東北一周達成

栗駒山峠巡り

 四度目の旅立ちは10月半ばだった。件の用事とやらも済んで、今までのようにまめに山形に戻る必要がなくなったのだが、かわりに別の厄介な用事がひかえていた。荒井のもう一つの愛車、パジェロミニの車検だ。車検は3月、そのときだけ地元山形に戻ればいいのだが、その頃山形はまだ雪の中で、単車で戻ってくるのは大変だ。結局雪が降る前には戻って来なければならないのだ。できることなら雪の降らない沖縄で冬ごもりして、雪が解けた頃を見計らって徐々に山形に戻ってきたかったのだけど...
 それと書きそびれていたのだが、前回から旅道具に携帯電話が加わった。できることなら持ち歩きたくないのだが、心配する家族の頼みで持たされる羽目になった。首に鈴をかけられたというわけだ。
 ともあれ、今回は前回廻っていなかった関東方面を探索した後、時間が許す限り海沿いに西に進むことにした。この時点で訪ねた県庁はまだ九つ、旧国は十一カ国十三社と、まだ半分以上残っている。年が変わる前にせめて半分は訪れたいところだ。

 国道47号線を東に走る。宮城との県境、最上町堺田で水中大分水嶺を見学する。大分水嶺とは日本海側と太平洋側を分ける境のことだが、ここの大分水嶺は水が東西に別れる様が目で見られる珍しいものだ。周囲には民家と無人駅があるきりで、他に何があるというわけでもないのだが、妙に感じ入るものがあって、これまでにも何度か見に来ている。「重大な転機とは、何気ないどさ、何気なぐあったりするもんなんだよねぇ。」と、自らの来し方なぞ振り返りつつ、いよいよ日本一周前半最後の旅に出発である。

 鳴子峡を見ていくことにした。紅葉には少し早かったが、それでも谷は赤く色付きだしていた。鳴子峡は紅葉の名所で、平日だというのに見物客もけっこういる。季節はまるきり秋だった。
 岩出山町(現大崎市)から国道398号線を北に走り、栗駒山方面を目指す。関東地方とはまるきり逆方向に走ってどうするんだ、おとなしく南を目指せばいいじゃないかという声も聞こえてきそうだが、この寄り道にはわけがある。
 この周辺には栗駒山を囲むようにして、湯浜峠、花山峠、栗駒峠といった峠がある。雪国の東北地方は冬になると積雪のため、主だった峠は閉鎖されてしまう。それに栗駒山の峠は、気になりつつも一度も行ったことがなかった。冬を目前にひかえた秋の時期、行くなら今しかないと、通り道に組み入れたのだ。その他にも寄りたい場所は多々あったので、関東までの道中はところどころ寄り道しながらのものとなった。

 花山湖の脇をかすめて北へ向かううち、寒湯(ぬるゆ)の番所跡が現れた。伊達藩北の護りの要地として関所が置かれた場所だ。隣には温泉宿があるのだが、温泉の名前は読みこそ同じだが、寒湯でなくて温湯(ぬるゆ)と漢字が変わっている。さすがに寒いお湯では人も呼べないと思ったのだろうか。ここで花山名物ふさすぐりアイスを食べて一息ついたら、花山峠目指して出発だ。

湯浜峠
湯浜峠。南北約450キロの奥羽山脈のちょうど中間地点にあたる。

 番所跡を過ぎると、道はやがて山の稜線のようなところに出た。しばらく走れば湯浜峠だ。栗駒山がよく見える。このあたりは標高が高いせいか、里より紅葉が早い。峠には紅葉狩り目当てに繰り出した観光客の車が多く停まっていた。
 湯浜峠を過ぎ、花山峠で県境を越えた。栗駒山の周囲は秋田・宮城・岩手三県の県境が集まっており、花山峠は宮城と秋田の県境にある。大分水嶺でもありさぞかし風光明媚な峠だろうと思っていたら、峠周辺には県境を示す看板さえなく、それと気づかず通過してしまった。あっけない初花山峠に苦笑する。
 花山峠の先にある丁字路で県道に乗り換え、今度は栗駒峠を目指す。峠道は湯浜峠よりも標高が高いせいか、山中見事に紅く染まっていた。初めて見る栗駒の紅葉に見とれていたのか、峠道を行くどの車も、心なしか速度をゆるめて走っていた。それは荒井も同じである。
 栗駒峠は栗駒山登山道の入り口であり、温泉も湧いているためずいぶん人が多い。峠をひとまず素通りして、麓の一関市を目指している途中、「ぶなの秘水」という山水が飲める場所を見つけた。冷たくて実においしい水だ。栗駒山の周辺は水源林で、秘水は地元NPO団体が管理にあたっているそうだ。秘水には人々の山を守ろうという姿勢が伺える。

