石巻石ノ森

 朝五時半に起きた。天気はよい。テントを片づけ、御崎の遊歩道をぶらぶらと歩く。唐桑町には巨釜(おおがま)や半造(はんぞう)といった海に臨む巨岩奇岩の景勝地もあるのだが、三陸巡りはまだ続いているので、散策もそこそこに切り上げて出発した。
 三陸海岸は北は岩手県の久慈市から、南は宮城県の七ヶ浜町まで、200キロ近くに渡って続いている。特に宮城県に入ってからでも、荒井が泊まった唐桑半島や、重茂半島に並ぶ大半島の牡鹿半島(おしかはんとう)、日本三景の松島などなど、三陸海岸はまだ半分近く残っているのだ。

 この日は朝も早くから腹が減っていた。気が付けばこの二日間、夕食以外はまともに食べていない。半島基部の「ローソン」で温泉卵カルボナーラとオレンジジュース、ついでにおかかおにぎりを仕入れて豪勢に腹ごしらえをした後、本格的に走り出した。
 再び石割峠で気仙沼市街に出て、できるだけ海沿いの道を選びながら、牡鹿半島の基部にある女川町を目指す。泊崎半島を回り込み、歌津町(現南三陸町)の役場に来たところで小休止した。世間は敬老の日で休みだったため、役場は開いていなかった。この歌津町、荒井の地元山形県にある立川町(現庄内町)と友好提携を結んでいるのだが、どんな縁があるのだろう(注1)。
 志津川町で国道398号線に折れ戸倉半島へ。神割崎を回り込んで北上町(現石巻市)に入る。東北一の大河、北上川の河口にある町だ。東北一の大河の河口はやはり広く、高い波が上流に向かって打ち寄せていた。盛岡にいた頃、北上川は毎日のように目にしていたのだが、その河口を初めて目にして「こうなってだんが!」と感心する。
 天気はいつの間にか怪しくなり、雨まで降ってきた。雨具を取り出しさらに走る。北上川を渡り、雄勝半島(おがつはんとう)は割愛して先を急ぐ。女川までは曲がりくねった細い山道が続いた。いくつもの漁港を抜け、杉林の中を通ってようやく女川町の中心部までやってきた。

 小学生だった頃、女川には家族旅行で一度来たことがある。そのときは町の真ん中の民宿に泊まった。食事には刺身やウニといった海の幸がたくさん並んだのだが、初めて口にするウニに「うめぇにゃぁ。」と思ったのを覚えている。また、町内に原子力発電所があるせいか、宿の片隅にガイガーカウンタ(注2)の空き箱が置いてあったのもやけに印象に残っている。それからかれこれ20年ぶりの女川再訪となったが、港の一角には「ファミリーマート」も建っており、町はだいぶ変わっていた。変化を示すかのように、女川駅周囲もきれいに改装された様子だ。駅の入り口のスロープはちょうど屋根の下になっているせいか、雨天練習場代わり、地元の若い兄ちゃんたちが自転車のトリックの練習をしていた。
 港にほど近い食堂「食事処おじか」で昼食にした。女川は日本有数のサンマ水揚げ港、今が季節のサンマでも食べようと、イクラ丼さんま焼きセットを食べる。イクラ丼もさることながら、特に皮はぱりっと中身がふんわりと焼き上がったサンマが絶品だった。このセット、イクラ丼に焼きサンマがついてくるだけにとどまらず、エビのマリネ、冷や奴、おしんこ、みそ汁まで付いてくる。よすぎ!

 女川の海の幸に満足したので、牡鹿半島の稜線を通るコバルトラインを走り、半島の先端、牡鹿町(現石巻市)の中心部鮎川に向かった。
 牡鹿町も家族旅行の際訪れている。鮎川は一大捕鯨基地だったのだが、世界的な反捕鯨の動きに押され衰退していった。しかし歴史ある鯨の町、捲土重来を期して捕鯨再開のための活動をしている。沖には鹿と神社で有名な金華山という島がある。鯨と金華山は牡鹿半島観光の要となっている。
 前に来た時に見学した鯨博物館は、ホエールランドという立派な建物に改装されていた。どう変わったか気になったが、雨降りで何をする気にもなれず、石巻を目指すことにした。

