佐渡一周灯台巡りツアー

佐渡島めぐり灯台スタンプラリー

ワカメ420円
「スピード違反九千円 水津のワカメ四百二十円」 スピード違反を戒めるための看板。佐渡の随所で見かける。

 佐渡に渡ってきたところで、さっそく島を一周することにした。島の内側を廻るのはその後だ。海岸線沿い一周をすると、その島の大きさがどんなものか、どんな形をしているのかがよくわかる。ちょうどおあつらえ向きに、海上保安庁が佐渡の灯台スタンプラリーを実施していたので、これに参加することにした。廻るべき灯台は全部で八ヶ所。一周ついでに灯台のスタンプも集めてこようという魂胆だ。

 朝食は焼き鮭、焼き海苔、生卵、納豆、みそ汁、ヤクルトだった。ご飯にかけるものがやたら充実している。「つぶろ」を引き払い、走り出すと間もなく雨が降ってきた。
 灯台スタンプラリーの手始めは羽茂町の西、小木町(現佐渡市)にある小木港第二防波堤灯台である。小さな灯台であまり目立たない。スタンプは小木港のフェリーターミナルの中にあった。ここ小木港と新潟県上越市の直江津港にもフェリーが就航しており、航路は国道350号線の海上区間となっている(注1)。

国道350号線
国道350号線の図。海上のフェリー航路も国道になっている。小木港フェリーターミナルで撮影。

 雨が激しくなってきたので、ちょっと先の宿根木(しゅくねぎ)集落の郵便局に、雨宿りがてらとびこんだ。局長さんが親切な方で、入ると席をすすめてくれたばかりか、冷たい麦茶までご馳走してくれた。
 この郵便局が変わったところだった。木造の渋い建物で、入り口には「竹木羽のおもしろ郵便」という立て看板が立っている。壁には竹や木札の葉書が展示してある。これは何ですかと局長さんに尋ねてみると、「宿根木の名物、木羽(こば)の端材を利用した葉書ですよ。」と教えてくれた。木羽とは杉材を縦に割って作る薄い板のことだ。おもしろ郵便とはこのことらしい。
 宿根木は北前船の寄港地だった。往時は船大工が数多く住み、一大造船基地として栄え、当然住まいにも船造りの技が生かされた。木羽もその一つで、宿根木では古くから屋根材として使われている。木羽葺き屋根の家が建ち並ぶ宿根木は、景観保存地区の指定を受けている。
 せっかくだからと荒井も一枚、実家におもしろ葉書を送ることにした。木羽の葉書に筆と墨で文字をしたためる。表面がでこぼこしていて書きづらいが、それがまた面白い味となる。「郵便は面白くなきゃね。」と仰る局長さんは、宿根木に赴任してきて間もない頃、たまたま木羽作り職人の方と知り合いとなり、宿根木らしい木羽の端材を葉書にすることを思いついたそうだ。

小木宿根木郵便局舎
宿根木郵便局。宿根木の古い建築を模して作られた。局長さんの発案が生かされてこうなったらしい。

 郵便局を出る頃にはすっかり晴れ上がっていた。ここで一旦小木の中心部に戻り、ブレーキランプを交換する。替えの電球は自転車屋で呆気なく手に入った。離島なので部品が手に入るか心配したが杞憂だった。佐渡は離島とはいえ相当に開けている。大型のホームセンターやスーパーマーケットもあれば、コンビニさえある。
 ブレーキランプも直ったところで島一周再開である。次に向かったのは佐渡の南西端、沢崎鼻だ。「鼻」とは岬のことだ。背の高い真っ白な灯台が、海に臨む岩場の上に建っている。傍らには立派な四阿(あずまや)があり、そこに例のスタンプも置いてあった。
 灯台のそばでは遺跡の発掘調査が行われていた。発掘している方々がちょうど四阿で休んでいたので話を伺ってみると、「砲台跡がそこにあるんだよ。」と教えてくれた。その昔、海上進出を狙うロシアの海軍を警戒して設けられたものらしい。話ついでに烏龍茶までご馳走してくれた。ごちそうさまでした。

沢崎鼻灯台
沢崎鼻灯台遠望。高さ24メートルで佐渡一高い灯台。写真は佐渡の観光案内から。

 沢崎鼻を辞して海沿いに走る。浜辺にはキャンプを楽しむ親子連れの姿が多い。島内には他県ナンバーの自動車もずいぶん多かった。たまに見かける墓地には墓参りの人が目立ち、どの墓にも新しい花など供えられている。世間はお盆休みなのだ。とはいえ万年夏休み状態の、無職の旅人にはあまり関係がない。スーパー勤めの頃、休みは全くの書き入れ時で、日曜盆暮れ正月関係なしに働いていた。ところが今やまるきり別の形で盆暮れ正月とは縁がない。まぁ、こんなもんだよなと苦笑いした。
 天気はすっかりよくなり、すかっとした青空が広がっていた。道は上り下りを繰り返し、目の前に奇岩や海が見えたかと思えば、突然山深い竹藪の中に突っ込んだりと、風景は目まぐるしく変化し、一気に過ぎ去ってしまうのがもったいない。離島の空気は本土と比べ、どこかゆっくりゆったりとしている。それが離島の大きな魅力である。

