故郷への長い道

釜めし・こんにゃく・モカソフト

 夜中目覚めてみるとやけにだるかった。どうやら気温4度の乗鞍中腹で野宿したせいか、風邪をひいてしまったらしい。今日はさいわい屋根の下に泊まっている。こんな時は暖かくしてゆっくり寝るに限ると、朝までおとなしく寝ていた。それがよかったのか、朝目覚めてみると体調は持ち直していた。
 佐久市の東には、日本有数の避暑地軽井沢町や、難所碓氷峠(うすいとうげ)といった名所がある。碓氷峠といえば全国的に有名な駅弁「峠の釜めし」を忘れるわけにはいかない。このあたりはもちろん荒井も名前ぐらいは耳にしており、日本一周ではぜひ見てみたいと思っていた場所なのだ。

 宿を出て目に飛び込んできたのは、北にそびえる浅間山だった。もちろん見るのは初めてで「これが山荘事件や活火山の浅間山が! こんたでかがったなが!!」と見たままそのままの感想が漏れる。安直だが、往々にして現物を目の前にするとその迫力や存在感に圧倒され、理屈めいた感想が出てこない(荒井が単純なだけという説の方が濃厚だが)。
 ヒカリゴケ自生地など見学しながら佐久を北上し、国道18号線に合流したところで、東に数キロ走れば軽井沢だ。
 軽井沢町は浅間山南麓の高原地帯にある。もともとは中山道の宿場町だったのが明治期になると、日本にやってきた外国人の間で避暑地として評判が高まった。以後は高級保養地としてその名を全国に知られることになる。同じ軽井沢でも中軽井沢、新軽井沢などに別れているのだが、とりあえず「銀座商店街」で有名な旧軽井沢に行ってみた。
 朝10時前だったが、商店街のみやげ屋はすでに店を開けていた。サブレやまんじゅうを売っているような店は不思議と少なく、女の子が好きそうな洋服屋や洋品店が多い。意外に目立つのがジャム屋や伝統工芸軽井沢彫りの店だ。もともと外国人の避暑地として栄えたせいか、それにあわせて外国人用にジャムや洋風の家具が作られるようになったらしい。
 町民憲章に「浅間山にいだかれた高原の国際親善文化観光都市」とあるとおり、通りには散策を楽しむ観光客が多い。ところが通りを一つ裏に入れば、林の木陰に立ち並ぶ別荘が目立ってくる。夏も終わり多くは空のようで、通りと違って人もまばらだった。町中に建っている「別荘の防犯に気をつけましょう」という地元警察の看板がいかにも軽井沢らしい。

おぎのや峠の釜めし ミカドコーヒーモカソフト
横川名物峠の釜めしと軽井沢名物モカソフト。碓氷峠を境に風物はがらりと変わる。

 軽井沢から碓氷峠に向かう。信州長野側からはあっという間に鞍部に行けるが、上州群馬側の下りは非常に長い。連続するカーブごとにいちいち番号が振られているのだが、その数なんと184。長大な峠は大分水嶺でもあり、中山道の難所だったそうだ。途中見事な弧を描く赤れんが製の橋梁を眺めつつ、昼前には碓氷峠上州側の入り口、松井田町(現安中市)にたどり着いた。昼食はもちろん「峠の釜めし」で決まりである。
 さっき見た赤れんが製の橋梁は、かつて峠を越えていた鉄道の遺構だ。急峻な碓氷峠は鉄道にとっても難所であり、アプト式(注1)と呼ばれる特殊な方式で峠を越えていた。その峠越え鉄道の入り口にあたる松井田の横川駅で売りだされたのが「峠の釜めし」で、「峠」とは他ならない碓氷峠のことだ。長野新幹線の開通で、碓氷越えの在来線は廃線となったが「峠の釜めし」は今でも人気の駅弁として残っている。
 製造元「おぎのや」直営のドライブインで、待望の釜めしを一個購入して早速食べてみる。噂どおり焼き物の小さな釜入りで、小さなプラスチック容器入りのお新香が付いてくる。中身は醤油風味の炊き込みご飯にささがきごぼう、鶏肉、にんじん、椎茸、タケノコの他、信州特産杏の甘露煮が載っている。味もさることながら、釜から直に食べること自体が楽しい。その器の釜はお持ち帰りできるのだが、DJEBELに積めなかったので泣く泣くあきらめた。

