六時に撤収を始め、七時前に出発した。国道153号線に合流したところで首尾よくコンビニが見つかったので、ツナタマサンドとオレンジジュースの朝食にする。
そのコンビニから少し北、塩尻市に入ったところに善知鳥峠がある。「うとうとうげ」と読むのだが、知らない人にはまず読めない。この善知鳥峠は安代町の貝梨峠同様、自治体の境界上にない大分水嶺で、名前ともども珍しい峠として知られている。善知鳥とはもともと鳥の名前で、親子の絆を引き裂かれたウトウの悲話が峠名の由来として伝えられている。
峠にはやはり記念公園もあり、大分水嶺を境に水が南北に別れる趣向の水路もこさえてあるのだが、長らく人の手が入っていないらしく荒れ放題、水は涸れ、底は草ぼうぼうの無惨な姿をさらしていた。塩尻市もせっかくの名所をもっと大事にすればいいのにと思う。
峠の近くには平出遺跡や一里塚といった史跡もある。こちらのほうもちょっと見学してみた。平出遺跡は縄文時代から平安時代にかけての大集落跡で、登呂や尖石と並び日本三大遺跡と称されている。とはいうものの遺跡の大部分は住宅や葡萄棚の下になっており、一角の記念公園を除いては、ここが遺跡であるといった印象は少ない。
一里塚は平出遺跡の近く、昭和電工の工場そばにある。かつて中山道だった通りを挟んで土がこんもりと盛り上げられ、その上に松の木が植えられていた。一里塚とは街道沿いに一里ごとに設けられた塚で、今でいう距離標識のようなものだ。旅人はこれを見て歩いてきた距離を知るとともに旅情を慰めた。現在では開発が進み、多くの一里塚は取り壊されたのだが、中にはここのように往事の姿を留めたものも残っている。
遺跡というものは、古いものの上に新しいものが積み重なってできたもので、今でもその営みは続いているのだろう。自分が見てきた葡萄棚や住宅の上にも新しいものが築かれて、ゆくゆくは遺跡になるのかもしれない。平出遺跡や一つ残った一里塚にそんなことを思った。
塩尻から松本市まではすぐである。目指す乗鞍も目と鼻の先だ。しかし天気はくもりがちで、乗鞍方面を見れば中腹あたりまで厚く雲がかかっていた。今日一日は天気読みがてら、松本市内を見物することにした。
まず訪れたのは日本有数の古城、国宝松本城だ。幾度となく荒廃や取り壊しの危機にさらされつつも、維持のための努力がなされたおかげで、木造の天守閣は今でも昔の姿を留めている。休みだったせいか見学客が多く詰めかけ、長い行列をなしていた。階段の手すりなど多くの人が手をかけたおかげか、すり減ってつやが出ていた。
天守閣の中は狭くて暗く、階段は急で上り下りも一仕事、住み心地は悪そうだ。城というともっと豪奢なものを想像していたのだが、中には凝った調度品や飾り物の類もなく、色気もない至って素朴で無骨な作りだった。
それもそのはず、日本の城は宮殿として作られたものではなく、飽くまで要塞として作られている。天守閣は戦国時代末期に建てられたもので、当時らしく壁には鉄砲を撃つための小窓も多く設けられている。急な階段も敵が侵入しづらいようにとの工夫だ。その背後にある歴史を知ると、床板一つにも渋さが漂ってくるようだった。
城の隣のそば屋「川船」で盛りそば大盛りの昼食にした後、民俗資料館を見学した。松本城の入場券は資料館の入場券も兼ねており、一枚買えば両方見学できる。松本城の成り立ちなど紹介されているが、道祖神や七夕人形といった松本に残る風俗の展示が特に面白かった。
民俗資料館で、最近近所に時計の博物館ができたと教えてもらったので、こちらも見学した。こちらは蒐集家の方が厚意で市に寄贈した古時計の数々が展示されている。驚きなのは全ての時計がきちんと修繕してあって、しっかり時を刻んでいるということだ。できたばかりのせいか展示数は少なめで、時計の機構に関する解説も少なめだ。これからの充実に期待しよう。