 そのまま道を下り、厳美渓を脇目に走るうち眠くなってきた。眠いときには寝るのが一番と、ちょうど見つけた道の駅の休憩所で30分ほど昼寝した。目が覚めると四時近くになっていたがまだ日もあったので、中尊寺でも見てこようかと平泉に寄り道した。中尊寺は松尾芭蕉が「おくのほそ道」で訪れた金色堂で有名な名刹だ。一関のすぐ北、国道4号線沿いと交通の便はすこぶるよい。夕方だというのに駐車場や入り口の付近には結構人がいる。荒井も見学するつもりで来たのだが、駐車場は軒並み料金が高かった。判官贔屓(ほうがんびいき)でも芭蕉マニアでもない荒井、「拝観料ど駐車料金で結構取られそうだな。」と、当初の予定をあっさり撤回して、キャンプ場に向かうことにした。
 地図を見ながらいろいろ探し回った末、この日は花泉町(はないずみまち・現一関市)の総合運動公園キャンプ場に落ち着いた。無料なのに設備もよく整っている。しかし文字通り運動公園のそばにあるため、煌々とした夜間練習用グランド照明の光がテントサイトまで届いてきた。
 六時前にはテントを張り終えたが、日はすっかり暮れてあたりは暗くなっていた。グランド照明を頼りに米を炊き、買い置きのレトルトカレーで夕食にした。気が付けば秋口に荒井を悩ませた蚊もすっかりいなくなっていた。秋の日は釣瓶落とし。冬はもうすぐなのかもしれない。

白石温麺

 夜中、ものすごい物音で目が覚めた。雨風が激しく吹きつけ、頭の上ではゴロゴロドカンと雷まで鳴っている。寝ている間に天気が急変し、外は嵐になっていたのだ。佐渡の沢崎鼻での教訓もあり、テントはペグで念入りに固定してあったが、風に煽られ今にも吹き飛ばされそうだ。「ペグ打っといでいがった!」と思いつつ、「早ぐ止んでけろ〜」と、寝袋にくるまりつつ、ひたすら祈る。必死に踏ん張っている我がテント、雨風はよしとしても、雷が直撃したら即御陀仏だ。
 祈りが天に通じたわけでもなかろうが、朝になると嵐は嘘のように過ぎ去っていた。あたりは枯れ落ちた松葉が飛び散って、厠の入り口に置かれてあったトイレットペーパーまでもが転がっていた。

 国道を乗り継ぎ、迫町(はさまちょう・現登米市)経由で小牛田町(こごたちょう・現美里町)に向かう。小牛田町は東北本線・陸羽東線・石巻線の三つの鉄道が交わる要衝の町だ。
 小牛田から古川市(現大崎市)に出て、国道4号線に乗り換える。三本木町(現大崎市)で、道の駅併設の亜炭記念館を見学した。亜炭とは今でいうところの灯油に匹敵する燃料で、暖房や風呂を焚くのに使われていた。三本木町は亜炭の名産地で、かつて盛んに掘られていたのだが、灯油が一般に使われるようになると需要がなくなり、昭和40年頃には採掘も終わってしまったのだそうだ。
 記念館に入ると、10トンあるという巨大な亜炭塊のお出迎えを受ける。なんでも日本一巨大な亜炭塊らしい。その他にも採掘の様子を再現した実物大坑道情景など、意外に見応えがある。全盛期、亜炭は全国各地で採掘されていたようで、特に荒井の隣町でもかつて盛んに掘られていたというのは初耳だった。