 松井田からそのまま高崎方面に出てもよかったのだが、近くまで来たからにはネギとこんにゃくで有名な下仁田町にも寄ってみたいと思い、一度佐久に引き返した。
 碓氷峠の南を通る国道18号線の新道で再び軽井沢に戻り、さっき食べ損ねた「ミカドコーヒー」のモカソフトを食べる。コーヒー風味のソフトクリームで、軽井沢名物の一つとなっている。人気があるようで、店の前にはひっきりなしに人が並んでいた。
 釜めしの隣にはモカソフトがある。どこか懐かしい松井田から、一つ峠を越えれば今様の保養地が広がっているというのも面白い。

 佐久に戻ったところで、今度は国道254号線を東に走る。内山峠のトンネルを出ると、荒船山が見えてくる。山並みの上に浮かぶ箱船のようにも見え、名前はその山容ゆえらしい。
 峠を下ると名物こんにゃく畑が広がってきた。「蒟蒻畑」(注2)が好物の荒井だが、こんにゃく畑の実物なんて初めて見た。畑の畝にこんにゃく芋の茎が並ぶ様は、ちょんまげが土から生えているようにも見える。右も左もこんにゃく畑、まげの下には頭の代わりにこんにゃく芋がゴロゴロと埋まっている。
 こんにゃく芋という作物は多年草で、出荷できるようになるまで、2〜3年ほども手間をかけて育てなければならないそうだ。もし自然災害などで、途中で台無しになったら、こんにゃく農家は泣くに泣けないだろうなと思ってみたりする。
 こんにゃく観光センターに寄って、待望のこんにゃくおでんを食べる。甘味噌付きのこんにゃくが二串で一セットとなっている。こんにゃくは田舎風の黒くて硬いもので、歯ごたえがある。おでんのタネにもよさそうだ。
 食べていると旅装備に目を留めたのか、観光センターの姐さんが「ゆっくりしてってね。」と声をかけてくれた。旅先ではこうした一言がとてもうれしかったりする。

貫前神社の下り参道
上州一の宮貫前神社。世にも珍しい下り参道。

 姐さんの気遣いがうれしかったが、そろそろ日も傾いていたので名残惜しく富岡市に向かった。富岡市には上州こと上野国(こうづけこく)一の宮、貫前神社(ぬきさきじんじゃ)がある。郵便配達のおじさんに場所を教えてもらい、割にすんなりとたどり着くことができた。
 貫前神社は日本でも珍しい作りの神社だ。通常神社は高いところに本殿があり、参拝者はそこに向かって登っていくことが多い。ところがここ貫前神社では、拝殿への参道がなんと下りになっているのだ。

 この日は隣の高崎市にある「観音山キャンプパーク」に泊まることにした。手続きをしようと管理棟に行ってみると、管理人のおじさんが「利用客もほとんどいないことだし、タダでいいよ!」と気前よく仰ってくれた。しかも「好きなところに張っていいよ!」と、うれしい言葉まで! オートサイトを勧めてくれたので、お言葉に甘えてオートサイトにテントを張り、快適に過ごすことができた。おじさん、ありがとうございました!
 敷地内にはローラーすべり台も設置してある。この前丹波山村で乗れなかった鬱憤もあり乗ってみた。ただのすべり台よりも猛烈な勢いで滑ってゆくのでちょっと怖い。
 夜になってやや熱っぽくなった。病み上がりだというのにはしゃぎすぎたとやや反省する。

