うどんとピロシキ

 朝から雲行きが怪しかった。天気予報では全道的に晴れだったのだが、よりによって稚内付近だけが雨だという。道中期せずして、どうして雨とか悪天候のところのばかりに突撃してしまうのだろう。
 出がけにキャンプ場にテントを張っていた熟年夫婦に呼び止められ、コーヒーと牛乳をご馳走してもらった。牛乳は近所の牧場の方からいただいたしぼりたてだ。コクがあってもちろん旨い。ご夫妻は牧場で、雄牛の値段が一頭5万円であると耳にして「かわいいから飼ってみたいね。世話が大変だけど。」と冗談交じりに仰っていた。
 北海道に限らず、このように定年を迎えた後、車に野宿道具一式を積み込んで、夫婦で全国を旅して廻っている方々は全国各地でしばしば見かけた。

 海沿いに最北端、稚内は宗谷岬を目指す。途中猿払村(さるふつむら)でモケウニ沼とインディギルカ号慰霊碑を見物した。モケウニ沼は湿地帯に横たわる静かな沼である。人工物は散策用の木道と木の柵ぐらいしかない。
 慰霊碑は、ロシア船インディギルカ号遭難者の霊を弔うものだ。昭和14年冬、猿払沖で1000人以上のロシア人が乗った輸送船、インディギルカ号が座礁した。約700名ものロシア人が犠牲となる、タイタニック号並みの大海難事故だったそうだ。ところが事件はイデオロギー上の問題もはらんでおり、当時あまり公にはされなかったらしい。
 当時日本とロシアは外交的に友好関係になかったのだが、それでも猿払村の人々は国籍に関係なく献身的に救助や遺体回収にあたり、犠牲者の遺体は丁重に弔われた。そして現在でも毎年慰霊祭が開かれている。3枚の羽根が球を囲む形をした慰霊碑は、国境や人種を越えて地球を囲む人類愛を表したものだという。タイタニック号にまつわる悲劇や逸話はよく知られているが、身近な日本にも、そうした歴史がひっそりと眠っている。

日本最北端の地碑
旅人には有名な宗谷岬「日本最北端の地」碑。夜になるとてっぺんが光るらしい。

 稚内に近づくと雨が降ってきた。雨の中黙って走りに走り、とうとう本土最北端宗谷岬にたどり着いた。日本一周二番目の日本の端っこだ。
 これまで見てきた岬と違い、広々とした丘陵や断崖はなく、ただ海沿いの道のそばに広場があって、そこに最北端の碑がある。傍らには北方探検家の草分け間宮林蔵の銅像が建っている。道をはさんだ反対側にはみやげ屋が立ち並ぶ。納沙布岬のようなところを想像していたが、ずいぶんにぎやかな最北端だ。ここも天気がよければ、対岸にサハリンが見えるというが、天気のせいで海しか見えない。最北端の碑の周りをぐるぐる廻ってから、宗谷岬から20キロほど西にある稚内市街に向かった。
 稚内市が日本最北の街であることは小学生の時から知っていたが、20年も経って、本当に来るとは思っていなかった。「ぜったい何もねえどごなんだぜ。」と、当時は思っていたのだが、それは全く違った。稚内は日本最北の都市である。何しろ宗谷支庁の中心地だ。しかもサハリン行きのフェリーも出ている。最果てとは新しい世界への出入口でもあるのだ。

宗谷支庁舎
宗谷支庁舎。中は最上階まで吹き抜けになっており、見た目より広々としている。

 まずは宗谷支庁舎に向かった。ちょうど昼近かったので、久々に支庁食堂で昼食にした。食べたのはカニの卵とじ丼だ。熱々のご飯が雨で冷えた胃袋に染み渡る。思っていたよりカニの身が多かったのもうれしい。
 役場の食堂は、当然ながら、閉庁日の土日祝日は利用できない。支庁巡りではそれほどこだわらなかったのだが、県庁巡りでは必ず食堂を利用すると決めていたので、日程を合わせるのにずいぶん気を遣った。
 昼食の後は稚内市内を廻った。まずは日本最北の駅JR稚内駅だ。列車の本数は少ないものの駅舎は立派で、「日本最北端稚内駅」の看板が最北端の駅であることを主張している。駅前にはみやげ屋や小ぶりな百貨店の他、なぜか100円ショップ「ザ・ダイソー」まである。脇にいた観光客とおぼしき方も、一目見るなり苦笑していた。日本最北端のダイソーだ。
 商店街には日本語とロシア語の看板が仲良く並んでいる。菓子屋でピロシキを買い、日本最北端の市役所、稚内市役所前で食べる。市役所も数階建ての立派な建物だ。サハリン課があるのが稚内らしい。ピロシキはもちろんロシアの料理で、それを稚内風に味付けして街の新名物にしていた。塩は宗谷塩、じゃが芋は地元の農家が復活させた勇知いもを使ったこだわりの逸品だ。

