朝四時半に起きた。不思議なもので旅に出ていると朝日と共に目が覚めて、夕日とともに眠くなる。雨は止んでいたが空はあいかわらずくもっていた。テントを畳み、荷造りをしてキャンプ場を出たのは六時だった。もちろん露天風呂で朝風呂は忘れない。
入道崎まではすぐだった。断崖や岩場が途切れ、岬のあたりだけがなだらかな草原となっている。岬はちょうど北緯40度の位置にある。実は荒井、岬にも行ったことがなかった。山形県にも海岸線はあるものの、海に突き出した場所は離島飛島にしかなく、岬とは縁が薄いのだ。荒井が自力で踏みしめた岬第一号はここ入道崎となった。
男鹿半島を出たところで、八郎村の経緯度交会点記念塔を見に行く。北緯40度と東経140度が交差する地点にある。日本でキリのいい経緯度交点はここしかない。八郎村は日本二番目の湖だった八郎潟を干拓してできた村で田んぼだらけだ。記念塔はあぜ道の真ん中にあり、見に来る人も少ないのか、蜘蛛の巣が張っていた。
海沿いに走り、県境を越えて青森県に入る。青森県に来るのは初めてだったので思わず歓声を上げる。間もなく雨が降ってきた。これはたまらないと、深浦町の「黄金崎不老ふ死温泉」という、旅人にはちょっと知られた温泉に逃げ込んだ。
ここの売りは露天風呂だ。日本海の荒波をかぶるほど波打ち際にあり、ここから見る夕日はそれは絶品らしい。ところが今はまだ昼で、しかも雨降りと来ている。「どうせ風呂に入るんだから同じだよ!」と、ずぶ濡れになりながら露天風呂で雨宿りとしゃれ込む。風呂で一緒になった千葉の中高年グループのおじさん達も同じ事を言っていた。湯は赤茶けて熱めだ。タオルを浸すと真っ茶色になる。雨宿りがてら長湯したせいか、上がる頃にはすっかりゆでダコになってしまった。
温泉の食堂で昼食にラーメンを食べていると、さっきとは違う中高年のおじさんに話しかけられた。山形ナンバーの単車を見て興味を持ったらしい。おじさんは鉄道士だったらしく、冬ともなるとラッセル車で秋田から山形までを走り回り、荒井の住む町も何度か訪れたことがあるよと言っていた。こんな具合に旅先ではナンバープレートをきっかけに話しかけてくる方がずいぶん多かった。
ちなみに、この温泉は直後、経営者の方が亡くなったせいか、入浴料が300円から600円に値上がりし、テレビなどでも「夕日のきれいな露天風呂」と盛んに取り上げられるようになってしまった。ずっと昔は自慢の露天風呂さえ無料で入れたという。
雨は降ったり止んだりを繰り返した。いい加減ずぶ濡れの靴を履いているのに耐えられず、長靴を買うことにした。鰺ヶ沢町(あじがさわまち)から少し内陸に入ったところのホームセンターで首尾良く長靴を手に入れたが、この長靴が大失敗だった。ケチって丈の短い物を買ってしまい役に立たず、結局北海道で買い換える羽目になったのだ。
この時、森田村(現つがる市)の道の駅もりた「アーストップ」にも寄った。ここの農産物直売店「おらほのめへ」の、農家の母さん手作りアップルパイが旨かった。もう一度食べようと後日訪れたら、売れすぎて中に入れる林檎ジャムがなくなったとかで、品切れとなっていた。
夕方近かったが、雨も小止みだったし、そう遠くなかったので津軽半島最北端竜飛崎に足をのばす。ところが権現崎を過ぎたあたりで雨が激しくなり、おまけに霧まで出てきた。気が付けばあたりに車や人の気配はない。道は広く非常によく整備されているのだが、峠を目指しているのかと錯覚するほどの曲がり道が続く。途中、展望台なんかもあったのだが、あまりの雨と霧のせいで展望なんか開けない。
そうこうしてやっと着いた竜飛崎だが、夕方遅かったせいか、人っ子一人いなかった。岬の売店はとっくに看板だった。竜飛崎灯台に行くと、ボーボーと霧笛が鳴り響いている。霧笛の音は否応なしに寂寥感をかき立てる。