 国道と県道を乗り継ぎ仙台市に出る。仙台は県境の奥羽山脈から太平洋沿いまでを市域とする巨大な市なので、宮城県を南北に縦断するならば、必ずどこかを横切ることになる。荒井が訪れた宮城県庁はもちろん、かつて荒井が野宿にしくじった仙台港も仙台市で、磐司岩のある二口峠も同じ仙台市だ。
 そのまま白石市に出たところで昼食にした。長年気になっていた名物白石温麺(しろいしうーめん)でも食べようと、町中の「関東家」ののれんをくぐる。昼をだいぶ過ぎていたせいか人はいなかった。おすすめは地元タウン誌にも載ったというカレー温麺だったが、ここは無難に天ぷら温麺を注文した。
 白石の温麺は細くて短い麺が特徴だ。つゆは濃いめで熱い。麺を箸でつまんでは、ふうふう言いながら口に運ぶが、短くて麺がなかなか箸に引っかかってくれず食べづらい。とはいうものの、名物の温麺は思ったよりも旨かった。

 福島県に出たところで、山形県に抜ける鳩峰峠に行くつもりで国道399号線に乗り換えた。ところが飯坂温泉まで来たところで「峠通行止め」の看板が現れた。「通れねなが! 山形一周で来たどきは通れだはずだぞ!」と、峠のはるか手前で引き返す羽目になってしまった。

鳩峰峠
高原が広がる鳩峰峠。写真は山形一周の際撮ったもの。

 福島市から今度は国道13号線に乗り換え、栗子峠で山形に戻る。目当ては先日訪れた「峠の茶屋」のきのこ汁と餅のセットだ。きのこ汁は茶屋の近辺で採れたきのこがいくつも入っていて、きのこのいい味が出ていた。もちは黒ごま・くるみ・あんこ・ずんだ・納豆餅の五つが一口ずつ皿に盛られており、少しずついろいろ食べたい人にはうってつけだ。
 ふもとの方は雨など全く降っていなかったのだが、峠駅の周辺はひどい雨降りだった。店の方によれば、午後からずっと雨降りだったとか。このあたりは天気の差が激しいらしい。億劫がって合羽を着ずに走っていたせいか、ズボンはずぶ濡れだった。
 単車乗りにとって、いつ合羽を着るかというのはなかなか厄介な問題である。雨降りに気が付いて合羽を着た途端に雨が止んだとか、にわか雨だと踏んでそのまま走っていたらいつまで経っても雨が止まずにずぶ濡れになったなんてことは、単車旅人なら誰でも経験している。特にいやらしいのは濡れ路面だ。雨は降っていなくとも、タイヤが路面に残った水を跳ね上げるので、靴とズボンの脛がすぐずぶ濡れになる。下だけ雨装備を着て走るのも格好悪いので、結局雨も降っていないのに全身合羽を着こんで走ることになるから面白くない。

 本来は鳩峰峠で山形県に戻り、峠できのこ汁を食べてから、栗子峠でそのまま南に向かう予定だったのだが、大幅に狂ってしまった。しかもあたりはもう暗い。これから寝る場所を探すのかと思うと気が重かった。そこで山形市まで行って、先日も利用した県民の森荒沼キャンプ場まで行ってテントを張ることにした。土地勘のある地元ならば、暗い中の走行も苦ではない。
 かくして暗い中を2時間ほど走った末キャンプ場にたどり着いたが、時計を見ればまだ七時にもなっていなかった。

壮大な寄り道

定義如来
定義如来こと極楽山西方寺。山奥に突如と現れる立派な寺院。写真は小冊子から。

 県民の森を出て、最上川の堤防の上を走る。さしあたりの目的地は関山峠、天気は最高で走るのも気持ちよい。
 予定が大幅に狂ってしまったのなら、この際ついでにいろいろ寄り道してしまえと、定義如来(じょうぎにょらい)を拝みに行くことにした。以前から気になりつつ行ったことのない場所の一つだ。定義如来は関山峠を仙台市側にだいぶん下ったところ、熊ヶ根から北に10キロほど、大倉ダムをかすめつつ山に入った奥にある。
 山奥に向かって走るうち、目の前に現れたのは立派な寺院と門前街だった。何でこんなところにと不思議に思ったが、それというのも定義はもともと源氏の追討を逃れた平家の隠れ里だったかららしい。定義の地名もこの地に流れ着いた平家の武者、肥後守貞能(ひごのかみさだよし)にちなんでいる。「さだよし」に「定義」の字を当てはめ、音読みすれば「じょうぎ」になるわけだ。定義如来こと極楽山西方寺のご本尊は、その貞能卿が平重盛公から拝領したという、阿弥陀如来を描いた巻物だ。
 西方寺に参拝してから門前街を見て歩く。菓子やサブレを扱うみやげ屋、揚げまんじゅうを売る店、軒先に羅漢果を吊した露店、雑貨や小間物を売る屋台などなどなかなか栄えている。
 そんな中の一つ「定義とうふ店」で、名物三角油揚げを食べた。五人も入れば満員になるほどの小さな店だが、有名らしく壁には芸能人のサインがいくつも飾られてあった。軒先にはでかいフライヤー(注1)が備え付けられてあって、そこで一杯に油揚げを揚げている。「揚げたて一枚!」と注文すれば、そこから熱々のを一枚すくい上げて、その場で出してくれる。栃尾の油揚げとの一番の違いは三角形であることだ。揚げたての熱い油揚げに醤油と七味をかけ、大口開けてかぶりついた。

