天下の険を越えに行く

もっとさいたまさいたま!

 気が付けば昨日から11月になっていた。しかも世間は今日から三連休ときている。しかし年中夏休み状態である無職の旅人には意味がない。その上県庁巡りをしている都合上、休日のありがたみは全くない。
 関東地方の県庁は神奈川県、行くべき一の宮もその神奈川こと相模国の寒川神社を残すのみだった。青梅市から県庁所在地横浜市まではすぐ行ける距離だが、この連休のおかげで三日も足踏みを強いられるのだ。こうなれば時間つぶしに、横浜から離れない程度に近所をうろついてみるしかない。
 連休初日は埼玉県をもう少し巡ってみることにした。目的地は比企郡(ひきぐん)の嵐山町(らんざんまち)だ。荒井の兄が会社の研修で三ヶ月ほど滞在していたことがあり、「関東だなさ周りさ何にもねぇ、田舎などごだ。」と言っていたので、どういうものか気になったというわけだ。

 六時半にネットカフェを出た。抜けるような青空。しかし身がすくみ上がるほど寒かった。青梅市から入間経由で飯能市(はんのうし)に向かう。青梅から入間にかけて茶畑を横断する道を走った。右も左も茶畑だ。このあたりは狭山茶の産地である。
 飯能市に入ったあたりで、いつもどおりコンビニのツナタマサンドの朝食にした。ふと西を見上げると富士山が大きい。「おう。でっけぇな。」と感嘆する。南関東では天気がよければ、至るところから富士が大きく見える。「なるほど、関東さ住んでだら富士は日本一の山、とうそぶぎだぐもなるな。」と納得した。
 飯能市は祭りらしく、中心部では朝早くから法被姿の若者たちが行き交っていた。寒いのに薄手の法被姿というのも大変そうだ。若者たちを尻目に、比企郡目指して県道30号線を北上する。足取りは至ってのんびりしたものだ。

 比企郡は地理的に埼玉県の中央部、秩父と関東平野境界の比企丘陵と呼ばれる一帯にあり山が目立つ。ここしばらく建物だらけの道ばかり走っていたこともあり、ほっとするものを覚えた。
 小川町の道の駅に立ち寄ってみると、デイパックを担いで胸にゼッケンを付けた人たちがぞろぞろと集結していた。毎年11月に開かれる里歩き大会「スリーデーマーチ」の参加者だ。後で調べたことによれば、比企郡の中心都市東松山市では1970年代後半から、比企丘陵の自然を生かした里歩き大会に力を入れていた。それが「スリーデーマーチ」の始まりで、今や世界有数規模の大会にまで成長している。
 ちょうど昼だったので、みなおにぎりや水筒など取り出して一息入れていた。模擬店も出ていたので、荒井もここで焼きそばとたこ焼きを買って昼食にした。
 小川町は和紙の産地で、併設の「埼玉伝統工芸会館」では紙漉きの実演をやっていた。というよりはむしろ、地元のおばちゃんたちがやっている手作り和紙工房におじゃまして見せてもらうかんじだ。和紙づくりは水を扱う仕事なので、床はコンクリート張りで排水溝もあり、見た目はどこかの水産加工場のようである。それに材料のコウゾやミツマタを煮ているせいか、外は寒いのに中は湯気が籠もっていた。荒井の前職、スーパーの惣菜作業室に似ていなくもない。

埼玉伝統工芸会館
埼玉伝統工芸会館。紙漉き実演の他、県内の伝統手工芸品の展示が見られる。写真は小冊子から。

 嵐山町は小川町の隣である。とりあえず町内を横断する東武東上線の武蔵嵐山駅前に行ってみると、兄の言っていたことが理解できた。町内唯一の駅だというのに、あたりに商店街の類はない。本屋が見つからないものだから、毎週読んでいる「週刊文春」も、この駅の売店で買っているとか言っていた。国道沿いにはそれなりの規模のショッピングセンターもあるのだが、荒井兄のこと、さほど足を運んでないに違いない。
 東松山市で折り返し、県道経由で都幾川村(ときがわむら・現ときがわ町)に抜け、県道30号線に戻る。その南、越生町(おごせまち)にさしかかると寒さが堪えてきたので「ウェルサンピアおごせ」の立ち寄り湯に飛び込んだ。露天湯でほっとしていると、どこで見たのか、同じく風呂に入っていたおじさんが「バイクで山形から来たのかい? ずいぶん遠かっただろう?」と話しかけてくれた。

 飯能市に戻ってきたのは三時頃だった。急いだ覚えは全くないのだが、あまり時間が経っていなかったらしい。この日は寒かったのでもう走る気がしなかった。またどこかのネットカフェに籠もることにして、あとは夜まで時間をつぶすことにした。
 本屋で立ち読みをしたり電気屋を冷やかしてみたりと道草しつつ、入間市の中心部にたどり着いたのは夕方六時頃だった。あたりはもう暗い。町の真ん中に「いるまの湯」という立ち寄り湯を見つけ、逃げ込む。浴室は広めで、大風呂からジェットバス、露天湯、電気風呂にサウナまでいろいろとそろっている。時間つぶしにとっかえひっかえ長湯した。人気があるようで利用客も多い。この規模にして500円という、良心的な入浴料も一役買っているのだろう。

