試される大地

ウニ丼の日

 すっかりオートハウスに馴染んでしまったが、このまま嵌っているわけにはいかない。日本一周はまだまだ始まったばかりなのだ。餞別がわりに大阪さんが「ここで食べるとええで。」と、積丹半島にあるウニ丼の店を教えてくれた。
 オートハウスの面々に見送られいよいよ出発、北海道一周も仕上げである。日本海沿いに積丹半島と渡島半島を走り、函館に戻るのだ。

 石狩市経由で小樽に出る。小樽港は長距離フェリーが就航しており、特に関西方面の旅人にとっては北海道の表玄関となっている。小樽運河に代表される観光地でもあり、街角にはみやげ屋や、修学旅行の生徒の姿が目立った。
 小樽を抜け余市町に出る。町は日本人宇宙飛行士の草分け、毛利衛さんの出身地として特に知られている。立ち寄った道の駅「スペースアップルよいち」の売店では宇宙食まで売っていた。フリーズドライのアイスクリームなんてものもある。そこまでして宇宙でアイスが食べたかったんだろうか。
 ここは地球なので、かわりに乾燥してないアイスを食べた。余市町は果物の名産地で、道の駅では「アップル」の文字通り、特産品の林檎を使ったソフトクリームも売っている。シャーベットのような舌触りで、ほんのり林檎風味が利いている。

 余市町から積丹半島に入る。このあたりは96年の豊浜トンネル崩落事故で有名になってしまったところだ。現在は新しいトンネルが開通し、普通に走っている分には崩落現場は全く見えなくなっている。

 昼は大阪さんに教えてもらった店でウニ丼を食べることにした。積丹半島のウニの旬は初夏で、その評判は度々聞いている。ウニ丼は道内各地で食べられるのだが、これまで食べなかったのは、値が張るのもさることながら、どうせ食べるなら積丹半島でとびきり旨いのを食べようぜと思ったからでもある。
 とりあえずそれらしい店「みさき食堂」に入ってみた。すぐに若い女の人が現れて、座敷に通してくれた。
 大阪さんは「おばちゃんがやってる店で、中には店に来たライダーの写真が張られてるんよ。ワイの写真もあるかもなぁ。」と言っていたのだが、様子が全然違う。おばちゃんもいなければ、ライダーの写真もない。かわりにあるのはテレビの旅行番組で取材に来たとおぼしき、有名人のサインである。おかしいなとは思いつつ、ウニ丼を注文する。とうとうウニ丼解禁である。
 出てきたウニ丼は、大根のケンとワカメを添えた丼ご飯の上に、これでもか!と生ウニが載っていた。わさび醤油をかけていただくそうだが、いきなり醤油をかけるのはもったいないので、一口目はそのまま食べてみる。ウニに甘みがあって、とろけるような舌触り。これまで食べていたウニは何だったんだと思えるほど旨かった。

 「みさき食堂」を出て、しばらく走っていると、軒先で客が記念撮影をしている店を見つけた。もしやと思い見てみたら、そこが大阪さんおすすめの店「なぎさ食堂」だった。大阪さんの言うとおり、店はおばちゃんが一人で切り盛りしており、壁には旅人たちから贈られた写真が張られてある。「みさき」と「なぎさ」。荒井は店の名前を間違えて覚えていたようだ。
 なぎさ食堂のおばちゃんは「昔は海の幸がどっさり入ったラーメンも出していて、大人気メニューだったんだけど、この歳で身体が動かなくなったものだから、今は生ウニ丼だけに絞ってるのよ。」と少し寂しげに仰った。
 ともあれ大阪さんがせっかく教えてくれたので、意を決してまたウニ丼を食べることにした。ウニ丼は一杯で満腹になる量ではないので、軽くおかわりぐらいは食べられる。問題は腹より懐具合だが。
 こちらのウニ丼は、丼ご飯に刻み海苔をちらし、その上に生ウニを載っけたものだ。やはり最初はそのまま食べる。そのままでも十分旨いので、醤油をかけずに食べる方も多いそうだ。荒井は醤油やわさびも好きなので、いろいろ組み合わせを試しながら食べた。気が付けば二杯目も胃袋の中であった。
 ウニは殻から取り出すと、急に鮮度が落ちてしまう。遠方に出荷するときは薬品で処理をするのだが、すると生ウニならではの甘みは味わえなくなってしまう。時化でウニ漁ができないときはもちろん作れないし、不漁でも作れない。休漁期ならばなおさらだ。一見豪快なようで、積丹のウニ丼はそれほど繊細な料理なのだ。

 あとはひたすら日本海沿いに南下した。ときおり街が現れるほかは寂しげな道が続く。島牧村までやってきたところで暗くなってきた。よさげな場所を見つけ、久々にテントを張って寝た。

