不意にラジオ体操の音で目が覚めた。どうやらこの公園はラジオ体操の会場となっているらしい。人目を気にしながらテントを畳むのもなんなので、体操が終わってから撤収した。
本格的に見物するため、再び納沙布岬へ向かう。半島の基部にある根室市街からの距離は20キロほど。岬までは見通しのよい丘陵地帯が続いている。
納沙布岬は本土最東端の岬である。「本土」であって「日本」ではない。その通り、岬の東にも日本の領土はある。ただし容易に行けないため、納沙布岬が事実上、日本の最東端となっている。日本一周最初の日本の端っこだ。
その領土とは他でもない。岬のまん前にある北方領土の島々である。東には歯舞諸島がはっきり見えた。天気がよければ国後島はもちろん、色丹島や択捉島さえ見えるという。根室は北方領土返還運動発祥の地だ。返還を求める立て看板は市内各地で見かける。
岬には北方領土資料館「北方館」も建っているが、まだ開いてなかったので、ひとまず近場のみやげもの屋「東光」に立ち寄った。「沖の方に黒い船があるだろう? あれがロシアの巡視艇で、岬と島の中間に停泊して、怪しい船がないか、にらみを利かせてるんだぜ。」と、ご主人が教えてくれた。
「東光」では、鉄砲汁を無料で振る舞っている。食べながら店内を見回すと、扱う品はとにかく昆布が多い。納沙布岬でも昆布はよく採れる。浜には昆布が山のように打ち上げられ、岬は昆布くさかった。そうこうするうちに開館時刻になったので北方館に行ってみた。
北方館は、島々に生まれ育った方々が、望郷の念を新たにするために作られた建物のようだ。展示品は島々の歴史と地理を紹介するものが中心だが、圧巻だったのは、まだ日本人が住んでいた頃の住宅地図だった。世帯名がいちいち書き込まれているのが生々しい。海に面した二階の展望室には無料の双眼鏡が備え付けられている。戦前に日本が建てた灯台、水晶島の建物、例の巡視艇が手に取るように見えた。一番近い水晶島は、岬からたったの7キロ。島に生まれ育った人々は、ここから最も近くて最も遠い場所となってしまった故郷を望むのだろうか。間近に見る異郷の地に、それまで意識したこともない「国境」というものの存在を悟った。
昨日食べ損ねたエスカロップを求め、再び根室市内に戻る。今度は東光でエスカロップの旨い店を教えてもらったのだ。その店「どりあん」は街の真ん中にある。見た目はこ洒落た喫茶店だ。店の前には旅行雑誌の切り抜きが掲示してある。けっこうな名店らしい。
エスカロップは洋食だ。みじん切り筍入りのバターライスに薄目のトンカツを載せ、デミグラスソースをかけたという、お子様が泣いて喜びそうな食べ物である。「エスカロップ」とは「薄切り肉」という意味で、薄いトンカツを使うところからこの名があるらしい。食堂ではなく、喫茶店で出している料理だということも東光で教えてもらった。だからトンカツ屋に突っ込んでも食べられなかったわけだ。
根室では昭和30年頃から食べられていた。根室地場のコンビニ「タイエー」にはエスカロップ弁当まであり、人気商品になっている。店のお姉さんは「エスカ」と略していた。根室ではこの略称で呼ぶらしい。それほど根室では人気があるのだが、なぜか他には伝わっておらず、根室限定となっている。
そのエスカさんだが、これぞ洋食という料理だった。お子様でなくとも、こういう料理が好きな人には堪えられない味である。荒井も好きな方なので、もちろん堪えられない。
待望のエスカロップを食べたので根室を後にする。道東内陸を廻るため、中標津町(なかしべつちょう)の開陽台を目指すことにした。途中、国後島が見えるのでないかと思い、野付半島にも行ってみたが、あいにくのくもり空で何も見えなかった。半島を出て、標津町から内陸に入り、地平線まで続く直線道路「北19号」を通って開陽台へとたどりついた。
かつて開陽台は、北海道を目指す旅人達の聖地と崇められていた。眼下には330度の展望が開け、地平線さえ見える。遮るもののない満天の星空は、それは素晴らしい光景だという。
「かつて」というのは、旅人は基本的に観光地化を嫌うので、様変わりした開陽台を敬遠する方もいるということだ。昔は掘っ立て小屋の展望台が一つあっただけで、駐車場も何も整備されていなかったらしいのだが、今や道東の観光名所として大型バスも通うようになっている。展望台は立派なコンクリート造りのものに替わり、中には売店や喫茶店もある。
展望台に登った後、とりあえずその喫茶店「ハイジーの家」(注1)で飲むヨーグルトを飲みながら一息ついた。中標津町は酪農が盛んで、乳製品は町の特産品だ。
「今日はそこのキャンプ場に泊まるの?」 くつろいでいると店のママこと通称「かあさん」が話しかけてきた。開陽台は無料のキャンプ場併設だ。立地のよさもあり、夏場になると色とりどりのテントで隙間もないほどだという。この日はまだ6月だったので、利用客はあまりいない。今日の寝場所は決まりである。
開陽台は武佐岳のすそ野にあり、吹きさらしの風が強い。テントを張るのに苦戦した。喫茶店も閉まり、あたりが暗くなった頃、テントで荷物を片づけていると、先客のキャンパー「たにやん」から声をかけられた。「『かあさん』から新鮮なカレイをいただいたから、みんなで焼いて食べませんか?」 宴会のお誘いである。参加者はその日居合わせた面子4人だ。中でも通称「まーくん」は開陽台に惚れ込んで、毎年のように長期宿泊しているという。「ある時まだ雪深い中、バイクで来たこともありますよ。ズボンも手袋も完全武装で。雪中野宿を強行したんだけど、朝起きたら雪に埋もれかかって大変な目に遭いました。」