JR稚内駅 最北端の駅看板
端っこマニアの聖地の一つ、JR稚内駅。商店街や市役所にも近い。

 稚内が最北の大都市であることを肝に銘じて、ノシャップ岬へ向かう。納沙布ではなくノシャップである。ここで室蘭ナンバーの単車に乗った旅人に声をかけられた。北海道は旅人の天地なのだが、意外に道産子ライダーの姿は見かけない。しかし彼は「走ってみると面白いっすよ! 地元でも知らないことが多いですから。」と言っていた。改めて知ろうとしない分、地元の人間は意外に地元の魅力を知らない。

 それからはひたすら南を目指した。稚内から天塩町までの数十キロは、禿げた原野にただただ道が延びている。悪天候にもかかわらず、右手の沖には、ちょうどそこだけ雨が降り残したように、神々しく利尻富士が見える。左手に風力発電の高い風車が立ち並ぶ光景に「辺境」という言葉が思い浮かぶ。前方に、大きなザックを背負って何もない道を歩いてくる徒歩旅人の姿を見つけてピースサインを送ったら、会心の笑みとともにピースを返してくれた(注1)。
 やがて天塩町が見えてきた。ここで手塩温泉「夕映」に入って一息つく。茶色がかった湯で、浴室に入るなりつんとした匂いがした。泉質が強いらしく、まぶたに湯がかかると痛くなった。
 温泉を出て地図を広げていると、どこからともなく地元の方らしきおっちゃんが現れた。「素泊まりでよかったら俺の家に泊まるかい?」と勧めてくれたが、日没にはまだまだ時間があったので、申し出を断って留萌(るもい)に向かうことにした。
 天塩町と留萌を海沿いに結ぶ国道232号線、通称「オロロンライン」(注2)は、北海道ツーリングでも特に人気の高い道だ。これまで走ってきた三国峠、美幌峠、知床峠など、北海道には無心に走りを楽しめる道が多い。もっとも、荒井の場合、雨続きで楽しむどころの話ではなかったけれど。
 このオロロンラインも、本来なら日本海に沈む夕陽が見事らしいのだが、どんよりとした天気で夕陽も見えない。崖に沿った海沿いの道をひたすらひたすら留萌目指して走るだけだった。

留萌支庁舎
留萌支庁舎。夕方の到着だったので人気もなく、すでに閉まっていたのが残念。

 そして何とか明るいうちに留萌市へとたどり着いた。留萌も支庁所在地だ。留萌支庁舎をカメラに収め、駅前へ向かう。たまたま「みつばちハウスARF」というライダーハウスを見つけたので、そこに転がり込むことにした。そこで偶然、さきほどノシャップ岬で会った室蘭ナンバーの旅人とまた一緒になった。
 ARFは留萌のことを知ってもらおうと、地元の方々の協力の上に成り立っているライダーハウスだ。利用料はなんと無料。利用客も多く、長いこと連泊している方もいれば、女性の方も何人かいる。
 荷物を置いて、夕食を買ったり、近所の銭湯で風呂に入ったりと、雑用をこなして帰ってくると、宿泊客が皆で、大鍋に作った煮込みうどんをつつきながら酒盛りをしていた。酒盛りは真夜中まで続いたが、出遅れてあまり話の輪に加われなかったのが残念である。


脚註

注1・「ピースサイン」:単車乗りの挨拶。ツーリング中、対向車線を走ってくる単車乗りにすれ違いざま送る。単車に限らず、自転車、徒歩、車など、旅人同士「いい旅を!」「お互い頑張ろうぜ!」という意味合いを込めて送ることが多い。かつては日本全国どこでも見られる光景だったそうだが、現在はもっぱら北海道でしか見られなくなっているらしい。旅人の皆さん、北海道に限らずもっとピースサインを!

注2・「オロロンライン」:厳密には、小樽市から稚内市までを結ぶ沿海道路と、天売・焼尻・利尻・礼文4離島航路の総称のこと。


荒井の耳打ち

「主」(ぬし)

 北海道は旅がしやすいせいか、無料キャンプ場やライダーハウスでは度々長期連泊者の姿を見かけます。それ自体はいいのですが、中には、管理人でもないのに、勘違いして何でも取り仕切ろうとする困った輩も存在します。そういう人は恐れと侮蔑を込めて「主」と呼ばれます。長旅を志される方! くれぐれも主にはならないでください。

北海道ならではの事情6〜エキノコックス

 北海道を旅するならエキノコックスについては絶対に知っておかなければなりません。寄生虫でして、この卵が人体にはいると肝臓を蝕み、十数年の潜伏期間を経て発症し、最悪の場合死にます。特に危ないのは沢水と泥つき野菜や山菜です。沢水は飲まないようにしましょう。山菜類はよく洗ってから食べましょう。また、キタキツネに触れることで卵が体内に入ることもあるそうです。

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