東京ビッグサイトUターン

ねぶたで跳ねる

青森ねぶた
勇壮な青森ねぶた。送り盆の精霊流しがその由来。

 できればもっと時間をとって北海道を廻りたかったが、そういうわけにもいかなかった。この年の旅はちょっと不規則で、用事のためちょくちょく地元山形に戻らなければならなかったのだ。
 3週間ほどの北海道一周を終え、私用のため山形に戻ってみると、まだまだ梅雨のただ中だった。梅雨明けを待った結果、次の旅立ちは一月近く経った8月となっていた。帰りの予定は9月の頭である。

 それでも8月始め、オートハウスの面々のお誘いで再び青森市に行き、東北三大祭りの一つ、青森ねぶたに参加した。毎年この時期になると、全国各地からライダーや旅人が青森市に集まってくる。跳人(はねと)としてねぶたに参加するためだ。青森ねぶたはライダー跳人にも広く門戸を開いている。
 時期になればフェリー埠頭わきの広大な空き地は、即席のキャンプ場としてライダー跳人達に解放される。にわかにタープやテントが立ち並び、駐車場はさながらナンバーの見本市だ。夕方近くなって、跳人装束のライダー軍団が、単車にまたがり100台近くも連なって会場に向かう様は壮観で、青森ねぶたの風物詩となっている。

跳人装束
準備をする面々。跳人装束は祭りになると市内のスーパーや百貨店で購入できる。一組6000円ほど。

 会場に着いても、跳ねるまでは時間がある。出店や商店で酒や焼き鳥など買い込み景気づけといく。跳ねる前からできあがってしまい、頭はふらふらだ。カールさん曰く「跳ねまくって汗で酒を外に流すんだよ」とのことらしい。
 日が暮れてきて、お囃子が始まるといよいよ始まりである。「らっせーら!」のかけ声と共にとにかく跳ねる。ひたすら跳ねる。ただただ跳ねる。すぐ疲れるので歩いていると、廻りから囃され、やっぱり跳ねる。あたりを見れば、格好良く跳ね続ける人もいれば、ダラダラと歩いてばかりの人もいる。かくして3時間ほど、青森市中心部3キロほどを跳ねつ歩きつしていれば、すっかり筋肉痛である。
 帰りは単車でキャンプ場に戻るのだが、皆という皆が免許不携帯・酒気帯び運転である。しかしどういうわけか、警察は一切取り締まりしない。大目に見ているのだろうか。戻ってからも、皆で酒盛りをしたり、夕食を食べたりと、夜遅くまで起きていることになる。
 夜が明けても、ねぶた運行のある夕方までは暇なので、その間に洗濯やら買い出しやら食事の支度やらすることとなる。それ以外は寝ているかおしゃべりしているかだ。

サマーキャンプ場
タープやテントが並ぶサマーキャンプ場。その正体は市の下水処理場に隣接した空き地。

 筋肉痛で、皆うんうん唸っている。しかしそれでも、夕方になれば再び跳人装束に身を包み、単車を連ねて会場へ向かい、飲んで食っての景気づけの後、筋肉痛はどこへやら、またまた「らっせーらー!!」と跳ねまくるのだ。ヤケである。そしてキャンプ場に戻り、夜更けまで酒盛りをする。ねぶた祭りの一週間ほど、サマーキャンプ場ではこんな生活が繰り返されるわけである。

 一見危ない集団だが、これが地元にも理解がある。ライダー跳人を束ねる世話役がいて、管理と調整にあたるほか、ライダー跳人達も自発的にマナーを守っているおかげなのだ。祭りを荒らすカラス跳人に困らされている地元としても、マナーのよいライダー跳人軍団は歓迎らしい。会場に向かうライダー跳人軍団に、沿道から「がんばってね!」と声援を送る地元の方も多い。これにはちょっと感激してしまった。

 荒井は残念ながら、件の用事とやらで二日しか参加できなかったが、楽しい経験であった。中にはこの楽しさが忘れられず、「来年も絶対参加するぞ!」と決意して、また跳ねに来る人さえいるのだ。

東京一気走り

 二度目の本格的な旅立ちは8月9日だった。今度は東北地方を廻るのだが、その前にぜひとも行っておきたい場所があった。日本最大の離島、佐渡島である(注1)。
 日本一周では島を入れるかどうかで悩むことが多い。ところが荒井には、佐渡には渡らなければならない理由があった。今でこそ新潟県の一部だが、佐渡島はかつて、佐渡国という一つの旧国だったのだ。旧国には必ず一の宮がある。もちろん佐渡とて例外ではない。全旧国一の宮巡りを目標に据える荒井としては、必ず押さえておきたい場所なのである。
 ちょうどその頃「FalcomStation」のゆうさんに「夏コミを見に行くんで、この機会にオフ会でもしませんか?」と誘われ、それにも応じることになった(注2)。日本一周の旅人がコミケに行っている場合か? さておき、だから今回は東北を廻る旅でありながら、まず東京に行って、そこから佐渡に渡り、さらに東北を廻るという、かなり変則的なものとなる。
 しかも夏コミ開催が8月10日だった。一日で山形から東京まで行かなければならない。旅慣れしたとはいえ、一日で山形から東京まで行くような「一気走り」はやったことがない。東京都在住のゆうさんが家に泊めてくれるので宿の心配はないのだが、何時に着けるかは未知数だった。のっけから激しい旅になりそうだ。