 真野湾を回り込み、佐渡の北、相川町(現佐渡市)の長手岬に寄ったところ、海を見下ろす四阿で休んでいたおじいさんと少々話をした。おじいさんは長年相川で暮らしており、相川はいいところだよと言っていた。今はお盆だから、相川の町の方ではにぎやかに盆踊りや佐渡おけさなど踊ることだろうねと、いい声でおけさ節などうなってくれた。
 四阿は日陰と潮風のおかげで涼しく、暑さを逃れて一息入れるにはちょうどよかった。おじいさんは友達とこの四阿に茣蓙(ござ)を敷き、星を見ながら寝たこともあるそうだ。荒井はおけさ節を聴きながら、いい心持ちでうっとり海なぞ眺めていた。

大野亀
外海府海岸の大野亀。初夏にはノカンゾウの花で黄色く染まる。

 相川町の中心部を過ぎると途端に建物が減ってくる。灯台巡りのため、尖閣湾の大崎に寄った。ここはドラマ「君の名は」(注2)の舞台となったことでも有名だ。灯台近辺の園地は入場料が必要なため、園地入り口にあったスタンプを押すだけにしておいた。
 尖閣湾以北の海岸は外海府海岸(そとかいふかいがん)と呼ばれ、ごつごつした岩や断崖が多く、その荒々しい風景は佐渡の大きな見所となっている。道沿いには漁村や民宿が点々としてうら寂しい。
 次なる灯台は外海府海岸の北寄りにある関崎灯台だ。こちらの灯台は海を見下ろす高台にあり、隣は国民休暇村のキャンプ場となっている。キャンプ場は大入りで、コールマン(注3)の大型テントを張ったオートキャンパーの姿が目立った。灯台はキャンプ場の向こうだったが、テントサイトを横断するのが何となくはばかられ、ここも見に行くのはやめといて、受付にあったスタンプを押すだけにしておいた。
 関崎を過ぎたあたりから、道は高度を上げ、海岸線もさらに野趣を帯びてくる。前方には海に突き出したばかでかい丘が見えてきた。近くに寄ってみるとさらにでかい。「デケぇ」と見たままそのままの感想が漏れる。ここが佐渡名所の一つ大野亀で、外海府海岸の代表的景勝地となっている。
 大野亀から佐渡北東端の弾崎(はじけざき)まではすぐである。ここにも灯台があって、こちらは映画「喜びも悲しみも幾年月」(注4)の舞台となったそうだ。ここの灯台も大崎同様、有料の園地を通らないと見に行けないので、スタンプを押すだけだった。

 弾崎を回り込むと両津湾、佐渡の内海になる。このあたりは外海府に対して内海府と呼ばれ、波もおとなしい。湾の一番奥に佐渡の中心都市、両津市(現佐渡市)の市街地が控えている。市街地までは1.5車線の細い道が続き、カーブも多く、追い越しもままならない。
 市街地は素通りして、佐渡の南東端、姫崎に向かうことにした。実はこのとき、両津港にあるおけさ灯台まで素通りしてしまい、後日改めて来ることになってしまった。

姫崎灯台
姫崎灯台。世界の灯台100選にも選ばれているほどの名灯台。

 姫崎の灯台は日本最古の鉄造灯台だ。背はそんなに高くはないが、六角形の箱に足が生えたような形のモダンな灯台である。灯台守の宿舎だった建物は現在休憩所兼資料館となっており、灯台の電球やレンズ、無線機などが展示されている。もちろんここにも灯台巡りのスタンプが置いてあった。
 灯台付近は公園として整備されており、キャンプ場もある。夕暮れ時だったので、今日はここにテントを張ることにした。米を炊いて蒲焼き缶をおかずに夕食を済ますと、くたびれていたのか、八時前には寝てしまった。残る灯台は2つ、それは明日以降である。


脚註

注1・「海上区間」:国道の中には、陸のみならず海上を通っているものまである。有名どころは国道58号線の奄美群島近辺、国道197号線の佐田岬と佐賀関間などなど。海の上だから車はもちろん走れないが、主要航路ということで、かわりにフェリーが就航していることが多い。

注2・「君の名は」:菊田一夫原作の大作メロドラマ。戦時中、空襲から逃げるさなか、数寄屋橋でふと出会った真知子と春樹という男女のすれ違いを描く。その真知子と春樹が逢瀬をした場所の一つが佐渡島の大崎。昭和27年から2年ほどラジオドラマとして放送され、その後映画やテレビドラマにもなった。

注3・「コールマン」:アメリカの有名アウトドア用品メーカー。ランタンや野外調理用のガソリンコンロ、大型テントなどが代表的な商品。オートキャンプやファミリーキャンプ向けの商品が多い。

注4・「喜びも悲しみも幾年月」:1957年撮影。監督木下恵介。戦前戦中戦後を通じ、僻地で灯台の保守管理にあたった灯台守夫婦の悲喜こもごもを描いた物語。映画のモデルとなった灯台は全国各地にある。現在多くの灯台は遠隔制御によりほぼ無人化されているが、そうした技術がない頃は、灯台守が住み込みで灯台の管理に当たっていたそうな。

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