石ノ森萬画館小冊子
石ノ森萬画館の小冊子。展示物の大部分は著作権のため撮影できないのだ。

 県道2号線で牡鹿半島を出て、万石浦(まんごくうら)を右手に石巻市中心部に入っていく。石巻に着くと余裕も出てきたので、雨宿りがてら「石ノ森萬画館」を見学することにした。
 石ノ森萬画館は「佐武と市捕物控」「サイボーグ009」「HOTEL」などの作品で知られる宮城県出身の「萬画家」(注3)石ノ森章太郎の作品を紹介する記念館で、同氏の没後建てられた。さすが萬画館、コンパニオンのお姉さんは「サイボーグ009」の003ことフランソワーズの扮装をしている。展示物はどれも愛好家には堪えられないようなものばかりで体験型展示も多く、石ノ森作品の世界を満喫できる。休日だったせいか館内は大入りで、落ち着いて見られなかったのが心残りではある。
 このときはちょうど特別展で、「怪傑ハリマオ」「ちゅうかないぱねま」などなど、石ノ森作品の原画やラフスケッチ、キャラクターグッズなどが展示されていた。「サイボーグ009」の原画なぞ、愛好家が見たら失神してしまうだろうに。荒井のネット上の知人に「サイボーグ009」大ファンの姐さんがいるのだが、ぜひぜひ見せてあげたいものだった。
 多くの方々は「仮面ライダー」や「サイボーグ009」の展示にしきりに「懐かしい」の声を上げていたが、一方で子供さんがアマゾンやらV3といった旧い仮面ライダーの名前をよく知っていたりするから面白い。石ノ森作品には懐かしさ以上の魅力がある。

 市内の紳士服量販店で新しいズボンを一本新調してから、松島方面に向けさらに走る。
 いわゆる日本三景の松島とは松島町にある松島海岸のことを指すのだが、その隣鳴瀬町(現東松島市)には奥松島という場所があって、猥雑さを嫌う通の間では、静かな奥松島の方が人気がある。確かに松島の方はみやげ屋も車の数も多く賑やかなのに対し、奥松島は漁村が近くにあるくらいで、この雨のせいもあって人の姿はほとんどない。
 その鳴瀬町、奥松島にさしかかったところで、少し早いが宿を探すことにした。テントを張れそうな場所もなく、相変わらず雨も降っている。久々に屋根の下に泊まろうとあれこれ探しまわった結果、パイラ松島・奥松島ユースホステルに飛び込みで転がり込んだ。さいわい部屋は空いており、まだ間に合うというので夕食も付けてもらった。ついでに、これからユースを利用する機会も多いだろうと考え、ここでユースホステル協会に入会した。入会受付は各地のユースホステル協会のほか、一部ユースホステルでもできるようになっている。
 パイラ松島は建って間もないようで、建物は清潔で快適そのものだ。同室になったのは沖縄は宜野湾市(ぎのわんし)出身のおじさんと、東京から来た若い方だった。

 宜野湾のおじさんは原付二種(注4)のスクーターで荒井同様日本一周中だ。「沖縄は島だから、どこへ出かけようにも行けるところが限られているんですよ。だから今回の日本一周の旅では思う存分走り回って、気になっていた場所に行きました。富士山登頂も果たしたんですよ。」と仰る。狭い島だけに行動範囲が限られてしまうという地元ならではの話にはなるほどと思った。沖縄とはいったいどんなところなのだろう。
 東京出身の彼はドゥカティ(注5)乗りで、休みを利用して東北ツーリングに来ていた。今朝出発したばかりで、明日は花巻に行って宮沢賢治関連の名所を見て回るんですよと言っていたが、出発早々この雨模様で天気の心配をしていた。
 夕食はなかなか手が込んでいた。ビーフンを衣にした魚のフライに焼売、たまごスープ、さやいんげんのごま和え、麻婆豆腐。首尾よく宿と夕食にありつけた幸運に感謝した。

杜の都へ

 この前転んだのと連日の雨のため、今日は移動はそこそこに、装備を立て直すことにした。破けた手袋を買い換えなければならないし、そこそこの容量のバッグも一つ新調したい。主な装備こそザックに収めているものの、食料だの長靴だのといった、ザックに収まりきらない荷物は全て振り分けバッグ(注6)に無理無理突っ込んでいたので毎度収納に困っていたし、特に突然の雨で長靴を取り出すときなど、パズルのように面倒くさい手続きを踏まねばならず、気が付けばずぶ濡れなんてこともあったのだ。そういやしばらく髪も切ってない。頭は茫々だ。