 にもかかわらず、例によってうだうだと準備するうち、出発は朝の9時になっていた。これから一日で東京まで行かねばならないというのに、のんきなものだ。
 ねぶたで山形青森間約300キロを走り通したときは、8時間ほどかかった。東京までは400キロほどなので、この調子なら夜の十時ぐらいまでには着けるだろうと思い南下する荒井だったが、後輪の様子がおかしいので見てみると、なんとパンクしていた。
 単車はすり抜けのため路肩を走ることが多いため、タイヤが釘や異物を拾ってパンクすることが多い。しかもDJEBELはチューブタイヤ(注3)なので、パンクしたら直すのがちょっと面倒なのだ。

 さいわい、気付いたのが山形県の県庁所在地、山形市に着く直前だった。山形市に着いてから、給油がてらガソリンスタンドで手近な単車屋を教えてもらい、直してもらうことにした。
 教えてもらったのは「シュパンダウ」というBMWのディーラーだった。BMWは大型車専門メーカーで、ショウルームにも大型の単車が並んでいる。果たしてスズキの小型車でも直してもらえるのだろうかと不安気味に頼んでみたが、店の方は「大丈夫!」と快く引き受けてくれた。しかも換えのチューブがなかったものの、八方手を尽くして、わざわざ取り寄せてまで直してくれたのだ! 店で扱っていないような単車でさえ、わざわざ手間をかけてまで直してくれるのは、よほど親切で、しかも単車が好きでなければできない。大型二輪免許も持ってないのに荒井がBMWに憧れているのは、この体験が大きい。
 このときパンクしなければ、おそらくこの「シュパンダウ」の皆さんと出会う機会はなかった。トラブルも一転すれば、こんな素晴らしい出会いになるのだから面白い。無事パンクも直ったところで「シュパンダウ」の皆さんに礼を述べ、再び東京を目指した。

 修理に1時間ほどかかってしまったので、先を急がなければならない。国道286号線で笹谷峠を越えたところで、福島市まで高速道路を使うことにした。
 国道286号線笹谷峠は、土砂災害による長年の通行止めを経て、この年の春に再び開通したばかりだった。この日は天気もよく、ドライブや山登りを楽しむ人たちの姿が目立った。峠周辺は展望もよく、気軽に自然を満喫できる場所として、すっかり人々の憩いの場となっている。道ばたの水場で水筒に水を詰めていると、単車に乗った年頃18ぐらいの少年らに「この道はどこにつながってるんですか?」と訊かれた。どうやら笹谷峠は初めてらしい。今や笹谷峠の葛折りは、かつてのように人々が往来しているのだ。

 笹谷峠を宮城側に下りたところすぐにある笹谷インターから山形自動車道に入り、村田ジャンクションで東北自動車道に合流する。時速100キロほどで飛ばすが、さすが空冷200ccエンジンのDJEBEL200、すぐにエンジンが熱をもってきた。おまけに軽いため車体が安定しない。ほんの少しハンドルを切るだけでも大きく曲がるし、風や大型車の風圧で煽られる。法律上、走れることにはなっているが、200cc車で高速道路なんか走るもんじゃない。一歩間違えれば即御陀仏だ。

国見サービスエリア
休憩に寄った東北自動車道国見SA。夏休みということもあり、やけに混んでいた。

 国見のサービスエリアで小休止を入れ、再び走る。福島飯坂インターで高速道路を降り、国道4号線に合流する。あとはひたすら東京目指して走るだけだが、距離標識を見れば250キロ近くある。表示されている距離は国道4号線始点、東京の日本橋からのものだから、ゆうさんが住んでいる多摩地区まではさらに距離がある。日は傾きかけているのに、これから300キロは走らなければならないのだ。
 気が付けば昼食を食べていなかった。安達町に来たところで、コンビニ「サンクス」でサンドイッチを買い、笹谷峠の水で流し込み簡単な昼食を済ませ、再びDJEBELを走らせる。
 郡山市を過ぎ、須賀川市を過ぎ、白河市を過ぎ、日も暮れかけたところで、目の前に見慣れぬ県章とともに「栃木県」の標識が現れた。過去、修学旅行や受験などで関東には足を踏み入れているのだが、やはり自力で関東に足を踏み入れるのとでは感慨が違う。「関東だ! 東北脱出だ! 自力でこごまで来てるんだ!」と少し意気が上がる。
 しかし東京は遠かった。道は車も多く、ところどころ大渋滞で車が詰まっているところもあった。だましだましすり抜けて先へ行くものの、それでも相当の足止めを喰らっていることに違いはない。黒磯市(現那須塩原市)を抜け、県庁所在地宇都宮市を素通りし、さらに南へと向かう。だいぶん走ったはずだが、それでも残り100キロ強はあるのだ。