三国峠再び

 朝になると熱は取れていた。一安心したところで出発する。富岡市内にはかつての官営製糸場が残っているという。せっかくだからと見学することにした。
 製糸場は富岡市役所の近く、商店街裏の入り組んだところに建っている。立派な赤れんが製の建物だ。朝早かったのでまだ見学開始時刻にはなっていなかったが、受付の方のご厚意で、敷地内の散策を許可してくれた。多謝!
 明治期になって、日本は富国強兵の国是(こくぜ・注3)のもと、急速に近代化を推し進めることとなった。殖産興業政策が説かれ、その一環として各地に官営工場が建てられることとなった。富岡製糸場はまさにその代表で、トミオカシルクは世界でも高い評価を得た。そして製糸業は戦前の日本を支える基幹産業へと成長したのだ。
 その後工場は払い下げられ、昭和末期まで操業していた。工場は現在民間企業の管轄下にあり(注4)、貴重な文化遺産として見学に供されている。富岡製糸場については教科書で知っていたが、その現物がいまだ残っているということまでは知らなかった。元々富岡に製糸場ができたのは、釜石同様水や燃料といった資源が確保できる立地だったとともに、古くから養蚕が盛んだったからである。昨日参拝した貫前神社には養蚕の神も祀られている。
 工場で働いていたのはもっぱら士族や華族の子女、つまり若い女の子が中心だったそうだ。糸を紡ぎながら「仕事の後、友達でも誘ってあんみつでも食べに行こう。」とか思っていたのだろうか。はめ込まれた窓ガラスは昔の作りらしく、ところどころ歪んでいたりする。赤れんがの工場からは当時の息吹が伝わってきた。

群馬県庁と昭和庁舎
群馬県庁と昭和庁舎。隣り合って仲良く建っている。

 群馬の県庁所在地前橋市に出る。上野総社神社に参拝してから群馬県庁に行った。この前見た時もずいぶん高い建物だと思ったが、群馬県庁は32階建てで、全国の県庁でも背の高い部類に入っている。行政庁舎でありながら群馬のランドマークとしても売り込んでいるようで、建物には展望台はもちろんのこと、展望レストランやテラスといった、来庁者がくつろげるような設備が整っていた。
 昼食はその展望レストランではなく、飽くまで県庁食堂「ピープル21」で食べた。ここで食べたのはホキ香草焼きとちくわカレー揚げ、ほうれん草のおひたしだった。新しい県庁らしくカフェテリア方式となっている。
 県庁の脇には昭和庁舎こと旧庁舎が残っている。名前の通り、昭和3年に建てられた赤れんが製の優美な建物で、国の文化財にもなっている。近年大改修されたようで、外装はもちろん、内装もきれいに整備されていた。県庁ともども、多くの人が利用することを見越してのことだろう。

 この前と同じく国道17号線で三国峠を越え、新潟県に向かう。小千谷市の道の駅「ちぢみの里」併設の温泉で一息つき、長岡市まで来たところでテントを張ることにした。この日利用したのは市の近郊、東山ファミリーランドキャンプ場だ。秋になり営業を終了したようで、キャンプ場には誰もいなかった。
 秋になったというものの、やたらに蚊が多い。この日は蚊退治に追われながら寝る羽目になった。

阿賀野川から阿賀川へ

山本五十六記念公園
長岡の山本五十六記念公園。父親が56歳の時に生まれたから五十六と命名されたそうな。

 市内に連合艦隊総司令長官山本五十六(やまもといそろく)生誕の地があるというので、行ってみることにした。
 山本五十六元帥は太平洋戦争中に活躍した軍人だ。連合艦隊を率いて数々の作戦を指揮することになったが、昭和18年(1943年)にニューギニアの東、ソロモン諸島上空を航空機で飛行中、米軍の攻撃を受け戦死している。
 元帥が長岡出身だということは当地で初めて知った。長岡の有名人は田中真紀子だけではなかったのだ。生誕の地は緑地公園として整備され、胸像なども置かれているのだが、ひときわ目を惹くのは復元された生家だ。自由に見学できるようになっており、元帥の足跡に触れられる。偉人の生家というものは往々にしてそうなのだが、みすぼらしくはないものの、地味で質素な作りである。中にあった略歴を見ると、年を追うごとに地道に階級が上がっていた。一つ一つ実績を積み重ねて長官になった努力型の人物だったようだ。

