旅人になる

旅支度

 実はこの荒井、退職するまで長旅も一人旅もほとんどしたことがなかった。一番の長旅が高校で行った関西への修学旅行。岩手県盛岡市の大学に通っていた関係で、山形と盛岡を往復することは度々あったが一人旅と呼べるようなものではない。会社を辞める直前、私用で東京と山形を往復したぐらいだ。
 まずは旅に慣れなければならない。経験がないのにいきなり日本一周というのがあまりに無謀なことぐらいはわかる。しかも二輪免許を取ったのが旅に出る前年、雪が降る直前だったため(卒検合格の翌日初雪が降りました)、単車で公道を走ったことさえないのだ。
 白状すると免許さえ退職後に取る予定だった。今考えても、こんな有様でよく日本一周に出ようとしたものだ。だがそれでもなんとかしてしまうのだから若さと無知というのは恐ろしい。

漆山
山形県運転免許センター所在地、通称「漆山」。なんと二輪免許を取ったのが旅に出る約半年前。

 旅道具も必要だ。山形県天童市の山道具専門店「マウンテンゴリラ」を尋ね、店主誉田(ほんだ)さんに一式を見立ててもらう。旅道具はテント、寝袋、寝る時に下に敷くマット、電灯、水筒、それら装備を詰め込む大型ザックといったところだ。誉田さんの「野宿すんなら外でご飯作んねど面白ぐないよ〜。」という勧め(セールストークとも言う)に従い、ガソリンストーブとコッヘルも購入した。
 通常単車で長旅をする場合、道具一式を単車にくくりつけて運転するものなのだが、単車が壊れたり盗まれたらそれで終わりとなってしまう。最悪そうなっても旅が続けられるようにと、主要な装備は自分が背負うことにした。同じく単車で旅する方々からは「ザックを背負ってるなんて珍しい。」とよく言われたが、そこにはそうした意図もある。
 単車は熟考した末、スズキのDJEBEL200(ジェベル200)にした。200ccのデュアルパーパス車だ(注1)。新車乗り出し価格約40万という安さが一番の理由だったが、これが大当たりだった。リッター35キロ以上という燃費を誇り、さらに13リッターという大きな燃料タンクを積んでいるので、満タンならば無給油で400キロ以上走れる。この燃費と航続距離は、長旅をするには何より魅力的だった。こちらは地元の二輪車屋で購入した。

前哨戦

 そのころ折よく、ネットで出入りしていたゲーム関連サイト「FalcomStation」のオフ会が、3月に東京で開かれることになった(注2)。まずは一人旅に慣れようと、単身新幹線で山形と東京を往復することにした。その時はサイト管理人ゆうさんの家に「マウンテンゴリラ」で買った寝袋持参で泊まり込んだ。
 4月中旬にDJEBELが納車されると公道を走りまわった。これまで自分が巡った峠道や山道を走りながら、徐々に走り方を覚えていった。
 その次は慣れ親しんだ愛車パジェロミニで北東北を一周した。秋田・盛岡・仙台の三都市を3日で廻るという旅だ。この時初めてテント泊をした。仙台港にテントを張ろうとしたものの、風が強くて吹き飛ばされかけ、ほうほうの体で逃げ出した後、市内近郊の靴量販店の駐車場にテントを張ったのが、記念すべき初野宿となった。

初の野宿
初めて野宿した靴屋の駐車場で。仙台港に張るつもりだったが強風と砂塵に降参した。

 慣れてきたところで、少々きつい旅をすることにした。山形県を通る国道287号線、総延長80キロ弱を、始点から終点まで歩いて踏破しようというものだ。これぐらいの旅が成就できるなら日本一周もできるだろうと自分を試したのだ。旅道具一式をザックに詰め込み、野宿しながら4日かけて歩き通した。足はマメだらけで、一歩踏み出すごとに痛くて仕方がなかったが、その分じっくりと風景や自分と向き合うことができた。出会った人の「がんばって。」という声援に何度励まされたことだろう。忘れられない旅となった。
 この徒歩旅でいよいよ自信を付け、日本一周の前哨戦として、5日ほどかけ単車で山形県を一周することにした。全市町村の役場を全て訪れるという旅である。全国に出たら自分には「山形県民」という肩書きがついて回る。まずは地元山形のことを少しでも知っておきたかったのだ。この旅の最後で山形県庁に寄ったのが、記念すべき日本一周第一番目の県庁となった。

山形県庁
山形県庁。ここの冷やしラーメンがその後大きな影響を与えることに。

 このとき県庁食堂を利用したのだが、そこの冷やしラーメンをすすりつつ考えた(注3)。

 「そういや県庁さは食堂もあんだよな。この冷やしラーメンは山形名物だし、他の県さも名物メニューがあっかもすんない。全国県庁食堂巡りどいうなも面白いがも...」

 かくして各都道府県庁巡りに「食堂で食事をする」という項目が加わった。もしここで冷やしラーメンを食っていなかったら、県庁巡りはこれほど面白くはならなかっただろう。

 季節は初夏になっていた。準備万端となったところで、荒井の日本一周は本格的に幕を開けるのだ。


脚註

注1・「デュアルパーパス車」:単車の種類。いわゆるオフロード車の仲間。高めの車高、切れ角の大きいハンドル、悪路走行に向いたタイヤなどを特徴とするが、市街地走行にも十分耐えうる仕様を備えているのがトライアル用のオフ車との違い。名前はダートと舗装路両方を走るのに向いていることに由来する。ヤマハのSEROW(セロー)、スズキのDJEBEL(ジェベル)、カワサキのスーパーシェルパ、ホンダのBAJA(バハ)などが代表的なモデル。

注2・「オフ会」:オフライン・ミーティング。ネット上の掲示板やチャット仲間が、実際に集まって顔合わせすること。ネット上での会合を「オンラインミーティング」と言うのに対し、ネット以外の場所で会うことを対義語的に「オフラインミーティング」と呼んでいる。

注3・「冷やしラーメン」:山形名物の一つ。冷やした麺に冷たいスープを張ったラーメン。具にトマトやキュウリといった夏野菜を添えたりするが、冷やし中華とは全く違う。1950年代に山形市七日町の「栄屋本店」が編み出したと言われている。ここ数年ですっかり知名度が高まり、今では夏になれば山形各地のラーメン屋で賞味できる。


荒井の耳打ち

経験を積んでおこう。

 いきなり長旅ということもできなくはありませんが、やはり不安がつきまといます。慣れてない人は短い旅を何度か経験してから行った方が安心でしょう。経験を積んでおけばそれが自信となり、気持ちにゆとりが出てくるものです。長旅で一番恐いのは気持ちにゆとりがなくなることです。

テーマはあった方がいい。でも欲張らない。

 日本一周自体が大きなテーマではあるのですが、それだけでは方向性を見失いダレがちです。そこで自分なりに興味のあるテーマを決めておくと、旅にメリハリが付けられます。例えばそれは温泉巡りであったり、名水巡りであったり、峠や岬巡りであったりするわけです。荒井だったら県庁一の宮巡りです。ここが旅人の個性の見せ所です。
 しかし、あれもこれもと欲張りすぎると、かえってその消化に気を取られて、旅がただの確認作業に陥る嫌いがあります。無理せず自分の力量に合わせて決めましょう。同じ理由で無理に行き先を作る必要もありません。計画の段階で「行き先が少ないんじゃないか?」と思っても、実際走り出すと、それでさえ多いと感じるものです。

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