 あたりは全く暗くなっていた。長時間ほぼ休み無しに走り続けたせいかエンジンは焼け気味だ。度々渋滞に巻き込まれるのも大きいらしい。いい加減尻も痛くなっている。腹まで減ってきた。うんざりするほど走って、そろそろ埼玉県が見えてきてもいいと思った頃、目の前に現れたのはなんと「茨城県」の標識だった。
 茨城県の西端は、栃木県と埼玉県の境にくさびを打ち込むような形で食い込んでおり、国道4号線はちょうどその部分をかすめている。そんなことを知るよしのない荒井は、栃木の南は埼玉でなかったのかと、一気に東京から遠ざかったような錯覚を覚えた。

 さらに南に進み、ようやく埼玉県に入ったところで、多摩地区を縦断する国道16号線に乗り換える。国道16号線は全くの幹線道路で、沿線にはファミリーレストランや回転寿司屋、自動車用品店、広い駐車場を備えた大型量販店が軒を連ねている。ロッテの大きな菓子工場まであった。
 関東にはテレビで毎日名前を見るような、有名企業の大工場が多い。先ほど通ってきた黒磯市にもブリジストンの工場がある(03年9月に大火事が出たところ)。関東が首都圏であると感じさせる光景だ。山形にある有名企業の大工場といったら「でん六豆」ぐらいのものである。
 道はまるきり渋滞しており、すり抜けもやりづらいほどだった。ところがそんなところでも、地元ナンバーの単車はすいすいとすり抜けていく。特にバイク便の単車は、車の間の狭い隙間をいともたやすく、相当な速さで駆け抜けていた。バイク便が多いのも大都市圏の特徴だ。さすが地元、慣れてるなと感心してしまった。

 これまた嫌になるほど国道16号線を走ったところで、ついに「東京都」の標識が現れた。イチョウマークの都章に「Metropolis Tokyo」の英語が添えられている。この時初めて「都」をメトロポリスということを知った。紛れもない東京都。一日で、東京にまでやってきてしまったのだ。
 東京都に入ったところで、休憩がてら、手近な「ファミリーマート」に入った。ちょうど開店初日だったようで、店頭には花輪が置かれ、店内もにぎやかに飾られていた。駐車場のアスファルトは舗装したてで真っ黒だ。ここでオレンジジュースを買って一息ついた。
 そこからゆうさんの家まではすぐだったが、着いたのは午後十時頃だった。充実感よりも「間に合った! もう走んねでいいんだ!」という安堵感の方が先に来る。荒井到着後間もなく「FalcomStation」仲間であるたかさんもやってきた。たかさんは関西在住で、荒井と同じくゆうさんの誘いに応じ、東京までやってきたのだ。その後3人で翌日の打ち合わせをして、寝たのは深夜の一時近くだった。

 ちなみにこの日の走行距離は474.6キロ。日本一周全行程を通じて、一日で走った最高距離となった。


脚註

注1・「日本最大の離島」:厳密には、佐渡島は日本で4番目に広い離島。上位3島は択捉島、国後島、沖縄本島なのだが、択捉と国後は北方領土なので除外され、沖縄は一県なので例外とされるせいか、単に「日本最大の離島」と言う場合は、佐渡島を指すことが多い。ちなみに佐渡島の次に広いのは奄美大島。

注2・「夏コミ」:東京都有明の東京ビッグサイトで夏に開かれる、日本最大規模の漫画・アニメ・ゲーム同人誌即売会「コミックマーケット」のこと。大規模なコミックマーケットは夏冬の年二回開かれるが、夏のは「夏コミ」、冬のは「冬コミ」と略される。

注3・「チューブタイヤ」:自転車のタイヤと同様、トレッドとホイールの間に空気チューブが入っているタイヤのこと。パンクしたときの修理が厄介という短所があるが、衝撃に強いスポークホイールを使う関係で、オフロード車でよく使われている。


荒井の耳打ち

一気走りと移動距離

 方々に寄りながらの旅ですと、単車の場合一日の移動距離は300キロ、徒歩なら30キロ、自転車なら80キロを越えると、余裕がなくなってきます。人によって差はありますが、目安として覚えておくとよいでしょう。
 食事と仮眠以外、休みなしに目的地まで単車を走らせることを一気走りといいます。本当に走るだけですが、一日で600キロは移動できます。一気走りで距離を伸ばすのも旅の楽しみ方の一つですが、これも人によって好きずきです。

前に戻る文頭に戻る目次に戻るトップページに戻る次を読む