朝起きると雨降りだった。こういう天気では何をするのも億劫で、フテ寝を決め込みまた目をつむる。その瞬間、いきなり突風が吹きつけた。
沢崎鼻は佐渡南西端の海に突き出した岬である。岬の先には海しかなく、遮るものは何もない。どうやら岬は風の通り道になっていた。しかもとびきり強い奴の!
風はさらに勢いを増し、テントを押しつぶしにかかった。こりゃフテ寝もできねえなと内側からテントを支えてみるが、大自然の猛威の前にあえなく敗退、あわれ荒井入りのテントはぺしゃんこに押しつぶされ、突風に煽られるがまま、じりじりと後退しはじめた。
このままでは危ないなと命の危険を感じつつも、頭は妙に冴え、脱出の算段を考えていた。こういうとき、人間は本能的に生き延びる方法を探ってしまうものらしい。
「ひとまず、濡れると困るものばザックさ突っ込んで、一気に外さ飛び出したどごで、折れっと困っからテントのポールば抜いで、そのままテントぐるみ、近ぐの四阿まで装備一式ば運び込む。決定!」
濡れると困るものをザックに詰め込みつつ、こうしたことを数秒のうちに思いつくや、靴も履かず外に飛び出した。雨がたたきつける中ずぶ濡れになりながらテントのポールを引っこ抜き、片手にテントを、片手にポールを掴むとそのまま、四阿まで逃げてきた。
装備はすっかりずぶ濡れだった。乾かすのに手間がかかりそうだ。気を落ち着けるために、インスタントのみそ汁を作っていると、同じく灯台の下にテントを張っていたキャンパーが起き出してきて、コーヒーをご馳走してくれた。こちらはしっかりペグ(注1)を打っていたので、この突風にも動じなかったようだ。
動作確認のためラジオをつけてみると、ちょうど「本日の佐渡地方の降水確率は80%です。」と聞こえてきた。そんなことは嫌というほど判っている。
そのうち風も雨も和らいだ。キャンパーにごちそうさまと言って出発する。とりあえずまた宿根木へ行き、集落の様子を見物することにした。
宿根木は入り江に面した谷間にあり、住宅は狭い土地に詰め込まれるように建て込んでいる。路地は入り組み迷路のようだ。「白山丸」の由来となった白山神社に参拝し、さらにうろつくと、奥まった岩屋のような所に、無数の古い墓が建っていた。集落の歴史を作ってきた先人たちが眠っているのだろう。ちょうどお盆で、どの墓にも花など供えられていた。
長年上り下りを繰り返した結果、真ん中がすっかりすり減っている石段を登り、名物の木羽葺き屋根を撮ろうとカメラを構えていると、どこからともなく地元のおじさんが現れ、絶好の撮影地点を教えてくれた。
宿根木をうろついているうち、再び雨が激しくなってきた。今朝方の突風で雨にはほとほと参っていたので、真野町(現佐渡市)の役場で雨宿りした。たまたまインターネットの端末があるのをよいことに、タダで利用しまくる。
雨が小止みになったのを見計らい、国仲平野を横断して、両津市へと向かう。途中、道の駅「芸能とトキの里」で昼食代わり、「まっさら佐渡の果実たち」と、道の駅名物「あのソフト」を買って食べる。「あのソフト」は地元の牛乳を使ったコクのあるソフトクリームだ。ただのソフトクリームとして売られていたのだが、あるお客さんが「道の駅のあのソフト、おいしかったわねぇ。」と言ったのが口コミで広まり、そのままソフトクリームの名前になったそうな。
両津市に着いたところで、灯台巡りで最後まで残っていた、両津港灯台のスタンプをもらいに行く。スタンプは灯台からずいぶん離れたフェリーターミナルに置いてあった。両津のフェリーターミナルは赤泊や小木より格段に大きい。食堂やみやげ屋、売店が多数入っている上、バスターミナル併設で、大都市の駅ビルを彷彿させる。ここと新潟港の間にはフェリーの他、高速船ジェットフォイルも就航しており、こちらの航路も国道350号線の海上区間となっている。両津港は佐渡の表玄関なのだ。
件の灯台は全く見えなかったが、佐渡おけさを踊る女性の姿を象った面白い形をしているのだそうだ。通称おけさ灯台。両津港から佐渡に出入りする場合、この灯台の歓迎と歓送を受けることになる。
市役所にも寄ってみた。佐渡は広いだけあって、島内に市役所を置く市があるのだ。市役所そのものは鉄筋コンクリート製のよくある建物だが、市民憲章が傑作だった。市民憲章とは、市民が心がけるべきことを五箇条ぐらいにまとめた約束事だ。たいがいレリーフになって、役場の前庭あたりに展示されている。役場巡りをすると、こういうものにも目がいってしまう。
多くは「みんな仲良くしましょう、仕事に励みましょう、健やかな体を作りましょう、郷土を大事にしましょう、郷土を発展させましょう」てなことを言葉を替えて言っているに過ぎないのだが、両津市の場合「ドンデン山の石楠花のようにやさしさと思いやりに満ちたまちをつくります」とか「若者が舞う鬼太鼓のようにたくましく活力にあふれたまちをつくります」といった具合に、なかばこじつけのように市の名所名物を織り込み、一目で両津市の憲章だと分かるようになっているのだ。恐るべし郷土愛。
おととい走った道で再び姫崎を廻りこみ、島の南岸に出たところで山道を通り、さっきの道の駅の前に出る。島とはいうものの、内陸は驚くほど山深い。そこから島の真ん中にある金井町目指して走っていると「トキ保護センター」の看板が目に入り、ふらふらと立ち寄った。
佐渡の二大名所といったら相川の佐渡金山とここ、新穂村(にいぼむら・現佐渡市)の佐渡トキ保護センターである。佐渡は日本で最後に野生のトキの生息が確認された土地だ。昭和56年には保護と繁殖のため、残っていた数少ない野生のトキは全て捕獲され、施設で大切に育てられることとなった。小佐渡で最後のトキが捕獲された場所には、御影石にトキの姿を刻んだレリーフが置かれている。数が減った理由はむろん、人間による乱獲と環境の激変だ。
繁殖はなかなかうまくいかず、日本在来のトキは絶滅することになってしまった。ところが努力が実ってか、近年、中国から贈呈されたトキの繁殖に成功し、着々とその個体数を増やしつつあった。
近辺は一大観光地だった。駐車場はトキを見に来た客の車で埋まり、整理員まで出るほどの大盛況ぶりだ。入り口前には見物客を当て込んだみやげ屋が並び、トキにあやかったみやげを扱っている。定番のトキサブレはもちろんのこと、類似品トキちゃんサブレ、トキまんじゅう、トキチョコレート、トキカステラ、果ては「トキのたまご」なんてチョコレート菓子まで。絶滅危惧種の特別天然記念物の国際保護鳥の玉子なんて食っていいのか?