 ユースは外国の方の利用も多く、この日もバックパッカー(注7)とおぼしき外国の青年が泊まっていた。「今日もこのあたりは天気が悪そうですよ。」とか「よい旅を!」程度の言葉を交わしたのだが、片言の英語しかしゃべれない自分がもどかしい。鮭と卵焼きの和食の朝食の後、八時にパイラ松島を後にした。

塩竃神社
塩竃神社境内。かつて朝廷が陸奥進出の拠点とした多賀城の近くにあり、精神的支えとなっていた。

 松島は仙台市と非常に近い。しかもこのあたりは何度も来ているから慣れっこだ。
 まずは仙台への途中、塩竃市にある陸奥国一の宮塩竃神社を訪ねる。天気は相変わらずで、雨の中合羽を着込んでの参拝となった。その大げさな格好を目にしてか、境内を警備していたおじさんが「雨で大変だね。」とねぎらってくれた。
 国道45号線で仙台市中心部、宮城県庁に着いたのは十時頃だった。

 仙台市は言わずと知れた宮城県の県庁所在地で、伊達六十二万石のお膝元として栄えた城下町だ。東北一の大都市でもあり、東北地方唯一の政令指定都市となっているのだが、中心部には青葉通りをはじめとする立派な欅並木がいくつもあり「杜の都」の根拠となっている。このへんでは貴重な単車用品専門店も何軒かある。
 宮城県庁は国道45号線の始点近く、場所で言うと定禅寺(じょうぜんじ)通りの入り口、勾当台公園(こうとうだいこうえん)の隣にある。こちらも外からは何度となく目にして、まわりが並木で囲まれているせいか、何となく小さい建物だという印象は受けていたのだが、中に入ってみると吹き抜けのロビーが控えており、予想以上に広かった。
 昼までの時間を利用して、県庁理容部で髪を切ってもらう。突然の飛び込みで、旅人という変わった客だったにもかかわらず、店員さんが親切に応対してくださった。珍しかったのか、散髪の最中も「旅はどうですか?」とあれこれ質問された。
 県庁で散髪というのも変なようだが、県庁には職員の福利厚生のため、食堂や売店の他、理容店もあったりする。忙しくて床屋に行く暇のない職員のために設けられたものなのだが、職員でない人でも利用できたりする。そこそこ安めなので、髪を切る分にはなかなか便利である。

宮城県庁
仙台の杜の向こうに宮城県庁を見る。欅並木は仙台のシンボルとなっている。

 散髪が終わるとちょうど昼になっていた。宮城県庁食堂「カフェテリアけやき」はセルフサービスのカフェテリア方式だ。荒井が廻ってきた県庁食堂では初めてで、「さすが宮城、仙台ば抱えるだげあってハイカラだな。」と感心する。鶏の照り焼き丼と、串カツ・コロッケの盛り合わせを皿に取り、適当な席に着いた。
 県庁食堂の多くは、入り口で食券を買ってカウンターに持っていくと料理が出てくるという方式になっている。その一方でカフェテリア方式のところも多い。カウンターに並んだ中から好きな料理を選んでお盆に載せて、レジで精算してもらうというものだ。食券方式は旧い県庁、カフェテリア式は新しい県庁に多い。
 照り焼き丼を食べつつ周りを見てみると、なぜか「県警鑑識課」と書かれたスタッフジャンパーを着た方々も昼食に来ていた。宮城県庁の隣には宮城県警本部があるので、度々食べに来ているのだろう。県庁と県警本部が隣り合っていているというのは宮城県に限らず全国的にも多い。時に同じ建物にあることも珍しくないのだが、この二つがくっついて建っているのには何かわけでもあるんだろうか。

 昼食後、単車用品店「クシタニ仙台店」でグローブと荷台用の防水バッグを新調した。店は仙台近郊の国道4号線バイパス沿い、六丁の目交差点のそばにある。交通の便がよいせいか、関東から東北ツーリングにやってきた単車乗りも多く利用するらしい。さすが単車専門店だけあって、品定めでは丁寧に助言していただいた。

