オホーツクに消ゆ?

森繁の町

 朝は遅かった。ラジオによれば、今日通る予定の知床峠が、雪で通行止めとなっていた。そこで地図を見ながら代わりの道を探したり、湯を沸かして朝食のカップ麺を作ったりして様子を見ていたのだ。
 そんなこんなでラジオを聴いていると、九時頃、知床峠通行止解除の報が入った。かあさんやまーくんに挨拶をして、いよいよ出発である。中標津町内でお金を下ろし、燃料を補給し、知床目指して走り出した。
 知床半島の南側、羅臼町は「魚の城下町」を謳っており、町にある道の駅には海の幸が並んでいる。近所にはトド肉や熊肉を食べさせる店もある。昼は何か知床らしいものでも食べようかと思ったが、高かったのでやめといて、地場のスーパー「杉本商店」(注1)で、唐揚げ弁当を買って食べた。温かいご飯をその場で詰めてくれるのがうれしい。地元の人だって、毎日鮭や熊を食ってるわけじゃあない。
 知床は日本有数の手つかずの自然が残っている。そのためか、半島一周道路がない。海沿いの道は知床岬の16キロほど手前、相泊で途切れている。「シレトコ」とはアイヌ語で「最果て」を意味するそうだ。

 とりあえず、道の果てまで行ってみた。ヒカリゴケで有名なマッカウス洞窟を見学し、相泊目指してひたすら走る。国立公園区域はひどい霧雨だった。知床は場所ごとに天気が極端に変わることでも知られている。じきに止むだろうとそのまま走っていたら、相泊に着いた頃には、ズボンはすっかりずぶ濡れだった。
 道の果てには漁港と「熊の穴」なる食堂があった。車はそこで行き止まりである。その先の海岸には昆布や鮭漁のための作業小屋こと「番屋」が点々としており、道なき道が知床岬まで続いている。
 岬の周辺はヒグマの密集地で、その中を二泊三日かけて歩いていけば岬へたどり着ける。行ってみたかったが、許可なく立ち入ることができない上、何より自分にはそれだけの力量がないので、指をくわえて眺めるだけだった。

オホーツク老人の像
しおかぜ公園のオホーツク老人像。映画主演の森繁久弥を参考にしたため森繁そっくり。

 ところで知床には「熊の湯」「セセキ温泉」「カムイワッカ湯の滝」などの人気無料露天湯が目白押しだ。相泊にも「相泊温泉」があるのだが、気が乗らなかったのでどこにも入らなかった。有名であっても、気が向かなければ行かないのが荒井である。
 そのかわり行ったのが、羅臼中心部にほど近い「しおかぜ公園」だ。国後島を望む海沿いにある、猫の額ほどの公園だ。
 昭和35年、映画「地の涯てに生きるもの」が、羅臼で撮影された。主演は俳優森繁久弥。公園には映画の主人公「オホーツク老人」の像が建っている。映画は大評判になり、知床の名は全国に知られることとなった。その結果、知床は国立公園の指定を受けることになる。
 叙情歌の名曲「知床旅情」は、撮影が終わってついに羅臼を去るとき、森繁久弥が羅臼の人々に捧げた歌であるということはよく知られている。公園の一角には「知床旅情」の歌碑もある。
 風こそ強かったが、空は久々に青空が覗いていた。海には、見たくて仕方なかった国後島がはっきり見える。国後は間近で、船を出せばすぐにでも行けそうだった。
 冬になれば流氷で陸続きになる。しかしその間には、国境という高い壁がある。ここでの漁業は、常にロシアによる拿捕と臨検の危険をともなっているという、公園の自動案内装置の言葉がやけに印象に残った。

 道の駅に戻ると、知床半島の北側、斜里からやってきた単車の旅人達に話しかけられた。一人はBMW乗りで、もう一人はカワサキKLX乗り。彼らもここ数日の雨と寒さにほとほと参っていた。「峠のあたりはひどい霧雨だったけど、羅臼は晴れてて助かったよ!」 さっきまで見えていた羅臼岳は雲に隠れていた。彼らと別れ、道の駅名物、知床海洋深層水ソフトクリームを食べてから、合羽を着込み、解除間もない知床峠を目指した。
 羅臼と斜里を往来するには、知床峠で半島を横断するしかない。さっき聞いたとおり、少し登っただけで、先の見えない霧雨になった。羅臼の晴天が信じられない。路肩には雪さえ残っている。「早ぐ斜里さ着いでけろず〜」とひたすら走った。20キロほどの長大な峠を越え、北側の斜里町宇登呂(うとろ)に下ると霧が晴れ、やがて目の前にオホーツク海が現れた。思うより波も静かで、傾きかけた陽を照り返していた。
 同じ知床半島でも、南と北で風物はがらりと変わる。羅臼がのどかな漁村であるのに対し、宇登呂はみやげもの屋や観光ホテルがずらりと並んだ観光の町である。荒井は網走に行きたかったので、宇登呂は素通りである。

網走支庁舎
網走支庁舎。網走というと刑務所で有名だが、街そのものは全く静かで落ち着いたところ。

 網走への途中「オシンコシンの滝」を見物した。国道384号線沿い、海のすぐそばにある滝だ。有名な場所らしく、観光バスも何台か止まっている。見れば「感動の道東」と銘打つツアーだった。ここ数日の悪天候、バスとはいえ、何かと思うに任せなかっただろう。
 オホーツクを右手に、道なりに走れば網走である。早速網走支庁舎に行ってみた。夕方だったので食堂はやっていなかったが、「食券の買い置き禁止」「行列禁止」の張り紙に、昼の様子がうかがえてほほえましい。隣の売店はなぜかおつまみの品揃えがやたらとよい。茶菓子の代わりにサキイカでもしゃぶるんだろうか。
 市街地に近い網走湖の湖畔に、無料のキャンプ場があったので、今日はそこにテントを張ることにした。その呼人浦のキャンプ場は旅人でいっぱいで、駐車場には全国各地のナンバーをつけた単車が集まっている。6月だというのに、テントが何張りも湖畔に並ぶ様を見ては、つくづく北海道には旅人が多いことを思い知った。

