国道12号線

 朝になると、オーナーこと植松さん、通称「オヤジ」が集金にやってきた。オートハウスは一泊900円で、一泊ごと袋ラーメン進呈というサービスがある。このラーメンは朝食となった。
 この植松さん、一見口の悪い不良老人なのだが、実は相当な実業家で、冬場は世界を股にかける相当な旅人でもあるらしい。気さくで面倒見のいいオヤジさんで、利用客にはファンも多い。「北海道に来たら、後戻りできなくなるぐらいどっぷり嵌らなきゃダメだぜ!」などと冗談交じりに仰るのだった。
 とはいえ自分は嵌ってるわけにもいかない。さっそく道央一周に出発である。札幌を起点に旭川、帯広、富良野と北海道の内側を廻ってこようというものだ。空も晴れ渡っている。北海道に来て初めての晴れらしい晴天だ。不思議なもので、旅をしていると晴れているだけで、どこにでも行けそうな気がしてしまう。

 札幌の山道具屋「秀岳荘」で物資を補充し、国道12号線をひたすら北上する。目指すは上川支庁の中心、北海道第二の都市旭川だ。札幌と旭川は100キロほど離れている。その間を結ぶ国道12号線には、29.2キロに及ぶ日本最長の直線道路区間が含まれている。北海道では珍しく、沿線には町や集落が頻繁に現れ、信号と交通量も多い。距離はなかなか稼げなかった。たまに現れる牧場や例の直線区間に、自分は北海道の広大な内陸を走ってるんだと思った。

 旭川に到着したのは夕方近かった。まずは旭川入り口にある神居古潭(カムイコタン)を見物する。神居古潭とは「魔神の住処」という意味のアイヌ語だ。北海道一の大河、石狩川の淵にある。ここで川は急に幅を狭め、水深が深くなる。川は深くよどみ、ところどころ渦巻いていた。岸の左右には荒々しい岩々が突きだしている。自然が生み出した魔境に、先人たちは魔神の姿を見て取ったのだろう。
 旭川は札幌に次ぐ北海道第二の都市だけあって、見渡す限り建物だらけだった。その町の真ん中、石狩川沿いに神楽岡公園という無料のキャンプ場がある。この日はそこにテントを張った。場所が場所だけに、夜遅くまで花火に興じる若者の歓声が絶えない。花火がテントに燃え移らないか、変な連中に絡まれはしないかと心配だった。

道央豚三昧

 何事もなく朝になった。ときおり小雨がぱらつく。梅雨がないはずの初夏の北海道だというのに、連日はっきりしない天気が続くので「北海道さ梅雨がねぇってなは、嘘でねぇなが?」と疑いたくなる。後日カールさんから聞いたのだが、北海道には「雨期」と「乾期」があるそうで、降らない時は全く降らないが、降る時はすこぶる降る。「蝦夷梅雨といって、たまたま梅雨時が雨期になることもあるんだよ。」 どうやら荒井の北海道行きは、その降る時にぶち当たってしまったらしい。

 気を取り直して出発する。支庁巡りの第二弾は上川支庁だ。上川支庁舎は旭川郊外にあるのだが、なかなか見つからない。電話帳で住所を調べ、その場所に行ってみるがそれらしい建物はない。今度は「タウンページ」で住所を調べてみたが、なんと電話帳と住所が違っていた。改めてタウンページの方に行ってみると、煉瓦風の立派な建物がある。そこが上川支庁舎だった。99年落成の新しい庁舎だ。
 ちょうど昼になっていたので、昼食はここの食堂で650円の「上川スペシャルランチ」を食べた。いわゆる日替わり定食で、その日はトンカツ定食だった。たいして期待していなかったが、予想に反して、揚げたてのトンカツが出てきたので驚いた。ご飯は地元上川で採れた米を使っている。そのトンカツの柔らかくて旨いこと。普通のトンカツ屋だったら1000円は取られる内容だ。この昼食には感動すら覚えてしまった。

