有明出撃

 早めに動かないことには、コミケ会場に入るのは大変らしい。朝五時半に起き、六時半の電車で多摩地区から都心を目指す。DJEBELはゆうさんの家に置きっぱなしである。
 コミックマーケット、通称コミケとは同人誌即売会である。漫画・アニメ・ゲームなどの愛好者が、めいめい作った二次創作同人誌など持ち寄って、これまた愛好者相手に販売するというものだ。ここ数年大規模化し、ニュースなどでも取りあげられるようになっている。

 朝だというのに大変に暑かった。ホームで電車を待っている間もじりじりと日が照りつけ汗が止まらない。ゆうさん曰く「昼はこんなもんじゃありませんよ。」とか。全くこの先が思いやられる陽気である。
 東京駅へ出たところで、同じく参加者であるアルさん(注1)と合流した。アルさんも「FalcomStation」の常連である。本当はもう一人、これまた常連の一人で、アルさんと親しいMELD(メルド)さんも参加する予定だったのだが、仕事の都合で来られなくなったそうで、ゆうさんの携帯電話に「う〜ら〜み〜ま〜す〜」と、残念がるメールを送りつけていた。

 コミケは一大イベントらしく、東京駅から会場東京ビッグサイトまでの臨時直通バスが出る程で、バス乗り場にはとんでもなく人が並んでいた。並んでいるのは当然、みんなコミケに向かう人である。行列の中には、気が早くて、もうゴスロリ風の衣装や、チャイナドレスをまとった方までいる。コミケと縁のない一般人には、(荒井含め)異様な集団に見えただろうに。
 バスは何十本と出ているらしく、行列の長さの割にあまり待たなかった。十数分ほどで会場に到着したが、こちらにはバス待ちの客以上に、おびただしい数の人が並んでいた。入り口までかれこれ1キロ以上、ビッグサイトの建物を取り囲んでもまだ余る。運営スタッフが大勢、先導と整理に当たっていた。会場に入るまで、まだまだ相当時間がかかりそうな気配である。
 その間も日差しはさらに強く、容赦なく照りつけた。人の合間を縫うように、アイスキャンディー売りが何人も行き交い、あたりを見渡せば、冷え物を扱う露店もそこかしこにある。この陽気ならば大繁盛間違いなしだろう。

同人誌色々
その時買った同人誌。この旅道中持ち歩いたというのが...

 炎天下待つこと2時間、十一時近くになって、ようやく会場に入れることとなった。屋根付きの家畜市場のようなところに所狭しと机が並べられており、売り子が同人誌など売っている。その間を混沌と客が行き交いしている。会場は日差しこそしのげるが、今度は人の体温で異様に蒸し暑い。会場にはコスプレイヤーの姿も多かった(注2)。一般人ならば即「障気」に当てられてしまうに違いない。
 とりあえず、ネット上での知人の方々も、少なからずブースを構えて売り子をしていたのであいさつ廻りをし、それといっしょに同人誌をいくらか買い込んだ。
 売り子の皆さんは誰も、非常に暑そうだった。会場の中は風も吹かないし空調もない。皆さん携帯型の氷嚢を頬や額に当てたり、団扇で扇いだりして暑さをしのいでいた。決して涼しくはないコスプレ衣装の方はもっと悲惨である。
 そんなこんなでいろいろ廻り、午後一時頃、帰りの電車が混み出す前に帰ることとなった。しんかい線と地下鉄を乗り継ぎ有楽町に出て、東京駅で中央線に乗り換えて新宿に向かった。その後はボウリングと焼肉という「FalcomStation」オフ会お決まりのコースである。たかさんとアルさんとは、焼肉の後新宿で解散である。出てきた時間が早かったせいか、多摩地区に戻るのも早かった。

赤城・榛名・武甲山

 夜遅くまであれこれ話をしていたせいか、朝の十一時頃に目が覚めた。ゆうさんが食事にと、カップ麺とおにぎりまで用意してくれたので、ありがたく頂戴する。すっかりゆうさんのお世話になってしまった。荷物をまとめ、出発したのは十二時近くだった。ゆうさんに再三再四お礼を述べ、佐渡に向かって走り出す。

 JR青梅駅の近くから都道に入りしばらくすると、東京都であることが信じられない程の山と緑が迫ってきた。
 今日も素敵に晴れ上がっている。埼玉県に入ると、道沿いの入間川には多くの人たちが水遊びに繰り出していた。タープを張って肉を焼いたり、釣りをしたりと楽しんでいる。川は底が見えるほどに澄んでいた。驚くのは、これが住宅地からほど遠くないということだ。山形でさえこんな清流は滅多にない。入間川沿いには、有料の川遊び場が点々としている。海のない埼玉県だけに、海水浴場の代わり、川遊び場が発達したのだろう。首都圏にこれだけの緑と自然が残っているのに感動した。
 道はやがて寂しい峠道になった。一山越えたところで、てっぺんが削れて妙に禿げあがった山が見えてきた。気になって地図を見ると、武甲山という山らしい。この山について知りたくなったので、麓の横瀬町にある歴史資料館に寄ってみた。展示は横瀬町の風俗の変遷に関するものが中心だが、武甲山の展示もある。
 武甲山は古くからの信仰の山で、その偉容は誰もが讃えるところだった。それが下敷きとなって秩父には三十三札所が設けられている。ところが山はほとんどが石灰岩でできており、戦後そこに目をつけた企業が、山を伐りだしてセメントを作るようになった。かくて偉容の山は異様な山へと様変わりしてしまったのだ。それが荒井の見た武甲山である。その姿は忘れがたいものだった。