トキグッズはそれだけに留まらない。トキの扮装をしたドラえもんやキティちゃん、それに加藤茶までもがキーホルダーとなって売られている。ドラちゃんもキティちゃんも鳥の外敵、猫なのに問題はないのだろうか。ついでに保護センターのトキ同様、キーホルダーは中国製だった。
その売店から少し離れた飼育施設に、稀少な珍鳥...もとい、絶滅危惧種の特別天然記念物の国際保護鳥は住んでいる。こちらを見学するには「協力費」ということで200円ほどの入場料を払い、トキ資料展示館に入らなければならない(注2)。ずいぶん多くの人が訪れており、入り口の壁にはラーメン屋のごとく、有名人のサインがいくつも掲示してあったので、思わず苦笑した。
展示はトキの生態にまつわるもので、日本最後のオストキ「ミドリ」の剥製や骨格標本、中国から進呈された友友と洋洋(ヨウヨウとヤンヤン)が入っていた箱なども見学できる。トキの卵も展示されていたが、チョコレート菓子とは全くの別物だった。
トキ保護センターで飼われているトキはいわゆるニッポニアニッポンだけでなく、クロトキやショウジョウトキといった、世界各地のトキ類もいくつか含まれている。トキ類の鳥は全世界的に、様々な種類がいることを初めて知った。
資料展示館からは、隣のトキ飼育ケージが見られる。ここで見られるのは繁殖に成功した若いトキが中心だ。羽ばたくと、内側にある上品な薄紅色をした美しい羽根を見ることができる。文字通り「鴇色」の羽根である。トキの数はこの時で30羽ほどで、先はまだ長いが、野生に戻す計画が次第に現実味を帯びつつあった。その日に備えていかに野生に慣らしていくかが現在の課題だ。
日本最後のトキとなった「キン」はこのケージとは違う部屋で飼われており、直接見られない。キンはこのときまだ健在だったが、翌年10月に亡くなってしまった。
こうした様を「人間の勝手だ」「トキを食い物にしている」と嫌悪するのは簡単だが、トキが人間のために絶滅寸前であることに変わりはない。人間はその事実に謙虚かつ誠実に向き合うべきだろうし、殖やして野性に返すという事業は、人間がトキに対してできる精一杯の罪滅ぼしであることを忘れてはいけない。
ところで、ここの売店の一角で売られている枝豆ソフトは旨いとの評判で、地元紙でも採り上げられたことがある。荒井も一つ食べてみたが、枝豆の風味と甘みがほんのり漂い、美味である。ネクタリンソフトもおすすめだ。
保護センターを出ると雨が上がり、奇跡のように晴れ間が覗いていた。テントを干すため、今日も野宿決定だ。国仲の西にある佐和田町(現佐渡市)のスーパー「マツヤ」で夕食用に安売りの野菜水煮缶を買う。金井町(現佐渡市)の日帰り温泉「金北の里」で、風呂に入って体を洗う。近所の「セーブオン」で袋ラーメンも仕入れた。あたりも暗くなってきたので、目をつけていた金井町役場裏のライスセンターに行く。不意の雨にも困らないよう、軒先の目立たないところを選んでテントを張った。夕食は水煮缶入りのラーメンだ。
ライスセンターや集荷場といった農協関連施設は、農繁期や収穫期でもない限り、あまり人が来ることはない。雨をしのげる程度の屋根もあれば、水道の蛇口もあるので、旅の途中では、こうしてこっそりテントを張らせてもらうことがしばしばだった。
夕食を食べていると、遠くの方で花火が上がった。急に晴れたおかげで、こうして花火大会をやっているのだろう。一瞬の大輪を咲かせて、はかなく消える花火の姿は、短い日本の夏のようである。
注1・「ペグ」:テントを固定するための杭。
注2・「協力費」:保護センターそのものは見学できないが、飼育ケージはトキ資料展示館と隣接しているため、こちらに入ればトキの様子を見ることはできる。