栃尾名物油揚げ
栃尾名物油揚げ。馬市で働く博労(ばくろう)の酒の肴が始まりとか。写真は市の観光案内から。

 県道で森立峠を越え栃尾市(現長岡市)に入る。市街地は山間にあり、すぐそばまで青々とした緑の山が迫っていた。谷間に詰め込まれるようにして街がひらけているせいか、街路は入り組みやたら細い。そしてどの軒先にも雁木(がんぎ)という長いひさしが張り出している。おそらく冬の豪雪に備えたものだろう。こうした古い街並みは、単車で廻るのはちょっと大変だが、見る分にはとても面白い。
 栃尾の名物は油揚げだ。食べてみようと市内近郊の道の駅に行ってみた。栃尾の油揚げは長さ20センチ、幅10センチ、厚さ3センチはある巨大なものだ。表面をこんがりと焼いたところに醤油をかけ、好みで大根おろし、生姜、唐辛子味噌といった薬味をのっける。素朴ながら飽きが来ない。

青海神社
緑に囲まれた青海神社。写真は由緒記から。

 国道290号線で加茂市に出る。ここで市内の青梅神社(あおみじんじゃ)に参拝した。神社は椿の茂る山の中腹にあり、一帯は公園として整備されている。天気もよく幼稚園児が遠足に来ていた。
 先日も訪れた水原町に出たところで、国道49号線に乗り換える。鳥井峠で県境を越えれば福島県西部の会津地方である。ここでちょっと寄り道して、阿賀川が県境を越える場所を見に行った。阿賀川は会津地方を流れる川だ。県境付近で只見川と合流し水量を増し、県境を越えると阿賀野川と名前を変え、ゆくゆくは日本海に注ぎ込んでいる。会津の水を全て集めて流れているだけあって、山奥だというのに蕩々と流れていた。
 日のあるうちに会津高田町(現会津美里町)にある岩代国一の宮、伊佐須美神社(いさすみじんじゃ)に参拝した。川べりの気持ちのよい場所にある神社で、境内もすがすがしく気持ちがよい。ここも新一の宮なのだが、神社そのものは6世紀初頭と旧くからある。

伊佐須美神社
岩代国一の宮伊佐須美神社。八方ふさがりの厄払いに御利益があるとか。

 そろそろテントを張ろうと近場の蓋沼森林公園キャンプ場に行った。夏期営業終了らしく人がいない。落ち着いて野宿できるなと喜々として準備していると、公園の管理人が現れた。予約専用のキャンプ場だから予約しないとダメですよと言われたので、張りかけたテントを片づけて、とぼとぼと撤収したのだった。
 最近はキャンプ場でも予約必須というところが目立ってきた。荒井は予約というのが苦手である。泊まる場所が決まっているのは安心なのだが、逆に言えば到着時刻を気にしなければならないわけで、行動に制約を受けることにもなる。自由に動き回るための野宿旅、予約してまでテントを張りたいとは思わないのだ。
 結局この日は会津若松市に出て、チェーン店のラーメン屋「会津っぽ」で夕食にした後、市内のビジネスホテル「ホテルα−1」に転がり込んだ。


脚註

注1・「アプト式」:機関車装備の歯車を、滑り止めレールに引っかけながら急坂を登る方式の鉄道。急坂を登る方式は他にも、何度も切り返しをしながら徐々に高度を稼ぐ「スイッチバック式」などが有名。

注2・「蒟蒻畑」:マンナンライフのこんにゃくゼリー。ちなみにマンナンライフは群馬県の企業。

注3・「国是」:その国の政治の基本的方針。

注4・「民間企業の管轄下」:その後富岡市に寄贈され、2005年10月からは同市が管理している。

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