武甲山
秩父にそびえる武甲山。その姿を戦後日本の負の遺産ととらえる向きもある。

 埼玉県西部の中心地、秩父市を経由して、県道づたいに本庄市に出たところで、国道17号線に合流する。県境を越えれば群馬県の高崎市だ。隣は県庁所在地前橋市。県庁は背の高い建物で、国道からでもしっかり見えたが、日曜だったので訪問は見送った。改めて来ることになるからと、場所もしっかり覚えておいた。
 日は沈みかけていた。西に見える榛名山は、上の方まで明かりが点々としている。伊香保温泉の街明かりらしい。そろそろ寝るところを探さなければならないが、その前に赤城村(現渋川市)で「ユートピア赤城」という立ち寄り湯を見つけたので、一風呂浴びた。この暑さですっかり汗だくだ。夏場はやたらと汗をかくので、こまめに洗濯したり風呂に入らないといけない。
 その日利用したのは、同じ村の沼尾川親水公園キャンプ場だった。赤城山の裾野にある。管理人のおじちゃんが親切にも「空のバンガローのデッキにテントを張っていいよ!」と勧めてくれたので、お言葉に甘えることにした。多謝!
 テントを張り終えたところで米を炊き、牛じゃが缶とボンカレーを突っ込んで夕食にする。あたりを見回せば親子連れの客が目立った。8月の週末、子供らと夏休みの思い出作りに来たのだろう。このときばかりは、花火に興じる親子連れの姿を、遠巻きにほほえましく眺めるのだった。

佐渡に渡る

 昨日は横になった途端、急に雨が降り出した。ゴロゴロと雷も鳴っていた。テントに雷が落ちないか心配だったが、さいわい雨も止み、何事もなく朝になった。ガソリンストーブに火を点け、朝飯がわりに袋ラーメンの余っていた粉末スープ「だけ」を作って飲んだ。ちょうど味噌ラーメンのスープだったので、みそ汁代わりになるかと思ったのだが、実のない汁をすするのはちょいと侘びしい。

 片付けを済ませ、出発したのは九時頃だった。利根川を渡り、再び国道17号線で北を目指す。板東太郎もこのあたりは上流に近く、大きな石がゴロゴロしている。
 国道17号線は三国峠を経て新潟までつながっている。この道はかつて、江戸と越後を結ぶ主要道だったそうだ。江戸の罪人は、三国峠を越えて越後から佐渡に流され、金山で働かされたとか。奇しくも荒井は、同じ道を通って佐渡に行こうとしているわけだ。
 道は山の斜面に沿い、うねうねと曲がりながら、次第に高度を上げていく。左手は深い谷。北海道の三国峠もこんな高いところを通る峠だったなと思い出す。ちなみにこちらの三国は、旧国の越後・上野・信濃のことを指している。
 三国峠は大分水嶺の峠である。大分水嶺とは、降った雨が日本海に注ぐか太平洋に注ぐかを分ける境のことで、それだけに、大分水嶺を境に気候や植生はもちろんのこと、風物まで変わることも多い。かの川端康成が「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」と書いたのは、この近所のことだ(注3)。大分水嶺に注目すると、旅がぐっと面白くなる。

 川端康成ではないが、トンネルで三国峠を越えれば、そこはもう新潟県湯沢町である。トンネルを抜けた途端、急に風物が明るくなってくる。台風で道が半分近く崩落した場所まであった群馬側とはえらい違いである。
 このあたり苗場はスキーの名所で、沿道には立派なスキー場併設の、これまた立派なホテルが建ち並んでいる。松任谷由実がステキなリゾート地として歌ってそうだ。事実、松任谷由実も何度かここを訪れては、コンサートなど開いている。夏場だったのでさすがスキー客はいなかったが、苗場プリンスホテルの駐車場には車がびっしりと並んでいた。避暑にでもやってきたのだろうか。
 新幹線の駅がある湯沢町中心部を抜け、六日町(現南魚沼市)に来たところで「セーブオン」に寄り、ツナタマサンドの昼食にしていると、同じく単車乗りの兄ちゃんに声を掛けられた。「途中でひどく雨に降られて参りましたよ!」と、ビニール合羽を買っていた。気が付けば雲行きがだいぶん怪しい。彼と別れて走っているうちに、とうとう雨が降ってきた。
 小千谷市で信濃川を渡り、長岡市を過ぎたところで、佐渡へのフェリーが出ている寺泊町(現長岡市)に向かって道を曲がる。れんこん畑や水田を左右に見ながら分水町(現燕市)に出たところで、「良寛記念館」の看板が目に飛び込んできた。気になり行ってみたが、残念ながら休館日だった。
 信濃川は分水町にある大河津分水路で、一部日本海に注いでいる。このあたりはかつて洪水に悩まされたようで、分水路は20世紀初頭、信濃川の排水用に造られたものだ。町の名前はそこからきているのだろう。分水路沿いに走っていると、前方に日本海が見えてきた。海に出たところで南に曲がると、寺泊町はすぐだった。道ばたには魚介類を扱うアメ横があり、夏休みの観光客が大勢詰めかけていた。世間はそろそろお盆である。

