいる山形を巡るようになった。我が郷土とはいえ、知らない場所ばかり。道路地図を手がかりに、山奥の峠道、うち捨てられた旧道古橋、通る人もほとんどいない砂利道などなど、気の向くままに車で訪れていった。

背炙り峠
山形県の背炙り峠にて。端っこのが愛車パジェロミニ。

 一方、スーパーマーケットの仕事は相当にきつく、思うように休みも取れず、タダ働きも多く、やがて煮詰まっていった。若い頃は苦労しなければならないと自分に言い聞かせてみるものの、会社のために自分を削るような生活が続くと、すっかりやる気がしぼんでしまっていた。
 もちろん真面目に勤めていれば、昇進もできたし、生活も安定していただろう。しかし、昇進しても仕事に追われっぱなしの上司の姿を目の当たりにしたり、何となく仕事をこなして何となく歳を取り、4,50歳になっても何となく天ぷらを揚げ続けている(惣菜部門で働いてました)自分の姿を思い描くと「これでいいなが?」といたたまれなくなってきた。あのとき自分は明日を見失っていたのだと思う。

日本一周を決意する

 そんなある日。いつもどおりパジェロミニで出勤する途中のこと。よく晴れた朝だった。

 「今日も天気いいなぁ...こういう時は会社行がねで、車さ乗ってどっか行ぎでぇなぁ...この道ばずっと走ったら、どさ繋がってんだべ...山形の外さは、何があるんだべなぁ...見でみったいなぁ...」

 いつもどおりハンドルを握りながら、いつもどおり流れる風景を眺めつつそんなことを考えていた。いつもはここでため息でもついて終わるのだが、ところがその日に限ってはいつもどおりでなかった。

 「...待で? 今や俺は車が運転でぎるんだ。確かめんなはもちろん、その気んなれば日本一周だってでぎんなんねが!?」

 そのときだった。住んでいる県はおろか住んでいる国さえ見て廻れる手段を、自分はすでにものにしていたことに気が付いた。日本一周が努力すれば十分手の届く夢であること、逆にいえば努力もせず何となく生きている限り、どんな夢も叶うことはないと気が付いてしまったのだ。その瞬間、胸の奥底に眠っていた「自分が住んでいる日本という国への興味と好奇心」が激しく沸きあがってきた。

 「このまま何気なく生ぎでだがったらこのままで終わってしまう。人生は一度しかない。さいわい自分はまだ若いし、日本一周でぎるぐれの力はあるはずだ。今の感性で一度は自分の国ば見でおぎだいし、何よりこのまま歳ば取ってから『若い頃日本一周さ憧れでね...』と後悔すんなだげはどうしても耐えらんね。自分の住む国ば見でおぎだいとは昔がら思ってだがったげど、実現のため何一つすねがった。んだら実現すねなは当たり前だ。んだがったら行ってやっぺず。自分の目でこの日本ば隅々まで見でやるんだ!」

 安直だが旅の動機とは得てしてこんなものである。自分の住む国を隅々まで見てみたい。ならば行って現に確かめるまで。そう決心し、ここに日本一周実現に向けての努力が始まった。

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