市太郎の湯
市太郎の湯。趣のある立ち寄り湯。写真は小冊子から。

 定義を後にして秋保温泉に向かう。秋保温泉は二口峠の入り口にあたるので、何度も近くまでは来ているのだが、その割に温泉に入ったことはあまりない。
 名取川を渡り温泉街に入ると、地元の高校で競歩大会をやっていたらしく、運動着の男子高校生が大勢いた。温泉がゴールなのは、一風呂浴びて汗を流せるようにという学校側の計らいだろう。荒井は高校生を脇目に、秋保温泉はずれにある天守閣公園を見物してから、公園そばの「市太郎の湯」に入った。木製の落ち着いた湯船で露天風呂もある。入浴料は700円とやや高いが、久々の秋保温泉に満足した。

 国道286号線、笹谷街道沿いの「丸信ラーメン」で昼食にした後、もはやおなじみ笹谷峠で山形に戻る。時期も時期で、笹谷峠の南北の山々もすっかり紅くなっていた。あと半月もすれば、峠は長い冬季通行止めになる。
 山形市から国道348号線と国道287号線を乗り継ぎ米沢に出る。いよいよ本格的に山形脱出だ。大いに狂ってしまったなら最後まで変わった道で行こうぜと、栗子峠ではなく国道121号線大峠で会津方面に抜けることにした。大峠は米沢と会津をつなぐ峠なのだが、近年立派なトンネルが開通したおかげで交通の便が格段によくなった。旧い峠道も残ってはいるのだが、そちらは長年落石による通行止めが続いているらしい。

 裏磐梯の檜原湖に着くと日も傾いていたので、そろそろ寝る場所を探すことにした。とりあえず食料を仕入れに湖畔の道の駅に寄ってみると、単車乗りのおじさんに声をかけられた。「自分もツーリングでここに来たんだけど、今日はここにテントを張ろうと思うんだ。この辺のキャンプ場は料金が高くてね。君も一緒にどうだい?」 水も厠も整っていて、しかも無料で利用できる道の駅は、旅人にとって絶好の野宿地点だ。とはいえ荒井、探せば条件のいいキャンプ場があるんでないかと思い、道の駅を辞して湖近辺を探し廻ることにした。
 案の定、キャンプ場は見つかった。営業終了で人は誰もおらず、水は止められていたが、一晩貧乏野宿をする分には困らない。かくして無人のキャンプ場の片隅にテントを張り、予定外の壮大な寄り道を終えるのだった。

UFOの町

 季節のせいもあるが、裏磐梯高原の朝は寒かった。しかも湖畔だからなおさらだ。撤収の後、運良く近くにコンビニがあるのを見つけたが、まだ開いていなかったので、時間つぶしに檜原湖を一周することにした。
 朝の檜原湖は湖面から立ち上る霧のため、湖面はろくに見えない。それでもやがて日が出てくると、霧が切れてきて山々や湖面が顔を覗かせはじめた。湖の周囲には、大砲のようなレンズを付けたカメラを構えた方も多い。今は紅葉の時期でもある。絶景を逃すまいと、朝早くから湖に繰り出しているのだ。