赤泊港フェリーターミナル
赤泊港フェリーターミナル。両津港や小木港と並ぶ佐渡島の玄関口。

 寺泊港に着いたのは、フェリー出航1時間半前だった。さっそく窓口に行って乗船券を買う。島に着くのは午後六時過ぎだ。それからキャンプ場を探すのもなんなので、ついでに宿の手配もやってもらった。お盆前の飛び込みだというのに、乗船券も宿も首尾よく手配できた。まずは一安心である。離島便の乗船手続きは、北海道のフェリーとほぼ同じである。離島と北海道とでは何かと勝手が違うのではないかと、実は内心不安だったのだ。
 念のため乗船前に軽くDJEBELを点検してみると、ブレーキランプの電球が切れていた。佐渡に替え部品があるだろうかと少々心配になる。フェリーに乗り込むと、二等船室は人で一杯だった。皆ゴロ寝していて足の踏み場もない。備え付けのテレビには、甲子園の高校野球大会中継が映っている。中高年の男が何人か画面に見入っていたが、荒井は適当な居場所を確保すると、とっとと寝てしまった。やがて船は港を出、佐渡に向けて出航していった。

つぶろさし
つぶろさし。みうらじゅんが「カスハガの世界」でも採り上げていた。写真は羽茂町の小冊子から。

 2時間ほどして船は赤泊港に入港した。念願の佐渡島上陸である。「佐渡だ! 今度は島さ来たんだ!」と、佐渡の土を踏みしめる。あたりは暗くなりつつあったので、さっそく先ほど手配してもらった本日の宿、羽茂町(はもちちょう・現佐渡市)の民宿「つぶろ」に向かった。
 「つぶろ」とは、羽茂町に伝わる大神楽「つぶろさし」にちなんでいる。男根を模した木の棒を股にはさんだ男役を、女役二人で挑発するという面白い舞いで、見たまんま、子孫繁栄五穀豊穣を祈願するものらしい。「つぶろ」とはその木の棒のことで、「さし」とは、なでさすること。まぁ、とんでもないものを民宿の名前にしたものである。
 とはいえ民宿「つぶろ」は快適で、食事も豪華だった。夕食は旬を迎えたイカを中心に海の幸が並んでいた。焼きイカ、イカの煮付け、イカと甘エビの刺身、キュウリと魚の酢の物、串カツ、カニ、西瓜。あとはご飯とみそ汁。量は多かったがしっかり完食した。やはり魚介類が旨い。奮発して民宿に泊まった甲斐があった。
 その後備え付けの洗濯機で服を洗ったり、風呂に入ったり、テレビを見たりして過ごし、寝たのは十二時近くだった。

 佐渡はもちろん離島に渡るのはこれが初めてだ。明日からは本格的に島を廻ることになる。きっと本州や北海道とも全く違う風景が見られるに違いない。そして予想はその通りとなったので、これ以降、荒井はすっかり島巡りが好きになってしまうのである。


脚註

注1・「ゆうさん・たかさん・アルさん」:当然ながら、いずれもネット上でのハンドルネーム。

注2・「コスプレ」:コスチューム・プレイの略。仮装のこと。ここでは特に、アニメやゲームなどの、贔屓の登場人物の扮装をして楽しむことを指す。コスプレイヤーとは、コスプレをしている人のこと。

注3・「この近所」:川端康成の「雪国」冒頭のトンネルは、三国峠北東谷川岳を貫く清水トンネルのこと。列車と関越自動車道は谷川岳の地下を通っている。


荒井の耳打ち

民宿

 民宿の魅力はなんといってもその土地ならではの料理です。一泊7〜8000円程度で、豪華な夕食と朝食が付いてくるのですから、ビジネスホテルに泊まるならばこちらの方が魅力的です。いい民宿に泊まれると、すごく得した気分になります。
 ただし、民宿は夏季のみ営業の場所が多いこと、前もって善し悪しを見極めづらいこと、飛び込みでは利用しづらいこともあり、利用する機会はあまりありませんでした。利用するのであれば、電話帳で探して問い合わせるか、町の観光課なり案内所を通して予約してもらうかした方が、確実でしょう。

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