空は久々に晴れた。トキ保護センターを見たなら金山も見てこようかと思い、相川町に行くことにした。地図を見れば、金井町からだと大佐渡の稜線上を通る大佐渡スカイラインを通っていくのが近いようだ。
スカイラインまでは急な道を登っていかねばならない。取り付きは溝付きのコンクリート舗装路で、ハンドルが取られて走りづらかった。航空自衛隊管理下の道路ということで、頑丈に作ったものらしい。
やがて航空自衛隊の基地が見えてきた。佐渡には自衛隊の看板が多い。日本海の真ん中にあるため、北辺警護の要地となっていることは容易に理解できる。沢崎鼻の砲台跡もそういうことだったし、北朝鮮の拉致被害者には佐渡の方も多い。
稜線まで上りきったところ、海抜1000メートルほどのところに、白雲荘という見晴台がある。晴れていると本州さえ見えるそうだが、ガスっていて全く見えなかった。道を少し下っていくとガスが切れ、ようやく真野湾が見えてきた。スカイラインだけあって眺望は抜群だった。
佐渡金山はスカイラインの相川側入り口近くにある。江戸時代とともに採掘が始まり、平成元年に掘り尽くされるまで、実に390年近く操業していた。周囲には今でも、露天掘りで姿の変わった山や、うち捨てられた近代の鉄製の櫓など残っている。見学に供されているのは、一番最初に採掘が始まった宗太夫坑(そうだゆうこう)である。坑道の中はひんやりとして、外の暑さが嘘のようである。
金山は徳川幕府と共に発達した。幕府の貴重な財源であり、幕府直轄の奉行所が管理に当たっていた。鉱石でさえ、金を持ち出すことは厳しく禁じられたという。坑内にはコンピューター制御の人形が何体か置かれてあり、当時の作業の様子が再現されている。この人形がやたら精巧な作りで、見て泣き出す子供までいた。
時代劇の影響か、金山で働いていたのは流刑の罪人だと思いこんでいたのだが、実際はそうでもなかったようだ。金の採掘には相応の技術がいるので素人には務まらない。ただ、江戸の無宿人(注1)が多数佐渡に送られ、坑内に溜まる水のかき出しにこき使われていたそうだ。金山の近くには無宿人を弔う慰霊碑も置かれてあり、毎年供養されている。
併設の資料館には、金山の沿革や精錬の様子が、資料や情景と共に展示されているが、一番の呼び物は12.5キロの金塊体験コーナーだった。握りこぶし一個分の穴が空いただけの透明アクリルケースに手を突っ込んで、中の金塊を触ってもらうというものである。うまいこと持ち上げて、穴から取り出せればその場で粗品が進呈されるが、金塊はなかなか出てきてくれない。ケースの廻りには人だかりができ、多くの人が我こそはと金塊に挑んでいた。
相川の市街地に出て、「セーブオン」でカルボナーラの昼食にする。駐車場に座って食べていたら、猫がやってきて、もの欲しそうに見つめてきた。こりゃたまらんと立ち食いしても、猫が足下に寄ってきて、良心の呵責にさいなまれた。
大野亀に向かう途中、外海府海岸のある漁村で、送り盆の行事をやっていた。沖には小舟が出ており、花輪を曳いていた。泳いでいる人もいる。陸では老婆達が鉢を叩きながら念仏を唱えている。別の漁村では、藁の小舟に花と送り火を載せ沖に流していた。漁師の霊は海から来て、船に乗って海に帰っていくのだ。
前回は素通りした大野亀だが、今度は上まで登ってみた。海抜167メートル。頂上までの道は細く険しく、背の高い草に埋もれ、しかもここ数日の雨ですっかりぬかるんでいた。荒井は軽登山用の靴を履いていたが、それでもかなり手こずった。中にはサンダル履きで登ってきて、泥に足を取られて転ぶ人も続出していた。それだけに頂上からの展望は格別だった。
降りてくる途中、鴻ノ瀬鼻キャンプ場で会った日本一周単車乗りの方とまた会った。彼は片手にタンクバック(注2)を抱えており「これで上に登るのはきっついなぁ。」と苦笑していた。
弾崎、両津市街を経由して「芸能とトキの里」に寄り、昨日見つけて気になっていた、農協のレアチーズケーキを買って食べた。これも佐渡の牛乳を使ったもので、甘さ控えめで食べやすい。
今日もそろそろ日が傾いてきた。国道350号線沿いのスーパー「キング」で袋ラーメンと、見切り品のはんぺんを仕入れる。そして暗くなった頃、農協のおけさ柿集荷場に向かい、こっそりテントを張った。人目にも付かないし、いい具合に屋根もある。
柿も佐渡の名産品だ。50年ほど前、山形特産の庄内柿を佐渡に持ってきて育てたのがその始まりで、今や本家庄内柿と肩を並べる知名度を誇っている。最近は紀州産の柿にその地位を脅かされているそうだが、その紀州の柿も、もとをただせばおけさ柿を紀州で育てたのが始まりだそうな。
夕食は昨日に引き続きラーメンである。今日の具はちぎったはんぺんだが、はんぺんとラーメンは合わないことがよくわかった。いい出汁が出るかと思ったのだが。
暑さは山を越えていたが、夜は蒸し暑かった。屋根の下に張ったのをいいことにフライを外し、ようやく涼しく寝られるようになった。
今日も晴れていた。隣接するJA佐渡の広場には、ラジオ体操で人が何人か集まっていた。さいわいテントを張った場所は物陰にあたるので見えていないようだった。根室でもこんな事があったよなと思い出す。
