朝六時前に起きた。夜明け前に激しく雨が降っていたようだが、今は上がっている。夕食の残りに水とインスタントみそ汁を加え、暖め直して朝食にした。あんまり旨くはないが文句は言えない。
使ったコッヘルを洗いに水場に行ってみたところ、物陰に長さ4センチほどの黒い影が蠢いているのが見えた。嫌な予感がするので見てみると、それは的中した。フナムシが一匹、二匹、三匹。それもひときわ立派な奴がいる。
フナムシはエビの仲間の甲殻類で、主に磯場に棲んでいる。釣り餌としては最高らしいが、それはこの際どうでもよくて、荒井の目には、足がうじゃっと生えてやたら早く動く、気持ちの悪い虫にしか見えないわけである。テントの中におじゃまされてはたまったものでない。そういや昨日、夕食を食っている目の前を、やけにでかい虫がカサカサと動いているのを見たような気がする。あの正体はフナムシだったのか。
テントに戻ってみると、なぜかテント本体とフライ(注1)の隙間に、奴が一匹いるのを発見した。テントを指ではじいて、のんきにペタっとひっついている奴さんを払い落とした後、撤収に取りかかった。荷物の中に紛れ込まれるのも嫌なので、テントの入り口を密閉して、中の物をザックに詰め込む。外に出たところで、別の所にテントを運び出して折りたたみ、改めてザックの物を詰め直す。もちろん奴がいないことを十分に確認し、念入りにはたき落とすことも忘れない。
この姫崎キャンプ場、立地は最高なのだが、ナメクジも多数生息しているようで、虫が嫌いな人には耐えきれない。かくて慎重に慎重を期した荷造りの後ようやく出発した。
姫崎を出てしばらくは、狭く見通しのきかない道が続いている。畑野町(現佐渡市)との境目に近い岩首という集落で「養老の滝」を見物した後、次なる灯台がある鴻ノ瀬鼻(こうのせばな)に向かった。
鴻ノ瀬鼻は、本州と佐渡を最短距離で結ぶ岬である。佐渡の国府の出先機関が置かれた瀬だから「こうのせ」。古くは流刑になった世阿弥や日蓮上人がここから佐渡に上陸したという。岬一帯は緑地公園として整備され、無料キャンプ場や国衙を模した休憩所まである。
そんな緑地のど真ん中に鴻ノ瀬灯台は建っている。高さ22メートルの背の高い灯台だ。その日はたまたま夏休みの一般公開日ということで、海上保安庁の職員の方々が準備の最中だった。今日に限っては普段は入れない灯台の中に入り、その上に登ることまでできるのだ。せっかくだから見ていこうと、準備が整うまでガソリンストーブで紅茶を淹れて待つことにした。海上保安庁のマスコットキャラクター「うみまるくん」の着ぐるみを着込んだ職員の方もいる。キャンプ場にいた子供らは面白がってうみまるくんに群がっていた。紅茶を飲んで、片づけが終わった頃、ようやく見学会が始まった。
灯台に入るのは初めてだった。中は非常に狭く、ザックを下に置いての見学となる。中は何層かに分かれていて、それぞれ梯子のように急な階段が掛け渡されている。そんなところを三つ四つ登るとようやくてっぺんの投光器室に出られる。小さな窓をくぐるようにして外に出ると、バルコニーのようになっていて、鴻ノ瀬鼻のキャンプ場が一望できた。
急に雨が降ってきたので、あわてて灯台の中に引き返す。下に降りると見学は一時中断となっていた。雨が降ったり強風が吹いたりすると、足を滑らすとか煽られるとかで落下の危険があるのだ。さっきのうみまるくんも濡れたら大変なのか、国衙風の建物に引っ込んでしまった。
雨装備を取り出していると、名古屋から来たという単車乗りの方に声をかけられた。彼も日本一周の最中で、ここ鴻ノ瀬鼻キャンプ場にテントを張っているそうだ。「島巡りをしようと思ったんだけどこの雨でしょう? 行こうか行くまいか考えましたけど、しばらくここにとどまることにしましたよ。」
彼と別れ、鴻ノ瀬鼻を出て南に走っていると、やがて上陸地点赤泊港が見えてきた。佐渡を一周したところで、二周目突入である。今度は海岸線にこだわらず、気になった場所を廻るのが目的だ。まずは佐渡に渡ってきた一番の目的、佐渡一の宮渡津神社(わたつじんじゃ)に行った。
佐渡島は一周約250キロほどで、南北二つの平行な山脈が平野をはさむ格好になっている。北の山脈部分を大佐渡、同じく南を小佐渡、その二つにはさまれた平野を国仲(こくちゅう)と呼んでいる。国仲平野の東にあるのが両津湾で、同じく西が真野湾だ。
大佐渡は有名な佐渡金山の他、外海府の自然景観が売りだ。ドンデン山に金北山、妙見山といった山々にも恵まれている。国仲は国道350号線が東西に通っており、島では最も開けている。金山に並ぶ佐渡名所、トキ保護センターがあるのも国仲だ。
