努力の日々

 とはいえ具体的にどうすればいいのかなんてさっぱりわからない。もちろん車が動かせるだけでは話にならないし、第一元手がない。そこで給料のほとんどを貯金に注ぎ込み資金を蓄える一方、賀曽利隆さんや荒木利行さん、シェルパ斉藤さんに寺崎勉さんといった名だたる旅人たちの本を読み、旅の仕方や心構えを学んでいった。山形巡りももちろん続け、日帰りながら旅のコツを徐々につかんでいくことにした(その成果が「県民ケンちゃん」です)。
 日本一周といってもそのやり方は様々で、移動手段にしても飛行機から徒歩まで、宿も豪華ホテルから野宿までと様々な選択肢がある。
 当初は愛車パジェロミニで車中泊をしながら行くつもりだったが、機動性と費用、整備のしやすさなどの面で単車の方が利点が多いと考え、01年秋に改めて普通自動二輪免許を取得した。
 単車では車中泊もできない。毎日旅館やホテルを使っていたらすぐに破産してしまう。基本的に野宿することにして、場合によって宿に泊まることにした。旅の方法は決まった。単車による野宿旅だ。

読んだ本いろいろ
旅のため読んだ本いろいろ。先達に学びつつ、日本一周への情熱を燃やしていた。

 何をもって日本一周とするかも考えた。海岸線沿い一周はぜひ達成したい。次に全都道府県踏破。旅をするなら自分ならではの視点も盛り込みたい。都道府県に一つしかないものと考えて真っ先に思い浮かんだのは「県庁」だった。全都道府県の県庁を訪れれば、自動的に全都道府県を踏破することになる。賀曽利隆さんの「日本一周バイク旅4万キロ」も大きな参考となった。この旅で賀曽利さんは旧国の一の宮(注1)を巡拝している。県と旧国を見比べながら旅をするのも面白いのではないかと思い、一の宮巡りも盛り込むことにした。
 せっかく行くのであれば、日本の端っこもぜひ見てみたい。それなら八重山諸島にも行ってみよう、離島にある一の宮もあるから、そこにも行ってしまおう。おや、このニュースの場所気になるな、行ってみよう、てな調子で計画は決まっていった。「海岸線沿い一周、全都道府県庁訪問、全旧国一の宮巡拝、東西南北端踏破」。これが旅の目標となった。

 かくして会社に四年ほど勤めた頃。長旅の経験は不十分だったが、資金も十分貯まったし、折からの人手不足もありこれ以上いたら会社に取り込まれて機会を失ってしまうと判断し、日本一周する旨を告げ会社を辞めることにした。無理言って辞めさせてもらったのだが、会社で一緒に働いていた人たちがみな、がんばれ、気を付けて、と暖かく送り出してくれたのが忘れられない。02年2月のことだった。

 会社を離れ無職になったものの、気分は晴れ晴れとしていた。退社した日はいつも以上にゆっくりとパジェロミニを転がして家に帰った。いつも見慣れたはずの帰り道も、どこか新鮮に感じられる。これからはこんなふうに世間を見ていくのだ。旅人の視点というものだろう。こうして荒井は旅人になったのだ。


脚註

注1・「一の宮」:旧国を代表する神社のこと。一種の社格で、その制定は平安時代までさかのぼる。通常旧国一ヶ国につき一社ずつあるが、ところによっては複数あったりする。旧国68ヶ国に対し一の宮は97社あり、さらに新しく制定された「新一の宮」が5ヶ国5社ある。そのうち荒井は新一の宮を含め72ヶ国90社に参拝してきた。旧国だけなら73ヶ国全てを訪れた。


荒井の耳打ち

思い立ったら決心する。そしてとにかく動く。

 憧れなければ決して叶いませんが、憧れだけでは決して叶いません。本当に日本一周したいと思ったら、憧れを決意に変えましょう。次にどうしたらできるかを考え、実現のために動くことです。
 荒井は旅に関しては全くの素人でしたが、お金を貯めたり、本を読んで勉強したり、車での日帰りツーリングを重ねたり、単車の免許を取ったりしました。そうしたことの積み重ねが、日本一周へとつながったのです。
 「子供や家族がいるから...」「会社があるから...」「時間がないから...」「歳を取ったから...」とあきらめる人もいます。しかし本当にやってしまう人は、あらゆる手段でそんな障害さえ乗り越えてしまうのです。さもなくば本当にやろうと思っていないまで。

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