天気が回復してきたのは日も傾いた頃だった。国道158号線を西に、ついに乗鞍に向かう。松本電鉄の新島々駅(しんしましまえき)を過ぎたあたりから急に民家が減り、かわりに梓川が見えてきた。梓川には東京電力のダムがいくつかあって、水力発電にも使われている。
安曇村(あづみむら・現松本市)の道の駅「風穴の里」に寄ってみると、乗鞍方面から降りてきた単車乗りの方がいたので話しかける。「上の方は霧がちで寒かったですよ。」 やはり今日は上の方はあまり展望が開けなかったようだ。
日本道路の最高所こと、乗鞍の畳平(たたみだいら)は標高2715メートルに位置しており、東からは乗鞍エコーライン、西からは有料道路乗鞍スカイラインを走っていくことになる。乗鞍は手軽に登れる3000メートル級の山として人気があるが、それは畳平まで車で行けるからに他ならない。規制が敷かれるのはこのエコーラインとスカイラインで、自家用車では往来できるのは今期限りとなっていた。
今日中に畳平に行って降りてくるのは難しかった。日本道路最高所は明日極めることにして、乗鞍中腹にテントを張って明日に備えることにした。
乗鞍の中腹は白樺が茂る高原で、格好の避暑地となっているらしく、ペンションや民宿が数多く建っている。ペンション街に近いAコープはそう広くないにもかかわらず、業務用食材の品揃えがやたらよかった。宿で使うということなのだろうか。
この日利用したのは乗鞍高原一ノ瀬キャンプ場だ。サイトは車両乗り入れ禁止で、駐車場からちょっと離れている。駐車場にDJEBELを停めたら、備え付けのリヤカーに野宿道具一式を積んで、白樺林の中をえっちらおっちらと30分ほど歩いていかなければならない。サイト入り口には放牧されている牛よけのために立派なゲートがこさえてあり、出入りするたびに開け閉めすることになる。サイトそのものは白樺林の中の静かなところで、デッキには常設の大型テントも何張りかある。
日のあるうちにサイトに着くことができたが、管理棟には誰もいなかった。どうやら営業期間終了らしい。張って問題ないかと様子をうかがっていると、登山者のグループが現れた。「山登りに来たんだけど、テントのポールを忘れちゃったんですよ。それで、ここに常設のテントがいくつかあるから、利用させてもらおうと思いましてね。」と言っていた。
ひとまず荒井もテントを張り米を炊き、さっき安曇村の「サークルK」で仕入れてきたカレーと、JAで仕入れてきたはごろも煮の缶詰で夕食にした。
気が付けば肌寒いほど冷え込んでいた。雲もない空に月が煌々と輝いているのを見て、明日の晴れを確信した。
夜はえらく冷え込み、途中何度も目が覚めた。寝袋に入っているのにつま先がかじかむように冷たい。目が覚めるたび、寝袋の中で身を丸めながらガタガタ震えていた。乗鞍高原は標高約1500メートルで、下手な低山よりずっと高い。9月も下旬になれば相当に寒いはずだ。後で知ったことによれば、この日は秋一番の冷え込みを記録し、乗鞍中腹の気温は4度まで下がっていたのだそうだ。
朝六時に起き出してみると、天気読みの甲斐あって、雲一つない晴天だった。撤収してリヤカーに野宿道具一式を積み込み、30分かけて再び駐車場に戻り、いよいよ畳平へ向けて乗鞍エコーラインを走りだした。