 補給が済んだところで塩竃市に戻り、海沿いに南に走る。三陸海岸最南端にあたる七ヶ浜町に入り、松島四大観の一つ、多聞山(たもんやま)から松島を眺める。あたりは火力発電所や藪が目立つせいか、思った程見晴らしはよくなかったが「これで三陸がらも脱出だ!」とまたほっとした。
 七ヶ浜町を出たところで貞山堀(ていざんぼり)をちょっと見学する。貞山堀は七北田川(ななきたがわ)と阿武隈川を結ぶ、全長30キロ以上にも及ぶ日本一の運河だ。建造に着手したのはかの伊達政宗公で、名前はその贈名(おくりな・注8)にちなんでいるが、完成まで実に300年ほどの時を費やしている。一見草に埋もれたただの水路なのだが、今でも排水路として現役だというのに驚かされる。堀に沿う堤防の道は格好のサイクリングコースとなっているのだが、残念ながら単車は乗り入れできなかった。「自転車乗りがうらやましい!」と堀を離れた。

 亘理町(わたりちょう)のスーパー「フレスコきくち」で食料を補給してから、近所のホームセンター「ダイユー8」で、荷物の整理用に大きめのタッパを二つ仕入れた。食料や工具をこのタッパに移し替え、先ほど買った防水バッグに突っ込み、荷台に固定するのだ。補給と装備の立て直しも済んだところでさらに南を目指し、とうとう福島県入りを果たした。
 松川浦の砂州にさしかかった頃には、すっかり暗くなっていた。野宿場所を物色しつつ走るが、なかなか見つからない。時間は七時少し前。夏場ならまだ元気に走り回っている頃だが、同じ時刻でも暗いと心細くなってくる。宿が決まっていないのならなおさらだ。
 結局野宿はあきらめ、原町市(現南相馬市)の駅前まで来たところで、ビジネスホテル「西山」に転がり込んだ。七時過ぎの飛び込みだったが、宿の方が親切に応対してくれて安心する。夕食は近場の「セブンイレブン」で焼きそばと中華丼を買って済ました。
 この日はあまり移動しなかったにもかかわらず、いろいろやることが多く疲れていたようだ。弁当を食べ、連日の雨で湿気った装備を広げて干し、テレビを見ているうちに眠っていた。


脚註

注1・「どんな縁」:もともと二町の小学校間で交流事業が始まり、それがきっかけとなって友好提携が結ばれたそうな。その後合併により、歌津町と立川町はそれぞれ別の町になったが、友好提携は新しい町にも引き継がれている。

注2・「ガイガーカウンタ」:放射線測定器。

注3・「萬画家」:石ノ森氏の称号。「漫画をもってすれば何でも表現できる」という主張を込め、同氏が使い始めた。

注4・「原付二種」:エンジン排気量50cc以上125cc未満の小型二輪車のこと。大型車に比べて維持費がかからないこと、取り回しがいいことなどなどの理由で愛好者も多いが、なぜか国産車ではあまり種類がない。

注5・「ドゥカティ」:イタリアの単車メーカー。DUCATIと綴る。大型で早そうな単車が多い。

注6・「振り分けバッグ」:単車の後部をまたぐ形で左右にぶらさげる鞄。単車の重心を低くできる他、立ちゴケしてもクッションになって車体の損傷を抑えられるという利点がある。

注7・「バックパッカー」:ザックに装備一式を詰め込んで、もっぱら徒歩で移動する旅人。本来は野山を中心に移動する徒歩旅人のことを指すのだが、広義には乗り物を自弁せずザック一つで身軽に移動する旅人のことも含む。

注8・「贈名」:死者に与えられる称号のこと。


荒井の耳打ち

「たびびとのふく」

 RPGでは最弱装備の代名詞「たびびとのふく」ですが、そういうものがまぁ、ないというわけでもありません。
 荒井の場合、山登り装備に転用することも考えているので、旅装は山道具で揃えています。つまり、汗を吸ってもすぐ乾くとか、洗濯の手間がかからないといった、吸湿速乾性素材の服が「たびびとのふく」となります。
 単車や自動車ならば、素材にはあまりこだわらなくてもいいような気はしますが、自転車や徒歩では、命に関わることもありますので、しっかり考えて選んだ方がよいでしょう。
 ついでに言っておきますと、長旅をするのならば、よそ行きでおめかしをする必要はありません。手入れが面倒です。されど「たびびとのふく」。RPGと違い、なかなか奥が深いものです。

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