まーくん持参の七輪で炭火を熾し、カレイを焼く。炭火で焼いたカレイは身がほくほくして旨かった。夜になり気温も下がってきた。一同寒い寒いと言いつつ、七輪の火にあたりながら旅の話など続ける。宴が終わったのは夜の十時頃だった。星は見えなかったが楽しい一夜だった。
朝から寒かった。おまけに小雨模様である。天気はすぐれなかったが、テントの中でじっとしているのもなんなので、道東内陸一周に出かける。阿寒湖と屈斜路湖のあたりをひと巡りしてまた開陽台に戻ってくるというものだ。
今更なんだが、今でも脳裏をかすめることがある。あの時期北海道に渡ってきたのは、このためだったんだろうか、と。
弟子屈町(てしかがちょう)あたりまではまだよかった。寒かったものの、小雨で路面もそうは濡れてはいない。ところが、雨は大粒になり、しかも冷たくなってきた。いつものように完全武装で走っていたが、それでもまだ寒い。長靴は根室でキックスタート(注2)にしくじり、ゴムが剥がれていた。防水は最悪である。浦幌で買ったゴム手袋は全く使えない。おかげで雨と風にさらされ、手足がやたら凍えた。
阿寒湖に近づいたあたりで我慢しきれなくなり、DJEBELを停めて指を暖める。暖房はマフラーから出る排気である。利用できる物は何でも利用してしまうというのが、我ながら涙ぐましいというか。
気が付いてみれば、雨粒がやけに大きい。何事かと思って手のひらを差しだし、降ってきたものを見た瞬間、言葉を失った。
みぞれ雪。
6月の下旬だというのに、雪が降っていたのだ。いかな北海道が本州より寒いとはいえ、快適で見所満載のはずの初夏の北海道で、自分が雪に降られるとは、こちらとて予想していない。凍えるわけだ。とんでもないときに来てしまった。
いつの間にか深い霧までかかっている。展望なんてあったものではない。「とりあえず阿寒湖まで行げば、休むどごぐれあっぺよ...有名な観光地だしさ...」と、考えることも後ろ向きだ。かくして何とか阿寒湖にたどり着いたのだが。
阿寒湖は容赦しなかった。有名すぎるあまり、気軽に休めそうな場所がないのである。湖畔には背の高い温泉ホテルが衝立のように建ち並び、湖面なんか一つも見えない。温泉街はみやげ屋と有料駐車場が軒を連ねるばかりで、路上駐車も気が引ける。
温泉街にたった一軒だけ「ローソン」があるのを見つけ、たまらず駆け込み、30分ばかり中にいた。阿寒湖畔でそこだけが、貧乏旅人を受けいれてくれる救い小屋のようにさえ見えた。
冷やかしだけで帰るのもなんなので、不二家のルックチョコレート(税込99円相当)を一個買って出てきた。
かくしてマリモのマの字も見ないまま、阿寒湖から逃げ去った。釧路支庁と網走支庁の境界、釧北峠(せんぽくとうげ)を越え、美幌町に向かう。ここでとうとう堪りかね、長靴とゴム手袋を買い換えた。町内でホームセンター「ホーマック」を見つけ、奮発して丈の長いマリンブーツと、農作業用の分厚いゴム手袋を購う。その威力は絶大で、それまでの凍えるような手足の冷たさがかなりましになった。
みぞれこそ止んだものの、天気は相変わらずだった。北海道有数の名勝美幌峠にさしかかっても、霧のおかげで何も見えない。しかも車は団子のように連なって、気持ちよく走るどころの騒ぎでない。峠のレストハウスは北海道名物ジンギスカンで有名なのだが、頭の中は開陽台に戻って寝ることしか考えてないので、寄ろうという気さえ起きなかった。
屈斜路湖は中の島影がわずかに見えるだけだった。それならただでさえ霧の多い隣の摩周湖がどうなっているかぐらい、容易に察しが付く。晴れ渡った摩周湖を見れば結婚が3年遅れると言われているが、今行けば霧と寒さの出血大サービスで、逆に3年早まるのは確定だ。悪天候は旅人のやる気を著しくそぐ。
婚期を早めるつもりもない。結局どこにも寄り道せず、おとなしく開陽台に戻った。夕方まで「ハイジーの家」で、かあさんやまーくん達とおしゃべりしつつ過ごし、夜は早めに寝てしまった。
この日の道東は、随所で季節はずれの雪が降っていた。この時期に雪が降るのは、かれこれ70年ぶりだったという。
注1・「ハイジーの家」:残念ながら、2006年十月末日を持って21年にわたる営業を終了。かあさん、お店の皆さん、お疲れさまでした。
注2・「キックスタート」:単車の始動方法の一つ。エンジンに直結したキックペダルを思い切り蹴りこみ、直接回転を与えることでエンジンを始動する。付いていない車種もあるが、バッテリーが上がったときなど、これがあると非常に助かる。
キャンプ場以外の野宿地としてまず挙げられるのが公園です。水場とトイレぐらいはありますし、なにより公共空間なので、比較的、気兼ねがいりません。事実、公園をよく利用するという旅人も多いです。利用するならば、騒がない、ごみは持ち帰る、跡形もなく撤収するといった具合に、周囲に迷惑を掛けない心遣いは必須です。
実は荒井、あまり公園を利用しませんでした。公共空間ゆえ、危ない輩が来ないとも限りません。地元の方も、見知らぬ人が野宿しているのを見れば不安になるでしょう。荒井が野宿地を選ぶにあたって最重視したのは「人気がないこと、人が来ないこと、人目に付かないこと」でした。人間はある意味、熊より恐いのです。