ペンション街を抜け、スキー場を抜け、高度を上げていく。ひたすら登っているはずなのに、まだまだあるぞと言わんばかりにさらに上にも道がある。山頂近い岩のゴロゴロしたあたりにさえ道が刻まれていた。畳平のある標高2700メートル地点は、よく考えると荒井の地元山形の月山や鳥海山の頂上よりもずっと高い。そんなところまで車で行けてしまうということにまず驚く。
乗鞍名所の一つ、冷泉を見物してからさらに上を目指して走る。道ばたの林は灌木に、灌木は岩肌に変化していく。そして荒涼とした風景になったところで、長野と岐阜の県境を示す看板が現れた。日本道路の最高所、畳平だ。荒井はついにこんなところまで来てしまったのである。
近場の小ピークに登ってみる。高いせいか空気も薄く、少し登るだけで激しく息が上がった。休み休み登った先には御来光拝観所があり、そこからは北アルプスの穂高や槍ヶ岳がはっきり見えた。このときは見られなかったが条件がよければ南に富士山さえ見られるという。乗鞍最高峰剣が峰へ続く登山道を見てみると、登山客が蟻の行列のようだった。
畳平にはみやげ屋併設の大きな山小屋が何軒か建っており、観光客がみやげなど物色している。一角にある乗鞍本宮神社に参拝すると、束帯を着た宮司とおぼしき方が、携帯電話片手におまもりの発注をしていた。高山と神社と携帯電話という取り合わせはなかなか不思議だった。
駐車場は平日だったにもかかわらず、車でごった返していた。走り納めの客が訪れていることもあり、全国津々浦々のナンバープレートの車が集結し、出入り口付近は車が長く列をなしている。日本最高所の交通渋滞だ。こんなことになっているからこそ、長野県は乗り入れ規制に乗り出したのかもしれない。
乗鞍は今回の旅の折り返し地点だ。件の用事のため、そろそろ東北に戻らなければならない。車の列をすり抜け、今度は乗鞍スカイラインを下っていく。はるか下には奥飛騨の盆地が見える。昨晩の冷え込みのおかげか、路肩の草には白く霜が降りていた。DJEBELで来られるのは今期限り。このまま下ってしまうのが惜しいような気もする。料金所で通行料1100円を支払い、名残惜しく乗鞍を離れた。
平湯峠を越え、国道158号線を東に走る。沿線には高原らしい林が広がり、その合間に温泉が散在していた。昨日寄った道の駅「風穴の里」で天ぷらそばの昼食にし、即売所で紅玉りんごを一個買って丸かじりした。駐車場には荒井と同じ、DJEBEL200で乗鞍を目指してきた単車乗りの方がいたので話しかけてみると、新潟から走り納めに来たものの、後輪がパンクして行くか戻るか思案していた。目的地を目前にして退かざるを得ないというのも悔しかったことだろう。
名前に惹かれて山形村経由で松本に戻り、浅間温泉を素通りしてさらに東を目指した。美鈴湖のほとりの展望台から盆地を見下ろし、松本にしばしの別れを告げる。
武石峠を越え、武石村(たけしむら・現上田市)の「うつくしの湯」に入り一息入れてから、さらに東を目指した。佐久市でテントの張れそうな場所を探したが、なかなか見つからなかったので野宿はやめにして「千曲パークホテル」に飛び込みで泊まることにした。
乗鞍スカイライン通行券。現在自家用車で畳平に乗り入れることはできなくなった
コンビニエンスストアも、今や全国津々浦々にあります。食料や雑貨を仕入れたり、雑誌を立ち読みしたり、厠を借りたりと、旅人にはありがたい存在となっています。全国展開の店舗もさることながら、北海道のセイコーマート、東北のセーブオン、中京のサークルK、西日本のポプラ、九州のエブリワン、沖縄のホットスパーといった具合にその土地に多いコンビニを見て歩くのも面白いものです。
文字通り、旅先でも便利に利用したコンビニですが、一方で、昔の人はコンビニもなしで旅をしていたことを思うと、自分は軟弱なだなぁと苦笑することがしばしばでした。