小佐渡は宿根木やつぶろさしなど、歴史ある建物や芸能が目玉となっている。荒井が目指す渡津神社はその小佐渡にある島一番の神社だ。
赤泊港わきのみやげ屋併設の食堂で親子丼の昼食にして、渡津神社に向かう。日本一周二社目の一の宮だ。神社は交通安全に御利益があるらしい。日本一周早々、交通安全の神社を訪ねたのも何かの縁だと思い、交通安全のお守りを一つ買うと、社務所に控えていた神職のお兄さんがついでにと由緒記をつけてくれた。由緒記とは神社の由来などが書かれた小冊子だ。これをきっかけに、一の宮巡りではできる限り由緒記をいただくことにした。
すぐ隣にある温泉「クアテルメ佐渡」で風呂に入った後、再び小木に向かった。途中気比神社という小さな神社を見つけた。小さいながら由緒ある神社で、境内には古びた能舞台も建っている。越前一の宮氣比神宮とは縁が深く、神宮の鳥居はここの神社の木で作ったものらしい。それにしても旅はまだ始まったばかり。氣比神宮に参拝するのはいつのことになるだろう。
今度は小木港のそばで木崎神社を見つけた。境内には戦没者慰霊碑があって、そのまわりで一人、草刈りをしているおばちゃんがいた。毎年8月27日には慰霊祭が開かれるのだそうだ。
それから宿根木の民俗博物館に行った。古い小学校をそのまま展示室にしており、おびただしい数の古民具が所狭しと置かれてある。お椀に塗り膳といった生活用品から、古時計、ランプ、ラジオなどのがらくた、民俗信仰のまじない札や祭具なんてものもある。相当年季が入っており、今にも化けて出てきそうだ。昭和59年に建てられた新館には、農具や漁具が整然と置かれてあった。佐渡らしくたらい船も展示されていたような気がする。
ここの目玉は実物大に復元された千石船「白山丸」だ。全長23.75m、全幅7.24mの木造帆船だ。宿根木でもっぱら作られていたのは白山丸のような比較的小型の千石船で、明治になってもしばらくの間は、こうした船が日本海を航行していたようだ。内部も当時そのままに復元されており、見学できる。
いつの間にか雨は上がり、空は赤くなっていた。小木町内のAコープに夕食の買い出しに行く。「桃太郎」という見慣れぬアイスが気になり一つ買う。両津市で作っているアイスバーで一本50円。着色料のどぎつい桃色をしており、これが名前の由来かと思われる。桃だというのにイチゴ味。「昔こんたアイス、よぐ食ったよなぁ。」と、しみじみ食べた。荒井はこういうご当地フードも大好きで、旅先で見かけるとちょくちょく買ってしまうのだ。
小木には盆踊りの櫓が組まれていた。今夜あたり盆踊り大会があるらしい。見てみたかったが、寝場所が心配だったので、まだ日のあるうちに野宿場所を探すことにした。海沿いのキャンプ場は皆満員御礼、こりゃたまらんと、沢崎鼻の灯台に行くと、灯台すぐ下のコンクリート地のところがおあつらえ向きに空いていたので、そこにテントを張ることにした。沈む夕陽を見ながら米を炊き、ボンカレーとツナ缶をぶち込んで夕食にした。あたりが暗くなると、時折灯台の光の帯が回っているのが見える。荒井を脅かしたフナムシも姫崎ほど多くはなさそうだ。こりゃ絶好の野宿場所だなと思ってその日は寝たが、甘かった。
翌朝、別のものに脅かされて叩き起こされるのを、不幸にして荒井はこの時まだ知らない。
注1・「フライ」:フライシート。テントの上にかぶせる防水性のある布のこと。通常テント本体は、通気性を持たせるため防水加工されてないので、雨をしのぐためにフライが必要となる。
一の宮とは旧国を代表する神社です。明治の廃藩置県以前の国割りである旧国には必ず一社以上あり、崇敬を集めている由緒ある神社で、一の宮を拝んで廻る旅人の団体もあるほどです。一の宮巡拝を志す旅人のために、「諸国一の宮」(入江孝一郎著・移動教室出版事務局刊)というガイドブックが出ていますので、廻ろうとするならば、まずはこの本を手に入れることをおすすめします。
一の宮を巡るということは旧国を巡ることでもありますので、県とは違った視点で日本を眺められる面白さがあります。
はじめは「その町に一つしかない物」と考えて役場を巡っていたのですが、旅では意外と使えることに気が付きました。多くの役場には観光課があります。ご当地の名所を教えてもらったり、案内パンフレットをもらうことができます。また、ほとんどの役場には新聞が置いてあり自由に読めます。場所によってはネット端末もあるのでネットサーフィンも可能だったりします。トイレもあるので、公衆トイレ代わりに使うこともできます。こんな役場を有効活用しない手はありません。
ただし、土日祝日は閉庁する場所がほとんどなのでお忘れ無く。