伊豆半島一周

 朝八時に熱海を出発した。国道135号線で淡々と伊豆半島の最南端を目指す。「電話はよい風呂」のハトヤで有名な伊東温泉をはじめとして、途中いくつもの温泉地を通過した。左手には伊豆大島が見える。道は相変わらず断崖に沿って曲がりくねっているが、温泉に行くのか、車の量は多かった。
 トンネルに入る手前で、DJEBELのヘッドライトが切れてしまった。単車は常時ライトを点灯して走らなければならず、警察に見つかると整備不良ということで違反切符を切られてしまう。そういえばそろそろオイル交換も必要になっていた。このあたりは温泉は多いが、単車修理ができそうな店は伊豆の南、下田市まで全くなさそうだった。伊豆巡りもそこそこに、とっとと下田市に向かった。

 下田市で運良く「K2」という単車屋が見つかったので、電球とオイルを交換してもらった。山形から来たと言うと、「遠いところから来ましたねぇ。」と、缶コーヒーをおごっていただいた。お礼が遅れましたがどうもごちそうさまでした。
 修理が終わるとちょうど昼になった。市内で何か食べていこうかと思ったが、思わしい店もない。気の利いた店を探しつつ走ってみたが、見つからないままとうとう石廊崎(いろうざき)まで来てしまった。伊豆半島最南端だ。
 いつもなら、こうした最果ての岬にはDJEBELを停めて立ち寄るものなのだが、道路から「有料駐車場」の文字が見えたのと、腹が減っているのに岬までしばらく歩かなければならなそうだったので、行くのはやめといた。岬よりも食い物の方が先である。

 石廊崎から西伊豆に回り込むと風景は一変した。東伊豆で目立った大きな温泉宿やコンビニなどは影を潜め、すとんと海に落ちる断崖と、広々とした海が目立ってきた。伊豆は西より東の方が開けているが、風景を楽しむなら断然西だと思う。
 ただし、集落や商店はあまりない。昼をだいぶ過ぎた頃、松崎町でようやく「サークルK」を見つけた。昼食がわりに肉まんとピザまんを買い食いしてから、再び伊豆の道路を走り出した。

 賀茂村の宇久須(うくす)にさしかかったところで、思い立って、伊豆の真ん中にある湯ヶ島町(現伊豆市)に行きたくなった。井上靖の小説「しろばんば」の舞台になった場所だ。宇久須からは仁科峠を越えた先にある。
 峠に向かうと道は急に高度を上げた。はるか下方で海が光っているのがよく見える。峠のあたりは木も少ないまるきりの高原で、牧場やキャンプ場などもある。伊豆にもこんな高原があるのかと驚いた。
 湯ヶ島は仁科峠を東に下っていったところにある。狩野川上流に臨む温泉地で、渓流沿いに鄙びた宿がいくつも建っている。「入んなら洪作が入ってだような川沿いの共同湯がいいな。」と探し回ると、渓流沿いの県道そばに「いづみ園」という共同湯を見つけた。入浴料は700円で、ロッカー代100円が別に必要となる。
 湯船から川は望めなかったが、温泉は実によかった。趣がある岩風呂で、長いこと走ってきた身を休めるのにはちょうどよい。熱めの湯に長湯して茹でダコになったところを、休憩室で日記なぞ書きつつ冷ましたところで、湯ヶ島を後にした。帰りは国道136号線で土肥峠(といとうげ)に出て、県道で仁科峠に戻った。この土肥峠と仁科峠を結ぶ県道が、高原のてっぺんを縫う爽快な道で、広々としているのに車通りも少なく、走っていて全く気持ちがよかった。

 再び仁科峠を下る頃には、すっかり暗くなっていた。峠道にはもちろん街灯もなく、さっき交換したばかりのヘッドライトがあたりを照らすだけだ。暗い中を9キロ近く走り、道ばたに街灯が見えたとき、ようやく戻ってきたと安心した。
 戻ってはきたものの、その先の道中は決して楽なものではなかった。道はさらに細く曲がりくねり、おまけに暗くて寒かった。11月も上旬ならば、日は短いし気温も低い。途中名前が気になって、恋人岬に寄った以外は、ただただ黙って走るだけだった。風景はあまり見えなかったが、そのかわり、沖の漁り火と、対岸の街明かりだけはやたらよく見えた。
 昼食をまともに食べていなかったせいか、やがて腹まで減ってきた。空きっ腹を抱えつつ、寒さにうちふるえながら暗闇の中を延々と走るのは、荒行みたいなものである。さっき湯ヶ島で温泉に入っていたのがせめてもの救いだった。ありがたいことに、一回温泉に入れば、よほど寒くても数時間は我慢して走れるくらい温まる。
 西伊豆は車の往来も少ない。寂しい道を走った末、戸田村(現沼津市)に来たところでようやく、「海苑」という小さなラーメン屋が一件だけ開いているのを見つけたので、豪勢に大盛りラーメンを注文した。
 店内のテレビによれば、時刻はまだ六時を少しまわったに過ぎなかった。「六時だなさもうこんた暗ぇながよ!」と、ここでも昼の短さが恨めしくなった。

 そこまでして走らなければならない理由があった。今週中に甲府市の山梨県庁に行きたかったのだ。この日は木曜日だった。土曜日には県庁巡りができないので、行くなら明日、金曜日しかない。明日甲府に着くためには、今日中に伊豆半島を一周し、沼津市まで出なければならないのだ。
 戸田村から沼津市街までは遠かったが、街に近づくにつれ、徐々に集落も増えていった。伊豆半島一周も最後の追い込みである。「こんた暗ぇ中、なすて俺は一人こんた思いまでして走ってんなべが?」と情けなくなりつつも、走りに走った。そしてようやく午後九時、沼津市街にたどり着いた。伊豆半島一周達成である。できればもっとゆっくり、風景なぞ堪能しながら走りたかったところだが、湯ヶ島に行けただけでもよしとしよう。
 一周達成記念に、どこかでゆっくり寝たかったが、この時間では宿も見つからなかった。翌日は早く出発しなければならないこともあり、結局ネットカフェで朝まで過ごすことになった。

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