竜飛の珍名所「階段国道」を見物し、一人さびしく岬を散策していると、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の歌碑を見つけた。ひときわ立派な代物で、いかにも押してみなと言わんばかりに大きなボタンが付いている。そこでご期待どおり押してみたら。
♪ごらんあれが竜飛岬北のはずれと・・・
「津軽海峡冬景色」の2番が大音量で流れ出した。雨と霧の中「津軽海峡冬景色」の歌碑を前に呆然と立ちつくす。まわりには誰一人おらず、遠くでは霧笛がボーボー鳴っている。霧笛と入り交じる石川さゆりの歌声。展望は開けない。誰もいない。おまけに寒い。「俺こんた雨ん中、こんたどごでいったい何やってんだべ? 何しに来たんだべが?」と、自分のバカさ加減に悲しくなってきた。
そのままいても悲しくなりっぱなしだったので竜飛岬を出る。青森市に着いたのは夜遅くだった。とりあえず寝られそうな場所を探して町を走っていたら、ある駐車場で立ちゴケ(注1)してしまった。「ネンオシャチエブクトウバシメ」(注2)の呪文を唱えつつ、異常はないかとDJEBELを点検して蒼ざめた。
ウィンカーが点かない。
北海道を目前にして、このまますごすごと山形へ引き返せというのか...やはりいきなり北海道、日本一周というのは無理があったのか...と頭の中が真っ白になる。
しかし、これぐらいのことでへこんでいてはとても日本一周なぞできはしないと自らを奮い立たせた。こんな時はとにかくフテ寝するに限る。このままくよくよと悩んでいたって仕方ないし、第一朝にならなければ動きようがない。さいわい、近郊の大型ショッピングモールの一角によさげな場所が見つかったので、そこにテントを張って寝ることにした。青森市は県庁所在地なのだ。単車屋の一つぐらいすぐに見つかるだろう。直る保証はないけれど、自分のことだ。たぶん何とかするだろう。
一夜が明けて、まずは単車屋を探すことにした。ウィンカーなしで公道を走るのは危ないので、歩道を原付並みの速度でとろとろと移動しながら捜し回る。やむを得ず曲がる場合は手信号で合図した。あれこれ聞き込みした結果、近場に単車屋があることがわかったので、さっそく行ってみた。
紹介してもらった店「中村輪業」はまだ開いてなかったが、たまたま表の掃除をしていた隣の家のおばあちゃんが、直らなければ困るだろうというのでわざわざ電話をかけて店の方を呼んでくれた。程なく店の主人がいらしたので、さっそく症状を見てもらった。
原因は至って単純、倒れたはずみでウィンカーの配線が外れただけだった。スズキの単車は電気系統の接触が甘いらしく、こういうことが度々あるらしい。配線をつなぎ直すだけなので修理もあっという間だ。昨日真っ白になったのが馬鹿みたいだ。わざわざ来てくださった店主さんと、おばあちゃん、ありがとうございました!
北海道へ行くと言うと、店主さんは今の時期はまだ寒いよと言っていたが、その時は聞き流していた。北海道に渡った後で、それが嘘でないことを思い知ることになるのだが。
故障も直りほっとしたところで青森県庁に向かった。空は気持ちよく晴れ上がり、久々に青空が見えた。
青森県庁は国道4号線と国道7号線の終点にある。ねぶた祭りではこの県庁前も会場となり、ねぶたとともに跳人が威勢よく(あるいはだらだらと)はね回る。さっそく食堂に行ってみる。変わった料理がなかったので、日替わり定食を食べた。鶏肉じゃが、ほうれん草のおひたし、白菜とキュウリの漬け物、もやしのみそ汁、ご飯。これで420円だからなかなか安い。売店では青森名産の林檎ジュースが売られていた。
青森港から深夜のフェリーで函館に渡る予定なので、夜まで何もすることがない。フェリー埠頭を下見に行くと、髭をたくわえた旅人らしき男の人がいた。彼のアメリカンバイクは荷物満載で、見るからに風格たっぷりだ。挨拶をきっかけに話が始まった。