五色沼
五色沼のある沼にて。湖の色は水に溶け込んだ物質によるものらしい。露出が変なのはお許しを。

 湖は一周約31キロ、一周には単車で4〜50分ほどかかる。のんびり走ってからさっきのコンビニに行くと店が開いていたので、朝食にツナサンドと牛乳を買い込んだ。
 裏磐梯高原は保養地なので、周囲にはコンビニやガソリンスタンドが何軒か建っている。ところが他の店と違うのは、この手の店の目印にもなっている原色系の派手派手な看板がないことだ。看板は落ち着いた色合いのものに変わっている。周囲の景観に配慮してのことだろう。
 腹ごしらえが済んだところで、裏磐梯の象徴、五色沼を散策した。五色沼は磐梯山の火山活動でできた湖沼群で、天気によって湖水が五色に変わるからこの名があるそうだ。裏磐梯人気の観光地だが猥雑さはない。沼と林を縫う3.7キロほどの遊歩道をゆったりと楽しんだ。
 この裏磐梯の自然も奥多摩同様、人の手によって蘇ったものらしい。19世紀末、裏磐梯は磐梯山の大噴火で荒廃していたが、ある篤志家が私財をなげうって森林の回復に努め、その結果裏磐梯には緑が蘇ったのだそうだ。

 東北を出る前に、寄っておかなければならない場所はまだ残っていた。東北地方では最後の県庁になる福島県庁と、磐城国一の宮都々古別神社(つつこわけじんじゃ)だ。まずは福島県庁に行くため、県庁所在地福島市を目指した。
 先日も通った国道115号線に合流する。昼まで時間もたっぷりあるので、道中はのんびりとしたものだ。この前と違い天気もよく、気分は最高だ。途中で旧道に入り土湯峠で小休止して、周囲の山並みを一望する。そして道の駅「つちゆロードパーク」で名物甘味噌ソフトクリームを食べた。フルーツソース代わりに甘味噌のかかったソフトクリームで、道の駅の珍名物だ。ちょっとしょっぱい甘味噌とソフトクリームの取り合わせは意外といけた。

福島県庁
福島県庁。東北県庁巡りのトリを飾る。

 かくしてついに東北地方最後の県庁、福島県庁に到着した。県庁は国道13号線の起点すぐ近くに建っている。鉄筋コンクリート造りで、見た目よりも年季が入っている。食堂はやや狭めだった。ここで食べたのは肉そば中華丼セットだ。肉そばにミニ中華丼が付いてくるというお得な一品だ。県庁食堂に来たならば、とりあえず定食かセットメニューにしておけば間違いはない。昼食後売店を物色してみると、地元のパン屋さんが作っているバナナパイが旨そうだったので、こちらも買い食いした。

 県庁を出てからは、国道349号線で南に行くことにした。その途中、飯野町で変わった看板が目に飛び込んできた。その名も「UFOふれあい館」。名前が気になってふらふらと立ち寄ってみた。
 ふれあい館は町興し施設だ。ただしただの町興し施設ではない。飯野町ではUFOこと未確認飛行物体の目撃例が多数報告されている。それにちなんでアマチュア研究家寄贈の、UFOにまつわる資料が展示されていたりする。他にもなぜか風呂まであって、入館者なら誰でも利用できるようになっていた。風呂は非常に気になったが、アヤしそうだったので入るのがなんとなくためらわれた。
 建物は千貫森なる里山の中腹にある。山一帯は公園として整備されているようで、頂上には「コンタクトデッキ」と称した展望台まである。なんでも千貫森の上空にUFOが現れたという目撃例が多数報告されているそうで、「あなたもUFOと交信してみませんか?」という洒落らしい。UFOふれあい館といい、デッキといい、飯野町もよく建設許可を出したものだ。「キリストの墓」新郷村の伝承館みたいなものだろうか。

UFOふれあい館入場券
UFOふれあい館入場券。写ってるのが千貫森。日本のピラミッドの一つだとか。

 UFOの里を後にして、国道349号線を南に走る。延々と続く田舎道でたんたんと野を越え丘を越え、福島県南部に近づいたあたりで日が暮れてきた。近場の母畑温泉(ぼばたおんせん)で風呂にでも入ってからテントを張ろうと、それらしい共同湯を探してみるが見つからない。結局風呂をあきらめ、温泉近くの「レークサイドセンターキャンプ場」にテントを張って寝た。UFO風呂に入らなかったのが少し惜しくなった。

東北一周達成

 六時半に出発した。母畑温泉のある石川町の中心部に出たところで「ミニストップ」を見つけ、ツナサンドとオレンジジュースの朝食にした。「ミニストップ」は店内に簡単な机と椅子がしつらえられているので、ちょっとした食事をするのに便利である。
 近かったので、以前から気になっていた天栄村(てんえいむら)に寄った。天栄村の名前を知ったのは、大学受験で水戸に行ったときのことだ。開業間もない山形新幹線で上野に向かう途中、車窓から「天栄村に新幹線を!」という、新幹線誘致の看板を見かけたのがきっかけだ。何があるというわけでもないのだが、どんな村なのか気になった。そして10年、ついに天栄村に足を踏み入れるのだ。
 このあたりは県道と国道が錯綜しているので道を探すのが厄介だ。しかも標識がない場所も多い。あれこれ探し回った末、ようやく天栄村に通じる道に出た。