上川支庁舎
上川支庁舎入り口。食堂からは旭川市街や大雪山が見渡せるのだが、あいにくの天気で展望は開けなかった。

 満足したところで、帯広に向け走り出す。途中、ある車が後ろから、荒井を含め2台の車をごぼう抜きして走り去っていったが、その直後パトカーに捕まっていた。ザマ見ろと脇目に通り越す。根性悪い。
 北海道の道は、高速道路並みに幅が広く、まっすぐな上、舗装が行き届いているので飛ばしやすい。ところが警察も随所で速度超過の取り締まりをやっているから油断ができない。北海道は、交通事故死者数ワースト5の常連なのだ。地元HBCラジオでは、朝のニュースで毎日前日の交通事故死者数を報じていたが、0という日が珍しい程だ。
 上川町の中心部を過ぎたあたりから風景が変わってくる。人の気配がなくなり、道の左右に高い岩壁が空高くそびえ立つようになる。北海道の景勝地の一つ、層雲峡である。岩が柱のようにそばだち、それに覆いかぶさるように木が茂っている。木は針葉樹と広葉樹が入り乱れまだらになっており、その濃淡が面白い。
 ここでは銀河の滝と流星の滝を見物した。水の流れは細いのだが、落差と勢いは相当なもので、轟音が離れたところからでも聞き取れる。東洋人は空の星を銀の川に例えた。先人にはこの滝が、銀や流星の尾のように見えたのだろうか。

 層雲峡を過ぎるともはや人家は全くない。大雪湖の追分では、野生の鹿を目撃した。このあたりの道路は「鹿注意」の看板が目立つ。大雪湖の西岸を走り、しばらくすれば三国峠である。
 三国峠は大雪山南東にある、北海道で最も標高の高い峠だ。名前は上川、十勝、網走三つの支庁の境目にあることに由来する。何でも90年代初頭までは砂利道だったそうだが、今では立派なトンネルが通り、全線舗装となっている。峠の展望台から遙か下に見下ろす十勝平野は荒井の瞼に焼き付いた。
 峠で100ccのスクーターで旅をしている方に会った。「航続距離が短くて、ガス欠が恐くてね。」 北海道はどこにでもガソリンスタンドがあるわけではない。こうした車種にとって燃料切れは一大事で、だから予備燃料を持ち歩いてるよと言っていた。峠の前後はまるっきりの原野で、道は森を切り裂くように通っており、木以外には何もないような風景が延々と続いている。もちろん民家は一つもない。
 標高が下がると、牧草地や大農場が目立ってきた。十勝平野にやってきたのだ。北海道といっても支庁ごとにその表情は様々に違っている。

 帯広は十勝平野に開けた都市で、十勝支庁の中心地である。まだ日のあるうちに帯広に着いたので、帯広市役所に行ってみた。オートハウスのゴンちゃんによれば、ここの食堂の豚丼が旨いらしい。豚丼というのは、甘めのタレをからめて焼いた豚ロースをのせた丼で、十勝名物となっている。帯広行ったら絶対食うぞと思っていたので、ゴンちゃんの情報は渡りに船だった。豚丼では「ぱんちょう」という店が有名なのだが、あえて行かないのがなんというか。
 帯広市役所は11階建て、背の高い立派な庁舎だ。食堂はその最上階にある。夕方だったので期待はしていなかったが、なんと開いていた。残業する職員のため夕食を出しているのだ。もちろん食べるのは豚丼だ。厨房のカウンターに食券を差し出すと、早速豚肉を焼いて作ってくれた。
 作っている間、食堂のおばちゃんと話をした。北海道に梅雨はないというけどやたら降りますねと訊くと、この時期は年によって降ったり降らなかったりが極端なんだよと教えてくれた。