彼の名前は小島広さん。30年間旅一筋、日本中のありとあらゆるところを見てきたという強者だ。山を中心に南は与論島、北は下北半島までを廻りに廻っているが、北海道だけはあまり行ったことがないそうだ。「青森市に来ると、港まで来て北海道へ渡ろうか渡るまいかひとしきり悩むんだけど、行ったら行ったで二、三ヶ月ははまりこむのが判ってるからね。結局渡らないで、また本州を南下するんだよ。」
小島さんはときどきアウトドアの事業などをして旅費を稼いでいるようだ。山形県でも飯豊町の秘湯、広河原温泉の運営管理をしていたことがあるよと言っていた。訳あって温泉からは手を引いてしまったので、今度は福島県の須賀川で竪穴式住居のキャンプ場でもやってみようかなと仰っていた。
彼は昨今の旅人は礼を言わなくなったと嘆いていた。方々で受けた人の厚意に対し、お礼の手紙を出すこともしなくなった、と。旅人は自力で旅をしているようだが、実はそればかりでは旅は続けられない。小島さんは続ける。「家族や応援してくれる人、出会った人々などなど、多くの人々のおかげをいただいているからこそ、旅ができるんだよ。」 当たり前のことなのだが、忘れがちな真実だ。思うところは大きかった。
旅をしていると、たまにこうしたものすごい旅人に会うことがある。そしてその誰もが旅で培った尊敬すべき人格や信念を備えている。平凡に暮らしている限り、絶対に出会うことはない。こうした人々に会えるのも旅の醍醐味の一つだ(小島さんありがとうございました! 遅れましたが、おかげさまで日本一周できました)。
小島さんと別れ青森市内をうろつく。青森駅のすぐそばには退役した青函連絡船「八甲田丸」が係留してあった。上野発の夜行列車を降りて、ひとり乗った船である。映画「タイタニック」が流行った頃、ここの舳先で「タイタニック」ごっこをする男女が後を絶たなかったとか。
ついでに、ここにも「津軽海峡冬景色」の歌碑がある。こちらは竜飛崎より進んでいて、人の気配を察知すると、自動で演奏してしまう仕様である(しかもフルコーラス)。とはいえ青森市は最果ての鄙びた町などではない。大きな港を抱えた大都市である。
夜になってからフェリー埠頭へ向かい出航を待つ。待合室のベンチは、板で不自然に区切られていた。なんでも、北海道に往来する旅人がベンチに寝転がって簡易宿泊所代わりにするものだから、フェリー会社が業を煮やし、板で区切って横になれないようにしたらしい。
出航時刻が近づき、手続きを済ませいよいよ乗船する。函館まで約4時間。深夜フェリーなので、一眠りして朝起きた頃にはもう北海道という寸法だ。二等船室で横になっていると、やがて船のエンジンが回る音が聞こえてきた。ついに出航である。船は港を出て、いよいよ北海道へと向かうのである。
注1・「立ちゴケ」:ほとんど動いてない単車にまたがったまま、平衡を失い転倒すること。単車乗りの通過儀礼。
注2・「ネンオシャチエブクトウバシメ」:単車運行前に点検すべき項目。燃料(ネン)、オイル(オ)、車輪(シャ)、チェーン(チ)、エンジン(エ)、ブレーキ(ブ)、クラッチ(ク)、灯火(トウ)、バッテリー(バ)、各パーツの締め付け(シメ)の頭文字をとってつなげたもの。基本的にこれらをまめに点検していれば、異常もすぐに発見できる。
単車旅で最も不安なのは単車が壊れたらどうするか、ということでしょう。もちろん自分で直せるのが一番ですが、大事なのは異常の早期発見につとめることと、手に負えないものは即本職の修理屋さんに見てもらうことです。日本国内ならばJBRやレッドバロンのようなロードサービスもありますし、単車屋さんも方々にありますから、そう神経質になる必要はありません。恐いのは、故障を目の前に我を失うことなのです。
北海道や沖縄に渡る際、船を利用する人も多いでしょう。荒井は旅の最中、何度も長距離フェリーを利用しましたが、ほとんどは飛び込みでも大丈夫でした。もっとも、荒井が船を利用したのはもっぱらシーズンオフの時でしたので、繁盛期だとそういうわけにも行かないようです。確実に乗りたいのであれば予約したほうが無難でしょう。あと船に乗る際は、時間に余裕をもって受付することをお忘れ無く。