天栄村役場
天栄村役場。土曜ということもあり、部活に来た隣の中学校の生徒以外、あたりに人はいなかった。

 とりあえず村の中心部にある天栄村の役場に行ってみたが、特ににぎわっているという気配はない。新幹線の駅はもちろんできていなかった。誘致はうまくいかなかったのだろう。そのかわり、クラシックカーレース「ミッレ・ミリア」(注2)の誘致に成功したようで、役場には大きくポスターが張り出されていた。村の近郊には羽鳥湖という湖や大分水嶺の峠があるようで、行ってみたかったが時間を考えて行くのはやめといた。

 天栄村から矢吹町に戻ってきたところで、町内の立ち寄り湯「あゆり温泉」に入った。天気は泣き出しそうなくもり空でやや寒かった。昨日風呂に入りそびれたこともあり、この温泉は非常にありがたかった。
 県道を伝い今度は棚倉町を目指す。東北最後の一の宮、都々古別神社がある町だ。馬場都々古別神社と八槻都々古別神社の二つが町内にあり、どちらも一の宮となっている。

馬場都々古別神社
馬場都々都古別神社。人気のなさにかえって神々しさを感じた。

 馬場の神社は相当の広さでそれなりの格式もあるのだが、境内には誰もいなかった。それは八槻の方も同じだ。同じ一の宮でも、国によって賑わっているところとそうでないところの差は大きい。
 これで東北地方で巡るべき場所は全て巡った。ようやく東北一周達成である。しかしその途中、東京経由で佐渡に渡ってみたり、乗鞍に行ってみたりとかなり変則的だった上、何度か東北からも出ているため、不思議と実感が湧かない。

 昼食は町内の駅前食堂「つばめや」の鶏唐揚げ定食にした。ザックとDJEBELに目をとめたのか、店のご主人に「どこから来たんだい?どこへ行くんだい?」と話しかけられた。食堂は旅館併設で、自転車で東北一周に来た旅人が泊まったこともあるそうだ。「旅人は荷物が多くて大変そうだなぁ。これから雨が降るそうだけど、バイクは大変だろう?」と、ご主人に見送られて出発した。

白河関跡
白河関跡。東北の先には何が待っているのか?

 東北一周の締めは白河関だ。この前訪れた勿来関同様奥州三関の一つで、古来陸奥の玄関口となっている場所だ。関所は江戸時代にはすでに廃れていたのだが、旅情を感じさせる名所として、松尾芭蕉をはじめ多くの旅人を惹きつけてきた。現在関所跡は史跡公園として整備され、また多くの旅人を誘っている。
 ところが荒井は東北一周したという実感がなかったせいか、勿来の関ほどの感慨は湧かなかった。そんなことを知ってか知らずか、犬が一匹、関の入り口にふてぶてしく座っていたのがやたら印象に残った。
 とはいえ白河関の向こうに荒井の知らない世界が広がっていることは間違いない。「次は関東一周だな!」とまだ見ぬ場所に想いを馳せ、荒井の日本一周は本格的に関東入りするのである。


脚註

注1・「フライヤー」:熱源付きの大きな油鍋のこと。揚げ物をするための道具。

注2・「ミッレ・ミリア」:イタリア発祥のクラシックカーレース。名前は「1000マイル」という意味。北イタリアのブレシアから首都ローマまでの往復1000マイルを、クラシックカーを使い二日間で走破するというもの。本家ミッレ・ミリアは1927年に始まっているが、日本でも「ラ・フェスタ・ミッレ・ミリア」として1997年から開催されている。


荒井の耳打ち

冬季通行止めと峠巡り

 本文にも書いたとおり、東北地方の峠道には冬季通行止めになる場所が多いです。期間はおおよそ11月から翌年4月下旬まで。場所によっては6月まで通れず、年の半分以上が通行止めになっている場所もあります。開通直後の春の峠や、閉鎖直前の秋の峠は実にいいものですが、時期を間違えると門前払いを食らうこともあるので、峠巡りをするのならばぜひ気をつけておきましょう。

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