 その後所沢へ移動し、また「バーミヤン」でネギラーメンの夕食にした。向かいの席では親子連れが何かやかましく言いながら食事している。もっぱら母親が、好き嫌いする子供さん相手に「もっときれいに食べなさい!」だの「好き嫌いしちゃいけません!」だの、尖った声で盛んに小言を言っている。父親は知ってか知らずか何も言わない。「こんた時ぐれ、もっと楽しぐ食やいいなさ。」と思った。かたわらいたいとはこういうことだ。
 旅をしていると「今は今しか生きられない。いつ死んでもいいように悔いなく生きたい。」なんてことをおぼろげながらに考えるようになってしまう。食事のしつけは大事だが、楽しく食事をしようと店に来たのに、なんで金を払ってまでこうるさく小言を言うのだろう。家族みんなで外食できるのも今のうちだけなんだから。

 この日は所沢市内のネットカフェに深夜料金で潜り込んで、朝まで過ごすことにした。深夜だというのにネットカフェはそこそこに利用客が多い。仮眠用に毛布なども準備されていたが全て出払っており、あまり安眠はできなかった。

お台場から小田原まで

 六時前にネットカフェを出た。外は寒くてまだ暗い。ガタガタいいながらDJEBELを走らせ、近所の「スリーエフ」でツナタマサンドの朝食にした。
 とりあえず内陸探索は終わった。今日からは東京を出て神奈川へと向かうのだ。国道463号線から国道254号線に乗り換え南に走る。走るうちに日が昇ってきた。ちょうど進む方向から昇ってくるので、まぶしくて走りづらい。
 明治通りに出たところで、「スカイコート浅草」に来たときと逆に道をたどり、再び新木場にやってきた。この日は文化の日で、すぐ近くの夢の島では日本共産党の赤旗まつりが開かれていた。その交通整理か右翼への警戒か、警官が多数繰りだしていた。ついでに言っておくと、文化の日こと11月3日は明治天皇の誕生日で、明治神宮では秋の大祭が開かれている。

 荒井の予定としては、新木場から東雲(しののめ)まで海沿いに走って、勝鬨橋(かちどきばし)を渡って日本橋に出るつもりだったのだが道を誤り、東京ビッグサイト前に出てしまった。夏コミで来たところだ。
 「意外に都心さ近がったんだな。」と思いつつ、有明の埋め立て地を走っていると、今度はかの有名なフジテレビ新社屋前(注1)に出てしまった。鉄骨が球体を抱えたような形はテレビで見たとおりだ。「本当にお台場さあるんだな。まわりさ芸能人の2,3人いねべが?」と、田舎者らしい感想が出る。
 東雲まで戻ってから日本橋に出るつもりだったが、また道を間違え、今度はレインボーブリッジまで渡ることになってしまった。橋からフジテレビの方を振り返ると、「お台場」の名の由来となった海浜公園がよく見える。そこだけ砂浜が残っている上、緑が多いのでひときわ目立つ。幕末はここに砲台など置かれていたわけだ。

 橋を渡りきり、築地、歌舞伎座、銀座和光といった、田舎者でも知っている名所を脇目に日本橋を目指したが、迷ってなかなかたどり着けなかった。かろうじて国会議事堂前に出たところで路肩にDJEBELを停め、地図を確かめていると警備のお巡りさんがやってきた。そりゃそうだ。国の最高立法府前に一見してそぐわぬ貧乏旅人。疑うには十分だ。
 とはいうものの、意外にもお巡りさんは親切だった。事情を話し「ここから日本橋へはどうやって行けばいいですか?」と尋ねると、優しい口調で丁寧に道を教えてくれた。そしてお巡りさんのおかげで、無事日本橋へとたどり着けたのである。お巡りさん、ありがとうございます!
 日本橋から国道1号線を走る。目的地は箱根だ。今日は文化の日で日曜日、明日は振り替え休日なので、県庁がある横浜には改めて戻ってこなければならない。海沿いの道筋に戻るのもそれからだ。

 近かったので、東京タワーに寄った。中学校の修学旅行で来たことはあるのだが、そのときは大食堂に昼食のカツカレーを食べに来ただけだったので、上には全く登っていないのだ。
 東京名所である割に、東京都民は東京タワーに登らないものらしい。曰く「あんな所に行くのはおのぼりさんか、外国人観光客ぐらいのものだよ。」とか。とはいえ、ゲイシャ・フジヤマ並みに知名度が高い東京タワーのこと、海外に行ったら海外の方から「トーキョータワーって、どんなんだ?」と訊かれてしまうかもしれない。そんなときに「登ったことなんてないよ。」と答えるのも癪に障るというものだ。