北海道一周

茂津多岬灯台
茂津多岬灯台。灯台そのものの高さは18メートル。断崖の高さでかさ上げされるので、海面からだと290メートルになる。

 朝早く目が覚めた。テントを畳んで走り出す。ちょっと走ったところで「日本一高い灯台」という看板を見つけ寄り道する。日本一背の高い灯台を期待していたのだが、灯台まで1キロ近く傾斜15%の急坂が続くものだから「もしや日本一高いところにある灯台ではあるまいな?」と思いつつ走っていると、果たして目の前に現れたのは、背の低い灯台だった。
 ここ茂津多岬(もつたみさき)の灯台は、海面から灯台のてっぺんまでの高さが日本一の灯台だ。2000年に改装されたばかりで、それまで日本一だった但馬(たじま)の余部灯台より1メートルだけ高い。改築にあたり思うところがあったらしい。

 瀬棚町(現せたな町)に来たところでセイコーマートを見つけ、ツナサンドとオレンジジュースの朝食にした。旅先ではよくツナサンドとオレンジジュースを朝食にした。ツナサンドはコンビニならどこでも置いている上、サンドイッチ類では一番安い。あまり食欲のない時でも素直に食べられるので、大学にいた頃は朝食としてよく食べていた。
 それからひたすら南へ向かい、ようやく江差町にたどり着いた。江戸時代に北前船の寄港地として栄えた歴史ある町だ。「エサシ」とはアイヌ語で昆布という意味で、そのとおり、江差の昆布は北前船によって全国に運ばれた。ニシン漁も盛んで、北前船とニシンは「江差の五月は江戸にもない」とまでうそぶかれるほどの繁栄をもたらした。民謡江差追分でも知られており、町役場には「江差追分課」なんて部署まであった。
 江差町は檜山支庁の中心地でもある。檜山支庁も昨今の時流か、統廃合問題に直面していた。日本一周の旅では様々な役場を訪れたが、その多くで、財政難や過疎化を目前に、合併問題を取り沙汰していた。合併まで秒読み段階の自治体もあれば、すでに合併して、手持ちの地図と地名が違っていたなんてところもある。

檜山支庁舎
檜山支庁舎。各支庁舎は地図に載っていないこともあり、毎度探すのに苦心した。

 檜山支庁舎は、海を見下ろす高台の住宅街にある。食堂は小さいながらもこぎれいな作りだ。ニシンはなかったので、日替わりの焼きガレイ定食を食べた。
 役場の食堂の多くは、食券を買って厨房直結のカウンターに差し出す方式になっている。大学や高校の学生食堂と同じだ。日替わり定食の食券を差し出すと、厨房にいた姐さんに「どこから来たの?」と訪ねられたので、単車で山形から渡ってきて、あらかた北海道を廻ったところですと答えた。席に着いて定食を食べていると、先ほどの姐さんが、どうぞとアイスコーヒーを差し入れしてくれた。こんなことが本当にあるとは! それとどうもごちそうさまでした!

 支庁舎を出て、復元された開陽丸を見に行った。開陽丸は箱舘戦争で、旧幕府軍榎本武揚の切り札とされた幕末最強の軍艦だ。実物は江差沖で座礁し、箱舘戦争で活躍することはなかった。船は平成になってから復元されたもので、中は資料館となっている。展示は船内の様子を再現した情景や、海中発掘調査により引き揚げられた遺物が中心だ。中には操舵シミュレーターもある。タイミングに合わせて操舵輪を回すだけのものだが、しくじって2回ほど沈没してしまった。

白神岬
北海道最南端白神岬。対岸には津軽半島が見える。

 再び函館目指して走り出す。松前町にさしかかったあたりから天気がよくなってきた。沖には小島がはっきりと見える。そして北海道最南端の白神岬にたどり着いた。対岸には津軽半島が見える。三週間ぶりに目にする本州、竜飛崎だ。雨風に震えつつ、霧笛を背景に一人寂しく「津軽海峡冬景色」を聴いたのも今やいい思い出だ。ここまで来れば北海道一周はもう目前である。
 大横綱千代の富士を輩出した福島町で、立ち寄り湯「ゆとろぎ」に入ってから、さらに函館を目指す。山を越え、ひたすら渡島半島を東に進む。車のナンバーも函館ナンバーが目立ってきた。函館山も見えてきた。そして再び、上陸地点函館港にやってきた。ついに北海道一周達成である。
 来た道と全く違う道をたどったその果てに、見覚えのある地点に再びたどり着くと、一周したという感慨と充実感が湧いてくる。これぞ海岸線沿い一周の醍醐味だ。

 この日の宿は、これまた旅人にはよく知られた函館市内のライダーハウス「ライムライト」だ。古い木造住宅の2階がライダーハウスになっているのだが、管理人西山さんの手入れが隅々まで行き届いており、中はこざっぱりとしている。
 この日はたまたま焼き肉大会を開くということで準備の最中だった。西山さんが「いかがですか?」と誘ってくれたので、お言葉に甘えて参加することとなった。参加者は15人ほど。皆さんとわいわい言いながら食べる肉や焼きそばが、もちろんまずいわけがない。

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