帯広市役所
帯広市役所。食堂といい展望台といい実は隠れた帯広名所。

 その豚丼だが、どんぶりご飯の上に、厚めの焼きたて豚ロースが3枚載っている。それに沢庵とみそ汁付きでなんと480円。味もボリュームも大満足だった。ごちそうさまおいしかったです、と言って食堂を出ると、おばちゃんは、気を付けてね、と送り出してくれた。
 役場の食堂は侮れない。上川支庁や帯広市役所のように、格安でご馳走や名物が食べられるところがけっこうあるのだ。地産地消や地元再発見を唱って、ご当地の名産品や農作物を、積極的に採り入れているところもある。その土地を治める建物に行って、その土地ならではのものを食べる。それが役場食堂巡りの大きな魅力だ。もちろん、飽くまで職員のための施設なので、何の特徴もないところも多いけれど。
 十勝支庁舎にも行ってみた。時間が時間だったので食堂も売店も閉まっていたが、こちらの食堂にももちろん豚丼がある。十勝地方ではなじみの深い料理で、各地の食堂で食べられる他、家庭でもよく作られているようだ。
 十勝支庁舎の近くには、帯広入植者第一号、依田勉三の像が「開拓の はじめは豚と ひとつ鍋」という句とともに建っている。帯広の開拓は豚とともに始まった。名物豚丼の由来である。

十勝支庁舎
おまけの十勝支庁舎。

 この日の宿は帯広市内のライダーハウス「ルート38おかやす」である。元自転車屋で、スピードスケート五輪代表、清水宏保選手もその自転車屋の常連客だったらしい。ここのオーナーが面白い方らしいのだが、荒井が行ったときは残念ながら会えなかった。そのかわり、函館在住の中年自転車乗り高橋さんとそのご友人、二人組と一緒になった。
 おかやすに風呂はない。近所に「水光園」という温泉銭湯があったので、入りに行った。昭和40年代の雰囲気が残る建物で、湯船の作りといい、中の造作といい、どこか懐かしさを感じる。ゲームコーナーには今や滅多に見ることのない、大筐体の「アフターバーナー」(注1)まで置いてあった。
 おかやすに戻ると、高橋さん達が夕食をご馳走してくれた。油揚げに納豆を詰めて焼いた揚げ納豆、焼き長芋、韮と卵の炒め物。そればかりか、酒と北海道名物鮭とば(注2)までご馳走していただいた。
 ご飯を食べながら話が弾む。高橋さんご一行も相当な自転車乗りだ。「旭川の友達の家に行くためにね、一日で札幌と旭川間を往復したこともあるんですよ。」 旅先では出会った者どうし、飯を食べ酒を酌み交わしつつ、談笑するといったことが当たり前のようにある。


脚註

注1・「アフターバーナー」:セガが1987年に出した業務用3Dシューティングゲーム。戦闘機を操りドッグファイトを繰り広げる。スピーディーなゲーム展開、迫力のある3D表現、ゲームを盛り上げるBGMが特に評価された。ゲームファンには説明不要の歴史的名作。

注2・「鮭とば」:北海道名物の一つ。鮭の身を皮ごと細く切って、干したものらしい。酒の肴にぴったり。


荒井の耳打ち

北海道ならではの事情1〜ホクレン

 北海道は町と町が相当離れている上、その間何もないということがあたりまえです。早々にガソリンスタンドが閉まる場所もあれば、日曜休業のところもあります。そんなところでガス欠になったら厄介ですので、常に燃料の残量に気を配っておくようおすすめします。航続距離が短い車種は予備の燃料を持ち歩いた方が安心かもしれません。
 よく知られてますが、北海道地場のガソリンスタンド「ホクレン」では、毎年夏になると、旗を進呈するキャンペーンをやっています。ホクレンの旗を差したツーリングライダーは夏の北海道の風物詩です。
 このホクレンの旗、なぜか日本の最南端、八重山地方でもけっこう見かけます。

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