 地上150メートルの大展望台に登るべく、入り口で入場券を買った。昭和33年に完成しただけあって、券売所近辺はレトロな雰囲気が漂っている。はやりの「昭和30年代の街並みをそっくり再現しました」というようなものではない。改装されていたり今風の店が入居していたりはするけれど、調度品や雰囲気、建物の壁や床などから当時の雰囲気が立ち上ってくるのだ。貫禄、と言ってもいい。そういや大展望台入場券の裏には昔懐かしい「ケロリン」の広告が刷られていたりする。
 さすが本物は違うと妙に感心しつつエレベーターで大展望台に登ると、特別展望台にも登ってみたくなった。
 大展望台からさらに地上250メートルの特別展望台に登るには、600円の別料金を払わなければならない。入場料を一度でなく、二度に分けて払わせるのがあざといところだ。そのおかげか、特別展望台へのエレベーター前には長蛇の列ができていた。順番待ちの客はエレベーターを取り巻く薄暗い廊下に行列することになるが、東京タワーではこの廊下を「風と光のプロローグ」と呼んでいる。行列は長かったが回転そのものは早かったので、ちょっと待ったぐらいで順番が回ってきた。
 特別展望台は本当に展望台だけで、望遠鏡があるきり売店の類は一切ない。そして狭い。そんなところに観光客が多数詰めかけるのだから人口密度は非常に高かった。日本人はもちろん、ヨーロッパ人も中国人もいる。彼らは祖国に戻ったら、トーキョータワーはどんなところだと話すんだろうか。
 展望はすばらしいものだった。この間登った都庁を遠くに眺める。明治神宮や皇居のあたりは一面緑色で、名刹増上寺はすぐ下だ。東京といえども高層ビルばかりではない。

カフェラ・トゥール
「カフェラ・トゥール」カウンター。2002年4月の東京タワーリニューアルに合わせて開業。

 大展望台に戻り、改めてあたりを見た。大展望台は二階建てになっており、上には絵はがきや置物といったみやげを扱う売店、下には喫茶店「カフェラ・トゥール」がある。そこでレアチーズケーキを食べると昼近くになっていたので、下に降りることにした。
 大展望台からの下りエレベーターは、東京タワー真下にある「東京タワービル」屋上で降りるようになっている。屋上は遊具が並ぶ懐かしいかんじの遊園地で、ビル内には有名な蝋人形館や、名店街ことみやげ売り場などがある。見物客は帰りにこのビルを必ず通らなければならないわけで、このあたりもあざといところだ。蝋人形館ぐらいは見物してもよかったが、入場料がいい値段するのでやめておいた。
 もともと東京タワーが電波塔、放送用の巨大送信アンテナであることはよく知られている。運営会社は日本電波塔株式会社という名前だ。特別展望台も本来は保守作業用の小部屋として使われていたそうで、だから中には何もないわけだ。タワービルの一角には「○○テレビ用送信施設・関係者以外立入禁止」と書かれた部屋や、ガラス越しに無骨な送信機材が見える部屋もあったりして、東京タワーがいまだ現役の送信塔であることを示している。

 タワービル内のそば屋「さつま」で天ざるセットの昼食にしてから東京タワーを後にして、国道1号線を道なりに走って神奈川入りを果たした。さすが天下の東海道、車が多い。横浜の西隣、藤沢市でちょうど大型家電量販店が開店したらしく、店に向かう客の車でさらに混んでいたが、市街地を抜ける頃には、多少流れも良くなっていた。

寒川神社
相模国一の宮寒川神社。七五三の参拝客が多かった。

 相模川を渡る前に、寄っておかなければならない場所がある。関東一の宮巡りで最後に残った相模国一の宮、寒川神社(さむかわじんじゃ)だ。
 神社は相模川の河口から北に5キロほど行ったところ、寒川町内にある。神社の名前はおそらく、相模川にちなんでいるのだろう。ついでに、山形県には寒河江市というところがあるが、その昔寒川神社近辺に住んでいた人々が移住して作った街なので、この名前があるらしい。
 神社は豪華な参集殿を備えた立派なものだ。参拝客の車を駐車場に誘導する整備員も何人かいる。11月最初の日曜日ということもあって、七五三の参拝客が詰めかけているのだ。境内は子供連れが多く、親御さんは子供さんの晴れ姿を逃すまいと、ビデオやカメラのレンズを向けていた。
 参拝をそこそこに切り上げて、来たついでにと神社前の茶店でごまだんごとくるみだんごを食べてから、国道1号線に戻った。

 小田原まで来ると、空は薄暗くなっていた。スーパー「ヤオハン」で今晩の食料を買い込み、近郊にある「小田原いこいの森」に向かった。「いこいの森」に着いた頃には真っ暗で、管理棟には人もいなかった。テントサイトを探し廻るうち、林の中に駐車場があるのを見つけ、そこがちょうどいい具合に人目にも付かなければ水場もあったので、そこの片隅にテントを張ることにした。
 久々に米を炊き、まだ残っていた海老の紅梅煮と、ヤオハンで買ったなめたけとチキンハンバーグをおかずに夕食を済ました。かれこれ6日ぶりの野宿だ。ここ3日ばかりネットカフェ泊まりが続いていたため、久々にゆっくり寝られた。


脚註

注1・「フジテレビ新社屋」:東京都庁と同じ、丹下健三が手がけたとか。

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