きらら397

 網走には監獄博物館や北方民族博物館などもあるのだが、朝早くではまだ開いてない。見学せずに近郊の能取岬(のとろみさき)だけ見ることにした。岬は林を抜けた先にある。岬のところだけが、木のない丘陵となっていた。岬には白黒縞模様の八角形の灯台と、大きなニポポ人形のモニュメントがある。ニポポ人形はもともとアイヌのお守りで、現在は網走刑務所が一手に製造を引き受けている。荒井は古くからのゲーム好きなので、ニポポ人形というと「おくむらきすけ」とか「涙付き」なんてものを思い出してしまうのだが、それはこの際どうでもよい。

ニポポ人形 バイ・浦田甚五郎
紋別港湾事務所のやつはダミーだぞ!

 能取湖を一周し、サロマ湖畔を通って紋別に出る。そこで昼になったので、とりあえず市内の道の駅「オホーツク紋別」で焼きそばを食べた。これがまるで値段と釣り合わない代物で、しかも店員の娘が異常に愛想が悪かった。食べながらどこで口直しするかばかり考えてしまった。

 紋別を出て北を目指す。右手には相変わらずオホーツク海が見えている。度々セイコーマートや道の駅に寄って一息入れながらの道中なので、のんびりしたものである。
 興部町(おこっぺちょう)の道の駅は変わっていた。かつての鉄道の駅、名寄本線興部駅が、現在は道の駅となっている。敷地内にはホームまで残っており、列車は休憩所やライダーハウスとして開放されている。
 枝幸町(えさしちょう)の道の駅では、おばちゃんの売り文句に負けてウニおむすびを買った。塩ウニ入りの大きなおむすびで、紋別の口直しには十分すぎるほどだった。ここでは礼文島から戻ってきたという単車乗りにも会った。ここ数日、礼文島は天気に恵まれ最高だったよと言っていた。礼文島も旅人の間では人気の島だ。

 枝幸町では役場にも寄った。枝幸からは宗谷支庁となる。地元の新聞「日刊宗谷」を読んでいると、役場の方が話しかけてきた。単車で旅をしているなら、事故には気をつけた方がいい、北海道の交通事故死者の半分は、外から来た人たちだったりするんだよと教えてくれた。
 「日刊宗谷」には地元宗谷地方の話題があれこれ載っていた。相次ぐボートの船外機盗難(注2)で用心を呼びかける記事や、地元の交通事故の記事。面白いのは稚内の海水浴場の海開きの予定が決まったという記事だった。営業期間はたったの20日ほどだ。
 読んでいるとまた別の方がやってきて、稚内空港と関西国際空港とのチャーター便の記事に見入っていた。宗谷地方は交通の便が良くない。札幌へ出るまででも、車や列車でも5時間はかかる。そこで枝幸に空港を作ろうという動きがあった。「でも稚内空港が便利になれば、枝幸に空港を作る意義が薄くなりますからね。だからこの記事が気になったんですけど、枝幸空港は実現しないでしょうねぇ。」

 枝幸を出て浜頓別町に向かう。その日は同町のクッチャロ湖畔キャンプ場にテントを張ることにした。湖を臨む静かで雰囲気のいいキャンプ場で、隣には温泉もある。
 夕食は米を炊くことにした。キャンプ場隣接の温泉で一風呂浴びた後、テントを張る。町内のAコープで道産米「きらら397」と惣菜のメンチカツも買ってきた。念のためカップ焼きそばも仕入れ、準備は万端だ。湖に沈む夕陽を眺めながら、さっそく炊飯開始である。
 実はそれまで米を炊いたことなど一度もなかった。詳しい炊き方など一つも知らない。昨日呼人浦キャンプ場で、米を炊く旅人を見て、自分もやってみたくなったのだ。「はじめチョロチョロ」の言葉と勘だけでやってみたが、炊きあがったのはやはりというか、芯の残る強飯だった。
 メンチカツをパクつきながら強飯をむさぼっていると、通りすがりの方から「旨そうだな!」と声を掛けられた。普通なら絶対に不味い代物なのだが、そのとおり、不思議なことに旨かった! 自分が初めて炊いた米なのだ。ちょっとぐらい芯があろうと、紋別で食べた焼きそばに比べたら、自分にとってはこちらの方がはるかに旨いに決まっていると、満足して平らげた。
 結局この日、カップ焼きそばの出番はなかった。


脚註

注1・「杉本商店」:羅臼町の中心部、富士見町にある地場の食料品店。3階建てでなぜかCDまで売っている。旅人にはわりかし有名。ここで売ってるカニの内子は旨いらしい。

注2・「船外機」:ボートのエンジンユニットのこと。


荒井の耳打ち

北海道ならではの事情5〜知床の烏

 羅臼の道の駅であったこと。例の単車旅の方々と話している最中、BMWにくくりつけてあったセイコーマートの袋めがけて烏が飛んでくるや否や、中のものをくわえて飛び去っていきました。北海道の烏は「セイコーマートの袋」を識別するようで、中の食料を狙って飛んでくることが、ちょくちょくあるそうです。
 ちなみにその時盗られたのは煙草が二箱。吸いたかったんでしょうかね。

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