出発したのはいいものの、気が付けばすることがない。灯台巡りは達成してしまったし、佐渡にある10の市町村にも全て足を踏み入れている(役場にも寄ってきました)。本州に帰ってもよかったが、今はお盆のUターン客でフェリーが混んでいそうで、しかも佐渡の海産物もあまり食べていないので、もう一日滞在することにした。
天気がよかったので、白雲荘にもう一度行ってみた。今日も雲で何も見えなかったが、上の方に青空は見えた。この調子だったらしばらく粘れば展望が開けるとにらみ、しばらく待っていると果たして、少しだけではあったけれど、真野湾に両津湾、国仲平野が見えてきた。小佐渡の山並みも見える。地図で見たとおりの形である。まわりにいた観光客も「いい眺めだねぇ。」と口々に言いあっていた。
昼食は両津港に近い食堂で食べた。店は繁盛しているようで、十二時前なのにほぼ満席。地魚を使った和定食がおすすめのようだったが、まわりの客の多くが和定食を食べており、自分も顰みにならうのも癪なので、串焼き定食を注文した。
そこから国仲平野を横切り、真野町に向かい、真野御陵を見物した。真野御陵とは、鎌倉時代に起こった幕府転覆未遂事件「承久の乱」に失敗し、佐渡に流された順徳天皇の陵(みささぎ)である。承久の乱の首謀者、後鳥羽上皇が隠岐に流されたことは知っていたが、こちらの方は全く知らなかった。
真野町の観光案内には必ず載っているような場所で、普通に見学できるのかと思いきや、陵は宮内庁の管轄下にあり、中は見学できないようになっていた。入り口の門は閉ざされそこから先へは進めない。肩すかしを食らってしまった。
気を取り直し、真野町中心部に向かう。役場近くのAコープで、地場のパン屋「ナカガワ」のレーズンチップパンと「まっさら佐渡の果実たち」を買い込み、役場の前庭で食べる。一休みしたところで近所の酒蔵を見学した。
真野町は3つの酒蔵を抱えており、「アルコール共和国」を名乗って町を売り込んでいる。町の入り口には「アルコール共和国国境」の看板まで立っていた。荒井が見学に行ったのは尾畑酒造というところだ。新潟で最初に酒蔵見学を始めた蔵で、今や大型バスに乗った団体客も見学に訪れるほどになっている。旅行番組で有名人も何人か訪れたようで、壁には写真やサインがいくつも並べてあった。
酒蔵が忙しくなるのは、酒を仕込む冬場である。夏の間は酒の管理や瓶詰め、出荷が主な仕事で、比較的余裕があるのだそうだ。酒蔵は見学慣れしているだけあって、酒の販売や試飲はもちろんのこと、蔵併設の売店では、粕漬けや酒を使ったケーキまで売っている。ガイドさんの案内口上も手慣れたものだ。晩酌用に酒の一本も買えばよかったが、荷物になるのであきらめた。今思えばもったいないことをしたと思う。
国仲をうろうろするうちガス欠になったので、両津のガソリンスタンドで給油した(注3)。気が付けばあれほどあった他県ナンバーの車もほとんど見かけない。お盆が終わり、本州に戻っていったのだ。ガソリンスタンドのお姉さんは「いつもあのぐらいにぎやかだったらいいんですけどね。」と言っていた。
夕暮れ時になった。海に沈む夕陽を見ようと思い小木の方に向かう。沢崎鼻まで行こうかと思ったが、間に合いそうになかったので、途中でDJEBELを停めて夕陽を眺めた。
そこから夕食を食べにまた両津に向かった。国道350号線も何度往復したことだろうか。昼とは別の食堂に入り、せっかくだからと焼きイカ定食を食べることにした。この時期になると佐渡随所の食堂では焼きイカやサザエの壺焼きが食べられる。ただ、どれも結構いい値段がするので、これまで躊躇していたのだ。
この日は昨日と同じ、おけさ柿集荷場にテントを張った。お盆は過ぎたものの夜はまだ蒸し暑く、昨日同様フライを外して寝た。佐渡もあらかた二周した。そろそろ本州に戻らなければならない。
ところで、灯台スタンプラリーの台紙を海上保安庁に送りつけると認定証が贈呈された。全八ヶ所を完全制覇すると記念品までいただける。さらに全ての参加者から抽選で、うみまるくんのぬいぐるみがもらえる特典まであった。荒井ももちろん台紙を送りつけ、うみまるくんが来るのを今か今かと待ちかまえていたが、送られてきたのは認定証と記念品だけだった。うみまるくん欲しかったのに...
注1・「無宿人」:今でいう浮浪者やホームレスのこと。
注2・「タンクバッグ」:単車の燃料タンクに装着する鞄の事。もっぱら手回りの品や地図などを入れる。単車旅人には愛用者が多い。単車を離れるときは防犯のため、外して持ち歩く人もいる。
注3・「ガス欠」:通常単車はガス欠になっても、若干の予備燃料(リザーブ)が残るようになっているので、自走して給油に行くことぐらいは可能。
通常、休日になると観光地は混みます。長旅の最中、観光客や人混みを避けたいと思うのであれば、休日に観光地に寄るのはあまり得策ではありません。行くのであれば、平日や暇な時を狙って行く工夫が必要となります。平日に旅ができるのはある意味強みです。